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FatなDadはSo Good!!
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空前のデブ大ブームを迎えて、僕の周囲は様子が一変した。誹謗中傷されることはあっても脂肪礼賛など夢のまた夢だったのが、まさに今その夢のような社会がやってきた。老若男女問わず嬉々として太り始め、痩せてスタイルの良い男女よりもふくよかで衣類がはち切れそうなタイプが持て囃された。アイドルも、タレントも、アニメやドラマや映画も、主役はいつも太っていた。にもかかわらず、僕の心中は暗いままだった
何が恐ろしいって、外的要因によってねじ曲げられ作られた嗜好というものは絶対に、ある日突然、何の前触れもなく終わりを迎えるに決まっているからだ。つまり、僕が元々太っているからと言って今のブームに乗って図に乗った生活を送った日には、ブーム終焉を迎えた後で一体どんなそしりを受けるかわかったもんじゃない。このまま大人しく暮らしている方が、まだ自分に後ろめたいことがないだけマシってもんだ。どうせそれでも言う奴は言うんだろうし
それに、このブームを仕掛けた張本人を僕は昔知っていた。カロボムシリーズの生みの親として知られる狭野栄吉郎は僕の小中学校と同級生だった男で、その間ずっと僕のデブをからかっていた。ちょっとぐらい乱暴でも持ち前の明るいキャラのお陰でイジメにならないタイプで男女問わず、また教師からも好かれることの多い絵に描いたような人気者だった。あの頃、飽きもせず人の肥満を玩具にしていた男が今や日本中を肥満にして遊んでいるようで……僕は生まれつきのデブであるにもかかわらずなんだかケツの座りが悪かった
次の日、実家から送られてきたカロボムシリーズの詰め合わせと試供品として添付されていた新商品「新カロボム5000」をそっくりオフィスに持っていき、流行に敏感な皆さんに差し上げることにした。箱いっぱいのデブサプリに群がる太り始めた人々の姿はなんとも異様かつ早くも窮屈そうで、これからお金を払ってまで大真面目に太ろうとしているのが滑稽でもあるぶん薄ら寒いものを感じさせた
唯一、この有様に加わろうとしなかったのはフジシロ課長だけだった
「課長、課長もカロボムしないんですかあ?」
「これすっごくよく効くんですよ、プロのデブが使ってるし」
フジシロ課長はそんな部下たちを微笑ましそうに見つめて
「なんだよプロのデブって、ウチにはセミプロがいるだろ」
と僕を見て言った。それがまた嫌味とか陰湿なものではなく、カラっとしたムードの笑いになるのがこの人のカッコいいところで、それだけ他人に悪意を持たないか、少なくともオモテには出さずに過ごせているのだろう
「ボ、ボクは生まれつきなんで……ナチュラルデブですから」
フジシロ課長に便乗して、つい僕も慣れない軽口を叩いてみた。すると
「ナチュラルデブか! 確かにな」
「ほんとー、いいなー!」
「また色々教えてくれよな、ナチュラル先生」
思いもよらない反応が返って来た。ついこの間までなら腫れ物に触るどころか居ないことにしてる方が近いくらいだったのに。デブでのろまで年がら年中汗かいてフーフー言ってるのだって散々ぱら見てきたはずなのに
僕は上手く言葉を返すことが出来ずに、頭をかいて身をすくめた
(本当に何もかも引っくり返っちゃったんだろうか)
見るとぎっしり詰まっていた段ボールがすっかりカラになったので、畳んで一階裏口の段ボール置き場に捨てに行こうと席を立った。オフィスを出て廊下から非常階段に出て、そのままトントンとリズムよく降りてゆく。帰りは勿論エレベーターを使うつもりだ
細長く畳まれた段ボールを共同の資源回収コンテナに放り込んで扉を閉める。ここは少し前までは喫煙スペースだったのだが、遂に建物の内外を問わず敷地内が全て禁煙になった為に、入居しているオフィスの共同の資源回収スペースになった
僕はそれよりもずっと前にタバコをやめていたけれど、今もって喫煙の習慣があってここでかろうじてチョイをしていた人たちは時折ここでコッソリと一服することがあるようだった。吸わないタバコほど匂うもので、この日も僕が段ボールを捨てに来る直前まで誰かが居たみたいだった
「ねえねえ!」
「ちょっと聞いても良い?」
オフィスに戻ってくるなり、今まで殆ど会話をしたこともなかった女子社員が僕のデスクにやって来て鼻息も荒く訪ねてきた
「宇野くんて、カロボムシリーズの開発者と知り合いなの?」
「これ、実家に送ってくれたんでしょお?」
ああ、さっきフジシロ課長に話したことが筒抜けになってたんだ。そりゃまそうだけど、別に今でも……というか昔から、別に仲が良いわけじゃないんだけど……
「えーー、そうなんだ」
「勿体ないねー」
何が如何勿体ないのか知らないが、僕としてはあの頃のイジリや今日までのデブへの風当たりに対する引き換えが彼と幼馴染であることじゃあ、金塊と爪の垢ぐらい釣り合いがとれないんだよなあ
「ねえカロボムもっともらえないの?」
ほらきた
「これホントに効くってみんな言ってるからさあー!」
お前の意見はどうなんだ
誰かの仕掛けた商売に乗せられてまんまと太り始めた人が、さらなるカロリーを求めて恥も外聞もなくサプリメントをタダで手に入れようとする。話したこともない、元々肥満で軽蔑していた人間に馴れ馴れしくするぐらい、この手の人間には朝飯前どころか晩飯の後にだって容易いだろう
浮腫んだ顔面に張り付いたような笑顔が薄気味悪い
太り始めが肝心です!
テレビを点けるなりコマーシャルが宣言した。新しいカロボムの紹介だ。太り始めると息が上がったりウエストが苦しくなったりするけれど、それが幸せへの近道なのだと
僕は生まれてこの方、太ってることで幸せを感じたことなど微塵もないけどね
これから太ろうとする人々は、自分も太れば幸せになれる、人生が楽しくなる、何か一つでも得することがあると信じて疑わないのだろうか
数字が増えたら得だと思うなら血糖値や尿酸値なんかは出血大サービス級の超お得ってことになるのだろうが、その血の中身はドロドロで糖尿病まっしぐらなんだけど
「参ったなあー」
フジシロ課長が自慢の口髭を撫でながらボヤいている。どうしたんですかー? とのんきな相槌を打つのは営業のシンマさんだ
「いやさー、いつも飲んでたやつ自販機から消えちゃったからコンビニ行ったんだけど今みんな太るやつばっかりだからさー」
「あー、フジシロさん飲まないんですか?」
「うーん別に……嫌いじゃないけど甘くない方が好きなんだよねー。タバコの次はダイエット系の飲み物買うのも、なんか変って感じしてさー」
「ダイエットなんて死語になったんですかねー」
「オイオイ死語なんて言葉がもう死語だろ!」
「確かに! あははは」
笑い飛ばしながら買ってきた炭酸飲料のキャップをパシッと開けるフジシロ課長。手に持っているのはノンカロリーで砂糖を使わないタイプのコーラ飲料だ
つい先日までは各社が躍起になってトクホだとか繊維を入れたスペシャルとか、砂糖の何倍も甘さを感じる人工甘味料を駆使した飲み物を作っていたというのに
会議で飲みやすいように、と作られた透明なコーラ飲料あたりならまだしも、今じゃ手のひらを返したようにこれまでの数倍のカロリーを摂取できる飲み物を手当たり次第に乱発している
フレーバー、糖類、容量と様々なタイプが選べて、そのうえ軒並み高カロリーときて人気を呼んでいる。トップブランドからご当地メーカー、果てはコンビニやスーパーのプライベートブランドまでズラリと並んだカロリー飲料は圧巻で、まるでコンピューターグラフィックス
特大の高カロリー糖類マシマシコーラをドーナツやハンバーガー、フライドポテトなんかに添えたランチの写真をネットにあげていれば流行の最先端だなんて。ちょっと前なら明らかに仕事が出来なくて自堕落な男の主食のように描かれていたものが、今やデキる若者の象徴みたいになっている
それにしたってフジシロ課長の言うことはよくわかる。僕もこう見えて甘すぎる飲み物よりはフツーに赤いラベルの炭酸水が好きなんだけど、それを言うと必ず
ダイエット?
と聞かれるし、そうじゃないと答えても
無理しなくていいから
と笑われる。自分は今このデブに的確なオモシロツッコミを入れています、とでも言いたげな得意満面には返す言葉もない。デブが無理して炭酸水を飲んでいると決めつけている奴等が、今じゃ無理してでも高カロリーの砂糖水を飲んでいるとは皮肉なものだ
お昼ご飯を食べに行くにも、どこもかしこも大盛無料は当たり前で特盛やお代わり自由のサービスまで始まった。お陰で安くて量の多い食事には事欠かなくなったが、誰もがそんなに食べられるものではないので結構な量が残されている
さっきの事務員の女性三人組がそれぞれ注文して残していった分で、恐らく一人前半ぐらいの定食になるだろう。そういうのを見ているのも忍びないし気分も良くないので、だんだんと外食に出ることが減っていった。かといって昼時のコンビニなんてのは最悪で、近在の勤め人が一斉に昼休みに入るためレジも店内も殺気立っている
だいたいそんな狭く込み合う昼時のコンビニで、苛立ちをこれ見よがしに顔と態度に出したまま全力で肩からぶつかってくる奴は、だいたい半端なブランドの背広でカッコつけて、どこかで見たような髪型でキメているが顔は随分ザンネンだ
オレは仕事がデキるから早く昼食を済ませたいんだ! ああ忙しい!! と頬を引きつらせ眉を吊り上げて乱暴にキャッシュレス決済を済ませて急いで戻っても、お前に出来る仕事は大抵お前じゃなくても間に合うんだけどな
オフィス街のコンビニは徒歩圏内の客と乗り換えの客と、用もないのにウロウロしているヒマ人でごった返しているし、もう少し郊外に出れば狭い駐車場にひしめき合う外回りのバンや現場系のトラックがかけっぱなしのエンジンとエアコンでもうもうと熱気が立ち込めている、また違った小さくて緩い地獄が待っている。駐車場で車の窓を開け放して腕を出しながらタバコの灰を風が吹くまま撒き散らしているのは大抵オッサンで、若い作業員は意外と隅っこに置かれた灰皿で吸うか、自分の灰皿を用意して吸っている。最近は電子タバコにする者も多いようで、甘ったるい不思議な香りを漂わせている
アイスクリームの冷凍庫と成人向け雑誌コーナー付近で所在なさ気に立っているのはトイレの順番待ちをしているヒトだ。時折、お構いなしに女子トイレに入ってくのも大抵オッサンで、オッサンというのは大抵の場合は自分が120%悪くても忌々しげに苦虫を嚙み潰したような顔を作って周囲を威嚇する
狭いコンビニ、たかがコンビニという小さな箱の中で一瞬の刹那にすれ違う人々に対してすらこんな風に過ごす連中が、普段はどんな風に暮らしているのだろう
僕にぶつかって舌打ちを一つ捨てただけで何処かへ立ち去ったあの若いビジネスマンも、きっとこんなオッサンになるのだろう。作業着が背広に変わっただけで
FatなDadはSo Good!!
曖昧な心持で立ち寄ったコンビニに入るなり、店内放送がまくし立てた。日曜夜の洋画チャンネルでお馴染みの女性アナウンサーによる軽妙なフレーズで、流行りのデブアイドルの曲に乗せた新商品の紹介だった。勿論カロリー大盛、太ってナンボのラインナップだ
しかもそれがデブ大ブームも此処まで来たか! と言った内容で、今日は我が国における永遠の嫌われ要素ナンバーワン。男の、いや人間の終わりとまで言われ続けてきた。あの
中年太り
を褒め称え始めた。オッサン体型のメタボリックシンドローム丸出しな姿を「優しさメタボ」と言い換えることでまるっきり逆の印象を植え付けようとしている
背脂入りのラーメンに脂身の多い巨大な唐揚げが五個も乗ったインスタント食品や、フレーバーではなく初めからバニラアイスそのものが溶け込ませてあるコーラ飲料。それに脂やニンニク交じりの汗のにおいを緩和するという触れ込みのサプリメント
やっぱりアイツの会社が仕掛けたものだったんだ
納得行ったところで買い物をしようにも、必要以上のデブ推し・デブ礼賛に辟易しているところにこのラインナップは辛い。むしろこの暑い最中には冷たいサラダチキンやオクラとナメコのサラダに醤油ベースの大根おろしダレをかけて食べたい気分だ
だがそんなものは、つい最近までデブを許さなかった世論が許さない。世論に敏感になるあまり自分が世論の一部だと錯覚しているかのようなこのチェーンのラインナップは
肉、脂、熱量のないものは商品に非ズ!
と言いたげに変貌し、サラダチキンなんて何処かに消え失せたうえに同じ場所にはデカデカとポップが飾られ
「冷やし唐揚げ始めました」
の文字。勿論、あの揚げ肉を擬人化した先輩が浴衣を着て涼しそうにしているイラスト付きだ
何をどう曲解したら冷たい唐揚げなんか食べようと思うのか、揚げ物が冷めてアブラが固まったのなんか最悪じゃないか。唐揚げは熱々を食べるから美味しいのであって、冷めても食べるときというのは
(ほかに食うもんないし、とりあえずコレ食うか)
といったときか、よっぽど美味しい唐揚げだけだ。デブにはデブの矜持がある、何でもかんでも奇抜で意表を突こうとしているモノばかりを好んで太るのであればそれは単なる悪食だ。またそれを悪食とも、おかしいとも思わずに煽れば買ってまんまと写真つきで感想を投稿する奴等がタダどころかお金出して買ったものを広告する
世の中は一方的過ぎるくらいの方が、まんまと上手く回るのかもしれない
僕は握り拳大のおにぎり、その名も新発売「頑固ゲンコツお握り」を二つカゴに放り込んだ。旨とろ角煮チャーシューとツナ入りタルタルお握り、と書かれている。確かに美味そうだが、こうも煽られるとなんだか負けた気がする。何に対して勝負しているのかは、わからない
会社に戻ると、僕より少し遅れて経理部の女性事務員が戻って来た。御多分に漏れず以前に比べると少しふっくらしてきていた。丸っこい小さな体に両手で大きなマイバッグを下げているから、なんだか民芸品のヤジロベエみたいになっている
「みんなあー、コレ食べてえ」
フーフーと赤い顔をして息をつきながら、マイバッグの中から取り出したのはさっきのコンビニでも売り出し中だった新発売のアイスクリームだった
どぎつい黄色のパッケージには、もってりとしたフォントでアイスドバターと書かれ
「バター300%使用、食べるカロボム・夏」
のキャッチフレーズが添えられている。バター風味とかバター味ではなく、バターのアイスクリームだ。濃厚かつ甘みのなかに若干の塩気が混じった味わいが話題を呼んでいる、という触れ込みで、今日のTwitterでもトレンド入りしていた商品だ
どこの誰が作ったんだか知らないが、最早アイスクリームではなく凍らせたバターだ。商品説明によると本当にそのままバターとしても使えるらしく公式サイトにはアレンジレシピも載っているそうだ
「あーーこれ今朝めざましで見たー!」
「マジで買ってきたんだ、ウッケる!」
同僚や他部署の女子社員仲間にも好評と見え、みんなで先を争って手に取り早速開封してスプーンを刺している。思い思いの感想を述べあいながらも和気藹々とオヤツタイムを過ごす彼女らを尻目に、僕は自分の机で買ってきたお握りを食べようと袋から取り出した
「宇野君、流石だねえ」
僕が取り出した頑固ゲンコツお握り・ツナ入りタルタルを目ざとく見つけた営業部の先輩社員が声をかけてくる。僕はそれに何と答えていいかわからず曖昧に笑った
みんな、どうしてそんなに太りたいんだろう
僕は別に、太りたくて食べてるんじゃないんだけどな
そう思ってお握りを頬張った僕の背中から
「宇野くん」
と声をかけてきた人が居た。振り向くと、それは事務の雪本さんだった
僕が密かに、想いを寄せてるヒトだ
何が恐ろしいって、外的要因によってねじ曲げられ作られた嗜好というものは絶対に、ある日突然、何の前触れもなく終わりを迎えるに決まっているからだ。つまり、僕が元々太っているからと言って今のブームに乗って図に乗った生活を送った日には、ブーム終焉を迎えた後で一体どんなそしりを受けるかわかったもんじゃない。このまま大人しく暮らしている方が、まだ自分に後ろめたいことがないだけマシってもんだ。どうせそれでも言う奴は言うんだろうし
それに、このブームを仕掛けた張本人を僕は昔知っていた。カロボムシリーズの生みの親として知られる狭野栄吉郎は僕の小中学校と同級生だった男で、その間ずっと僕のデブをからかっていた。ちょっとぐらい乱暴でも持ち前の明るいキャラのお陰でイジメにならないタイプで男女問わず、また教師からも好かれることの多い絵に描いたような人気者だった。あの頃、飽きもせず人の肥満を玩具にしていた男が今や日本中を肥満にして遊んでいるようで……僕は生まれつきのデブであるにもかかわらずなんだかケツの座りが悪かった
次の日、実家から送られてきたカロボムシリーズの詰め合わせと試供品として添付されていた新商品「新カロボム5000」をそっくりオフィスに持っていき、流行に敏感な皆さんに差し上げることにした。箱いっぱいのデブサプリに群がる太り始めた人々の姿はなんとも異様かつ早くも窮屈そうで、これからお金を払ってまで大真面目に太ろうとしているのが滑稽でもあるぶん薄ら寒いものを感じさせた
唯一、この有様に加わろうとしなかったのはフジシロ課長だけだった
「課長、課長もカロボムしないんですかあ?」
「これすっごくよく効くんですよ、プロのデブが使ってるし」
フジシロ課長はそんな部下たちを微笑ましそうに見つめて
「なんだよプロのデブって、ウチにはセミプロがいるだろ」
と僕を見て言った。それがまた嫌味とか陰湿なものではなく、カラっとしたムードの笑いになるのがこの人のカッコいいところで、それだけ他人に悪意を持たないか、少なくともオモテには出さずに過ごせているのだろう
「ボ、ボクは生まれつきなんで……ナチュラルデブですから」
フジシロ課長に便乗して、つい僕も慣れない軽口を叩いてみた。すると
「ナチュラルデブか! 確かにな」
「ほんとー、いいなー!」
「また色々教えてくれよな、ナチュラル先生」
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僕は上手く言葉を返すことが出来ずに、頭をかいて身をすくめた
(本当に何もかも引っくり返っちゃったんだろうか)
見るとぎっしり詰まっていた段ボールがすっかりカラになったので、畳んで一階裏口の段ボール置き場に捨てに行こうと席を立った。オフィスを出て廊下から非常階段に出て、そのままトントンとリズムよく降りてゆく。帰りは勿論エレベーターを使うつもりだ
細長く畳まれた段ボールを共同の資源回収コンテナに放り込んで扉を閉める。ここは少し前までは喫煙スペースだったのだが、遂に建物の内外を問わず敷地内が全て禁煙になった為に、入居しているオフィスの共同の資源回収スペースになった
僕はそれよりもずっと前にタバコをやめていたけれど、今もって喫煙の習慣があってここでかろうじてチョイをしていた人たちは時折ここでコッソリと一服することがあるようだった。吸わないタバコほど匂うもので、この日も僕が段ボールを捨てに来る直前まで誰かが居たみたいだった
「ねえねえ!」
「ちょっと聞いても良い?」
オフィスに戻ってくるなり、今まで殆ど会話をしたこともなかった女子社員が僕のデスクにやって来て鼻息も荒く訪ねてきた
「宇野くんて、カロボムシリーズの開発者と知り合いなの?」
「これ、実家に送ってくれたんでしょお?」
ああ、さっきフジシロ課長に話したことが筒抜けになってたんだ。そりゃまそうだけど、別に今でも……というか昔から、別に仲が良いわけじゃないんだけど……
「えーー、そうなんだ」
「勿体ないねー」
何が如何勿体ないのか知らないが、僕としてはあの頃のイジリや今日までのデブへの風当たりに対する引き換えが彼と幼馴染であることじゃあ、金塊と爪の垢ぐらい釣り合いがとれないんだよなあ
「ねえカロボムもっともらえないの?」
ほらきた
「これホントに効くってみんな言ってるからさあー!」
お前の意見はどうなんだ
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浮腫んだ顔面に張り付いたような笑顔が薄気味悪い
太り始めが肝心です!
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僕は生まれてこの方、太ってることで幸せを感じたことなど微塵もないけどね
これから太ろうとする人々は、自分も太れば幸せになれる、人生が楽しくなる、何か一つでも得することがあると信じて疑わないのだろうか
数字が増えたら得だと思うなら血糖値や尿酸値なんかは出血大サービス級の超お得ってことになるのだろうが、その血の中身はドロドロで糖尿病まっしぐらなんだけど
「参ったなあー」
フジシロ課長が自慢の口髭を撫でながらボヤいている。どうしたんですかー? とのんきな相槌を打つのは営業のシンマさんだ
「いやさー、いつも飲んでたやつ自販機から消えちゃったからコンビニ行ったんだけど今みんな太るやつばっかりだからさー」
「あー、フジシロさん飲まないんですか?」
「うーん別に……嫌いじゃないけど甘くない方が好きなんだよねー。タバコの次はダイエット系の飲み物買うのも、なんか変って感じしてさー」
「ダイエットなんて死語になったんですかねー」
「オイオイ死語なんて言葉がもう死語だろ!」
「確かに! あははは」
笑い飛ばしながら買ってきた炭酸飲料のキャップをパシッと開けるフジシロ課長。手に持っているのはノンカロリーで砂糖を使わないタイプのコーラ飲料だ
つい先日までは各社が躍起になってトクホだとか繊維を入れたスペシャルとか、砂糖の何倍も甘さを感じる人工甘味料を駆使した飲み物を作っていたというのに
会議で飲みやすいように、と作られた透明なコーラ飲料あたりならまだしも、今じゃ手のひらを返したようにこれまでの数倍のカロリーを摂取できる飲み物を手当たり次第に乱発している
フレーバー、糖類、容量と様々なタイプが選べて、そのうえ軒並み高カロリーときて人気を呼んでいる。トップブランドからご当地メーカー、果てはコンビニやスーパーのプライベートブランドまでズラリと並んだカロリー飲料は圧巻で、まるでコンピューターグラフィックス
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それにしたってフジシロ課長の言うことはよくわかる。僕もこう見えて甘すぎる飲み物よりはフツーに赤いラベルの炭酸水が好きなんだけど、それを言うと必ず
ダイエット?
と聞かれるし、そうじゃないと答えても
無理しなくていいから
と笑われる。自分は今このデブに的確なオモシロツッコミを入れています、とでも言いたげな得意満面には返す言葉もない。デブが無理して炭酸水を飲んでいると決めつけている奴等が、今じゃ無理してでも高カロリーの砂糖水を飲んでいるとは皮肉なものだ
お昼ご飯を食べに行くにも、どこもかしこも大盛無料は当たり前で特盛やお代わり自由のサービスまで始まった。お陰で安くて量の多い食事には事欠かなくなったが、誰もがそんなに食べられるものではないので結構な量が残されている
さっきの事務員の女性三人組がそれぞれ注文して残していった分で、恐らく一人前半ぐらいの定食になるだろう。そういうのを見ているのも忍びないし気分も良くないので、だんだんと外食に出ることが減っていった。かといって昼時のコンビニなんてのは最悪で、近在の勤め人が一斉に昼休みに入るためレジも店内も殺気立っている
だいたいそんな狭く込み合う昼時のコンビニで、苛立ちをこれ見よがしに顔と態度に出したまま全力で肩からぶつかってくる奴は、だいたい半端なブランドの背広でカッコつけて、どこかで見たような髪型でキメているが顔は随分ザンネンだ
オレは仕事がデキるから早く昼食を済ませたいんだ! ああ忙しい!! と頬を引きつらせ眉を吊り上げて乱暴にキャッシュレス決済を済ませて急いで戻っても、お前に出来る仕事は大抵お前じゃなくても間に合うんだけどな
オフィス街のコンビニは徒歩圏内の客と乗り換えの客と、用もないのにウロウロしているヒマ人でごった返しているし、もう少し郊外に出れば狭い駐車場にひしめき合う外回りのバンや現場系のトラックがかけっぱなしのエンジンとエアコンでもうもうと熱気が立ち込めている、また違った小さくて緩い地獄が待っている。駐車場で車の窓を開け放して腕を出しながらタバコの灰を風が吹くまま撒き散らしているのは大抵オッサンで、若い作業員は意外と隅っこに置かれた灰皿で吸うか、自分の灰皿を用意して吸っている。最近は電子タバコにする者も多いようで、甘ったるい不思議な香りを漂わせている
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狭いコンビニ、たかがコンビニという小さな箱の中で一瞬の刹那にすれ違う人々に対してすらこんな風に過ごす連中が、普段はどんな風に暮らしているのだろう
僕にぶつかって舌打ちを一つ捨てただけで何処かへ立ち去ったあの若いビジネスマンも、きっとこんなオッサンになるのだろう。作業着が背広に変わっただけで
FatなDadはSo Good!!
曖昧な心持で立ち寄ったコンビニに入るなり、店内放送がまくし立てた。日曜夜の洋画チャンネルでお馴染みの女性アナウンサーによる軽妙なフレーズで、流行りのデブアイドルの曲に乗せた新商品の紹介だった。勿論カロリー大盛、太ってナンボのラインナップだ
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中年太り
を褒め称え始めた。オッサン体型のメタボリックシンドローム丸出しな姿を「優しさメタボ」と言い換えることでまるっきり逆の印象を植え付けようとしている
背脂入りのラーメンに脂身の多い巨大な唐揚げが五個も乗ったインスタント食品や、フレーバーではなく初めからバニラアイスそのものが溶け込ませてあるコーラ飲料。それに脂やニンニク交じりの汗のにおいを緩和するという触れ込みのサプリメント
やっぱりアイツの会社が仕掛けたものだったんだ
納得行ったところで買い物をしようにも、必要以上のデブ推し・デブ礼賛に辟易しているところにこのラインナップは辛い。むしろこの暑い最中には冷たいサラダチキンやオクラとナメコのサラダに醤油ベースの大根おろしダレをかけて食べたい気分だ
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肉、脂、熱量のないものは商品に非ズ!
と言いたげに変貌し、サラダチキンなんて何処かに消え失せたうえに同じ場所にはデカデカとポップが飾られ
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(ほかに食うもんないし、とりあえずコレ食うか)
といったときか、よっぽど美味しい唐揚げだけだ。デブにはデブの矜持がある、何でもかんでも奇抜で意表を突こうとしているモノばかりを好んで太るのであればそれは単なる悪食だ。またそれを悪食とも、おかしいとも思わずに煽れば買ってまんまと写真つきで感想を投稿する奴等がタダどころかお金出して買ったものを広告する
世の中は一方的過ぎるくらいの方が、まんまと上手く回るのかもしれない
僕は握り拳大のおにぎり、その名も新発売「頑固ゲンコツお握り」を二つカゴに放り込んだ。旨とろ角煮チャーシューとツナ入りタルタルお握り、と書かれている。確かに美味そうだが、こうも煽られるとなんだか負けた気がする。何に対して勝負しているのかは、わからない
会社に戻ると、僕より少し遅れて経理部の女性事務員が戻って来た。御多分に漏れず以前に比べると少しふっくらしてきていた。丸っこい小さな体に両手で大きなマイバッグを下げているから、なんだか民芸品のヤジロベエみたいになっている
「みんなあー、コレ食べてえ」
フーフーと赤い顔をして息をつきながら、マイバッグの中から取り出したのはさっきのコンビニでも売り出し中だった新発売のアイスクリームだった
どぎつい黄色のパッケージには、もってりとしたフォントでアイスドバターと書かれ
「バター300%使用、食べるカロボム・夏」
のキャッチフレーズが添えられている。バター風味とかバター味ではなく、バターのアイスクリームだ。濃厚かつ甘みのなかに若干の塩気が混じった味わいが話題を呼んでいる、という触れ込みで、今日のTwitterでもトレンド入りしていた商品だ
どこの誰が作ったんだか知らないが、最早アイスクリームではなく凍らせたバターだ。商品説明によると本当にそのままバターとしても使えるらしく公式サイトにはアレンジレシピも載っているそうだ
「あーーこれ今朝めざましで見たー!」
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同僚や他部署の女子社員仲間にも好評と見え、みんなで先を争って手に取り早速開封してスプーンを刺している。思い思いの感想を述べあいながらも和気藹々とオヤツタイムを過ごす彼女らを尻目に、僕は自分の机で買ってきたお握りを食べようと袋から取り出した
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僕が取り出した頑固ゲンコツお握り・ツナ入りタルタルを目ざとく見つけた営業部の先輩社員が声をかけてくる。僕はそれに何と答えていいかわからず曖昧に笑った
みんな、どうしてそんなに太りたいんだろう
僕は別に、太りたくて食べてるんじゃないんだけどな
そう思ってお握りを頬張った僕の背中から
「宇野くん」
と声をかけてきた人が居た。振り向くと、それは事務の雪本さんだった
僕が密かに、想いを寄せてるヒトだ
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だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
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※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
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