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猫の系譜
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我が家には昔、物凄く沢山の猫が居たらしい。私が生まれる前までは全部で20匹以上いたといい、それが人に貰われたりいなくなったりして、私が生まれた時点では僅か2匹だった。
長寿猫のトラちゃんと、血統書付きシャムネコのクレラ。クレラは母のお気に入りで、未だに写真が沢山残っている。トラちゃんは祖父母が可愛がっていて、トラちゃんの子供たちはみんな貰われていったりいなくなったりしてもトラちゃんだけは最期まで我が家に残っていた。
その後も私のお誕生日に来たクリームというデブ猫や、白いチンチラっぽい野良猫のミミちゃん、三毛猫のチョコちゃんと、その子供が4匹いて、私がお友達から譲り受けたプーコが最後にウチに来た猫だったかな。
チョコの子供たちは4匹みんな元気に生まれて、3匹は貰われていった。最後に1匹残ったブチ模様のオスは、ブッチャーとかブチルと呼ばれて可愛がられた。極度の小心者で、とにかく毎日ビクビクしていたが、部屋で間延びしているときだけはンゴー、ンガアーとオスネコらしい野太い声で鳴いてたっけ。
ブッチャーは子猫の頃に物置の箱の上から飛び損ねて足を怪我してしまい、生涯ちょっとだけ左足を引きずっていた。まあずっと横にしたカラーボックスの中で寝転んですごしていたし、最期もそこで眠るようにしていったから、あんまりカンケーなかったのかもしれない。
トラちゃんの時は大変だった。多分20年近く生きてて、最後は目も見えなくなって頭もぼけてしまっていた。んで、そのまま下痢弁をまき散らしながらお構いなしに歩き続けていたせいで、祖父母の部屋は悪臭に包まれてたまったもんじゃなかった。敷き詰めたペットシートを日に何度も取り換えて、それと同時期に祖母も体調を崩して部屋で介護をしていたし、あの頃の我が家はその他諸々の事情も相まって大変だった。
トラちゃんは、そのどさくさが過ぎ去ったぐらいに、ふっと息を引き取った。私が高校を卒業するかしないかぐらいまで生きてたし、なんなら生まれる前からもう子供も産んでたからホントに短く見積もっても20年以上生きたことになる。
最期の方は痩せこけて、迫力あったなトラちゃん。
あ、そうだ。アメリカンショートヘアーのチョビもいた。祖母が行きつけの喫茶店の奥さんから譲り受けた猫で、太っているのに身軽でよく遊ぶ可愛いヤツだった。
プロレスラーで言うとバンバン・ビガロとかビッグバン・ベイダーみたいな感じで、ずんぐりむっくりの体格ながら棚でもタンスでもヒョイっと上るし、エサをあげればバクバク食べるし、元気のいい子だったが長生きは出来なかった。最後は尿毒症ってので呆気なかったな……。
クリームは私が譲り受けた猫で、クーちゃんと呼ばれていた。クリームはエリック・クラプトンのバンドからとってつけた。
シャムネコもどきの、ツチノコみたいな体系でポッチャリ系だった。あまり私には懐いてくれなくて、気難し屋さんだった。その反面、祖父母には全権委任ってぐらいに懐いてた。祖母が亡くなってすぐにクーちゃんも行ってしまったときは、祖母が可愛がってたから連れて行きたかったのかもしれないなと思ったほどだった。そのぐらい。
ミミちゃんとプーコは祖父に懐いてて、プーコは祖父の後を追うようにしていった。うちの猫は、何かしら役割を秘めて生きてたのかも知れんなあ。
最後の最後に白状すると、私はこんな家に生まれ育っておきながら重度の猫アレルギーで、昔から猫を触ったらすぐに手と顔を洗わないと大変だった。掃除も勿論、トイレの世話もしないといけない。
今じゃペットを育てる余裕も無いから、専らTwitterやネットで猫の写真を見ている。コレが一番だ。だって責任もってお世話できないもん。
猫は見るのに限る。猫に限らず、ペットは生涯もう飼わないだろうなー。
長寿猫のトラちゃんと、血統書付きシャムネコのクレラ。クレラは母のお気に入りで、未だに写真が沢山残っている。トラちゃんは祖父母が可愛がっていて、トラちゃんの子供たちはみんな貰われていったりいなくなったりしてもトラちゃんだけは最期まで我が家に残っていた。
その後も私のお誕生日に来たクリームというデブ猫や、白いチンチラっぽい野良猫のミミちゃん、三毛猫のチョコちゃんと、その子供が4匹いて、私がお友達から譲り受けたプーコが最後にウチに来た猫だったかな。
チョコの子供たちは4匹みんな元気に生まれて、3匹は貰われていった。最後に1匹残ったブチ模様のオスは、ブッチャーとかブチルと呼ばれて可愛がられた。極度の小心者で、とにかく毎日ビクビクしていたが、部屋で間延びしているときだけはンゴー、ンガアーとオスネコらしい野太い声で鳴いてたっけ。
ブッチャーは子猫の頃に物置の箱の上から飛び損ねて足を怪我してしまい、生涯ちょっとだけ左足を引きずっていた。まあずっと横にしたカラーボックスの中で寝転んですごしていたし、最期もそこで眠るようにしていったから、あんまりカンケーなかったのかもしれない。
トラちゃんの時は大変だった。多分20年近く生きてて、最後は目も見えなくなって頭もぼけてしまっていた。んで、そのまま下痢弁をまき散らしながらお構いなしに歩き続けていたせいで、祖父母の部屋は悪臭に包まれてたまったもんじゃなかった。敷き詰めたペットシートを日に何度も取り換えて、それと同時期に祖母も体調を崩して部屋で介護をしていたし、あの頃の我が家はその他諸々の事情も相まって大変だった。
トラちゃんは、そのどさくさが過ぎ去ったぐらいに、ふっと息を引き取った。私が高校を卒業するかしないかぐらいまで生きてたし、なんなら生まれる前からもう子供も産んでたからホントに短く見積もっても20年以上生きたことになる。
最期の方は痩せこけて、迫力あったなトラちゃん。
あ、そうだ。アメリカンショートヘアーのチョビもいた。祖母が行きつけの喫茶店の奥さんから譲り受けた猫で、太っているのに身軽でよく遊ぶ可愛いヤツだった。
プロレスラーで言うとバンバン・ビガロとかビッグバン・ベイダーみたいな感じで、ずんぐりむっくりの体格ながら棚でもタンスでもヒョイっと上るし、エサをあげればバクバク食べるし、元気のいい子だったが長生きは出来なかった。最後は尿毒症ってので呆気なかったな……。
クリームは私が譲り受けた猫で、クーちゃんと呼ばれていた。クリームはエリック・クラプトンのバンドからとってつけた。
シャムネコもどきの、ツチノコみたいな体系でポッチャリ系だった。あまり私には懐いてくれなくて、気難し屋さんだった。その反面、祖父母には全権委任ってぐらいに懐いてた。祖母が亡くなってすぐにクーちゃんも行ってしまったときは、祖母が可愛がってたから連れて行きたかったのかもしれないなと思ったほどだった。そのぐらい。
ミミちゃんとプーコは祖父に懐いてて、プーコは祖父の後を追うようにしていった。うちの猫は、何かしら役割を秘めて生きてたのかも知れんなあ。
最後の最後に白状すると、私はこんな家に生まれ育っておきながら重度の猫アレルギーで、昔から猫を触ったらすぐに手と顔を洗わないと大変だった。掃除も勿論、トイレの世話もしないといけない。
今じゃペットを育てる余裕も無いから、専らTwitterやネットで猫の写真を見ている。コレが一番だ。だって責任もってお世話できないもん。
猫は見るのに限る。猫に限らず、ペットは生涯もう飼わないだろうなー。
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