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#2011年3月11日14時46分あなたはどこで何をしていましたか

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トラックで寝てた。当時、ガス屋さんで配送の仕事をしていて、早く終わっちゃったんで豊橋港のすぐそばの緑地公園にトラックを停めて寝転がってたら…車体がやたらに揺れるんでおかしいなと思って起き上がった。元々そこは風が強く吹き付ける場所でもあったから、風でトラックが揺れること自体は、よくあることだった。でも、あの日は違った。
ゆらーー、ゆらーー、ゆっさ、ゆっさ……
って、物凄くゆっくり、ゆっっくり揺れて、それもずーーっと、ゆーーっくり揺れてた。地面の底の方から揺さぶられてるようで、あの日の空も薄暗くて、なんだか気味が悪かった気がする。なんか変だな、と思った。そしたらすぐに防災無線が流れた。
ウーーーッ、ウーーーッ、ウーーーッ、って不気味な、イヤーな音のサイレンで、聞いたこともない音色だった。それが何度か繰り返し流されたあとで、地震と津波に関しての放送が流れた。だだっ広くて風通しのいい神野ふ頭のあちこちに立ってるスピーカーからディレイがかかって流れる無線とサイレン。会社はそこからすぐ近くだったから、取って返して事務所に入ると、みんなテレビに釘付けだった。私もその輪に加わった。その時に見たのは、ホントに
ウソだろ……
と思うような光景だった。それだけは覚えている。その後本当に、ここ愛知でも色んな影響が出た。仕事も、生活も、考え方もだいぶ変わった。
少なくとも備えることだけは考えて、今でも備蓄を絶やさないようにしたり、古い家屋は建て直したりしている。

何をどうしろ、とか、アレを見ろコレを考えろ、と言われても困ってしまうし受け止めきれないけれど


実は当時、あの日から暫く経ってからmixiで言われたんだ。この映像を見てください!コレを見るべき!って。見たけど、どうしたらいいやら……その感想を、彼女らに伝えてどうなのか、何を言ったところで自分の感想が彼女らのお気に召すわけもなく、困り果ててしまった。でもあの時に死ぬほど困ってた人達に、それを言えるわけもなく。ただ、その彼女にくっつくように私を責め詰った奴がフツーに愛知の西の方の人だったのも覚えてる。なんでアンタまで私に?私の家から50キロも離れてないとこ住んでるのに???
大正義ってのは気持ちがいいねえ
と、そいつに対しては思ったけど、そんなこと思ったり、今さらココで白状出来てるのも、とりあえず不自由なく暮らせているからだしなー…元気かな、あの東北の別嬪さん。
あの時は本当に困った。言われるがまま見たことも後悔した。見たってキツイだけで、私には受け止めきれないし得るものも無かった。恐怖や、あなたの何か得体の知れない感情を押し付けられて、よく言えば言葉もなかった。悪く言う必要はないと思うから割愛。

誰かに何かをぶつけなきゃやってられなかったのなら私で良かったのかも知れない、と思う。あの当時の私が今よりずっと未熟だったのは確かだし、あれからどれだけ人間として熟して来れたかはわからない。

ただ、結局は受け止めなくてはならない現実や問題が今でも山ほどあるのもわかる。
それをあれこれ噛みついたり叫んだり喚いたりするのじゃなく、やっぱり、くだらねえ毎日でも、出来る限りフツーに暮らすしかないし、そのなかで余裕があれば備えたり貯えたりすることも必要だと思って、実際そうしている。自分なりにて。死ぬまで杞憂であってくれ、と正直、思う。どこの誰にとっても。

自分にとっては、今もってそれが精いっぱいだし、忘れようったって忘れられないことだからこそ、普段そっと胸に仕舞っておいて、機会を作って思いを確かめたりアップデートしたりすることが大切だと思っている。
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