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7.章魚焼風流記 後編

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 屋台を目指して一目散に駆けだした。あんなタコ人間の相手するぐらいなら火の始末をしに戻る方が百万倍マシだ。俺だって元は死神だが、別にあんな化け物を従えたり戦ったりしてたわけじゃない。人間の死に際に立って魂をちょいと頂くのが仕事だっただけで……しかしあのタコ人間の姿。何処かで見たような……タコ人間、タコ人間……まあいい、今はそれどころじゃない
 なんとか屋台まで走り着くとそのまま急いでガスを切った。幸か不幸か盗まれるほどの売上金は置いていない。でもこれも一応回収しておかなきゃな。材料の入ったクーラーボックスも閉まってるし、刃物も仕舞ってやれやれと思ったその時だった
「がじゅるる」
「ぎゅじゅごゅじゅぐぶ」
「(!!?)」
 そんな馬鹿な!
 荒い息を止めながら慌ててカウンターに伏せた。我らが屋台に向かって来たのは二人……いや二匹……二体? のタコ人間だった。紛れもない、さっき追いかけて来た奴と同類だ。なんだってしかしこんな……どっから沸いて出やがった
「ぎぐ!」
「ごぐごぐぶぐ!!」
「しまった」
 見つかった、金色の縦型眼をぎゅるんと回して俺を睨みつける。見れば見るほど不気味で陰湿な目つきだこと……重たそうな頭をフラフラ揺らしてゆっくりとコチラを向いて、また小声でブグブグ言っている。と、その瞬間
 ツンと伸びた嘴から真っ黒い墨をブワーっと吐き出した。それも二体同時にだ。霧のように辺り一面に広がって、あらゆる景色を覆い隠した墨は酸っぱくて嫌な臭いがした。ツンと来て、ピリっとする。焦げ臭くじめっぽい、黴臭くもある。何処かで、いや、ついこの間まで嗅いでいた臭いと同じだ。これは、死臭だ
 つまりコイツ等は死臭=死の予兆を意図的に発生させたうえで、それを相手の視覚に訴えて感知させているだけに過ぎない。つまり霧のように広がる墨は、まやかしだ
目に見えているだけで存在していない、ホログラムのようなものだ
 なぜ正体不明のタコ人間風情が死臭なんぞをまき散らかしてやがるのかはわからない。だが、だとすれば手立てはある。俺は屋台を飛び出し、木立を背にして奴等の気配を感じるために精神を集中させた。じゅる、じゃる、と薄気味の悪い足音が聞こえる。近づいてきている。そうだ、もっとだ、もっと近づいて来い……そこだっ!!
「ぐべっ!」
「ごぶ!!」
「ざぁんねん、お前さんたちの墨攻撃はお見通しだよ!」
 背後から忍び寄るタコ人間二匹の額を懐に忍ばせたピックで続けざまに突き刺した。常に持っていたわけじゃない、さっきまで散々どやされながらたこ焼きひっくり返す練習をしてたんで、そのまま片づけずにコッソリ持ってただけだ。しかし真面目に練習しておくもんだな
 タコ人間二匹が金色の縦型眼をしぱしぱさせて、そのままその場にドドっと倒れ込んだと同時に黒い霧も晴れた。しかしてそこに立っていたのはさらに新手のタコ人間どもだった。しかも今度はひい、ふう、みい、五匹も居やがる!
 アイツ、早く戻って来ねえかな……何やってんだろホント。まさか、もしかして……!?
 不吉な予感が脳裏をよぎるも、今はそれどころじゃない。幾らお得意の墨攻撃を見破っても、この数じゃちょっと分が悪い。じゅるじゅると薄気味悪い足音を立ててにじり寄ってくるタコ人間どもにじりじりと囲まれて、ヌーっと伸ばした十本の触手が迫ってくる
「ぐぶ、ぐぶ」
「ごぼ、がぼ」
「ぐんぬぶーぼー」
 一体何を言ってやがる、きっとロクでもないことに決まってる。くそお、どうすれば……!?
「ごぬっ」
「ぶじゅぼ!」
「がぶーー……」
 一瞬、まるでつむじ風でも吹くようにタコ人間のうち三匹の体や頭がゆらり、と揺れた。そして次の瞬間、一匹は頭が縦に真っ二つ、一匹は胴体から横一文字に真っ二つ、最後の一匹は袈裟懸けに斬られて青黒い体液をドバーっと吹き出しながら倒れた
「無事であったか」
 刀についた体液を払い、鞘にチィンと仕舞い込んだのは……さっきのおサムライさんだった
「酒井殿!」
「詩郎殿、ここは拙者に任せられい」
 酒井は草鞋をじりじりっと鳴らしながら、残った二匹を睨みつけている。刀に手をかけ、指先が柄に触れる、その刹那
「がぶ!」
「どぎゅぶ!!」
 黒い霧を吐き出すと同時に触手を振り上げて、タコ人間が二匹同時に酒井に向かって襲い掛かって来た。真っ黒な死臭のなかでバサッ、ズバッという音だけが響き、一瞬おいて霧がサーっと晴れてゆく
 刀を収め、顎髭をざりりと撫でる酒井。その足元に転がるタコ人間だった物体は青黒い体液に塗れ、びくびくと醜悪な痙攣を少し繰り返してそのまま息絶えた
「かたじけない……」
「なんの、一食一泊の恩義というやつよ」
「それなら猶更だい、お代は頂戴してるんだぜ」
「左様であるが、そちはたこ焼きとやらを拵えるのが職。拙者は武芸が芸のうち、これで五分であろう」
 なんとも粋なおサムライさんだ。だけど、こうしちゃいられない
「酒井殿、実は」
「むっ、連れはどうした」
「向こうで捕まってるかもしれないんだ」
「御意に御座る!」
 そう言い残すと、おサムライさんは韋駄天のように駆け出した。その足の速いこと。土煙を上げて遊歩道を走ってゆく酒井の影がみるみる小さくなって植え込みの向こうに消えて行った。アイツ大丈夫かな……

「おーーい!」
「おぅ! 詩郎。無事かあ」
「あれ、おサムライさんが来なかったか?」
「ああ、あたりの様子を見てくるってな。今もうちょっと向こうまで行ってるよ」
 彼が指さした公園の奥まった場所から視線を戻さず、照れ臭いのでそのまま背中を向けて言った
「なあんだそっか! まあなんだ、その、無事で良かったよ」
「うえっふえっふぇ」
「なんでえよせよ、薄気味悪い笑い方しやがって」
 なおもフガフガ笑う店主を、いつものように冗談で小突こうと振り向くとそこには……顔の半分が屋台主。だけどもう半分は如何にも醜悪な「何か」が溶けているような。得体のしれない奴が立っていた
「うが、ふが、うぐぅえっふっふぇ!」
「テメエ! アイツを何処へやった!!」
「ぐぶぶぶーー」
 なんてことだ! これじゃあ、まさか
「がーぶー!」
「うわーっ!」
 四方八方から伸びてくる触手が足と言い腕と言いお構いなしに絡みついて、吸盤に吸い付かれて締め上げられた。手足を引き裂かれてバラバラになって、つくしんぼになりそうだ……苦しい、首に巻き付いた一本がひと際力強く絞めつけて来やがる。この生活も暫くになる、見慣れた景色がかすんで意識が黒く遠ざかってゆく。この、この……この
「このタコ人間めが!!」
 ばさっ、ばさっ、どさっ
 今日一日ですっかり聞きなれた声の主が何処からともなく現れて、怒発一声。あっという間にタコ人間の触手を切り払った。返す刀で半分が屋台主、半分が化け物のハイブリッドブサイクフェイスを真一文字に切り裂く。閃光のような一発を浴びたタコ人間は化けた部分までタコらしい灰褐色のぬめぬめした肌に戻りながらぐぶぐぶと呻きながら崩れ落ちていった
「詩郎殿、しっかりなされい!」
「酒井殿……やられたよ、タコ人間の野郎アイツに化けてやがって。油断した」
「怪我はないか。連れは……見つからなかった。すまぬ。そちも窮地であった故、駆け付けた次第」
「そうだったのか……助かったよ」
「それで、主はどうした」
「わからない。俺にも見つからなかった」
「左様か……」
「なあシローのおじさん」
「ヒジリ! どうしたんだ」
 急に呼びかけられたのに驚いて振り向くと、そこにはノッポのヒジリが立っていた。近所のワンパク軍団の中でも文字通り頭二つか三つ抜けてデカいヒジリだが内心は大人しく、俺はコイツが母子家庭のうえ虐待を受けていた故に深い心の傷を抱えているのを知っていた。そんなヒジリが手に持っていたのは
「なあー、コレ、たこ焼き屋のおじさんのでねえかあ?」
「おお、本当だ!ありがとう、よく見つけたな」
「んああ、さっきソコで見っけたんだあ」
「詩郎殿、コレは……」
「酒井殿、実はアイツには別れた女房と倅がおりましてな。これは最近、その倅からもらったといって肌身離さず持ち歩いていたものなんだ」
 なんだかおサムライさんと話してると時代劇みたいな言葉が混じっちゃっていけねえや。まあいいか、ヒジリが差し出してくれたのは今言った通りアイツが後生大事にしていた紙粘土で作ったデコボコの金メダルだった。絵の具で塗られた鈍い金色のそれを、例の一件で俺が仕留め損ねた時にお見舞いとして病室に持ってきてくれたらしい
 そんなもんを俺の目の前で大事そうに掲げてやがって、まったくアイツは悪運の強い奴だと思っていたのに。今度という今度は、一体全体ドコへ行っちまったっていうんだ
「なあ、たこ焼きのおじさん、いないのかあ?」
「ん? あ、ああ。ヒジリ。そうなんだ、今ちょっと居ないんだよ」
 ヒジリの身代わりになって死にかかったアイツに捧げられた金メダルを、今になってヒジリが拾って持ってくるとはね。随分と皮肉な話だ
「詩郎殿」
「え、あ、酒井殿。如何なされた」
「如何とは笑止、そなたは何か感づいておるな。隠し立てをしている場合では御座らぬぞ」
「おわー! おサムライさんだあ。ミフネかあ」
「むっ、其方が聖と申す子か。なるほど大きいわい」
 俺も178センチ、酒井殿もおサムライさんにしちゃデカいがヒジリはそれよりもさらに頭ひとつデカかった。子供じゃなくても相当なデカさだろう
「どうやら我ら、何やら因縁があると見た。詩郎殿、話してはくれまいか。今いったい何が起ころうとしているのか……否。何が起こっているのか」
 考えまい、誤魔化そう、と思っていたが限界か。酒井殿はさっきから俺の目を真っすぐに、射抜くように見つめているし。聖も不安そうな眼差しをしている。それに俺も……アイツの安否が気になるしな!
「目星は……ついてる」
 俺は観念して、腹の底から絞り出すように言葉を紡いだ。目星はついてる。その言葉に偽りはない。全てを明かすときが来た
「ヒジリ。君には少し辛い話をしなくちゃならない。まあ、ちょっとこっちへ来て座ってくれ」
 俺はヒジリと酒井殿を坊主のベンチまで連れて行って、被害を免れた冷めかけのたこ焼きをヒジリの膝に乗せて身振りで「どうぞ」としながら話し始めた─
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