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【第24話】人ひとり分の笑顔があれば
しおりを挟むシエリは誰にも顔を見せぬまま、ヤマサンが住んでいたレンタルルームにひとり籠っていた。
灯りもつけず、暗がりの中で身を横たえ、両肩を抱き締める。
顔を深く埋めた。
懐かしい写真、置いたままにしていた歯ブラシ。シーツにくるまれば彼の匂いがそこにある。
独りでいると、色々と考えてしまう。
もしあの時、仕事を切り上げて帰っていれば――
もし早く、自分の気持ちを伝えていれば――
未来は違ったのだろうか。
彼女は記憶を辿るうちに、自分がしてしまった嫉妬と誤解、幼い仕返しのような行動を思い出していた。
「コハクちゃん……ごめんなさい。ガジュ丸……ごめんなさい、ごめ……んなさい、私、わたし……」
声は震え、胸がしまる。
目蓋が涙を抱える。
その奥に、ふいにヤマサンの笑顔が浮かんだ。
世界が変貌したあの日、家族を喪い、友達を喪い、只ただ途方に暮れていた彼女に、ヤマサンが差しのべた、優しい声、面白い声。
その一言一句が、シエリの心には刻印のように鮮明に刻まれていた。
――――あの日、
地表がひっくり返され、地獄と化した街。森の焼かれた臭い。
避難路は混乱に満ちていた。
崖から覗き込むと、奈落の空が赤黒く濁っている。
瓦礫に押し潰された人々の叫びが少しずつ途絶えていく……。
喪失感と絶望感の中、何も出来ない私はひとり膝を抱え座り込んでいた。背後には暗い暗いトンネルが続いている。
涙も、もう出なかった。
「……誰もいないのね」
「どうして、私だけ……私だけ生きてるの」
「帰る場所も、人も……どこかに落ちていった……なにも残ってない……」
呟きは、誰に届くでもなくトンネルから吹く冷たい空気に溶けていった。もう立ち上がる力さえない。このまま全部消えてしまえばいいと、心のどこかで願っていた。
その時だった。
「おーい、大丈夫かいな!」
突然、うっすらと耳に飛び込んできた妙に明るい声。振り向けば、埃まみれの大男が大きな手を差し伸べていた。
「泣いてる暇ないで! はよ逃げんで!」
彼はそう言っていた。自ら命を絶つことすら出来なかった私は、ちょうど良かったと思い「落として」と口を動かした。
それで全てを終わらせたかった。けれど、彼はそんなことは無視して、
「泣いてる口あったらな、その口にあんパンぎょうさん詰め込んだるで。あんパンだけにあーん言うてな。
せやけどな、泣きながら食うのは行儀が悪いっちゅーもんや。ほら、まず立ちい!」
馬鹿みたいな冗談。
だけど――
「……ありがとう」
尽きたはずの涙が奥から奥から溢れてきた。
私は彼の肩を借りてトンネルの奥へと歩いた。
火を囲み、悴んだ手を炎にかざす。
あてると、指先がジリジリと熱い。身体がところどころ痛い。
生きている、私は生きているんだ。
心でそう呟いた。
「家族、おらへんのか? せやな……ほな今日からワイが〝親戚のおじさん〟や。勝手に親戚追加サービスやで! ハハハッッ」
大きな笑い声がトンネルの壁にこだまする。不思議とその声は、私に纏わりついた恐怖や喪失感を少しだけ遠ざけた。
揺らめく炎が彼の顔をオレンジ色に染める。
私は震える手を伸ばした。
彼の手がしっかりと包み込んでくれた。
これが温もり……。そう思った瞬間、私はようやくホッと息を吐けた。
〝まだ、生きてたいんだ、私〟
「人ひとり分の笑顔があったらな、世界はほんの少しマシになるんや。笑えるか? ワイは笑えるで! ハッ――どや、世界に貢献したで」
そして彼のその言葉が、やっと私の口角を……少しだけ上げてくれた。
*
「ヤマ……」
シエリは涙に濡れた頬を拭った。ベッドから立ち上がる。耳の奥にまだ聴こえる、ヤマサンの言葉。
〝笑てるはずやで〟
その声が、彼女の瞳に火種を甦らせた。
テーブルの写真を睨みつけ、呟く。
「あんたの分まで、貢献したるわ」
ピピピピピピ………!
シエリの通信機が震えた。ミナトの切迫した声が飛び込んでくる。
「シエリ姉さん! 太陽の動きが遅い!」
「……何よもう、ひとが感傷に浸ってる時に!」
「嫌な予感がするんだ……。ヨホウシ達のデータから、今の地球の自転の正確な時間を調べてくれ! 至急だ!」
「至急?……もう」
思わず吐き捨てるが、胸の奥を不安が走る。
太陽の動き、そしてこの終末世界そのものの根幹となる〝地球の自転〟に関わること……。
もし異変があったなら、メトロジェイルも、世界も、すべて無事では済まない。
シエリは走り出した。放送局にハッキング用のコンピューターを隠してある。もし、地球が……また動きを変えようとしているのだとしたら……
「ミナト、落ち着いて! 私が確かめる! 必ず……必ず、答えを見つけるから!」
私に出来ること。私にしか出来ない事がある。
ヤマに助けてもらったこの命で、
笑顔、増やしてやるんだから!
シエリの瞳の奥の火種が弾け、ついに焔が灯った。
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