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【プロローグ】逆さの光
しおりを挟む白い光が差している。
指の隙間を零れる光は、まるで小さな天使の梯子のようだ。
伸ばした手の先には、煌めくステンドグラスがある。
子守歌を唄うお母様。
優しい匂いも、ガットギターの温もりも。
それは眩しくて、美しくて、ひび割れていて。
脆くて、痛くて、もう届かない。
また同じ夢を見てる。
明晰夢だと分かっていても、同じ流れに逆らうことができない。
いや、わざわざ逆らおうともしない。
わたしはただ、
惰性で生きている。
*
うっすらとした、灰色の無機質なコンクリート。
少女・琥珀の微睡む視線の先には、逆さの光に照らされた天井があった。
床の中央には、四つの電球を咲かせた昔ながらのシーリングファンライトが、折れたプロペラを付けたまま地面から生えるように立っている。
奇妙な部屋だ。
錆びついた金属の臭いが鼻をつき、乾いた空気が喉の奥を擦り上げる。
琥珀は数年間、毎日同じように核シェルターの卵型睡眠装置で目覚め、気が向けばランニングマシーンを走り、腹が空けば高級缶詰めを朝食にする、そんな日々を送っていた。
それは味気なくも規則正しい、単調なルーティンを繰り返す日々。今日もまた、淡いピンク色の天井が彼女を迎えてくれるはずだった。
琥珀は記憶を遡る。しかし、その糸は千切れて泳いだままだ。
ゆっくりと息を吐き出す。細く、長く。
ふと、家族写真が彼女の脳裏を過った。
そこに写る琥珀はまだ幼い。家族で撮った写真はその一枚きりだった。
彼女は五歳の時、映し鏡だった母を亡くした。父は考古学の仕事に没頭し、幼い琥珀に目を向けることはほとんどなかった。
母を失ってからは、使用人に世話を任せきりの毎日。そんな日々の中で琥珀のたった一人の家族となっていたのは、3歳の誕生日に父から贈られた〝ガジュ丸〟だった。
「……そうだ、ガジュ!」
己の掠れた声でまどろみが破れ、千切れた記憶の糸が結び直される。
『……省電力モード、解除』
いつもはウザったい、お馴染みの惚けた音声。琥珀の顔のすぐ横でふわりと浮かぶ球体型ドローンが、回転型LEDで気怠そうな羊の表情を映し出している。
『コハクっ、おはよー! もう起きないかと思ったよ。それならそれで、ボクは執事としてキミのご遺体を――』
「良かったガジュ! わたし独りっきりかと思ったよ! わたし達、シェルターから出られたのね!」
琥珀は身体を捩り、肘でベッドを押し付けた。鈍った上半身を持ち上げたところで、腕に違和感を覚える――点滴だ。
ここは病院なのだろうか?
『コハクー、この天井と床、あべこべだよ』
ガジュ丸が言うように、病室にしては異様な作りだと琥珀はもう一度部屋を見回した。部屋の中央に照明器具があるだけの閑散とした床。天井はのっぺらとした平面でなにもない。
確かに天井と床があべこべのデザインだ。
部屋の端には錆びたラックに薬品のようなものが並び、斜め上の天井付近には、剥き出しの水道管。そこからホースがぶら下がり、先端に蛇口がついている。
そして、取って付けたような鏡と洗面台。
扉の位置も奇妙だ。高く設置されていて、階段があるわけでもない。それが意図的なデザインなのか。欠如しているのか。
不気味な欠陥構造だ。
「……わたし達、どうしてこんなところに居るの?」
その時、ガジュ丸がふわふわと逆さの光に近づき、振り返る。そして、まるで怪談噺をするかのようにひっそりと囁いた。
『それは、コハクも眠る丑三つ時……。銃を持った男がシェルターのドアをこじ開けてきてさ。ボクは怖くて直ぐにキミのバッグに隠れたんだ……』
銃を持った男と聞き、琥珀は無意識に肩をすくめる。下からライトアップされたニヤけた羊の頭が、
突然彼女に近づいた。
『ここ、たぶん……〝敵の捕虜収容所〟だよお!』
〝ウゥゥゥーーーーーーーーーーッ〟
見計らったようなタイミングで鳴り響くサイレンに、琥珀の心臓が跳ねる。
『〝メ〟の接近! 北千住方面より南下中! 大手町には……10分後到達予定! ハンターは急げ! 繰り返す――』
どこかで複数の足音が駆け抜けた。
「いたっ……」
腕に生ぬるい痛みを感じた。点滴のルートを引き抜いてしまったようだ。だが、そんな痛みに構う余裕はない。
琥珀はベッドの横で身を屈め、唯一の扉へ意識を向けた。
脈打つように光る赤色灯が、鉄製の扉の隙間から覗いている。心臓が早鐘を打ち、身体を揺らした。
……しかしすぐにサイレンは鳴り止み、再び静寂が落ちた。通気口からは唸るような風の音。
それだけだ。足音が帰ってくる気配はない。
琥珀はその場に、くたっとしゃがみこみ、保証のない安堵の溜め息をひとつついた。
その時、ふと自分の服装に気付く。呆れた。まるでこの状況にそぐわない格好だ。
深い闇を写し取ったような漆黒のドレス。冷ややかなサテン地が肌を滑り、濡れたような艶を返している。
身体に沿って流れるラインには無駄がなく、腰の位置を強調しながらも裾へと緩やかに広がる。
胸元と肩口には薔薇を象ったレースがあしらわれ、チョーカーの琥珀石は、鼓動を閉じ込めているかのように神秘的な耀きを放っていた。
第三次世界大戦が始まった頃、父は「ここが世界一安全な場所だ」と言い、琥珀とガジュ丸を核シェルターへ閉じ込めた。
しかし、その言葉を最後に、彼が戻ることはなかった。やがてシェルターの規格年数が過ぎ、備蓄の食料も尽きた。
ここで朽ちると覚悟したあの日、誇り高く終わりたいと選んだ一着。
まるで死に装束。
滑稽だと分かっていながら、せめてもの証として一片の美を刻み残しておきたかったのだ。
「ねぇ、ガジュ。さっきの放送で〝メ〟が来るって言ってなかった? 〝メ〟って何だろ。怖いよ」
『検索してみるよ! 検索モード、現在オフライン』
ガジュ丸の返事が、色味のない殺風景な部屋に冷たく響く。
彼はもう何年もオフラインのままだった。
琥珀たちが過ごしてきた核シェルターは、電子戦に備えて設計された当時の最高級モデル。外界からのあらゆる干渉に耐えうるはずだった。
だがある日、地震の衝撃で一本のケーブルが断線し、その瞬間から世界との通信は閉ざされた。その結果、彼女は外界の情報を知らないまま数年を過ごしていた。
まるで世界から切り離された箱入り娘。
知らぬ間に、世間では〝メ〟という得体の知れない何かが蠢きだしていたのだ。
琥珀は一歩ずつ、ゆっくりと扉に近づいた。耳を澄ます。
……人の気配は、ない。
少しだけ背伸びをしてレバー式のノブに手を掛ける。動かない。鍵が掛かっている。
『コハク、チビ』
「あなたに言われたくないわよ。執事ならもう少し執事らしい言葉遣いにしてよね」
ガジュ丸が横に目を延ばしてふざける。
『メェ~~、メェ~~』
そのリアルな鳴き真似に肩の力が抜け、思わず小さな笑いが零れた。張り詰めていた心に少しだけ余裕が戻る。
その時、ふとレバーが持ち上がる事に気付く。
ガチャリと金属が外れた感触――、
開いた。
カラクリの仕組みなど、どうでもよかった。琥珀はゆっくりと扉を押し、隙間から顔を覗かせる。
冷たい空気が頬を撫でた。……闇が深い。
目を凝らすと、先ほど足音が去った方向には見果てぬほどの通路が黒く延びていた。
ひと呼吸。
ガジュ丸に目で合図を送る。
琥珀たちは、光のない世界へと歩き出した。
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