前世を思い出したけど推しの義弟が最恐のヤンデレラスボスだったので俺が幸せにしてみせます

柊 らんか

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30.歯車

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 鏡台の前で両手をついた。
 こちらを見つめる青い瞳は鋭く細められていて、常に堅苦しい印象を与えていることだろう。

 随分と髪が伸びている。以前は煩わしくなるとすぐに短く切り揃えていたものだが、最近は忙しさにかまけて手をつける暇もなかった。襟足が首に触れる感覚が妙にこそばゆい。

「……面会のお時間が近づいております」
「ああ」

 背後から声がかかる。

 レイリアは鏡越しに家令の姿を一瞥し、軽く頷く。

 あまりに存在を消しているものだから、声を掛けられるまでそこに居たのを忘れていた。
 革靴が鳴らす足音だけがしばらく続いた。重厚な扉の前で立ち止まったマーヴィンがゆっくりとそれを押し開いた先では、噎せ返るほどの薬草の香りが鼻を刺激する。


 もう二年ほど前になる。
 それは、レイリアが丁度二十になった年で、爵位を継承したばかりの頃だった。
 突然胸を掻き乱し、苦しみに喘ぎ、床に伏せたこの男の姿にあの時は少し驚いた。
 それから調子は悪化の一途を辿るばかりで、豪奢な天蓋付きの寝台に身を沈めている姿はもう生きているのか死んでいるのか定かではない。

 枯れた木のように痩せ細った指が、かすかに動く。
 物音に反応したのか、薄く片目が開かれる。
 乾いた唇が、わずかに動いた。

「……お前か」

 その声は弱々しく、かつての威厳は見る影もない。
 それでもその瞳からは冷たい光が消えずに宿り続けているのだから大したものだ。
 息子に対する愛情も、親しみも、そこには存在しない。ただの確認。目の前に現れた存在を認識しただけだ。

「……お加減いかがでしょうか」
「は、……早く死ねとの、催促か?」
「……まさか」

 レイリアは悩んだ。
 日頃、何事においてもレイリアは悩むという行為からは無縁の生活を送っている。

 けれど今日ばかりは悩んだ。この死に損ないの男の息の根を今この瞬間に止めるか、それとも珍しく自ら呼び立ててきた老人の遺言を聞いてやるか。



「……して、要件のほどは。」

 悩んで、後者を選んだ。
 聞いてから葬っても遅くはないだろうから。

「……お前に、婚約者を、宛てがおう。」
「……」



 悩むという行為は、実に無駄な時間だった。
 慣れないことをするべきでは無いな、とレイリアは思った。右手に魔力を込めて、一歩近寄ると目の前の男は、息も絶え絶えに羽音のようなか細さで声を紡ぐ。

「……光魔法を、使う、平民が見つかった。この病もたちまち治すはずだ」
「……光魔法?」

 手を下ろす。光魔法を使う平民、なんて聞き覚えのある響きだろうか。
 けれど、原作では彼は使用人としてこの家に入ってくるはずだ。そもそも、アシェルが主人公だろうとなんだろうと、俺が平民と結婚とは面白い冗談を言うものだ。


「平民の婚約者、ですか。」
「……問題、ない。どこでも、よい。貴族の養子に、入れさせろ。戸籍さえ、どうにかなれば、問題ない。」

 なんとしてでも生き延びようとする執念には、感心すら覚える。
 床に伏し、もはや歩くことすらままならぬ身。
 息も満足に吸えず、一日中身体を横たえ、窓の外を眺めるだけの毎日。
 それでも、こうしてなお権謀術数を巡らせるのだから大したものだ。


「……使用人として雇うだけでは気が済みませんか?」
「……もし、神殿に見つかれば、奪われてしまう。公爵夫人にでもすれば、簡単に手出しはできないだろう」
  

 ───神殿。なるほど。
 この世界で言う神殿とはそれほど大きな権力を有しているわけでない。
 原作でもほとんど登場することなく、軽く名前が触れられる程度で終わった。現に、原作では神殿がアシェルに干渉するようなことも無かったわけだが、何せこの男は三途の川が今この瞬間も見え隠れしている状況だ。

 何が何でも、光魔法の使い手を手元に置きたいという執念だけは随分とご立派だ。

「…アシェルは今どこに?」
「……なぜ、名を知っている」
「ええ、まあ伝手で。」

 彼はルクレシアの森の近くの小さな村に住んでいるという。今回の件についても了承済みであると男は言った。

 ───アシェル。

 底抜けに明るい太陽のような性格、善人という言葉は彼の為に生まれてきた言葉と評しても大袈裟では無い。

 ──アレと、結婚。
 考えた瞬間、思わず笑いそうになる。
 何の冗談だ? いったいどんなメリットがあるというのか。

「断ります。」
「……お前、何様だ?」
「……は、貴方こそ、口にはよく気をつけるべきだ」

 レイリアの片手が寝台に沈むと秒針の音が鳴り響く部屋に、木が軋む音がやけに大きく響いた。


「今私が言いたいことが、わかりますか?」
「……」

 目の前の男は、暫く沈黙を貫くと落窪んだ目をそっと伏せた。
 その様を見下ろし、レイリアは微かに目を細めた。


 どうやらよく分かっているらしい。
 レイリアは寝台に沈んだ手をゆっくりと引き、軋む音が静寂に溶けていくのを待つ。  


 用は済んだと判断し、男に背を向け扉に向かう。
 だが、その途中でふと足を止めた。


 そもそも、原作ではこの男は病に臥せっていただろうか。
 答えは否だ。未来が常に変わり続けている。


 タイミングひとつで未来が大幅に狂っていくのを、前世を思い出してからより実感することが増えた。

 ─── そう、未来は常に揺れ動いている。  
 だとすれば、今は良い方向に進んでいるように見えるジルバードもまた、いつか闇に堕ちて暴走する未来へと転がる可能性があるということだ。


 今はレイリアの掌の上で大人しくしているように見えるが、アシェルと出会えば、どう転ぶか分からない。  

 ジルバードが本気で氷魔法を発動すれば───おそらくレイリアの持つ全てを持ってしても敵わないだろう。



 そこで、闇を打ち消す光魔法を操るアシェルを傍に置くことができれば、伴侶として迎え入れれば、常に自分の横に控えさせることもできる。対外的にも、公爵夫人という地位を与えれば説明がつきやすい。  

 最初は笑いものに思えた提案が、良く考えれば現実的な選択肢として形を帯びてきた。


 ジルバードという不確定要素を抑えるためにも、アシェルの力を利用する価値はあるかもしれない。

 アシェルを家に引き込む可能性を考えると、光魔法による治療を名目に彼を引き込むため、この男はまだ活かしておく必要がある。



「……一度彼と会う時間を設けます」
「ああ、是非、そうしてくれ」
  

 男の声に、かすかな希望が灯ったようだった。レイリアはその掠れた声を背に、ゆっくりと踵を返した。
 再び静寂の訪れ、閉じられた扉の向こうでは次の局面がひっそりと息づき始めていた。
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