前世を思い出したけど推しの義弟が最恐のヤンデレラスボスだったので俺が幸せにしてみせます

柊 らんか

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29.犬とネコ

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「続いて、交易路の拡張についてです。北部からの物資輸送が遅延しており、商人たちが新たな道の開拓を求めています。」  

「拡張は認める。ただし、資金は各領地で按分しろ。それから───」

「……レイリア様?」

 レイリアが一瞬目を丸くし、言葉に詰まる。
 その様子にマーヴィンは不思議そうにレイリアの顔を見つめた。

「っ、カハっ…」 

「れ、レイリア様……!」

 突然、レイリアの口から鮮血が溢れ出し、執務机に赤い雫が散った。ペンが手から滑り落ち、カラリと床に転がる音が静かな部屋に響くと、マーヴィンは顔を真っ青にして駆け寄ろうとした。

「…問題ない。ジルバードにかけておいた守護魔法が発動しただけだ。」

 マーヴィンを軽く手で制すと、レイリアは血に濡れた唇を軽く親指で拭った。
 マーヴィンはなおも言葉を続けようとしたが、レイリアの目が鋭く細められる。

「問題ないと言ったはずだが。」

 静かな声だったが、有無を言わせぬ響きがあった。

 マーヴィンは一瞬言葉を失い、視線を彷徨わせる。執務机の上には、レイリアが口にした血の痕が僅かに残っている。それを見れば、誰がどう考えても「問題ない」などとは言えないはずだった。

 しかしレイリア自身は平然としたもので、血の跡を雑に拭った後はそれ以上気にする素振りすらない。

 守護魔法の発動による吐血。

 どれほどの魔力を注ぎ込んだのか、マーヴィンには想像もつかない。ただ、レイリアがジルバードを深く気にかけていることは気がついていたが、まさかこれほどまでだとは思わなかった。

 ───ジルバード・ハミルトン。
 彼がこの屋敷に連れられてきた日を、マーヴィンはよく覚えている。
 ガリガリに痩せ細った体。常に涙の膜を張る大きな瞳。怯えるように縮こまり、常に周囲を警戒する様子に思わずため息をついた記憶がある。

 旦那様も彼の立場を分からせるように辛く当たっていたし、そんな旦那様によく似たレイリア様も同じように容赦ないはずだと疑いもしなかった。

 それがどうだ、彼を侮蔑する人間全てを敵に回すようにジルバードをあらゆる害から守ってやっているではないか。
 道を違えれば叱り、泣けば慰めてやり、背を追ってくるのを容認している。

 マーヴィンにとってそれは、夢でも見ているのかと疑うほど信じがたい光景だった。


 まだジルバードがこの家に来て何ヶ月も経たない頃だ。レイリアは、寝ている彼を起こさないように音を立てずに寝室に入り守護魔法を施してやったのを傍で見ていたマーヴィンは酷く衝撃を受けた。
 それが単なる気まぐれでなかったことを、この数年を経てようやく理解した。

 そして、あの時かけた守護魔法の反動が来たということは、ジルバードがレイリアの守護を必要とする状況に陥ったということだ。

 だが、レイリアに焦りの感情は微塵もみられない。
 自分の守護魔法が確実にジルバードを守り抜くという確信があったからだ。
 発動時に自分に多大な負荷がかかることも織り込み済み。

 レイリアは黙って新しい紙を手に取り、先ほどまで書いていた書類の続きを認める。

 マーヴィンは何か言いたげだったが、結局、レイリアがそのまま執務を再開するのを見て、小さく息を吐いた。


「……では、交易路の件についてですが」
「ああ。拡張の方針は変えない。ただし──」

 血の気配はすでに薄れ、静かな執務室に再び書類をめくる音だけが響き始めた。





 ─────





 ''親愛なる兄上へ''


『どうか、まず、心からの御礼を申し上げさせてください。
 俺の命を救ってくださり、本当にありがとうございます。

 今日は魔術大会当日でした。一次種目は魔狼の牙を持ち帰ること。情けないことに、魔狼に死角を取られた俺は死を覚悟しました。目の前に鋭い爪が迫り、音が遠くなり───けれど、恐れていた事態にはならず俺は今生きて魔塔の部屋でこの手紙をしたためています。

 美しい獅子に、目が奪われました。大きくて、優しい背中は兄上にそっくりでもっと見ていたかった。
 瞳も兄上によく似た綺麗な青色で、その優しい眼差しに俺はまた、泣き虫な俺に戻ってしまいそうでした。

 兄上、兄上、本当に大好きです。

 もちろんお返事を催促するつもりは毛頭ありません。けれど、俺のこの気持ちは届いていますか?届いているといいな。読んでくださってると嬉しいな。

 二次種目はトーナメント戦で、そちらは特にお伝えするべきことは無く最後まで勝ち抜いたことで優勝をしました。
 この手紙に同梱させていただいた魔道具は、優勝景品の『夜映の結晶』です。

 魔道具使用時に魔力を注ぐと、使用者の見たい人物の未来の断片を映し出すことが出来ます。

 俺にはこれを手にする資格がありません。
 今回の勝利は俺自身の力ではなく、ただ、兄上の守護に支えられた結果に過ぎない。

 よって、この魔道具は兄上が手にするべきであると考え、こちらを同梱させていただきました。
 何かにお役立ていただければ、それ以上に嬉しいことはありません。

 最後になりますが、季節の変わり目ですのでどうかご自愛ください。
 兄上が健やかであられることを、心より願っております。』


 ''あなたの弟、ジルバードより''



 さっと目を通して手紙を置くと、隣には重厚な箱に座らせられた『夜映の結晶』が静かに置かれていた。 
 透明なそれは水晶の形をしており、燭台の明かりを反射し微かに光を放っている。レイリアは一瞬それを手に取るか迷ったが、結局、指先で軽く触れた。  

「……ジルバードの未来か」  

 執務室は静まり返り、マーヴィンが退出した後の静寂が重く感じられた。レイリアは水晶を手に持ち、冷たい感触を掌で確かめる。  

 軽く息を吐くと、レイリアが目を閉じて魔力を注ぎ込んだ。指先から淡い光が流れ出し、水晶が静かに輝き始める。  


 ───カーテンが月を孕んで微かに部屋を照らす。
 柔らかなふたつの影が床に伸び、シーツは優しく乱れている。

 少年特有の丸みが消え、精悍な顔つきをした黒髪の男はまだ見ぬ未来のジルバードだろう。その下に組み敷かれているのは銀髪の男。こちらを背にしているため顔は見えない。

 ジルバードの手が男の腕にそっと触れ、まるで壊れ物を扱うように優しく、けれど離したくないと願うように何度も何度も撫でる。

 ジルバードは男の首筋に近づき、熱い息が彼の肌を掠める。唇がそっと触れそうになり、その瞬間、怯んだように一瞬距離をとると、銀髪の男は軽く引っ張り自分の首筋に口付けさせた。月光が二人の影を重ね、絡み合うような輪郭を描き出して─── 



「なんだ、これは」


 続きを見ることは無かった。
 執務机には力の限り叩きつけたことで粉々に砕け散った水晶の破片が散らばっている。  
 レイリアはほんの少し乱れた息を整えると、髪を掻きあげて椅子に深く腰かけた。


「……しかも俺が下なのか」

 思わず零れた言葉に、レイリアは静かに目を伏せる。
 砕け散った水晶の破片を見下ろしながら、レイリアはゆっくりと息を吐いた。


 見た映像が確立された未来ではないことは理解しているし、そもそも未来とは無数に分岐しうるものだ。
 現に原作の中の流れを無視してここまで来れたということは、行動しだいでいくらでも未来を変えることが可能だ。まあ、だからといって今すぐに対処すべき事態というわけでもない。

 どんな未来を選ぼうと、最終的には彼の意思次第なことには変わりは無い。 

 それはそうと、ジルバードは昔からレイリアを慕っていたし、兄である自分を特別な存在として崇めていたのも知っていたが、それはあくまで「兄」としてのものであり、こうした形で向けられるものとは思っていなかった。

 それとも———あの映像は、ジルバード自身もまだ自覚していない感情の表れだったのか?

 原作のジルバードがレイリアに抱いていた思いは、恋や愛と言うにはあまりに黒く重く暗かった。
 そんな彼が、真っ当に俺という人間を愛すという未来が存在することに、少し安堵すら抱いた自分がいたことは事実だ。

 執務机にもたれ、砕け散った水晶の破片を指先で暫く転がしていると、一瞬の痛みと共にぷつりと赤い玉が滲み出てくる。
 燭台に照らされるその鮮やかな赤を、レイリアは少しの間見つめていた。
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