愛さずにはいられない

松澤 康廣

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忘れ時の

9(2)

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 玄関で迎えた河井は私を離れに通した。そこは少年時代に何度か通された、思い出の場所だった。かつてそこには豪華なステレオがあって、いつも西洋の音楽が流れていた。記憶が蘇る。あの言葉だ。「カワイケとオオタケはこの村のクサワケだ」

 そこは今、河井の書斎になっていた。中の様子は過去と違っていた。
 河井が使用しているのだろう、いくつもの棚が置かれた、大きなデスクがステレオに代わって置かれていた。その横にはラックがあり、その中央部にはデスクトップ型のパソコン、その上の棚には、プリンターが置かれていた。プリンターには用紙がセットされていた。梨の通信販売をしている、それは結構な売り上げを記録しているとタウン誌は報じていた。ここが今は河井の仕事場にもなっているのだ。
 中央部に置かれた応接用のテーブルはあの頃と変わらない。ソファは、当時のものとは違っていた。
 書架は増えていた。以前は一つだけだったが、今は三つ並んでいた。
 書物が隙間なく詰まっていた。河井が集めた書物だろう。書物の前の、空いたスペースには、人形やカップなどが飾られていた。カップには河井の名前が刻まれているのだろう。
 新たに増えた、一つの書架には、宮澤賢治や夏目漱石などの文学全集が並んでいた。もう一つの書架は書物の統一性はない。書架の下部には文庫本、上部には様々な種類の単行本が並んでいた。その中で眼を引くのは吉本隆明の書物の多さだった。「共同幻想論」、「言語にとって美とは何か」、「心的現象論序説」……。その隣に分厚い、羽仁五郎の「都市の論理」。その隣に広松渉「マルクス主義の地平」。そのうちの何冊かは私も読んだことがあった。
 河井が、大学時代に読んだのだろう。
 河井がどういう思想に興味を持ったか、その書物が物語っていた。私も河井も大学紛争がほぼ終わりを告げた、1970年に大学の門をくぐった。私は、政治とは無縁の大学時代を過ごした。大江健三郎があらわした「遅れてきた青年」がどのような内容の書物なのか知らないが、政治に疲れた先輩たちをみて、まさしく、私は「遅れてきた青年」なんだろうなと、感じたものだ。一年の違いがこれほど大きいと思ったことはなかった。一年前に大学に入っていたら、違った生活が待っていたかもしれない。
「遅れてきた青年」の中にも左翼運動に参加する者はいた。河井もその一人だったのか。

 河井と私は向かい合う形で応接用のソファに座った。
 暫く、河井は笑顔で、ただ私を見ていた。
 これから何が始まるのだろうか。静けさの中で私は考え始めた。
 私は河井の話を聞くことに徹すればいい。何十年かぶりにじっくり話をするのだ。その空白の時間を埋めることはそう簡単ではない。電話は河井からかかって来たのだ。私から話すことは無い。河井が話すことがあるから私はここにいる。私の姿勢は決まった。
 そのうちに河井の細君が紅茶を持ってきた。河井はゆっくり紅茶をすすり、それをテーブルに置くとようやく口を開いた。
「うちの娘が市内の小学校で教師をやっているのは知っているよね」
 それは知っていた。偶々たまたま2,3年同じ学区だったことがあった。小中交流で、何度か河井の娘を見かけた。河井志穂という名だった。
「知っていますが、小学校と中学校だと滅多に会う機会がないので……」と私は言った。
「面白いよね。うちの娘が先生で、君の息子が市役所なんて……。逆になっている。お互い、子の鏡になれなかった」河井は軽く笑みを浮かべながら、そう言うと、紅茶に手を伸ばした。
 長男の邦和は系列の高校に行かず、私が通った高校に進学し、大学は河井と同じだった。卒業すると保険会社に就職した。数年後、大阪の本社勤務となり、そこで結婚した。こちらに戻る気はない。
 次男の邦之は邦和と全く同じ高校、大学を経て、卒業すると、就職先を市役所にした。尊敬する市長のもとで働きたいが理由だった。就職して、上司から若いころの河井の仕事ぶりを聞かされて、更に熱狂的な崇拝者になった。邦之のした老婆の話は実に河井らしかった。
 老婆は飼猫を学区の中学生に虐待されたうえ、注意したら、「くそ婆あ、死ね」と暴言を吐かれた。学校に抗議すると、該当する生徒は調べても分からなかったという返事が返ってきた。それで教育委員会に抗議に来た。河井さんは担当ではなかったが、そのうち、老婆が大声を出して騒いだので、河井さんが間に入った。その日は何とか河井のなだめが効いて帰ったが、老婆はその後も何度も抗議に来た。いつも、河井が付き合った。そして、そのうち来なくなった。担当部署の職員は不思議には思ったが、まあ、いつかまた来るに違いない、今はしっかり休養に使おうと語りあった。河井がお婆さんと暮らしているという話はそのあと、大分経ってからみんなが知ることになった……。
 老婆の家には十数匹の猫がいた。おびに世話をしたい、が同居の理由だった。河井が猫を世話する姿が想像できた。万事、その調子で、どの部署に回されても、ここまでやるかという仕事ぶりで、どの上司も河井の健康を心配して、数年で部署を替えたぐらいだ……。邦之は河井の話をするたびに、「市長の若いころの半分でも近づきたい」とよく言ったものだ。

「私は随分と嫌なやつだったんだろうな。それを謝らなくてはといつも思っていたよ」と、ややかすれた声で河井は私に言った。腰をかがめ、テーブルに近い位置から見上げるように私を見る河井の眼は悲しげだった。
 私は意表をつかれて、戸惑った。
 封じていた過去が動き出した。
 私は河井を嫌なやつだと思ったことはない。私が河井に意味もなく劣等感を感じて、河井から距離を置いていただけだ。それを私が嫌っていたと受け取られているのだとしたら、謝らなければならないのは私のほうか。
 私はあまりの意外さに言葉が出ずにいた。
「いつのことだったか、庭で遊んでいた時、畠で働いていた男のことを君に聞かれて、私が言ったことを覚えている?」と高窓に目を転じながら河井は言った。窓は高すぎてそこからは畠は見えない。今なら、夏の作物が終わり、次の作物を植える準備をする頃か。きれいにうねができているにちがいない……。
 畠で働いていた男……。そういう人物がいたことは覚えている。しかし、河井がその男のことで何か言ったという記憶は私にはなかった。
「あの男は我が家で働いていた小作人だよ。うちが農地改革で泣く泣く手放した農地を、父からいただいたと勘違いして、ありがたい、ありがたいと言って、今も我が家の畠を耕しにきている馬鹿な元小作人だ。ほんとに馬鹿なんだぜ、と俺は言ったんだ」河井は深い悔恨を表情に浮かべて言った。強い言葉だった。
「本当にそう思っていた。父は、元小作人の方を見ながら、馬鹿にしたように私がしゃべっているのを見たと言っていた。そこで、息子が何を言ったか君に聞いた。そして、君はそのことを父に言った。それで、俺は父に叱られた。お前は人間じゃないとまで父に言われたよ」
 それも記憶になかった。
 河井はまっすぐ私を見た。憎む眼ではなかった。
「それを本当に感謝している。それ以来父は私を変えなければと思ったのだろう。いろいろなことを父は私に教えてくれた。まるで、こんな人間にしてしまったのは自分のせいだと父は思っているかのようだった。だから、父の生き方の全てを私に話してくれた。だから、君に感謝しないわけにはいかないんだ」
 河井の目が潤んだ。
 私は動揺した。
 河井は息を大きく吸ってさらに言葉を続けた。
「なのに、私は君を避けた。君にさげすまれていると思った。君に会うと自分がみじめになるのが分かった。父は非人間的な言動をした自分を忘れないために、太田君を大切にしなさいと言った。その意味を分かっていたが、それを素直に受け入れられるほど、大人ではなかった。君は私が何を言っても受け入れてくれていたのだから、いつでも謝る機会はあったのに……。そんなことは分かっていたのに……」
 私は不思議な気分に包まれた。
 ずっと私は河井を避けてきた。その心の底に流れていたのは、恵まれた境遇にいる河井への羨望せんぼう嫉妬心しっとしんだろう。
 私は努めてそれを悟られないように振舞った。しかし、それは無駄だった。私の河井への気持ちを悟られていると思わざるをえないくらい、河井の態度は変わっていった。冷たくなった。私の方こそ、河井に蔑まれていると思ったものだ。
 河井は、私とは全く別の理由で私を避けていた。それに苦しんでもいた。これをどう理解したらいいのだろう。お互いが別の理由で避けた。私の苦痛は時間が解決した。しかし、河井は……。河井こそ、たった一度の幼いころの、幼いが故の言動の記憶だ。それは容易に解決できたはずだ。たった一度の、幼いころの言動。きっと河井の周りにいた大人の誰かが河井に言ったのだ。それを無批判に受け入れ、私に話した……。子供だった彼に罪はない。
 それなのに、今も悔いている。河井の正義感の源泉のように。私が河井の正義感のきっかけを作り、今もそれを忘れないということは、育てたのも私ということか……。私が河井から受けた屈辱に苦しんでいる間に、彼は私を糧として飛躍していったということか……。
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