不憫令嬢は偏物公爵の難解な寵愛に翻弄される

岡村紗季

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第1章

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「ステラ・ドロッセル嬢、君の悪癖は相変わらずのようだね」

 マイネス伯爵は慣れた様子で乱れた服装を整えている。落ち着き払った伯爵とは違い、密通を目撃されたことに動揺した令嬢は髪も服装も乱れた様子で姿をくらました。この場から逃げ出したいのはステラの方である。誰にも言いません、どうぞ続きをしていただいて結構ですので、私のことはお構いなく。
 まるで蛇に睨まれた蛙だ。
 覚えのある、不快な視線がステラの肌を撫で回す。

「こうして君に会うのは何度目だろうな」
「…申し訳ございません。すぐに離れます。誰にも申し上げません」

 呆れたような声色は、先ほどの名残だろうか、わずかな艶を帯びている。
 いつもと同じように、少しでも彼を刺激しないよう決まった言葉を伝える。たとえそれが何の意味をなさないとしても。
 その場を後にしようとしたその時、マイネス伯爵が口を開いた。

「待ちたまえ」

 カツン。上等な革靴と大理石のぶつかる音が響き渡った。
 一歩、また一歩とマイネス伯爵がステラに近づいてくる、その足音が嫌に耳についた。
 いつもなら嫌味のひとつも吐き捨て、シガールームに足を運ぶはずなのに、今夜のマイネス伯爵の足はまっすぐステラに向かっている。
 またしてもドロッセル嬢が好奇心を抑えられなかったようだ!複数人での密事に関心がおありなのだろう!
 そう言いふらして回るのだとばかり思っていたステラは、予想もしない出来事に足がすくんでしまいその場から動けなかった。

「もしや本当に、私に抱かれたいのかね?」

 脂ぎったマイネス伯爵の声に、思考が停止する。体温は急激に下がり、指先は氷のようにつめたい。

(今、なんて?)

 ドロッセル家の娘としても、ひとりの女としても、ステラは耐えがたい屈辱を感じた。
 まさに今、ステラの尊厳が踏みにじられたのだ。
 否定しなければ、早急に。
 しかし口を開けば感情があふれ、頬を涙が伝うだろう。これ以上軽んじられては堪らないと、プライドにかけてかみしめた唇からは血がにじんだ。

「私の趣味を吹聴されては敵わんからね、咄嗟に捏造した話ではあったが、よもや君にその気があったとは。麗しのドロッセル伯爵令嬢に望まれて、お相手しないのは失礼というものだ」

 目の前に迫ったマイネス伯爵は下卑た笑みを浮かべ、ステラの頬に向けてゆっくりと手を伸ばす。

(やめて!私に触らないで)

 恐怖に竦んで身体が動かない。
 瞳ににじんだ涙がこぼれ落ちそうになったとき、落ち着いたテノールの声がふたりを裂くように響いた。


「どうやら、彼女はお望みではないようだ」

 夜の闇を溶かしたような男の黒髪が風になびく。
 迷路のような生垣から現れた男が、優美な物腰でこちらへ向かってくる。涼しげな鳶色の瞳は凜として美しく、静かな威を湛えていた。
 眼前に広がる光景は、まるで絵画のようだ。思わずステラは息を飲んだ。
 この方は一体――。
 ステラがそう思ったと同時だった。

「ジ、ジークバルド公爵!」

 上ずった声を上げ、マイネス伯爵は飛び上がるようにステラから距離を取る。
 先ほどまでと打って変わって、マイネス伯爵からは一切の余裕が失われていた。

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