3 / 18
第1章
3
しおりを挟む
「ステラ・ドロッセル嬢、君の悪癖は相変わらずのようだね」
マイネス伯爵は慣れた様子で乱れた服装を整えている。落ち着き払った伯爵とは違い、密通を目撃されたことに動揺した令嬢は髪も服装も乱れた様子で姿をくらました。この場から逃げ出したいのはステラの方である。誰にも言いません、どうぞ続きをしていただいて結構ですので、私のことはお構いなく。
まるで蛇に睨まれた蛙だ。
覚えのある、不快な視線がステラの肌を撫で回す。
「こうして君に会うのは何度目だろうな」
「…申し訳ございません。すぐに離れます。誰にも申し上げません」
呆れたような声色は、先ほどの名残だろうか、わずかな艶を帯びている。
いつもと同じように、少しでも彼を刺激しないよう決まった言葉を伝える。たとえそれが何の意味をなさないとしても。
その場を後にしようとしたその時、マイネス伯爵が口を開いた。
「待ちたまえ」
カツン。上等な革靴と大理石のぶつかる音が響き渡った。
一歩、また一歩とマイネス伯爵がステラに近づいてくる、その足音が嫌に耳についた。
いつもなら嫌味のひとつも吐き捨て、シガールームに足を運ぶはずなのに、今夜のマイネス伯爵の足はまっすぐステラに向かっている。
またしてもドロッセル嬢が好奇心を抑えられなかったようだ!複数人での密事に関心がおありなのだろう!
そう言いふらして回るのだとばかり思っていたステラは、予想もしない出来事に足がすくんでしまいその場から動けなかった。
「もしや本当に、私に抱かれたいのかね?」
脂ぎったマイネス伯爵の声に、思考が停止する。体温は急激に下がり、指先は氷のようにつめたい。
(今、なんて?)
ドロッセル家の娘としても、ひとりの女としても、ステラは耐えがたい屈辱を感じた。
まさに今、ステラの尊厳が踏みにじられたのだ。
否定しなければ、早急に。
しかし口を開けば感情があふれ、頬を涙が伝うだろう。これ以上軽んじられては堪らないと、プライドにかけてかみしめた唇からは血がにじんだ。
「私の趣味を吹聴されては敵わんからね、咄嗟に捏造した話ではあったが、よもや君にその気があったとは。麗しのドロッセル伯爵令嬢に望まれて、お相手しないのは失礼というものだ」
目の前に迫ったマイネス伯爵は下卑た笑みを浮かべ、ステラの頬に向けてゆっくりと手を伸ばす。
(やめて!私に触らないで)
恐怖に竦んで身体が動かない。
瞳ににじんだ涙がこぼれ落ちそうになったとき、落ち着いたテノールの声がふたりを裂くように響いた。
「どうやら、彼女はお望みではないようだ」
夜の闇を溶かしたような男の黒髪が風になびく。
迷路のような生垣から現れた男が、優美な物腰でこちらへ向かってくる。涼しげな鳶色の瞳は凜として美しく、静かな威を湛えていた。
眼前に広がる光景は、まるで絵画のようだ。思わずステラは息を飲んだ。
この方は一体――。
ステラがそう思ったと同時だった。
「ジ、ジークバルド公爵!」
上ずった声を上げ、マイネス伯爵は飛び上がるようにステラから距離を取る。
先ほどまでと打って変わって、マイネス伯爵からは一切の余裕が失われていた。
マイネス伯爵は慣れた様子で乱れた服装を整えている。落ち着き払った伯爵とは違い、密通を目撃されたことに動揺した令嬢は髪も服装も乱れた様子で姿をくらました。この場から逃げ出したいのはステラの方である。誰にも言いません、どうぞ続きをしていただいて結構ですので、私のことはお構いなく。
まるで蛇に睨まれた蛙だ。
覚えのある、不快な視線がステラの肌を撫で回す。
「こうして君に会うのは何度目だろうな」
「…申し訳ございません。すぐに離れます。誰にも申し上げません」
呆れたような声色は、先ほどの名残だろうか、わずかな艶を帯びている。
いつもと同じように、少しでも彼を刺激しないよう決まった言葉を伝える。たとえそれが何の意味をなさないとしても。
その場を後にしようとしたその時、マイネス伯爵が口を開いた。
「待ちたまえ」
カツン。上等な革靴と大理石のぶつかる音が響き渡った。
一歩、また一歩とマイネス伯爵がステラに近づいてくる、その足音が嫌に耳についた。
いつもなら嫌味のひとつも吐き捨て、シガールームに足を運ぶはずなのに、今夜のマイネス伯爵の足はまっすぐステラに向かっている。
またしてもドロッセル嬢が好奇心を抑えられなかったようだ!複数人での密事に関心がおありなのだろう!
そう言いふらして回るのだとばかり思っていたステラは、予想もしない出来事に足がすくんでしまいその場から動けなかった。
「もしや本当に、私に抱かれたいのかね?」
脂ぎったマイネス伯爵の声に、思考が停止する。体温は急激に下がり、指先は氷のようにつめたい。
(今、なんて?)
ドロッセル家の娘としても、ひとりの女としても、ステラは耐えがたい屈辱を感じた。
まさに今、ステラの尊厳が踏みにじられたのだ。
否定しなければ、早急に。
しかし口を開けば感情があふれ、頬を涙が伝うだろう。これ以上軽んじられては堪らないと、プライドにかけてかみしめた唇からは血がにじんだ。
「私の趣味を吹聴されては敵わんからね、咄嗟に捏造した話ではあったが、よもや君にその気があったとは。麗しのドロッセル伯爵令嬢に望まれて、お相手しないのは失礼というものだ」
目の前に迫ったマイネス伯爵は下卑た笑みを浮かべ、ステラの頬に向けてゆっくりと手を伸ばす。
(やめて!私に触らないで)
恐怖に竦んで身体が動かない。
瞳ににじんだ涙がこぼれ落ちそうになったとき、落ち着いたテノールの声がふたりを裂くように響いた。
「どうやら、彼女はお望みではないようだ」
夜の闇を溶かしたような男の黒髪が風になびく。
迷路のような生垣から現れた男が、優美な物腰でこちらへ向かってくる。涼しげな鳶色の瞳は凜として美しく、静かな威を湛えていた。
眼前に広がる光景は、まるで絵画のようだ。思わずステラは息を飲んだ。
この方は一体――。
ステラがそう思ったと同時だった。
「ジ、ジークバルド公爵!」
上ずった声を上げ、マイネス伯爵は飛び上がるようにステラから距離を取る。
先ほどまでと打って変わって、マイネス伯爵からは一切の余裕が失われていた。
0
あなたにおすすめの小説
番いに嫌われて薬草を煎じるだけの私が、竜王様を救う唯一の希望でした
八尋
恋愛
星詠の祭りの夜。
薬師の少女ユーファは、竜王ヴァルクスと“番い”の証――光るアザを分かち合った。
けれど、竜王は彼女を拒んだ。
理由は語られず、ユーファは「薬師」として宮殿に迎えられる。
それでも、彼を想う心だけは捨てられなかった。
嫌われても、言葉すら交わせなくとも。
ユーファは薬を煎じ続けた──ただ、この国を、彼の命を守るために。
やがて明かされる、竜王を蝕む“魂の病”。
それを癒せるのは、禁忌の地に咲く幻の花。
運命に背を向けた竜王と、命を賭して愛を貫くユーファ。
魂をかけた恋の物語の結末は──。
完結済みなので定期投稿になります。
作者の考える架空世界の話しなのでご都合主義となります。
他サイトにも掲載予定。
無能妃候補は辞退したい
水綴(ミツヅリ)
ファンタジー
貴族の嗜み・教養がとにかく身に付かず、社交会にも出してもらえない無能侯爵令嬢メイヴィス・ラングラーは、死んだ姉の代わりに15歳で王太子妃候補として王宮へ迎え入れられる。
しかし王太子サイラスには周囲から正妃最有力候補と囁かれる公爵令嬢クリスタがおり、王太子妃候補とは名ばかりの茶番レース。
帰る場所のないメイヴィスは、サイラスとクリスタが正式に婚約を発表する3年後までひっそりと王宮で過ごすことに。
誰もが不出来な自分を見下す中、誰とも関わりたくないメイヴィスはサイラスとも他の王太子妃候補たちとも距離を取るが……。
果たしてメイヴィスは王宮を出られるのか?
誰にも愛されないひとりぼっちの無気力令嬢が愛を得るまでの話。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。
『 私、悪役令嬢にはなりません! 』っていう悪役令嬢が主人公の小説の中のヒロインに転生してしまいました。
さらさ
恋愛
これはゲームの中の世界だと気が付き、自分がヒロインを貶め、断罪され落ちぶれる悪役令嬢だと気がついた時、悪役令嬢にならないよう生きていこうと決める悪役令嬢が主人公の物語・・・の中のゲームで言うヒロイン(ギャフンされる側)に転生してしまった女の子のお話し。悪役令嬢とは関わらず平凡に暮らしたいだけなのに、何故か王子様が私を狙っています?
※更新について
不定期となります。
暖かく見守って頂ければ幸いです。
慈愛と復讐の間
レクフル
ファンタジー
とある国に二人の赤子が生まれた。
一人は慈愛の女神の生まれ変わりとされ、一人は復讐の女神の生まれ変わりとされた。
慈愛の女神の生まれ変わりがこの世に生を得た時、必ず復讐の女神の生まれ変わりは生を得る。この二人は対となっているが、決して相容れるものではない。
これは古より語り継がれている伝承であり、慈愛の女神の加護を得た者は絶大なる力を手にするのだと言う。
だが慈愛の女神の生まれ変わりとして生を亨けた娘が、別の赤子と取り換えられてしまった。
大切に育てられる筈の慈愛の女神の生まれ変わりの娘は、母親から虐げられながらも懸命に生きようとしていた。
そんな中、森で出会った迷い人の王子と娘は、互いにそれと知らずに想い合い、数奇な運命を歩んで行くこととなる。
そして、変わりに育てられた赤子は大切に育てられていたが、その暴虐ぶりは日をまして酷くなっていく。
慈愛に満ちた娘と復讐に駆られた娘に翻弄されながら、王子はあの日出会った想い人を探し続ける。
想い合う二人の運命は絡み合うことができるのか。その存在に気づくことができるのか……
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです
あおまる三行
恋愛
王都の洗礼式で「厄災をもたらす」という烙印を持っていることを公表された令嬢・ルーチェ。
社交界では腫れ物扱い、家族からも厄介者として距離を置かれ、心がすり減るような日々を送ってきた彼女は、家の事情で辺境伯ダリウスのもとへ嫁ぐことになる。
辺境伯領は「貧乏」で知られている、魔獣のせいで荒廃しきった領地。
冷たい仕打ちには慣れてしまっていたルーチェは抵抗することなくそこへ向かい、辺境の生活にも身を縮める覚悟をしていた。
けれど、実際に待っていたのは──想像とはまるで違う、温かくて優しい人々と、穏やかで心が満たされていくような暮らし。
そして、誰より誠実なダリウスの隣で、ルーチェは少しずつ自分の居場所を取り戻していく。
静かな辺境から始まる、甘く優しい逆転マリッジラブ物語。
【追記】完結保証タグ追加しました
追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する
3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
婚約者である王太子からの突然の断罪!
それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。
しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。
味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。
「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」
エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。
そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。
「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」
義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる