ペトリの夢と猫の塔

雨乃さかな

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第1章『始まりの村と魔法の薬』編

第10話 食事/Eating

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「おっす、ミサ!!ただいま戻ったぜ!!」
 ミサが朝食の並んだ食卓ですやすやと居眠りをしていると、いきなり家の玄関が激しく開かれた。
 突如として部屋中に響きわたる軽やかな大声が、ミサの意識を強制的に現実へ引き戻す。
 寝ぼけ眼のままミサは慌てて口の端を手で拭って、体を起こした。どうやら、本格的に寝てしまっていたらしい。
「もう、二人ともどこまで行ってきたの…?朝ごはん冷めちゃ……って、え、えぇ!?」
 ミサは待ちくたびれた気持ちをため息と共に吐き出そうとしたが、それは視界に飛び込んできた二人の姿によって中断させられた。
「ど、どうしたの…!?」
 目を丸くするミサの視線の先には、エレリアをおんぶするソウヤの姿があった。
 よく見ると、エレリアの顔はどこか青ざめているようにも見え、気分を悪くしているようだった。
「ひぃ、疲れた」
 ソウヤは溜まった疲労を息と共に漏らすと、背中からエレリアを下ろした。エレリアも疲れ果てたような表情で腕を伸ばして、凝り固まった筋肉を伸ばしていた。
「一体何があったの!?ソウくん」
「状況は後で話す。それより、早く朝メシにしようぜ。もう腹ペコだよ」
 忙しなく説明を求めるミサを後回しにして、ソウヤはやけに冷静な態度で食卓へ入り込んできた。
 ミサは彼らにも何か事情があるのかと思い、仕方なく状況説明は後回しにすることに決めた。

「…ってことがあったんだ」
 何も知らないミサのために、先ほど海岸で起こった出来事をソウヤは漏らさず丁寧に説明した。
 ミサはすべての真相を聞き、納得の意を込めて首を縦に振った。
「なるほど、それは大変だったね。リアちゃんはもう身体の具合は大丈夫なの?」
 ミサがエレリアに視線を送ると、彼女は水の入ったコップを片手に無言で軽くうなずいた。
 しかし、見るからにエレリアの顔は少し青白く、とても健康的な表情には見えない。
「そっか…。まぁとにかく、今は朝ごはんをしっかり食べて、元気つけなきゃね」
 そう言うと、ミサは急いでオーブンの方へ移動し、菜箸を手に持って重い鉄製の扉を開いた。
 中から、先ほど焼いた3匹の魚が現れる。こんがり焼かれた魚の焼け具合はちょうどよかった。火はあらかじめ消しておいたので、焦げている心配はない。
「おっ、焼き魚か!今日の朝メシはずいぶんと豪華だな!!」
 オーブンから一気に放たれる焼き魚の匂いに、ソウヤはいても立ってもいられず、急いでミサのもとへ駆け出す。
「俺も手伝うから、早く食おうぜ」
 ソウヤはミサが皿へ焼き魚を添えるのを手助けし、そのままフレンチトーストとミルクスープが並ぶ食卓へ置いた。
「…」
 エレリアは黙ったまま目の前に置かれた料理を目に通す。
 昨日の朝も飲んだミルクスープに、フレンチトースト。これら二つは、どれも美味しそうな見栄えで、朝食にはうってつけのメニューだ。
 しかし問題は、フレンチトーストとミルクスープ以外の、もう一方の料理だった。
 エレリアは不信感を目に宿し、その料理を見つめる。
 それは銀色に輝く皮がパリパリに焼かれ、丸い目がついている細長い生き物のようなものだ。口は尖っていて、尻尾とおぼしき部位には水かきのようなものがついている。
「何これ…」
 二人には聞こえない声量で、エレリアは不快感を胸に本音を口からこぼした。
 何の生物なのだろうか。記憶が消し飛んでしまっているせいか、目の前の謎の生き物についてまったく見覚えがない。
 エレリアには過去の思い出が無くても、多少の知識と常識は残っていた。だから、箸だってちゃんと持てるし、身の回りの物体についた名前だってしっかり言うことはできる。
 しかし、この生き物については本当に心当たりが無かった。初めてお目にかかる、そんな感じだ。
 しかも、これを今から口にすると言うのか。どんな味がするか興味はあるが、得体の知れない生き物を口に運ぶには勇気がいる。
 本当に何の生き物なのだろうか。
 考えれば考えるほど、目の前の生物について興味が湧いてくる。
 そこでエレリアは意を決して、食卓に並べられたこの謎の生物についてミサたちに尋ねてみた。
「ねぇ、二人とも、これって何?」
 エレリアは二人に見えるように謎の生物が乗った皿を持ち上げて質問する。
「「えっ?」」
 拍子抜けした二人の声が重なり、仰天した表情でエレリアの方を見つめ返す。
「え?」
 予想外の二人の反応に、たまらずエレリアも同じように疑問の意を口からこぼした。
 何か自分は変なことでも言ってしまっただろうか。
 エレリアは無意識に自身の発言について、考え直してみた。しかし、特段おかしなことは言ってないはずだ。ただ単に質問をしただけ。
 しかし、依然ミサとソウヤは信じられないと言うような表情でこちらを見つめている。
 なぜ二人が驚いているのか、エレリアにはその理由が分からなかった。
 すると、ようやくソウヤが震える声で口を開いた。
「ちょ、おま…、もしかして、魚のことまで忘れちまったのか?」
「…サカナ?」
 ソウヤは半分驚き、半分呆れといったような物言いだが、それでもエレリアには理解できない。
「そう、魚っつったら、魚だよ。それしかねぇだろ」
 ソウヤはやや冷笑気味に、エレリアに説明を施す。
 なぜかソウヤから馬鹿にされたような気がして、エレリアは不満気に少し頬を膨らませた。
 「サカナ」とは一体何なのだ。
 ソウヤたちにとっては常識なのかもしれないが、本当にエレリアには心当たりがなかった。
 もしかしたら、自分の中におけるサカナという概念は記憶こど消えてしまったのか。あるいは、もともと自分が住んでいた所にはサカナというものがなかったのか。
 とにかく、サカナについての真相は不明だ。記憶が消えてしまうと、こう言った事態になってしまう所が本当にまどろっこしい。できることなら、早く記憶を取り戻したい。
「とにかく、一回食べてみたら?きっと、おいしいよ」
 魚について混乱するエレリアに対し、ミサは優しい口調で柔らかにそう告げた。

 すべての料理がテーブルに並び、ミサとソウヤも共にイスに腰をおろす。
 エレリアは早くサカナという生き物を口にしたくて、一人そわそわしていた。ミサは美味しいと言ってくれたが、本当においしいのだろうか。まず、どこから食べればいいのかも見当がつかない。
 エレリアが一人で魚に対して黙々と考え込んでいると、ソウヤとミサは瞳を閉じて、何やら祈りを唱えるような体勢をとっていた。
 彼らの言動について、エレリアは一体これから何が始まるのかと、あっけにとられたまま二人の姿を見つめていた。
 すると、神妙な表情を張り付けたまま、ソウヤとミサが同時に口を開いた。
「天にましますペトラの父よ、今日も私たちににささやかなる慈しみを与えてくださり、心の底から感謝します」
 粛々と神に祈祷の言葉を送る二人の声が重なる。
 どうやら、食事の前の祈りらしい。
 二人とも妙に真剣な様子で、神に祈りを捧げていた。
 いつの間にか、食卓を神聖な空気が包み込む。
 しかし、エレリアは少しも祈り方が分からなかったので、仕方なく見よう見まねでポーズだけでも二人を真似てみた。
「それでは、皆の衆…」
 ふいに、ソウヤが閉じていたまぶたを開き、
「いただくとしよう!!」
 と、いきなり大声で叫んだ。
 そして、息つく暇もなく早速ソウヤは豪快に目の前のフレンチトーストにかぶりついた。
「うぉぉぉ、やっぱうめぇな!!」
 先ほどまでの厳かな態度はすべて忘れてしまったかのように、ソウヤが幸せの叫び声をあげる。
 そんな獣にも似たソウヤの咆哮を尻目に、エレリアとミサは少々呆れつつ、
「それじゃあ、私たちも食べようか」
 と、ミサが呆然とするエレリアを優しく促してくれた。
 そして、ミサから食事を促されるまま、エレリアは再び目の前のサカナに視線を落とした。
 どのような味がするのだろうか。
 エレリアは興味と勇気を胸に、恐る恐る箸でその焼けた生物の身を引き裂いた。パリパリと焼けた皮が音を立て、中から出てきたのは溢れんばかりの肪とぎっしりつまった白い肉。そして、その身を押さえつけるように、細い骨らしきものが何本にもわたりその身を支えているのが分かる。
 そのままエレリアは器用に箸で骨をどかし、サカナの肉を取り出した。見た限り、とても淡白な色合いをしている。昨日の朝、ミルクスープに入っていた動物の肉とは全然違う。
 そして、エレリアは興味と勇気を胸に抱いたまま、思いきってその肉を口の中に運んだ。
「ん…!?」
 口の中へ入ったサカナの肉を舌で感じ、エレリアは少し顔をしかめた。
 初めて食べる不思議な味。これが、率直な感想だった。
 見た目通りとても淡白な味わいで、ほのかに海の潮を感じる。
 その時、初めてエレリアはこの生物がどこで生息しているのかを悟った。尻尾にある水かきのようなものは、やはり海の中で泳ぐためのものだったのだ。
 おそらく初めて口にしたであろうサカナ。
 しかし、慣れない味と見た目の奇妙さが相まって、エレリアにとってはとても好きにはなれないものだった。
「あれ?リアちゃん、もしかして魚焦げてた?」
 魚を口にしたとたん不快そうに顔色を変えたエレリアの表情をミサは見逃さなかった。
 反射的にミサはエレリアの皿に盛り付けられた魚に目を通す。
「ミサ、私これいらない…」
 眉を寄せたまま、エレリアは魚の乗った皿を自身の身から遠ざけた。
「えっ?リアちゃん魚嫌いだった?」
 思わぬエレリアの反応に、ミサは意外そうな顔をする。
「うん、ちょっとおいしくないかも」
 口の中に残ったサカナの身を、エレリアはコップに入った水で一気に喉奥へ流し込んだ。
 正直な話、サカナはもう二度と食べたくなかった。慣れないものだけに、やはり簡単には好きにはなれない。
「そっか、ごめんね。次からは魚料理は出さないようにするよ」
「だったら、これは俺がもらうぜ」
 ミサが申し訳なさそうに手を合わせて謝罪していると、ソウヤが隙を狙って獲物を捕らえる獣の如く、エレリアの残した魚の皿を取り上げた。
「ちょっと、ソウくん!!」
「いいじゃねぇか、エレリアがいらないって言ってんだからよ。別に俺が食ったって問題ねぇだろ?」
「確かにそうだけど、勝手に取るのは…」
「じゃ、それで決まりだな!!」
 ソウヤは一通り主張を言い終えると、エレリアの残した魚を完全に自分の物にしてしまった。ミサも正論を述べる彼の言い分に反論することできず、仕方なくそのまま口を紡いだ。
「魚が嫌いだなんて変わったやつだな、エレリアは」
 ソウヤは相変わらず幸せそうに魚の身を口に運んでいる。
 どうやら、ソウヤたちにとってはサカナとは美味しい食べ物らしい。
 なぜエレリアは自分がサカナに対してこれほどまでに嫌悪感を表すのか不思議だったが、とにかくもうサカナはいらない。
 もちろん、サカナ以外の料理はとても美味しかった。
 フレンチトーストは濃厚な甘い卵の味わいが口いっぱいに広がり、焼けたトーストの歯ごたえがさらに後押しするように絶妙な調律を奏でていた。
 対してミルクスープはとても懐かしくて心温まる味がした。
 そして、あの朝同様、このスープの不思議な温もりに、エレリアはまた重かった身体が癒えていくような感覚に包まれた。このスープには、なにか疲れた体調を整える効果が含まれているのだろうか。
 気づけばエレリアはサカナのことなど忘れ、夢中になって朝の食事を楽しんでいた。

「そいえば、ミサ」
 一通り食事を終え、ソウヤがふと思い出したようにミサに話しかけた。
「鍛冶屋のおやっさんから聞いた話なんだけどさ。やっぱり今、スカースレット王国で夢魔のパンデミックが起こってるんだってよ。中には、王様まで感染しちゃったとかという噂まであるらしいぜ…」
 エレリアは「夢魔」というワードをソウヤの口から耳にした時、ふいに昨晩の村長の姿が思い浮かんだ。
 夢魔とは確か、人が寝ている時に見る夢を糧として活動する魔物だと認識している。スカースレットという王国がどんな国かはエレリアには分からないが、その国が危機に陥っているということは無知なエレリアでも悟ることができた。
 すると、憂わしげな表情を浮かべてミサがソウヤに聞き返した。
「王様が感染…。でも、それって本当の話なの?」
「いや、あくまで噂なんだけど、そらくらいスカースレットはヤバいことになってるんだってよ」
 いつになくソウヤが険しい顔つきを浮かべる。きっと、よほどのことが起こっているのだろう。
 そんな二人の間だけで交わされる会話だが、エレリアはここら一帯の地理的情報が乏しい故に、会話に参加できなかった。この村に来てまだ二日しか経っていないから、当然のことと言えば当然だ。
「あっ、ごめんごめん。リアちゃんはまだ王国のこととか知らないよね」
 エレリアの退屈そうな表情にいち早く気づき、ミサが配慮の言葉を送る。
「スカースレットっていうのはね、この村から東に関所を越えた辺りに位置する王国のことで、とっても大きい国なんだよ。私は実際には行ったことはないんだけど、ソウくんは一回だけ行ったことあるんだよね?」
「おう、とにかく広かったってことだけは覚えてる。まさに大都会って感じで、多分1日じゃ周りきれないと思うぞ」
 懐かしそうにソウヤがかつて訪れた王都の風景に思いを巡らす。
「ソウくん曰く、そこで夢魔の大感染が起こってるんだって」
 ミサは丁寧に言葉を選び、概要と共に分かりやすい説明をエレリアに施した。
「その夢魔ってさ、もしかしてフェイルメアのことかな…?」
 ミサの話を聞いて、エレリアは心中にあった一つの可能性をふいに口からこぼした。
 フェイルメア。昨日の夜に村長から聞いた、とある村に悲劇をもたらした男の名だ。夢魔と聞くだけで、無意識に彼のことを連想してしまう。
 エレリアがぽつりと漏らした言葉をミサとソウヤが耳にすると、二人は意外そうな表情を浮かべた。二人とも、その発想はなかったといった様子だ。
「エレリア、おまえ魚は知らないくせに、フェイルメアは知ってんのか」
「うーん…、でもフェイルメアは関係ないんじゃない?だって村長さんも、あの人は過去に封印されたって言ってたじゃん。」
 エレリアの言葉に対し、ソウヤとミサが交互に口を開く。
 確かに、ミサの言い分は的を射ている。可能性としても、とても現実的だ。
 しかし、エレリアは直感的に王国の大感染にあの男が関与しているのではないかと疑っていた。もちろん、確証があるわけではないのだが。
「それに、もしフェイルメアが復活したなら、まず先にこの村を襲いにかかるんじゃない? でも、まだこの村には夢魔の被害どころか病気の噂も聞かないよ」
 ミサが後付けを加えるように、エレリアに更なる主張を説く。
 今の段階では、ミサの言い分がすべて正しいだろう。彼女の言うとおり、フェイルメアが復活したとするならば、カロポタス村出身の者たちが住むこの村をまず先に襲いにかかる可能性が高い。それに、わざわざ遠出して隣国のスカースレットに理由もなく襲いにかかるはずもない。
「まぁ、小難しい話はよく分かんねぇけど、ただ、俺たちには一つだけ確実に言えることがある!」
 ミサの説得にソウヤがシビレを切らしたように頭を乱暴に掻き乱し、そのまま勢いよくイスから立ち上がった。
「何?その確実に言えること、って?」
「もし悪夢の奴らがこの村を襲ったとしても、俺たちにはミサのポー…、えっと、なんだっけ、あのクスリみたいなの…」
「ポーションね。おばあちゃんの形見なんだから、忘れないでよ」
「そうそう、そのぽーしょんとやらがあるから、俺たちはずっと無敵だ!!恐いものなんてない!!そうだろ?二人とも」
「さすがに『ずっと無敵』は無いと思うんだけど…」
 勢いよく語ったソウヤの豪語に、エレリアが冷めた声で指摘を入れる。
「おいおい現実的なやつだなエレリア!!そこは普通なら、『おー!!』とか言うもんだろ」
 ソウヤが寂しげな顔で、無愛想なエレリアの発言に弱々しく肩をおろす。
 しかし、エレリアも表面上では冷たいことを言ってしまったが、内心では彼の場を和ませようとする姿に笑みをこぼしていた。
 彼はおもしろい人である上に、いざというときには頼り甲斐がある。実際に、海岸で助けてもらった時がその証拠だ。
 エレリアは談笑し合うミサとソウヤに対し、誰にも気がつかない様に、そっと口の端をゆるめた。
そして、エレリアにとって長い2日目の朝の時間が終わりを告げたのだった。
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