ペトリの夢と猫の塔

雨乃さかな

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第1章『始まりの村と魔法の薬』編

第13話 決断/Not escape

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 ミサは不穏と不安でざわめく胸を押さえ込みながら、彼が口を開いたその瞬間を待ち続けた。
「ミサ様、これは王に代わっての私からのお願いだ。どうか王のためにポーションをお作りになってもらえないだろうか?」
 やっぱり。ミサは心の中で、いたずらな運命に対してやるせないため息を吐いた。
 エレリアが先ほど提案を持ちかけてきた時点で未来は半分見えてはいたのだが、それでも現実でこう言われてしまうと複雑な気持ちが交錯する。
「私が…、王様のために?…」
「難しいだろうか…?」
 曇った顔を見せるミサに対して、マルロスは自信を無くした声を吐く。
 もちろん、ミサはできることなら王国を救いたいと思っていた。自分で作ったポーションを使って、王国の困った人たちを救いたい。それはポーション職人である限り、逃れられない本望だろう。
 だが、あまりにも現実的ではないのだ。王室に仕える職人が白旗を上げるような難題に、素人が作ったようなポーションで挑めるわけがない。
 もちろん、ミサは自身のポーションで村の病人を救ったことはある。村人を救って何度か称賛をもらったこともある。だが、それとこれとは訳が違うのだ。
 今回の相手は王国の王だ。偉大なる君主だ。
 何かあってはとりかえしがつかないし、小さな村の小娘にそんな大がかりな責任は持てない。
 何より、強大な夢魔を倒せるポーションを作る自信がミサにはなかった。今まで作ったことがあるのは、低級の回復ポーションや毒を癒すポーションなど、どれも市場の道具屋で買えるようなシロモノばかり。そんもので、王に憑依している夢魔に立ち向かえるはずがない。
 ミサはまたもや究極の選択に迫られてしまった。
 これは簡単に快諾できる問題ではない。人の命がかかっているのだ。なら尚更かもしれないが、相手が王だというばかりに、ミサは判断を戸惑ってしまう。下手したら今度こそ殺されるかもしれない。
 揺らぐミサの葛藤。
 静まり返る部屋。
 いつもは裏山から聞こえてくる騒がしい小鳥の声も、今だけはミサの耳には届かない。
 意識は集中を超越し、自分だけの世界に入り込む。
 どうする、自分。
 先ほどマルロスがおばあちゃんの不在について問い迫って来たときは、エレリアが対処してくれた。
 だが、今度ばかりは自分自身の問題だ。
 自分が、決めなくてはならない。
 そうしてミサが苦しそうに頭を抱えている中、マルロスは彼女の決断を固唾を飲んで見守った。
 エレリアがあの時言ったように、マルロスにはもう頼るあてが他にはなかった。
 文字通り、ミサが最後の希望だ。
 目の前のこの少女しか、王国を救う者はいない。
 それ故にマルロスとしては、なんとしてもミサにポーション作りを承諾してもらいたかった。
「何、悩んでるの?ミサ」
 すると、突如エレリアが沈黙を破り、隣にいるミサに言葉をかけた。
「え?」
 深い葛藤の渦に飲まれていたミサは、エレリアの声に引っ張られて、意識を現実世界へ戻した。
 そして、そのままエレリアの顔を見つめる。
「だから、何をそんなに悩んでるのさ。マルロスが助けを求めてきてるんだよ?迷うことなんて何もないじゃん」
 エレリアも見つめるミサの顔を見つめ返し、マルロスの頼みを聞き入れた前提で語り出した。
 しかし、そんな正義感に溢れたエレリアの説得も、今のミサの心には何も響かない。響いてこない。
「リアちゃんね。これはとっても深刻な問題なんだよ。簡単に受け入れていい問題じゃないの」
「じゃあ、だからこそミサが助けてあげなきゃ」
 ミサの消極的な物言いを、上からエレリアが被せるように言葉を投げ掛けてくる。
 誰も何も分かっていない。ミサはエレリアとの対話の最中、心の中で誰にも聞こえないようにそっと呟いた。
 自分のためを思って説得してくれるのは嬉しいが、今のミサにとってそれは邪魔なものでしかなかった。
 言われなくたって、困っている人を助けてあげないといけないことぐらい分かってる。人として当然のことだ。
 ミサは次第に熱を帯びていく身体と共に、エレリアに反論の意を示した。
「もちろん、私だってマルロスさんのこと助けてあげたいよ。王様のこと、そして王国のみんなを救ってあげたいよ。でも、いくらなんでも現実的に考えて無理なんだ…。私なんかが、できるはずがない」
「なんで、そんなこと言うの?」
 頭を抱えて現実を否定する言葉を吐き続けるミサに、エレリアは鋭く指摘の発言を差し込んだ。
 そんなエレリアの問いかけに、ミサはあきれ顔を浮かべる。
「だって、リアちゃんも分かってるでしょ?王国のすごい人たちが全力を尽くしても、王様の病気は治せなかったんだよ。それなのに、こんな田舎に住んでて評判もない私が治せるわけないじゃん。それでさ、もし私が夢魔に返り討ちにされたら、どうすんの?」
 ミサは必死に反論の言葉を吐き続ける。
 なんで、こんなに熱くなっちゃってるんだろう。
 親友であるはずのエレリアに対して、今の自分は反抗的で敵対的な態度をとっている。
 できることなら、もう止めたい。こんなしょうもないことで、エレリアとの友好関係を傷つけたくない。
 でも、止められない。止まらない。
 腹の底から迫ってくる熱い感情に、エレリアの主張を打ちのめす言葉が次々に喉の奥から湧き続けて来る。
 そして吐き出された言葉たちは、ミサの意思と関係なくエレリアの耳に向かって放たれていく。
 そんな二人の少女の口争を前に、もはや軍人のマルロスが口出しする余地はなかった。ただ、黙って外野から戦場を大人しく見守ることしかできなかった。
 国の未来は、今彼女たちの手にかかっている。
「よく考えて。王国を救えるのはもうミサだけしかいないんだよ。救世主になれるのはミサしかいないんだよ」
「分かってるよ。そんなことぐらい、もう分かってる、私だって…。でも、問題はそこじゃないんだ。問題は…」
 ミサはもう何もかもに耳をふさぎ込んでしまいたかった。
 ドロドロと渦巻く答えの見えない葛藤と確固としたエレリアの正義が、一方的にミサの心をぐちゃぐちゃに掻き乱していく。
 もう、どうすればいいんだ。
 さきほどまで苦しんでいた悩みごとも、今は怒りの情ですべて蒸発してしまった。
 自分じゃ制御できない。
 全身の血が煮えたぎるように熱くなってくる。
 腹の底では、怒り狂った灼熱の感情が暴れだそうとしている。
「私は、怖いんだ。そう、怖いんだよ!夢魔が、失敗が、そして現実が…」
 ミサは心の中に隠していた思いのすべてをありのままにさらけ出した。
 そこに、嘘や偽りの感情はない。
 すべて、等身大の自分の心情だ。
「もしかしたら、夢魔が仕返ししてくるかもしれない。王様が私の作ったポーションのせいで死んじゃうかもしれない。まず、マルロスさんの期待通りにポーションを作ることだって分からない」
 エレリアとマルロスは、淡々と語られるミサの本当の胸の内を黙って聞いていた。
「だから正直に言って、私はポーションを作ることはできない。まず、作る勇気が湧いてこない…」
 ミサの最後の言葉を前に、マルロスはピクリと眉を動かした。
 ミサの口から無情に放たれた、依頼を拒否する発言。
 交渉はあえなく決裂してしまったか。
 しかし、彼女がそう語るのも無理はないとマルロスは腕を組んだ。
 彼女が言うとおり、王のためにポーションを作るなんてことは、小さな村に住む彼女にとっては計り知れない恐怖だろう。
 王国のエゴで、こんなか弱い少女に責任を押し付けるのは、いくら軍人のマルロスでも気が引けるやり方だと思った。
 元はと言えば、王国はアンバーさんに用があったのであって、この目の前の金髪の少女にではないのだ。アンバーさんがこの世にいない時点で交渉は決裂していた。
 これで、王国再建の可能性は絶望的になってしまった。だが、しょうがないことだ。
 もちろん今ここで強引に彼女をさらって無理矢理ポーションを作らせることだって可能ではあるかもしれない。しかし、さすがにそれはあまりに非人道的なやり方だし、何よりそんな卑劣な手口はスカースレット王国の名を汚してしまう最低な行為だろう。
 マルロスは重くて深いため息をついた。
 一体どのような顔をして部下たちに、そして宰相に顔を合わせればいいのか。
 そして、マルロスが肩を落としている最中、ミサとエレリアの口論は続いていた。
 ありがたいことに、エレリアは一貫して王国再建の支持を取り続けていてくれていた。
「それじゃあ、ミサはそんなちっぽけな不安のせいでマルロスのお願いを断るっていうの?助かる命がそこにあるっていうのに、ミサは恐怖に怖じ気づいて王国の人たちの命を見殺しにするっていうの?」
「…」
 身体を震わせているミサとは対照的に、エレリアは冷静に言葉を紡ぎ続けていく。
 ミサは何も言い返さない。
 否、言い返さないのではなくて、もはやミサは怒りを抑え込むのに必死だったのだ。
 マルロスも部屋の風景も何も見えない。
 視界にあるのは、ただエレリアの姿だけだ。
「だからミサ、王国のためにポーションを…」
 最後にエレリアが言いかけた時、ミサはテーブルを拳で思いっきり叩きつけて、勢いよく立ち上がった。

「リアちゃんには、分かんないよっ!!!」

 ミサの腹の底で煮えたぎっていた感情が、ついに爆発してしまった。
 突然のミサの挙動に、マルロスは肩をびくつかせ、目を丸くする。
 態度を豹変させた彼女の様子をよく見ると、彼女は荒い鼻息を何度も漏らし、明らかに怒りの感情に飲み込まれているのが分かった。
 目は鋭く細められ、隣に座っている白い服の少女エレリアを睨み付けている。
 しかし、それに対してエレリアは表情一つ変えることなく、真っ向から真剣な様子でミサと向き合っていた。
「あのねぇ…、王国を救えだとか簡単に言ってくれてるけど…、ポーションを作ることがどんなに大変か分かってるの?!」
 ミサは半ば歪んだ笑みを浮かべて、怒りに震えた声でエレリアに話し続けている。
 しかし、正直に言ってミサは何に対して怒りを表しているのか分からなかった。
 確かにエレリアの物言いに不満を感じてはいたが、本当にすべての元凶は彼女なのだろうか。
 身体は熱情で燃え盛るように熱くなっているが、その火種は今となってはもうどこにも見つけることはできなかった。
「何にもポーションのことなんか分かってないくせに、偉そうにべらべら言ってくれちゃって…」
 頭の中ではいけないことをしていると分かっているが、意識とは対照的に身体は完全に荒ぶる感情に満たされてしまっていた。
「私にすべて押し付けるなんていくらなんでも無責任だよ!」
 ミサは拳を固く握ったまま再びテーブルを強く叩きつけて、思いのすべてをエレリアにぶつけた。
 こうして怒りの感情と共に己の心情を吐き出して、今ミサの胸の中に残っているのはやるせない空虚だけだった。そこに達成感や満足感はない。
 なんて、自分は愚かなのだろう。
 ただただ、こうして怒りという形でしか自分のプライドを守れないということが、ミサにとっては実に虚しかった。
 ミサが怒りにまかせて胸の内を打ち明かした後、エレリアは すべてを真摯に受け止めていたようだった。
 そして、目をつぶったまま、おもむろにそっと呟いた。
「…うん。ミサの言うとおりだよ」
 反論してくるのかと思い身構えていたミサだったが、エレリアは意外にミサの胸中をしっかり受け入れていた。
 そして、すべてを受け入れた上で、エレリアはミサをなだめるようにそっと話し始めた。
「確かにポーションのことについては、ごめんけど私にはよく分からないよ。でもここでもう一度聞くけど、ミサ。ミサは何のためにポーションを作ってるの?」
「そ、それは…!」
 エレリアの問いかけに、ミサの喉まで迫っていた返答が意を持たない吐息に変わった。
 それは、人のため。
 これがミサのポーション職人としてのポリシーであり、そしておばあちゃんから何度も教えてもらった信念でもあった。
 しかし、これを言ってしまうと、今自身がとっている態度と矛盾してしまう気がした。
 今さら自分が間違っていたと認める訳にはいかない。それはミサのプライドが許さなかった。
「ミサ。あの日さ、初めて私と会った時にさ、ミサは話してくれたよね。いつかおばあちゃんみたいになって、おばあちゃんみたいなポーションを作りたいって。私ちゃんと覚えてるよ」
 微かな微笑と共に彼女の口からその言葉が出た瞬間、ミサは心の中で何かが一瞬にして蒸発する音が聞こえたような気がした。
 たまらずミサははっと息を呑みこむ。
 心から消え去ったのは、怒りか、不安か、あるいは葛藤か。
 とにかく、エレリアの最後の発言でずっと心を嫌に蝕んでいた何かが消え去ったのだ。
 続けて、エレリアは話を続ける。
「ここで一つ言っとくけど、別に私はミサをいじめようと思って言ってるんじゃないんだよ?私は大好きなミサのためを思って言ってるの」
 相変わらず落ち着いた素振りで言葉を紡いでいくエレリアだったが、その言葉には今までとは違う慈しみに満ちた温かさが含まれていた。
 ミサは胸に何かが迫ってくるものを感じ、うまく言葉を絞り出すことができなかった。
「もちろん、ミサが逃げ出したいんだったら、それで構わない。私がそれを止める権利もない。でもさ、そんなの生きててつまんないし、面白くないじゃん」
 エレリアの言葉が、少しずつミサの熱くなった身体を一方的に冷ましていく。鎮めていく。
 それは、ミサがエレリアの発言によって激昂した感情を、そして気持ちを改めていく瞬間だった。
 ミサは鉛のように重かった胸の中が、心地よく軽くなっていくのを密かに感じていた。
「みんなの幸せのために少しでも成功する望みが存在するんだったら、逃げずに挑んでみようよ。ミサならきっとうまくいく。私も一緒にミサの挑戦を手伝うからさ」
「リアちゃん…」
 ミサはエレリアの友としての優しさと愛の言葉に、身体が再び熱くなっていた。
 それは、敵意と憎しみにまみれた怒りとはまったく違う。
 感情が、深い苦しみと終わらない葛藤の底から抜け出すことができた証拠だ。
「私はおばあちゃんみたいになりたい…。私はおばあちゃんみたいなポーションが作りたい…」
 エレリアの瞳とその熱意に、ミサはふとおばあちゃんが残してくれた大切な言葉が頭をよぎった。

『いい? ミサ。ポーションっていうのはね、人を傷つけるためにあるものじゃないの。ポーションは人に元気と幸せを与える魔法の薬。だから、あなたも将来、人を幸せにしてあげれるようなポーションを作りなさい』

 いつ言ってくれたかのかも分からない、おばあちゃんの言葉。
 なぜ、こんな大切で初歩的なことを忘れてしまっていたのか。ミサは自分で自分の頬を思いっきり叩いてやりたい気分だった。
 おばあちゃんが残してくれたポーション。
 最近のミサは新しいポーションの開発ばかりに気をとられてしまっていて、何か大切なことを忘れていた。
 エレリアの言葉で、見失っていた信条を再び見つけ出すことができた。
 そして、ずっと苦しんでいた悩みに答えを出すことができた。
「もう、迷うことはない…」
 おばあちゃんはいつも人のために行動していた。
 何をするにも、自分のことは後回し。常に他人優先。他人のために、自分の時間を使っていた。
「そうか、だから…」
 この時ミサは、マルロスたちがここへやって来た理由を再び自身で悟ることができた。
 今は亡きおばあちゃんを、現在もこうして頼りにしてくれる人たちがいるのは、最後までおばあちゃんが人のために何かをしていたから。
 人の幸せのために、できることをする。
 そして今、その役目は自分にかかっている。
 これは、むしろチャンスだ。
 掴めそうなものは全部、自分から手を伸ばしてまでしても掴みきる。逃げたらまた、あの時と同じようになるだけだ。
 ミサは揺るがぬ覚悟を決め、マルロスの方へ向き直った。
 そして、声高らかにその決意を口にした。
「マルロスさん、私にポーションを作らせてください!王様のために…、いや、みんなのために!!」
 ミサが宣言すると同時に、雲に隠れていた太陽の光が部屋に差し込んだ。
 この決断に、後悔はない。
 これは人々の幸せと自身の成長のための、未来への宣告だ。
「おぉ、ついに我々の頼みを引き受けてくれのか!!それはありがたい!!」
 ミサの決断に、マルロスは抑えきれない喜びと共にイスから飛び上がった。その反動でイスが後ろへ倒れる。エレリアもミサの勇気ある判断に、かすかな微笑を漏らす。
 そして、続けてマルロスはそのままテーブルを回って、少し照れ笑いを見せるミサの両手を力強く掴んだ。
「これはスカースレット王国全土に関わる大快報だ!!王に代わって心から礼を言おう」
「私は、ただみんなの幸せのためにポーションを作るだけです。もしかしたら失敗するかもしれないけど…」
 喜びの色を目に浮かべているマルロスと比べて、ミサはうつむいて不安げな表情を見せていた。
 自信と勇気を持って王国からの依頼を快諾したのはいいが、これから先きっと相当困難な試練が待ち受けているのだろう。
 プロの魔術師たちをも挫折させた、強力な夢魔。
 果たしてこんな自分が本当に王様を助けるポーションを作ることなどできるだろうか。
「今は余計なことは考えない方がいいだろう。エレリア様もおっしゃられていた通り、ミサ様はかすかな希望に向かってただ突き進むだけでいいのだ。もし最悪の事態が起こった場合は…、その時は我々がなんとかしよう」
 マルロスは沸き上がっていた喜びの感情を一度落ち着かせ、律儀な姿勢と口調でミサの懸念事項を後押しした。
「ありがとうございます、マルロスさん」
「いやいや、礼を言うのはこっちの方だ、ミサ様。我々が直接ミサ様のお力になれないのがなんとも情けない話なのだが、もし夢魔への特効薬が完成した暁には、何か王国から褒美を授けよう」
「えっ、褒美だなんて、そんな…」
 照れ笑いを隠しつつ、ミサはマルロスから提示された報酬の話に頬を赤らめ口の端を緩めてしまった。得のある利益に無意識に反応してしまう辺り、これらはやはり貧乏人としての性なのか。

 その後は、今後の計画について軽く話し合い、対談は着々と進んで行った。
「先ほども述べた通り、我々に残された時間は約1週間だ。それまでに、できるだけ早く王へのポーションを完成させてほしい」
「1週間…」
 ミサは自身に課せられた試練の残り時間を、マルロスの口から知らされた。
 たったの1週間。あまりに短すぎる。
 それまでに、自力で材料を集めて、ポーションを完成させ、そして王国に届けなくてはならない。
「そして、これが王宮通行手形だ」
 マルロスは悩み果てるミサを差し置いて、何やら魔力のこもった紫色のインクで紙に何か書き始めた。
 その紙には小さい文字でびっしり規約のようなものが書き込まれており、彼はどうやらそこにサインを書いているらしかった。
「我らの王宮に入る際、この手形を門番にいる兵士に見せれば中に入ることができる。それ以外にも、何か王国で盗賊などの悪党にからまれた際も、それを見せれば奴らは尾っぽを巻いて逃げていくことだろう。くれぐれも大切なものなので無くさないようにな」
「はい…」
 マルロスの手から、ミサは赤い紐で筒状に巻かれた通行手形を緊張した面持ちで受け取った。
「ミサ、大丈夫?」
「う、うん…」
 顔色を悪くしていたミサの背中を、エレリアが後ろから優しく手でさすった。
 ミサは不安と緊張でぐらぐらと揺らぐ視界の中、なんとか意識を保とうとする。
 いよいよ、ミサの思い描いていた空想がはっきりとした現実のものとなってきた。
 現にこの通行手形がそれだ。
 だが、もう後に引き返すことはしない。おばあちゃんみたいになると、そう決断したから。
「それでは、我々はさっそくこの朗報を持って王国に引き返すことにする」
 ミサが依頼の受け入れを口にしてから、話は早々に進んでいき、気付けばマルロスは帰る支度を始めていた。
「王の夢魔による憑依の事実は、まだ世間には非公開にしている。故に、くれぐれもポーションの開発は極秘裏に進めて行ってほしい。何度でも言わせてもらうが、今回の交渉自体も非常に秘密裏な環境で行われているのだ。もし情報が世間に漏れてしまえば、市民たちは混乱してしまうだろう」
「は、はい…」
 王国からの使者としてのマルロスの忠告に、ミサは背筋を凍らせて顎を引いた。
 そして、今自分は国家の存亡に関わるとんでもない大役を担わされているのだと改めて実感していた。
 再び、漠然とした不安と恐怖がミサの胸を押し潰す。
「では、ミサ様にエレリア様。1週間後、また王宮で会おう。健闘を祈っている」
 手短に最低限の挨拶を済ませると、マルロスは身を玄関の方へ翻して、足早に家の外へ消え去ってしまった。

 マルロスが去った部屋の中は、嵐が通り過ぎていった後のように静まりかえっていた。
 二人は残された激動の余韻を噛み締めるように、お互いイスの上で黙りこくったまま固まっていた。
 マルロスが部屋からいなくなり、いつもの日常の風景が視界に戻ってくる。
 夢だったのではないか。
 そう錯覚してしまうほど、彼との対談は一瞬の出来事のように感じられた。
 しかし、彼と話したことは夢ではない。
 実際に、ミサの手にのっている通行手形がその証だった。

 すると、いきなりエレリアが呟くように沈黙を破った。
「…ミサ、さっきはごめんね」
 声をかけられたミサは視線を通行手形から隣にいるエレリアに移した。
 そこには、何やらばつが悪そうにうつむいているエレリアの姿があった。
「なんか私、つい熱くなっちゃってミサのことなんにも考えてなかった。ミサがどんなに大変かも知らずに…」
 エレリアは先ほどの口争いについて、自身の反省と共にその心情を語ってくれた。
 照れを隠すためか視線を合わせてはくれなかったのだが、彼女のその謝罪と反省の気持ちは言葉づてにしっかり伝わってきた。
「いやいや、リアちゃんが謝ることなんか何もないよ。私も、あんなに取り乱しちゃって、ごめんね」
 ミサも自らの行いを振り返りつつ、同じようにエレリアに謝った。
 元はと言えば、優柔不断で気短な自分の性格が悪いだけだ。なので、彼女が先に謝る必要などない。
 ミサが謝罪の言葉を口にすると、ようやくエレリアも顔を上げて目を合わせてくれた。
 両者の視線が交わり合う。
 二人はしばらく見つめ合い、そして同時におかしくなって笑いを吹き出してしまった。
 先ほどの彼の訪問がまるで嘘だったかのように、いつもの生活が戻ってきた。
 楽しそうに二人の少女たちが笑い声をあげる中、エレリアはミサにあることを話した。
「ミサ。私、ミサのこと全力で応援するから、何かあったら言ってね」
「ありがとう、リアちゃん。私も王様を助けられるように、全力で頑張るよ」
 エレリアの微笑みに、ミサも笑顔で応じた。
 この先、幾度なく困難が立ちはだかるかもしれないが、エレリアとなら必ず乗り越えて行ける。彼女との談笑の中で、ミサはそう強く確信することができた。
「おい、ミサにエレリア!!」
 すると、玄関が勢いよく開かれ、困惑の表情を顔に張り付けたソウヤが登場した。
 彼は仕事先の鍛冶屋の作業着を身につけたままで、きっとマルロス訪問の話を聞いて駆けつけてくれたのだろう。
「大丈夫か!?一体ここで何があったんだ!?教えてくれ!!」
 困惑の色を瞳に宿したソウヤは顔中汗まみれで、肩で息をしていた。
 やはりマルロスが言ったように、あの話し合いは本当に秘密裏に行われていたようで、ソウヤは何も事情を知らない顔をしていた。
 すると、ミサは握っている通行手形を胸の前で抱えて呟いた。

「これで私もおばあちゃんに近づけたかな?」

「は、はぁ!?何言ってんだ、おまえ。ポーションの作り過ぎで、とうとう頭がイカれちまったか?」
 ソウヤは余計に混乱し、訳が分からないと言ったように自身の眉を寄せた。
 そんな彼の困惑する様子に、エレリアはふふっと微笑を漏らす。
 そして、ミサは混乱しいるソウヤの横を通り過ぎ、玄関の扉を開け家の外へ出た。
 ミサの視界には、広がる村の景色とバラックたちが通った帰り道が地平線の彼方へ続いている。
「絶対に、絶対に完成させてみせる…!!」
 そんな揺るがぬ強い決意を胸に、通行手形を握り締めたミサの手は、無意識のうちに小さく震えていた。
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