ペトリの夢と猫の塔

雨乃さかな

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第1章『始まりの村と魔法の薬』編

第12話 事情/Circumstance

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 マルロスは姿勢を改め、軽く咳払いをする。 
 ついにミサとエレリアに王国で起こっている真実を話す時が来た。
「では、私たちがここへ来た理由を王都で起こっている異変と共に話すとしよう。が、その前にまず、卿たちの名を私に教えてくれないか?」
 本題に入る前に、マルロスはテーブルの向かい側にいる二人に簡単な自己紹介を要求してきた。
「あっ、名前ですか?」
 確かにマルロスと出会ってから、一度もこちらは名前を彼に伝えていない。彼は二人のことを『卿』と呼びつづけていたが、それではどこか堅苦しいし、こちらとしても少し気を遣ってしまう。
 故に彼から要求を受け、ミサは緊張で声を震わせながら不器用に二人の名を伝えた。
「私の名前はミサで、こっちがリアちゃん…、じゃなくて、エレリアと言います」
 ミサから代わりに名前を言ってもらい、エレリアはとりあえず礼儀を表すため軽く頭を下げた。
「そうか、『ミサ』に『エレリア』だな。分かった」
 一通り名前だけを耳に入れ、マルロスは納得したようにうなずく。
 そして、意を決したように彼は静かに話し始めた。
「噂でも聞いてると思うが、今スカースレットでは夢魔によるパンデミックが起きている」
 王国からやって来たマルロスの口から正式に『夢魔』という単語を聞いて、ミサは思わず息を呑んだ。
 このコックル村は辺境の地に位置しているため、王国からの情報はリアルタイムでは伝わってこない。すべては王国からやって来た商人や兵士などによる、間接的なものばっかりだ。それ故にそれらの情報は信憑性に欠け、村全体に情報が行き渡るうちに内容が変わってしまうことだってあり得る。
 しかし、ソウヤがあの朝に言っていた懸念事項は、本当のことだった。
 疑いが今、確信に変わった。
「ちなみに、夢魔というのは二人ともご存知かな?」
「はい、知ってます。人の夢を使って悪いことをする魔物のことですよね?」
 マルロスの問いかけに、ミサが自信満々に応じる。夢魔の実態については、エレリアの移住について話し合ったあの寄合の際に、村長から聞き込み済みだ。
「我が王都における謎の夢魔の大感染が起きたのは、『テンペスト』が起こった数日後のことだ」
「てんぺすと?何それ」
 マルロスの口から飛び出た聞き慣れない言葉に、エレリアは首を傾げた。ミサはいたって普通の顔をしているので、どうやらテンペストというワードは両者にとって共通事項のようだ。
「テンペストっていうのはね、リアちゃんがここにやって来る何ヵ月か前にあった、すごい大嵐のこと。何日間も大量の大雨が降り続いて、そりゃもう大変だったんだよ。昼も夜もずっと風が吹き荒れてて、すごい怖かった」
 ミサが身振り手振りを使って、簡単に説明を施してくれた。
 彼女の言葉を聞く限り、そのテンペストというのは数ヶ月前に起こった気象を示す言葉らしい。当然、エレリアにはまったく身に覚えはなかった。
「もしや、エレリア様はテンペストのことをご存知ないのか?」
 ミサが説明を施す姿を目に入れ、マルロスは不思議そうな表情を浮かべ、エレリアを見つめた。
「えっと、マルロスさんにはまだ言ってなかったけど、この子は実はこう見えて記憶喪失なんです。だから、テンペストのことも全部忘れちゃったんだと思います」
 誤解を生まないよう、ミサはマルロスにエレリアの特殊な身体事情についての説明を付け加えた。
 テンペスト、という気象現象は世間にとっては常識の対象になるのだろう。
 エレリアはその現象に自らの記憶喪失との関係性を疑った。もしかすると、このテンペストというものこそに、真実が隠されているのではないか、と。
「テンペストと夢魔発生の詳しい因果関係は今のところ不明だ。しかしいずれにせよ、夢魔がかつてないほどのスケールで王国に蔓延しているのは明確な事実である」
 マルロスの話に、ミサとエレリアは神妙な様子で耳を傾けていた。
 その時ふとミサは窓の外に何かが動く影を感じた。一体誰なのだろうと、マルロスの語る傍らミサは視線だけを窓の外へ移してみた。
 すると、そこには人の姿が見え、よく見るとそれはマルロスが率いてきた護衛の兵士の姿だった。どうやら、この秘密の会談の警備を行っているらしい。彼らが今この家を取り囲んでいる限り、たとえ村長であろうと誰一人として中には入れないのだろう。
「そして、ここからが私が今回伝えたい話の根本の部分でもあるのだが…」
 するとマルロスは態度を改めて、いきなり小声で話し始めた。
「ここで改めて忠告させてもらうが、今から話す内容は極秘の情報な故に、口外の流出を断じて禁ずる。お二人とも、本当に聞く覚悟はよろしいかな?」
 低く冷めたマルロスの小声に、ミサとエレリアは固唾を飲んで同時に小さくうなずく。
 ついにここまでたどり着いてしまった。ミサは真実を語ろうとするマルロスを前にふとそんな言葉を頭の中で思った。
 先ほどから動悸が止まらない。明らかに、身体がミサの心の中の動揺と緊張を表側に示していた
 胸の中を押し潰すような謎の圧迫感。
 あの時エレリアの提案を拒絶して、強引にマルロスには帰ってもらっていた方が良かったかもしれないと思ったが、もう後には引けない。
 真実を知ってしまったら、自分は一体どうなってしまうのだろうか。今までの平凡な日常は変わってしまうのだろうか。
 そして、ミサの額から流れた冷や汗が頬からこぼれ落ちたのと同時に、マルロスがついに真実を口にした。

「王が夢魔に憑依されてしまった」

 マルロスの発した一言は部屋の空気を振動させ、ミサの鼓膜を揺らす。
 そして、そのまま鼓膜で受け取ったその言葉の意味を頭の中で処理し反芻し、やがて理解に繋げる。
 王が夢魔に憑依された。
 この事実を頭で理解した瞬間、ミサは反射的に両手で口を覆った。
 ミサの中の懸念が現実のものと変わる。
 隣国の君主とはいえ、王が魔物に憑依されたという事実は国の行き末に関わるほど深刻なことだ。場合によってはこの村にさえその影響が及ぶ可能性がある。
 しかし、それ以上に、ミサは改めて自分は今とんでもないことに巻き込まれているのだと、確信した。
 スカースレット王国からやって来た使者の訪問と、その王国の危機。
 彼の口からトップシークレットの情報を聞いて、その後のどかな村人でいられる訳がないだろう。
 ミサの胸の奥で、不快に何かがざわつき始めていた。
「王が夢魔に憑依されたのが発覚したのが、ちょうど王国に大混乱が起き始めた数ヶ月前のこと。毎晩、寝ている時におぞましい夢を見ると口にされたのがすべての始まりだった。そして、その日を境に、王は眠ることが恐ろしくなってしまい、日に日にご容態を崩されていったのだ」
「ちなみに今は、王様はどうされているのですか?」
「今は、王室に仕える魔術師による催眠魔法で一日中眠っておられる。この魔法による睡眠では、夢魔は悪夢を人に見させることができないと考えられている。実際に、王も催眠魔法によって穏やかな顔つきで眠っていらっしゃるよ」
 マルロスとミサの間で、緊張的なやり取りが行われる。
「でも、私今一つ疑問に思ったんですけど。その魔法で夢魔を倒すことはできないんですか?」
 ミサの疑問に、マルロスは曇った表情を見せる。
「通常なら、それは可能だ。しかし、今回の場合は少し特殊でな」
「特殊って、それはどういうことなんですか?」
「どうやら王に憑依した夢魔は、同じ夢魔の中でも上級クラスの魔物のようでな。王国有数の薬術師や祓魔師に夢魔払いを頼んでも、一向に王のご容態は善良に向かわないのだ」
 マルロスはどうやら怒りがこみ上げて来ているらしく、話し声がどこか震えているように聞こえた。
「しかも、それだけじゃない。王の夢魔払いを頼んだ者たちが次々に仕返しを受けるかの如く、夢魔に憑依されていったのだ」
 彼のその言葉を聞いた瞬間、ミサは背筋を震わせた。
 今、こうして夢魔について話し合っている自分は大丈夫なのだろうか。夜に悪夢に襲われたりしないだろうか。
「こうして王国では、夢魔に取りつかれることを恐れた人々が誰も夢魔払いに応じなくなってしまったのだ。故に王は催眠魔法で今でも眠り続けられている」
 マルロスの話を聞いている時、ミサはずっと呼吸が苦しくなっているのを感じていた。
もしかしたら、この話し合い自体が夢魔の見せている悪い夢なのではないかと疑ったが、これほどまで意識がはっきりしている夢はないだろう。
 これは現実だ。夢ではない。
「ちなみに、なんですけど。ずっと王様が眠り続けると、夢魔はどうなるんですか?」
 ミサは一つ気になったことを口にしてみた。
 その言葉に、マルロスはきっぱりと答える。
「被憑依者の長期的な睡眠による夢魔の迎える結末は、当然『死』だ。それ以外ないだろう」
 その時、ミサは違和感を感じた。
 すでに解決策はあるではないか。
 憑依された人をずっと眠り続けさせればいい。そうすれば、忌まわしき夢魔を倒すことができる。
 これで、すべては解決するのではないか。
 しかしミサのアイデアの甘さを指摘するかの如く、マルロスが追加で説明を説いた。
「だが、催眠魔法による長期睡眠は同時に被憑依者も同時に死んでしまう危険性がある」
「えっ?何でですか?」
 意外な事実に、ミサは目を丸くする。
「魔法による効力は、どんなものであれその対象物に超常的な負荷をかけてしまう。故に長期に渡って魔法の力を効用してしまうと、身体は魔法の負荷に耐えることができないのだ。最終的には、身体は灰になってたちまち消え去ってしまう」
 マルロスの語った事実に、ミサは肩を落とした。
 一体どうすれば、王を救えることができるのか。この問題を解決する突破方法が何も見つからない。
「そして最悪なことに、王へのタイムリミットも刻々と近づいて来ている…」
 マルロスは視線を下に落とし、唇を噛み締めた。
 太陽が一時的に雲に遮られ、いつしか部屋の中は薄暗くなっていた。
「…タイムリミット、というのは?」
「王が催眠魔法に耐えられることができる時間のことだ。魔法による治癒が始まったのが一週間前のこと。そして、人はだいたい魔法の効力を最大でも2週間程度受け続けることができる」
「ということは、つまり…」
「そうだ、王にはあと一週間しか有余がない」
 低く彼の口から出た言葉を耳にし、ミサは愕然とした。
 残された時間は、一週間しかないのか。
 事態は明らかに絶望的だ。たったの一週間で何ができると言うのだろうか。
 このまま行くと、王国は君主もろとも存続の危機に瀕してしまう。
 その時やっとミサはあることを悟った。
「そうか。だから、マルロスさんたちはおばあちゃんのポーションを求めて、ここへやって来たんですね」
「そういうことだ…」
 マルロスはミサに返答を返すが、その声は明らかに沈んでいた。
 きっと彼らは、王の治療のために死に物狂いで各地を駆け巡ったに違いない。王国の再建を図るため、何より王の治療のため。
 世界中を訪ねて回れば、もちろん頼もしい魔術師や薬術師などは山のようにいるだろうが、王国の裏事情を公にすることはできないだろう。他の国に王の治療を求めれば、逆にこちらが侵略を受けてしまう危険性だってある。
 そこで、マルロスたちは最後の希望として、王国で活躍していたおばあちゃんの家を訪ねてきた。
 すべては、エレリアの予想通りだ。あんな短時間で相手の思惑を見透かすなんて、エレリアの観察力には驚かされる。
「きっとこれは、何かの陰謀に間違いない…」
 ミサが考え込んでいると、マルロスの口から震えた声で怒りの情が聞こえてきた。
 ミサは顔を上げて、彼の様子を伺う。
「陰謀、ですか?」
「あぁ、そうだ。我々がここまで窮地に追い込まれているわけだ。こんなに都合よく王の回復を妨げるシナリオが、自然の摂理で出来上がるはずがない。これは意図的に誰かの意思によって企てられた陰謀に間違いない…」
 マルロスの目には、王国を危機に至らしめた何者かへの憎悪の感情を宿していた。
「でも、一体誰が、なんの目的で…」
 ミサは顎に手を当てて、共に考え込む。
 可能際としてはいくらでも考えられるだろう。
 他国からの侵略、クーデター、テンペストによる野生の夢魔の暴走。
 一体、真実は何なのだろうか。
「平時なら、反乱を起こした張本人を見つけることなど容易いことなのだが、今回ばかりは我々もお手上げなのだ。あれほど骨のある夢魔、あるいは強力な夢魔を従える者など普通あり得ない。あり得るとしたら大魔法都市出身の、それも世界有数の大賢者くらいだろう。だがそうだとしたら、なぜそのような者がこのスカースレット王国の王に反感を買うのか理解できないのだ」
 迷宮入りしていく謎に、マルロスは再び頭を抱える。
 王国の一級兵士がここまで悩まされる事態は珍しいことだろう。彼らは本当に夢魔に対して打つ手がないようだ。
「そういえば先ほどエレリア様は、ミサ様がポーションをお作りになっているとおっしゃっていたのだが、それは誠なのだろうか?」
「…え?わ、私がポーションを?」
 少し目を輝かせたマルロスの問いに、ミサは戸惑いを見せる一方、エレリアは静かにうなずいて肯定の意を示した。
「そうか!やはり、ミサ様はポーションをお作りになっているのか!なら、話は早い」
 ひとりでに話が進んでいき、ミサは動揺する。
 ちょっと、待ってほしい。
 確かに自分はポーションは作っているが、今回の話題と自分は関係ない。ポーションはあくまで副業。それもまた趣味程度の。
 しかし、ミサの動揺とは対照的に、マルロスは瞳に期待の色を輝かせている。
 この流れだと、次に彼が言うセリフはなんとなくだが予想できる。
 ミサは固唾を飲み込んで、嫌な予感と共に彼の次の言葉を待った。
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