ペトリの夢と猫の塔

雨乃さかな

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第2章『悪夢の王国と孤独な魔法使い』編

第46話『異変/Disorder』

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 夢魔に取り憑かれ目を覚まさない王の口へ、マルロスの手によってついにポーションが注がれた。
 少しずつ、少しずつ、慎重にポーションが王の体内に流れ込んでいく。その間、エレリアたちも含めた兵士たちの緊張感は極限状態まで張り詰めていた。誰もが剣を持ち、戦闘態勢を維持している。

「お願い……。うまく行って……」

 愛する我が子同然の決意と覚悟でなんとか完成させたポーションが実際に王の体内に注ぎ込まれていく様子を見て、開発者のミサは強く両手を胸の前で握り、静かに固唾を呑んで無事に作戦が成功しますようにと祈った。
 そして、計り知れない不安と緊張感が渦巻く空気の中、予定されていた量のすべてを王に服用させ終えた。

「どうだ……?」

 眠りながらも王がすべてのポーションを飲み終えたのを確認すると、マルロスはこれから王の身体に起こるであろう何らかの反応を注視するように、その持ち合わせる意識全てを目の前の王に向けた。
 王はすべてのポーションを飲み終えた。予定通り行けば、憑依している夢魔が王の体から排出されるはずだ。しかし、いくら待てども、王の身体には何の反応もなかった。
 ほんの数秒がとても長く感じる。極度の緊張状態のせいで、感覚が過剰になっているのだろうか。
 呼吸をすることすら阻まれるような重い静寂が部屋に満ちる中、静かに王が目覚めるその瞬間を待ちわびる。

「……」

 だが、それでも状況は変わらなかった。
 王の病が完治するという淡い幻想から乖離していく残酷な現実を前にして、部屋にいる者たちの頭には次第にある言葉が浮かび上がってきていた。
 失敗。
 そう、誰もが作戦は失敗だと確信し始めていたのだ。
 現に、これまで王国から選び抜かれた一流のポーションをもってしても、王に取り憑いた夢魔を追い払うことができなかったのだ。
 伝説のポーションマイスターであるアンバーの弟子が作り上げたポーションということで、城の誰しもがささやかな夢想に浮かれていたが、こうして目を開けず王がベッドで苦しそうに眠っている今、人々の望みは夢に消えた希望として終わったようだった。

「そ、そんな……」

 魔獣が住む森にも行った、危険な幽霊が潜む廃村にも行った。メノーの襲来も乗り越え、長い道のりを経て、この王国にやって来た。
 これまでの苦労が文字通りの徒労に終わり、ミサは力なく膝から崩れ落ちてしまった。
 『やはり、ダメだったか』、『この国も終わりだ……』、各所からため息と共にやり切れない呟きが聞こえてくる。
 眠り続ける王の姿。
 絶望に染まった兵士たちの表情。
 何より、思い通りには行かないという非情な現実と、王を救うことができなかったという非力な自分自身が悔しくて、ついにミサはこぼれ落ちた涙で床のカーペットを濡らしてしまっていた。

「ミサ……」

 そんな悲痛なミサの姿に居ても立っても居られず、エレリアは近寄ると、彼女の背中を優しくさすり、そっと抱きしめた。
 彼女の背中が、嗚咽と悲しみと憤りで震えているのが分かった。
 ここは、何か慰めの言葉でもかけてあげるべきだろう。だが、この場合、何を言ってあげることが彼女にとって正解なのかエレリアには分からず、こうして触れてあげることしかできなかった。
 ただ、これだけは言える。
 彼女は何も悪くない。
 やるだけのことはやったのだ。責任を感じる必要はない。
 結果がどうであれ、最善を尽くした自分に対して、まずは自分自身で称賛を与えるべきなのではないだろうか。
 泣き沈むミサの存在も相まって、室内がひどく険悪な雰囲気に包まれていた、まさにその時だった。

「お、おい……! あれを見ろよ!」

 突然、一人の兵士が沈黙を破り、叫び声をあげた。
 そして同時に、部屋にいた全員が反射的に王が眠っているベッドに急いで視線を向けた。

「……あれは!?」

 すると、そこには、これまでに無いほど悶え苦しんでいる王の姿があった。数秒前まで静かに眠っていたのにも関わらず、よほど苦しいのか何度も身体をねじり、表情を歪め、唸り声を上げている。
 それは、夢魔に憑依されて以来、王が初めて見せた反応だった。

「国王様、大丈夫ですか!?」

 突然の事態に動揺を隠せず、ざわざわとどよめく室内。
 そんな中、とっさにマルロスは駆け寄ると、王の肩を強く揺すり、苦しむ王に向かって大声で叫んだ。
 しかし、王は目を閉じたまま、もだえ苦しむばかりで、マルロスの問いかけには応じない。

「どうなってるの……?」
「おいおい、これ、なんかヤバいことになってきてないか?」

 ポーションの効果が、時間差で発揮されたのだろうか。
 意表を突くかのような王の異変に、エレリアとソウヤも驚きのあまりその場を動けず、凍りついたかのように固まることしかできなかった。一方のミサも、この状況で悲しみに暮れている余裕などなく、呆然とした様子で王の異変を眺めていた。

「くっ……、一体、何が起きているというのだ。このような反応は我々も見たことがないぞ……」
「大変です、マルロス様! 国王様の体温及び体内魔力の度数が急激に上昇しています! このままでは……」
「そんなことは、分かっているッ!」

 側近の報告を、苛立ちを抑えきれないマルロスははねのけた。
 体内魔力が上昇している、と言っていたが、彼は恐らくベッドの下の魔法陣について言及しているのだろう。その証拠に、先ほどまで静かな青色だった魔法陣は、今は怒り狂う紅蓮の如く激しい赤色に変わっている。
 かつてマルロスは、コックル村を訪問した際、魔力を身体に付与し続けると超常的な負荷がかかり、死に至ってしまうと言っていた。まさに今、何らかの要因で王の体内の魔力が増加し、危険な状態になっているのではないかと、エレリアは瞬時に推測した。

「国王様! 私です! マルロスです! お願いですから、目をお開けください! 国王様!」
「アァ……、アァ……」

 必死にマルロスは王の意識を呼び戻すように激しく身体を揺さぶるが、もはや王は眠れる狂人と化してしまっていた。いくら呼びかけても王は苦しみに喘ぐばかりで、閉じたその目を開けてくれない。
 まるで、王の体内で何かが暴れているかのようにも見える。だが、周囲の兵士は原因不明の王の急変にうろたえるばかりで、動くことができずにいた。
 それでも、マルロスは叫び続けた。

「国王様ぁ!!」
「グアアアアアアアアッッッ!!!!!!」
「っ!?」

 それは、王の口から発せられた、王ならざる者の断末魔だった。

「あぁ!!」

 そして、王が勢いよく立ち上がったと同時に、彼の身体が激しく燃え上がった。

「ガアアアアアアアアアッッッ!!!」
「国王様っ……!? こ、これは一体……」

 容赦なく青い炎に包まれるスカースレット王。
 その様子に、兵士たちのみならず兵士長のマルロスですら驚愕のあまり言葉を失っていた。
 邪悪な青い炎はごうごうと燃え盛り、火だるま状態の王は絶叫しながら、今すぐにでも灼熱の衣を引き剥がそうと激しくのたうち回った。
 
「……は、早く! 早く、火を消さんか!」

 そして、マルロスはふいに我に返った瞬間、急いで側近の兵士に命令した。

「は、はい! サナプラ!」

 戸惑いながらも側近の兵士は手にしていた杖で、すぐさま水属性の魔法『サナプラ』を唱えた。
 すると、震える杖先から生み出された流水によって王の身体に発火していた炎は見事にすべて鎮火され、水は黒い水蒸気となり音を立てて一気に蒸発した。

「うぅ……」
「国王様!!」

 そのままバランスを失い倒れ込もうとする王を、急いで駆け寄ったマルロスが受け止めた。全身に激しい火傷を負いながらも、なんとか意識はあるようで、命に別状はないようだった。
 するとその時、王の頭上の空間に、禍々しい黒いシミのような何かがうごめいているのをエレリアは発見した。そして、それは次第に物体として存在感を強めていき、その瞬間、確信したのだった。

「ねぇ、ソウヤ、見て! あれ! あの黒いやつが夢魔の正体なんじゃないの!?」
「あぁ!? あれって、どれだよ! 分かんねぇよ!」
「だから、あれだって!」

 目を凝らすソウヤのために、エレリアは不気味に浮遊する謎の物体を指差しながら、彼からの共感を求めた。しかし、いくら説明しても、ソウヤは「そんなやつ、どこにいるんだよ!」と叫ぶばかりで、エレリアの言及を信じてくれなかった。
 それどころか、周囲の兵士たちも王の容態に釘付けになっているのか、はたまた初めから気づいていないのか、誰も宙に浮いている黒い魔物のような存在について何も気にしていないようだった。

「なんで? みんなには見えてないの?!」

 確かに、この目ではっきり見えているのだ。何度も何度も目をこすっても、くっきりと確認できる。
 いきなり燃え上がった王の身体から湧き出し、ポツンと空間に穴が空いているかのように黒くて、邪悪な気配を漂わせている謎の物体。それはどこか生物のようにも見え、やけに軽やかな動きで宙を彷徨っている。
 しかし、自分以外の人々にはあの物体が見えていないようで、その事実にエレリアはますます困惑してしまった。いま、見えているのは何かの幻影なのか。
 そもそも、なぜ自分だけ奴を認識できるのか。
 ただ、そうこうしているうちに、黒い物体はこの場から逃げるように部屋の窓に向かって、宙を這いずるように動き出した。

「ちょっと、逃げちゃう!」

 ここで、迷っている暇などなかった。
 あれは今まで王を苦しめていた夢魔に違いない。
 エレリアはとっさの判断でそう確信し、次の瞬間には腰に提げていた剣を鞘から抜き、駆け出していた。
 そして、力強く地を蹴り、夢魔とおぼしき物体に飛びかかった。

「……キェ!?」

 誰も自分を認識できないはずだと思い込んでいたであろうその漆黒の物体は、いきなりエレリアが襲いかかってきたことに、ひどく驚いた様子だった。
 焦りながらも紙一重の差でエレリアの斬撃をかわしたものの、思わずその衝動で自身の正体を実体化してしまった。

「んん!? 何だ、あれは!?」

 何もない空虚を切り裂いたエレリアの奇行に人々は思わず呆然としていたが、夢魔らしき物体が驚いて正体を明かしたことによって、この時ようやく部屋にいた全員は謎の黒い魔物の存在に気づくことができた。
 対して、その夢魔らしき物体は自身が犯した失態に恥じたのか、急いで逃げるようにして動き始めた。

「くっ、逃さんッ!!」

 だが、マルロスはそんな敵の逃走を許さなかった。
 瞬時の反射神経で剣を握り、そのまま天井スレスレまて天高く飛び上がった。

「生きて帰れると思うな、忌々しき反逆者めッ!! 」

 そして、マルロスは聖なる灼熱を刃に纏わせると、室内だろうと躊躇することなく、溢れんばかりの怒りを込めて渾身の一撃を敵に向かって振るった。それは、かつてのダンテがメノーに立ち向かっていく姿を連想させるかのような勇姿そのものだった。
 直後、激しく粉砕された瓦礫と粉塵と共に、部屋をまるごと吹き飛ばかねない程の衝撃波が吹き荒れた。

「……っ!! む、夢魔は!?」

 容赦なく吹き付ける暴風と轟音を必死に耐えながら、エレリアは目を細めて夢魔の行方を探った。
 そして数秒後、衝撃波が止み次第に晴れ渡っていく視界には、閉ざされた部屋の中にいたはずなのに、今すぐ城下町へ飛び立てるような絶景が目の前に広がっていた。
 そう、マルロスが先の一撃で敵を壁ごと吹き飛ばしたせいで、なんと部屋に大穴が空いていたのだ。パラパラと木くずが落ちる大きな穴からは涼しい午後の風が室内に吹き抜け、一歩でも誤って足を滑らせば重力に引っ張られるがまま、遥か下の大地に叩きつけられてしまうような状態だった。
 しかし、今は勢い余って王室を半壊させてしまった事実に反省しているような事態ではなかった。
 王に取り憑いていた夢魔はどうなったか。あの一撃で無事に倒すことができたか。
 部屋にいた誰もが急いで大穴に集まり、周囲を見回した。

「あっ、あそこ!」

 すると、いきなりミサが空のある点を指さした。
 そこには、なんとフラフラと東に向かって飛行している瀕死状態の夢魔の姿があった。しかし、奴はすでに城からだいぶ離れた地点を浮遊しており、鳥でもない限りこれ以上の追跡は不可能だった。

「待てェ!!」

 それでも、マルロスは遥か彼方の空を飛んでいる敵に飛びかかる勢いで、自身も飛び立たんといわんばかりの体勢をとった。

「お待ち下さい、マルロス様!! さすがに、これ以上は危険です!」

 ただ、側近の兵士たちから全力で制止され、あえなくマルロスの夢魔討伐という目的は先延ばしになってしまった。
 その隙に、夢魔は空から降り注ぐ日の光に溶けるようにして、完全にその行方をくらましてしまった。

「チクショオォ!!」

 あと一歩のところで夢魔を倒すことができす、マルロスは激情に駆られるがまま、その悔しさと怒りを大空に向かって込めて叫んだ。
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