浄霊屋

猫じゃらし

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身代わりの雛 3

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 呪い。
 登坂が訥々とつとつと話す内容は、素人が単純に思い付いたようなものでなく、ちゃんとした背景があるものだった。

 その中心人物は登坂の祖母。


「小さい頃だけでなく、大人になってからもずいぶんと甘やかされたよ」


 登坂の祖母にとって、登坂はただひとりの孫だった。それゆえの溺愛。

 幼い頃はそれに甘え、良い意味でも悪い意味でも愛情いっぱい。
 登坂が成人し、仕事が安定した頃からは旅行に連れていったりと孝行をして返していた。
 いつまでも仲の良い、祖母と孫だった。


「でも、私がその当時付き合っていた彼女を紹介する時だけはいつも機嫌が悪かったな」


 登坂の両親曰く、ヤキモチだと。
 大事な孫を取られるのが嫌なのだと、一度こぼしていたことがあるらしい。
 その時は祖母自身も「大人気ない」と反省していたようだ。

 その後、祖母のことは関係なく何人かの女の子と付き合って別れをし、登坂は今の妻と出会った。


「祖母に紹介したのは結婚の時。いつも彼女を紹介すると機嫌を損ねるから、後回しにしちゃって」


 そして案の定、というより予想以上に、登坂の妻に嫌悪感を表した。


「あんな剣幕の祖母を見たのは初めてだった。結婚をやめろの一点張り。全然話にならなくて、私も我慢できなくなって……」


 祖母とは仲違いのまま、結婚をした。

 もちろん、そのままではよくないと登坂の妻も歩み寄ろうとしたのだが、その際には血相を変えて追い返された。
 何度も繰り返され、登坂の妻も諦めた。


「ほぼ絶縁に近かったな。会えば『離婚しなさい』だったから。でも、娘が生まれたことだけはちゃんと教えたくて……電話でだけど」


 電話口での祖母はしばらく黙ったあとに「わかった。おめでとう」と言ってくれた。
 どんな気持ちだったかはわからない。けれど、その「わかった」には結婚をようやく認めてくれたのではないかと思った。

 だが、それからも祖母とは疎遠だった。
 たまに娘の写真を両親伝手に渡しても、直接会うことはなかった。


「でもある日、祖母から大きな荷物が届いたんだよ。それがあのひな人形」


 孫のためにと、初めての贈り物。
 そこに添えられた手紙には、見慣れた祖母の字。登坂や家族の体調を気遣い、元気で過ごしなさいと。

 しかし、最後に。


「どんなことがあっても、毎年ひな人形を飾りなさい。そう書いてあったんだ」


 まるで、今の状況を予知していたような言葉。

 最初は意味が分からず気にしていなかったが、次第にその変化は現れる。


「……一度だけ祖母に電話で聞いたんだ。どういう意味で書いた? って」


 祖母の返答は「おばあちゃんが守ってあげるからね」だった。
 それが何を意味し、誰に対してなのか。
 わからないまま電話は切られた。

 その後は何度電話しても訳の分からない返答ばかりで、要領を得ず。

 祖母はその頃から、痴呆が進んでいたのだった。





「で、呪いだって?」


 夕飯時を過ぎて大学から戻った大智は、健から一連の出来事を聞いて苦虫を噛み潰したような顔をした。

 和室で、相変わらずひな壇を前にしている。


「飾り続けなきゃ、呪いが悪さをするんじゃないかって」

「すでにひな人形が壊れてるのに?」


 大智の顔は渋い。


「健はどう思うの?」

「わからん」

「今日はひな人形に異変あった?」

「ああ、そういえば女雛の首が落ちた。他のことのインパクトが大きすぎて忘れてた」

「ひぇ……」


 大智はひな壇を見上げた。
 女雛は首を戻され、変わらぬ表情で微笑んでいる。


「首が落ちた時、なんの気配も姿もなかった。見落としたかと思ったが、登坂さんの奥さんが原因なのかとも……」


 だが、そこにきて登坂の「呪い」の話だ。
 原因となりそうなものがあちこちにあり、健の思考はすっかり止まってしまっていた。


「とりあえず、登坂さんのばあさんに会おうと思う」

「そうなるよなぁ。どこに行くの? お墓?」

「死んでない。施設だ」


 大智は目をぱちくりさせた。
 その反応は先程、健も登坂にして見せた。

『最初で最後の贈り物』などと言っていたから、すっかりそうなのかと思いこんでいた。


「痴呆が進んでるらしい。だから、最後のということだ」

「あぁ、そういう……。話できるのかな」

「難しいかもと言っていた」


 施設はここからそう遠くない場所にあるらしく、登坂が明日、今日と同じく定時で上がって向かうことになっている。

 話ができなくとも、この件の中心人物が登坂の祖母かもしれない以上は、会わねばならない。


「……と、いうわけだから。大智、俺は寝る」

「えっ、脈絡」

「眠い。0時になったら起こしてくれ」

「俺も眠いんだけど!」

「どうせ電車とか講義で寝てんだろ。夜中にひとりになりたくなきゃ、ちょっと寝かせろ」

「むぅぅ……」


 頬を膨らませる大智を無視して、布団をかぶる。
 眠らないようにと横になっていなかったので、それだけで体が安らいだ。

 あっという間に意識は沈んでいく。


「そういえば、健が休みで乃井ちゃんが寂しがってたよ~」

「あっそ……」

「名前呼びなんて成長したよね。どういう心境の変化?」

「……俺を、受け入れてくれるから」


 すー、すー、と規則正しい寝息をたて、健は深く寝入った。
 大智が「マジ? 寝ぼけてる?」と問いただすも、起きることはなく。


「乃井ちゃん、やるなぁ」


 感心してそうこぼして、大智は微笑ましく頰を緩めた。




 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎




 登坂の祖母がいる施設は、車で20分ほどの所にあった。

 入り口を入ると顔馴染みらしい職員達に登坂は会釈して歩く。
 そのうちのひとり、快活そうな女性職員を見つけ、登坂は足を止めた。


「お世話になってます。祖母は部屋にいますか?」

「ああ、登坂さん! お仕事ご苦労さまです。お部屋にいますよ」


 イメージ通りの快活さで返ってきた。
 女性職員は忙しいのか、慌ただしく頭を下げて小走りで去っていった。
 はきはきとした声が、遠ざかりながら聞こえる。

「——今朝の。荷物はまとめてあるから、後ほどご家族に渡して……」

 その後ろをついて歩く、自覚のなさそうな老婆がひとり。
 とぼとぼと、虚ろな眼差しには光がない。


「健……」

「ここが最期の人もいる」


 大智は目を伏せた。

 高齢者の施設なのだ。
 ここで終わりを迎える者も、少なくはない。


「祖母の部屋は二階の突き当たりだよ」


 登坂について、階段を上る。
 途中で大智は老人に絡まれながらも、目的の部屋の前へと着く。

 こぢんまりとした一人部屋。
 ベッドの上で体を起こした登坂の祖母が、こちらを見た。


「いらっしゃい、こうちゃん。今日はお友達も一緒なのね」


 くしゃりと顔を崩して。

『康ちゃん』とは、登坂の名前の『康二こうじ』からだという。


「私のことは認識しているけど、小学生くらいの記憶で止まってるみたいなんだ」

「でも、認識はしてるんですね」

「一応はね。……あぁ、ばあちゃんお菓子はいいから。危ないから、ベッドから乗り出さないで」


 ベッドから上半身を乗り出す登坂の祖母。
 それを登坂が止め、支えると嬉しそうにベッドに座り直した。

 疎遠になっていたとは思えないほどに、そこにはほほえましい姿があった。


「ばあちゃん、こちらは仁科君と長谷君だよ。ばあちゃんに聞きたい事があって会いにきたんだ」

「あらあら、そうなの。聞きたいことって何かしら?」


 紹介を受けたので挨拶しようと思ったが、登坂の祖母はそれを求めてはいなかった。
 登坂同様、健と大智も小学生に見えているらしい。

 優しい眼差しは、小さな子に向けるものに見える。


「えっと……どうしよう、健」

「ひな人形のことについてお伺いしたいんですが」

「ちょ、単刀直入すぎない?」


 戸惑う大智をよそに、登坂の祖母の表情が硬くなる。
 優しかった眼差しは氷のように冷たく、怯え始めた。


「あなた達、康ちゃんのおひな様にいたずらしたの?」

「い、いえ、俺たちいたずらなんて」

「壊したの? まさか、紙を抜いたの?」

「紙……?」


 ぴくり、と健が反応する。
 それに応えてか、登坂の祖母は今度は登坂に支えられたまま、ベッド横の床頭台の引き出しを開けた。
 中から、紙を取り出す。


「なに、ばあちゃん、これ……」


 それを見た登坂は、言葉を飲み込んだ。

 白い紙は人のような形をしており、真ん中に何か書いてある。
 登坂の祖母はそれを、登坂に握らせる。


「これが最後の一枚。足りなかったら、ここに連絡しなさい」


 もう一枚の紙も登坂に握らせようとしたが、登坂はそれを振り払った。
 ひらひらと落ちる紙は、小さなメモ。

 大智がそれを拾う。


「電話番号だ。……あれ、これ」

「なんだ?」


 健がメモを見ようとすると、登坂の低い声が空気を緊迫させた。
 部屋の外には人がいるので、声は抑えられている。


「ばあちゃん、どういうことだよ。なんで妻の名前が書いてある? この気持ち悪い紙は、なんなんだよ」

「あなたを守るもの。大事なもの」

「守るって何から? まさか、本当に呪いなんかかけてるんじゃないよな」

「康ちゃんを守るものよ。それがなきゃ、あなた達は……」

「もういい!!」


 登坂の怒声に、登坂の祖母は目を見張った。

 しかしすぐに無表情になり、窓の外を眺める。
 今までのやりとりなどなかったかのように、まるで登坂などそこにはいないように。


「……帰ろう、仁科君。長谷君。」


 登坂は静かに言うと、部屋を出ていった。
 困惑しながらも大智がそれに続き、健もそうしようとしたが、ふと気になって窓の外を見てみた。

 下は駐車場になっている。
 ちょうどひと家族が荷物を詰め込み、車に乗り込むところだった。
 その後ろをとぼとぼと歩く老婆が、こちらを振り向いた。


「……ばいばい」


 登坂の祖母がぽつりとつぶやく。
 小さく手を振ると、駐車場の老婆も同じく返した。
 先ほど・・・・見た時は虚ろな眼差しだったが、今は光が宿っていた。
 家族と共に、帰るのだ。


「……視えるのか」


 登坂の祖母が、登坂の妻を拒絶した理由がわかった。
 健でさえも会った時は背筋が凍ったのだ。あれは、異常だった。

 そして、また新たに出てきた謎。

 人のような形の、名前の書かれた紙。
 電話番号の書かれたメモ。

 登坂の祖母は「紙を抜いた」と言った。
 おそらくひな人形に仕込まれている。それを探さなければいけない。
 メモの方は、大智が心当たりがあるようだった。それも確認しなければいけない。

 やることが多い。


 健は登坂の祖母に頭を下げて、先を行く二人の後を追って部屋を出た。



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