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第五話 シアラはよくわかっていない。

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「はいシアラ、あーん」

「あーん」

 わたしはおにいさまに言われるがままに口を開いて、舌の上に置かれたカニクリームコロッケをもぐもぐと咀嚼した。
 お弁当なのに、カニクリームコロッケの衣はすっごくサクサクしてる。サクリと歯を立てると、中からとろ~りと優しい味わいのホワイトソースとカニの旨味が口いっぱいに広がる。

「おいしぃ~!」

 わたしはその美味しさにほっぺを両手で挟んで満面の笑みを浮かべた。
 美味しいものを食べて、幸せな気持ちに満たされている間も、おにいさまはフォークでおかずを刺して、次をわたしの口元に運んでくれる。

「シノア、あーん」

「あーん」

 そうしておにいさまは今度は真っ赤なプチトマトをわたしの口の中に放り込んだ。うん、甘酸っぱくて美味しい!

 いつも、お昼ご飯はおにいさまと一緒にこの秘密の穴場でしており、おにいさまは毎回わたしに手ずからお弁当を食べさせてくれる。
 けど、そうしているとおにいさまの食べる時間がなくなっちゃうから断ったことがあったけど、その時のおにいさまはまるでこの世の終わりのような顔をして落ち込んでしまったから、以来何も言わずに差し出されるご飯を大人しく食べることにしている。
 おにいさまの中ではわたしはいつまで経っても小さな子供のようで、おにいさまはこうやってことあるごとにわたしのお世話をしたがるのだ。おししょー様の元にいた頃も、おにいさまは何かとわたしの身の回りの世話を焼いて、おししょー様に「お前はシアラを甘やかしすぎだ」と呆れられていた。
 おにいさまが楽しいのならわたしは構わないけど、今日はラリオ様たちに時間を取られちゃったから、このままのペースで食べてたらおにいさまの食べる時間がなくなっちゃう。
 そう考えたわたしは、すっかり役目を奪われてしまった自分のカトラリーを取り出して、お弁当の中からうずらのゆで卵を選び、フォークで刺しておにいさまの口へと運んだ。

「おにいさまも、あーん」

「いや、俺は──」

「あーん」

 食べさせるのは平気なのに、自分が食べさせられる立場になると恥ずかしいのか、おにいさまはうずらのゆで卵を見つめて、戸惑っていた。
 そこにゆで卵を唇に押しつけてもう一押しすると、おにいさまも折れてはむっとゆで卵を食べてくれた。

「美味しいでしょ?」

「ああ、塩加減が程いいな」

 喉仏を動かして嚥下しきったおにいさまが頷いて言った。
 わたしはそのまま今度はお花の形をした人参をおにいさまの口へと差し出した。

 あまり効率がいいとは言えないやり方で食事を続けたから、食べ終わったのはお昼休みが終わる十分前を切った頃だった。

「ごちそーさまでした!」
「ごちそうさまでした」

 二人で手を合わせてお弁当箱を片付けると、わたしは大きく背伸びをして足をぷらぷらさせた。
 それから、おにいさまと何のお話をしようか考える。

 お昼休みはおにいさまとお昼ご飯を食べてから、予鈴が鳴るまでお喋りをするのが日課になっている。
 この秘密の穴場は学園の裏庭の木々に囲まれた見えにくい場所に合って、あまり広くはないけれどぽかんと開けていて少し秘密基地みたいな感じがある。ここはおにいさまが入学した時に見つけたらしく、今座っているベンチはおにいさまがこっそりと魔法で作ったもののようだ。
 教室や食堂とかの人目のある場所では、貴族のお嬢様らしく振る舞わなくちゃいけないから、こんな風に足をぷらぷらさせることも出来ない。
 濃霧山にいた頃、おししょー様は厳しかったけど、お勉強の時以外は自由にさせてくれていた。山の中で育ったわたしには今の生活は少し窮屈だ。
 だから、こんな風にのびのび出来る場所があるのはすごく嬉しい。

「シアラ、さっきのことだが──」

「さっき? ああ、ラリオ様のことですか?」

 今日は珍しくおにいさまの方から話題を振られた。
 おにいさまは難しい顔をしていて、あまり楽しいお話ではなさそうだったけど、わたしは黙っておにいさまの言葉に耳を傾ける。

「そうだ。シアラにも思うところはあるかもしれないが、シアラは何も気にしなくていい。婚約破棄についてはアンジェラ男爵たちに任せておきなさい。だが、もしかしたらルータス公爵がシアラに何か言ってくるかもしれない。その時は「わたしでは分かりかねますので、父にご相談ください」と言っておきなさい。その後、アンジェラ男爵や俺に報告すること。わかった?」

「「わたしでは分かりかねますので、父にご相談ください」──はい、分かりました!」

 リノン様と違い、おにいさまは分かりやすくゆっくりと言ってくれたので、今回はちゃんと復唱して暗記することが出来た。
 わたしが台詞を繰り返すと、おにいさまは「よく出来ました」と頭を撫でてくれたので、わたしはもっととぐりぐり頭をおにいさまの手に擦りつけた。

「大丈夫、すぐに終わるだろうし、終わらせるから」

「──うん」

 優しく抱き締めてくれたおにいさまの声は、さっきみたいに少し低かった。どうやら、まだ怒っているらしい。
 正直、わたしはおにいさまが怒っている理由がよく分からない。
 婚約破棄ってそんなに怒ることなのかな? 確かにいきなりでびっくりしたけど、もう面倒くさいお勉強しなくていいってことだし、授業が減る分おにいさまと遊ぶ時間だって増えると思うんだけど──。

 その後、おにいさまが今日あったことはおにいさまからお父様たちに説明してくれると言ってくれたので、一緒に帰ることになった。
 学園に通い初めてから、おにいさまがおうちに来るのはゆっくり出来る休日ばかりだったし、お城とわたしのおうちの方向は違うから、一緒に帰るのは入学式の時以来だ。

 ──あまり事態を理解していなかったわたしは、この時はただおにいさまと一緒に帰れるのが嬉しくて、早く放課後にならないかなーっとわくわくしていたのであった。
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