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ライの背中
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「返してください」
私は手を差し出してライにスケッチブックの返却を求めました。
「答えろよ。この外宇宙の怪物みたいな訳の分からない絵はお前が描いたの?」
怪物・・・・・・私もかなり酷いことを言いましたが、自分が描いた絵を怪物と評されたフォルテの心の傷は察するにあまりあるもので、頭に大きな石が降ってきたような顔をしております。
ライはスケッチブックをひらひらさせて、馬鹿にする気満々の様子で、このまま正直にフォルテのだと言ってしまえば何を言われるかわかりません。なので。
「誰のものでもいいでしょう。貴方には関係ないことです。返してください」
嘘は苦手で見破られる可能性があるので、どちらともとれる言い方をしました。とりあえず、スケッチブックの回収が最優先です。
「なんだ。お前にも苦手なものがあったんだな。いやー、にしてもこれは酷いぞ? 線はがったがただし、太さもまちまち。色使いは悪くないが、とにかく形がまるで駄目だ。よくもまぁ、ここまで下手な絵が描けるなぁ」
ライは私の弱点を見つけたことがいたく嬉しいらしく、何度もスケッチブックをぱらぱらと捲っては、あれが駄目、ここが悪いと隅から隅まで酷評してきます。
これで実際にショックを受けているのはフォルテのため、もういっそのこと、ライの口に手持ちの鉛筆全部突っ込んででも黙らせた方がいいのではという考えが頭を過った時。
「それを描いたのは俺だよ」
落ち込んでいた筈のフォルテがスケッチブックを持つライの手を掴み、自己申告しました。
現れたフォルテを胡乱な目で見ると、眉間に皺を寄せて舌打ちしました。
「チッ、お前何?」
「エレインの同級生のフォルテ・シルベールだよ。ライ・ヴェクオール君」
名前を姓名で呼ばれたライは不機嫌そうにフォルテの手を払うと、私とフォルテを交互に見て勘繰ったような目をして言いました。
「ああ、何? ひょっとしてエレインの彼氏? 何だ。俺にうるさく注意しておいて、自分もやることやってるんじゃん」
「フォルテは大事な友達です! そういう品のない疑いを掛けるのは止めてください!」
聞き捨てならない言葉に反射的に反論する。
ライは自分がそうだからかは分かりませんが、私とフォルテの仲を疑っているそうで、まるで醜聞好きの新聞記者のように好奇心に瞳を輝かせてあれこれ詮索してきます。
「口では何とでも否定出来るだろ。別にいいんだぞ? お前が他の男と何していようがどうでもいいし、むしろあのエレイン・カロミナが人目を忍んで男に逢っているって事実だけで笑えるからな」
ライの表情は活き活きとしていて、とても楽しげでした。
嫌っているとは言え、仮にも婚約者が他の男と密会していると思っているのに、こんな表情が浮かぶものなのでしょうか? むしろ、ライの場合は自分のことを棚上げして嫌悪しそうにも思えますが。
とは言え、目の前のライの顔が全てなのでしょう。
にやにやと笑っているライの興味が私からフォルテへ移ったようで、スケッチブックの絵を見せながらライは尋ねます。
「シルベールとか言ったか? これ、お前が描いたの?」
「そうだよ」
「ははっ、下手すぎだろ。まだ猿の方が上手いんじゃねぇの? こんな絵を女に見られるとか、俺なら恥ずかしすぎて川に飛び込んでいるね」
「うん。婚約者がいるくせに誰彼構わず女の子を侍らせている君は充分恥ずかしい存在だから、川で頭を冷やしてくることをおすすめするよ」
「あ?」
「ふぉ、フォルテ・・・・・・」
私は密かに驚きました。
まさか、人当たりのいいフォルテがそんなことを言うなんて。
言葉とは裏腹ににこにこしているフォルテと反比例して、ライの機嫌が急降下していくのがわかりました。
「喧嘩売ってんの? なら買うけど。お前、ガタイはいいけど、どうせひ弱なお坊ちゃんだろ。俺に敵うと思ってんの?」
ライはすっかり喧嘩腰で、今にも手が出そうな雰囲気でした。
ユイナがライが喧嘩をしている噂があると言っていましたが、この慣れた様子から恐らくそれは事実なのでしょう。
「ライ! 馬鹿なこと言わないでください! そんなことしたら停学ですよ!」
学園内で喧嘩なんて有り得ません。そもそも暴力自体駄目です。
ここは貴族の子女が多く通う学園なこともあって、世間体をとても気にしていますし、そのため処罰も重いのです。
ライは停学の言葉にぴくりと反応しました。
理科の授業前の会話からしても、ご両親に学園での素行を知られたくないのでしょう。停学になれば一発でバレてしまいますから。
ライはまた舌打ちをすると、フォルテを睨みつけていた視線を逸らし、つまらなそうに足元の小石を蹴飛ばしました。
「ま、いいや。顔は覚えたし、今日は勘弁してやるよ。それとエレイン」
「はい?」
「お前も絵、描くの?」
私の持っているスケッチブックを見て、ライが尋ねます。
はて? ライの目には何やら期待のようなものが浮かんでいる気が・・・・・・。
ライがどんな返答を望んでいるのかわかりませんが、隠す程のものでもないので、正直に答えました。
「理科の授業の宿題なので。ええ、まぁ」
「ふぅん? ひょっとしてこいつ並みに下手だったりする?」
指出されたフォルテが青い顔をしています。
私も返答に詰まりました。フォルテを基準にされるのはちょっと──かといって、この場でフォルテよりは上手ですというのも──。
「エレインは上手いよ。美術の授業でも先生に褒められていたし」
「そんな。普通ですよ、普通くらいです」
代わりにフォルテが答えてくれましたが、上手と言われるのもこそばゆく、それに私より上手な人はたくさんいるので、私の絵はあくまで普通くらいです。
「エレインは上手だよ。それに上手ってことにしてくれないと、俺の絵は一体──」
「あ、ああ、ごめんなさい!」
確かに上手だと思っている相手が普通だと言ったら、苦手な人は更に自分を卑下しちゃいますよね!? そんなつもりはなかったんです!
「違いますよ! それにフォルテの絵だって見方を変えたら前衛的に見え──」
「いや、この球体の集合体はただの下手だろ。前衛的に謝れ」
何とか慰めようとしたのに、ライにとどめを刺されてしまいました。
私は言い方が酷いとライに訴えようとしましたが、ライの瞳を見て何も言えなくなりました。
その時のライの瞳は──当たりと書かれた箱の中身が空っぽだったような、酷く失望した真っ暗な色をしていたのです。
「何だ、結局上手いのか・・・・・・」
ライがぽつりと何かを呟きましたが、声が小さすぎて聞き取れませんでした。
何と言ったのでしょう?
ライは急激に興味が失せたようにスケッチブックをフォルテに投げて返すと、踵を返し背を向けました。
「つまんね。帰る」
吐き捨てるようにそう言って、ライは歩き去って行きました。
そういえば、いつだってライは私より先に立ち去ってしまいますね。
いつも私はライの背中を見ている気がします。引き留めたことなんて一度もない。どんな声を掛けたらいいのかすら分からないのですから──。
私は手を差し出してライにスケッチブックの返却を求めました。
「答えろよ。この外宇宙の怪物みたいな訳の分からない絵はお前が描いたの?」
怪物・・・・・・私もかなり酷いことを言いましたが、自分が描いた絵を怪物と評されたフォルテの心の傷は察するにあまりあるもので、頭に大きな石が降ってきたような顔をしております。
ライはスケッチブックをひらひらさせて、馬鹿にする気満々の様子で、このまま正直にフォルテのだと言ってしまえば何を言われるかわかりません。なので。
「誰のものでもいいでしょう。貴方には関係ないことです。返してください」
嘘は苦手で見破られる可能性があるので、どちらともとれる言い方をしました。とりあえず、スケッチブックの回収が最優先です。
「なんだ。お前にも苦手なものがあったんだな。いやー、にしてもこれは酷いぞ? 線はがったがただし、太さもまちまち。色使いは悪くないが、とにかく形がまるで駄目だ。よくもまぁ、ここまで下手な絵が描けるなぁ」
ライは私の弱点を見つけたことがいたく嬉しいらしく、何度もスケッチブックをぱらぱらと捲っては、あれが駄目、ここが悪いと隅から隅まで酷評してきます。
これで実際にショックを受けているのはフォルテのため、もういっそのこと、ライの口に手持ちの鉛筆全部突っ込んででも黙らせた方がいいのではという考えが頭を過った時。
「それを描いたのは俺だよ」
落ち込んでいた筈のフォルテがスケッチブックを持つライの手を掴み、自己申告しました。
現れたフォルテを胡乱な目で見ると、眉間に皺を寄せて舌打ちしました。
「チッ、お前何?」
「エレインの同級生のフォルテ・シルベールだよ。ライ・ヴェクオール君」
名前を姓名で呼ばれたライは不機嫌そうにフォルテの手を払うと、私とフォルテを交互に見て勘繰ったような目をして言いました。
「ああ、何? ひょっとしてエレインの彼氏? 何だ。俺にうるさく注意しておいて、自分もやることやってるんじゃん」
「フォルテは大事な友達です! そういう品のない疑いを掛けるのは止めてください!」
聞き捨てならない言葉に反射的に反論する。
ライは自分がそうだからかは分かりませんが、私とフォルテの仲を疑っているそうで、まるで醜聞好きの新聞記者のように好奇心に瞳を輝かせてあれこれ詮索してきます。
「口では何とでも否定出来るだろ。別にいいんだぞ? お前が他の男と何していようがどうでもいいし、むしろあのエレイン・カロミナが人目を忍んで男に逢っているって事実だけで笑えるからな」
ライの表情は活き活きとしていて、とても楽しげでした。
嫌っているとは言え、仮にも婚約者が他の男と密会していると思っているのに、こんな表情が浮かぶものなのでしょうか? むしろ、ライの場合は自分のことを棚上げして嫌悪しそうにも思えますが。
とは言え、目の前のライの顔が全てなのでしょう。
にやにやと笑っているライの興味が私からフォルテへ移ったようで、スケッチブックの絵を見せながらライは尋ねます。
「シルベールとか言ったか? これ、お前が描いたの?」
「そうだよ」
「ははっ、下手すぎだろ。まだ猿の方が上手いんじゃねぇの? こんな絵を女に見られるとか、俺なら恥ずかしすぎて川に飛び込んでいるね」
「うん。婚約者がいるくせに誰彼構わず女の子を侍らせている君は充分恥ずかしい存在だから、川で頭を冷やしてくることをおすすめするよ」
「あ?」
「ふぉ、フォルテ・・・・・・」
私は密かに驚きました。
まさか、人当たりのいいフォルテがそんなことを言うなんて。
言葉とは裏腹ににこにこしているフォルテと反比例して、ライの機嫌が急降下していくのがわかりました。
「喧嘩売ってんの? なら買うけど。お前、ガタイはいいけど、どうせひ弱なお坊ちゃんだろ。俺に敵うと思ってんの?」
ライはすっかり喧嘩腰で、今にも手が出そうな雰囲気でした。
ユイナがライが喧嘩をしている噂があると言っていましたが、この慣れた様子から恐らくそれは事実なのでしょう。
「ライ! 馬鹿なこと言わないでください! そんなことしたら停学ですよ!」
学園内で喧嘩なんて有り得ません。そもそも暴力自体駄目です。
ここは貴族の子女が多く通う学園なこともあって、世間体をとても気にしていますし、そのため処罰も重いのです。
ライは停学の言葉にぴくりと反応しました。
理科の授業前の会話からしても、ご両親に学園での素行を知られたくないのでしょう。停学になれば一発でバレてしまいますから。
ライはまた舌打ちをすると、フォルテを睨みつけていた視線を逸らし、つまらなそうに足元の小石を蹴飛ばしました。
「ま、いいや。顔は覚えたし、今日は勘弁してやるよ。それとエレイン」
「はい?」
「お前も絵、描くの?」
私の持っているスケッチブックを見て、ライが尋ねます。
はて? ライの目には何やら期待のようなものが浮かんでいる気が・・・・・・。
ライがどんな返答を望んでいるのかわかりませんが、隠す程のものでもないので、正直に答えました。
「理科の授業の宿題なので。ええ、まぁ」
「ふぅん? ひょっとしてこいつ並みに下手だったりする?」
指出されたフォルテが青い顔をしています。
私も返答に詰まりました。フォルテを基準にされるのはちょっと──かといって、この場でフォルテよりは上手ですというのも──。
「エレインは上手いよ。美術の授業でも先生に褒められていたし」
「そんな。普通ですよ、普通くらいです」
代わりにフォルテが答えてくれましたが、上手と言われるのもこそばゆく、それに私より上手な人はたくさんいるので、私の絵はあくまで普通くらいです。
「エレインは上手だよ。それに上手ってことにしてくれないと、俺の絵は一体──」
「あ、ああ、ごめんなさい!」
確かに上手だと思っている相手が普通だと言ったら、苦手な人は更に自分を卑下しちゃいますよね!? そんなつもりはなかったんです!
「違いますよ! それにフォルテの絵だって見方を変えたら前衛的に見え──」
「いや、この球体の集合体はただの下手だろ。前衛的に謝れ」
何とか慰めようとしたのに、ライにとどめを刺されてしまいました。
私は言い方が酷いとライに訴えようとしましたが、ライの瞳を見て何も言えなくなりました。
その時のライの瞳は──当たりと書かれた箱の中身が空っぽだったような、酷く失望した真っ暗な色をしていたのです。
「何だ、結局上手いのか・・・・・・」
ライがぽつりと何かを呟きましたが、声が小さすぎて聞き取れませんでした。
何と言ったのでしょう?
ライは急激に興味が失せたようにスケッチブックをフォルテに投げて返すと、踵を返し背を向けました。
「つまんね。帰る」
吐き捨てるようにそう言って、ライは歩き去って行きました。
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