シャッフル・フィアンセ~こちらの方が快適なので、婚約破棄で構いません~

夢草 蝶

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第二十話 兄の友人

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「アウグスト様、こんにちは。来てらしたんですね。お兄様にご用ですか?」

「おかえりー。うん、まぁね。ちょっと暫く仕事が忙しくなりそうでさ。暫く来れないから、色々話しとこうと思って」

 にこやかに話す客人の名は、アウグスト・リーフィリア。
 細く柔らかな緑がかった亜麻色の髪を腰まで伸ばし、髪と同じ色の睫毛で縁取られた瞳は深緑の色をしている。体格は長身痩躯ながらも、柳のようなしなやかな強さを感じる佇まいの青年だ。
 そして、公爵家の中で唯一『植物』の魔力を継承するリーフィリア公爵家の令息でもある。
 リーフィリア公爵家は、あのエルツィア・リーフディウスの生家であるリーフディウス伯爵家の本家でもあり、ある意味、レティシアがアレックスに話したヘンゼルとの「色々」の原因でもある。
 とは言え、アウグスト自身は兄の友人であるため、レティシアとも親しい間柄だ。
 そんなアウグストは、レティシアの兄に会うためにちょくちょくソルシェ侯爵家を訪れていた。こうして顔を会わせるのはよくあることだ。

「それはそれは、お気をつけて。お怪我なきようお祈りします」

「ありがとう」

「・・・・・・あの、ところでお兄様のご様子はいかがでしたか? 今日はまだお兄様と顔を合わせてなくて」

 レティシアが訊ねる。
 平静を装っているように見えて、瞳がそわそわしている。
 レティシアにとって、アウグストと同い年の兄は家の中にいても外にいても気になる存在であり、常に心の片隅にある気掛かりでもあった。

「いつも通りだよ。俺には無反応だけれど、暫く来れない旨は伝えた。あいつは変わらないね」

 そう言うアウグストの表情は悲しげなような、悔しげなような色で滲んでいた。
 それはまるで、拭い去れない記憶の本のページを開いては心を痛めているようにレティシアには映った。
 兄の友人であるアウグストと友人の妹であるレティシアには重ねた時間がある。その上で互いが何を思って今を過ごしているかに思いを馳せることもある。とは言え、どちらもそれを口にはしないが。

「そうですか。私も後でお顔を伺いに行ってきます」

「うん。レティシアちゃんが見ててくれてるなら安心して行けるよ。あいつにはもう、レティシアちゃんの声しか届かないからね」

 刹那、レティシアの脳裏に炎に焼かれた光景が広がる。
 その記憶の中では誰かが叫んでおり、誰かが泣いていた。
 きっと生涯忘れ得ぬ光景を思い出せば心穏やかではないが、それでもレティシアは動揺を表に出すことはしない。

「・・・・・・そうですね」

 けれど、僅かに出来た一拍にアウグストは目敏く気づき、レティシアの無表情な仮面の下の心情を思い、「しまった」という顔をした。

「ごめんね。そういうつもりじゃ・・・・・・レティシアちゃんの声が届いてるだけでも俺は──」

「大丈夫です。分かっておりますから」

 何が、とは口に出さない。
 それは二人の間でもまだ全然癒えぬ傷であるということは分かっていたから。
 無理して取り繕ったような笑顔を浮かべるレティシアに、アウグストは胸が締めつけられるように痛んだが、これ以上言葉を重ねても余計に傷を抉ることになるのは分かっていたため、努めて明るい声で話題を変えることにした。

「うんうん! よろしくね! あ、そうだ。レティシアちゃんにも言っておこうと思ってたことがあったんだよ」

「何でしょう?」

には気をつけて」

 その声は酷く真剣だった。
 まるで一瞬でも目を離せば我が身目掛けて襲いかかってくる業火を扱う時のように真面目な瞳で、アウグストはレティシアの目を見て警告する。

「薬・・・・・・ですか? 何の薬に気をつければいいのでしょう」

 薬と一口に言っても種類は様々だ。傷薬や解熱剤は身近だし、医者に掛かれば処方される。まさかそこまでの範囲で警戒しろと言われてる訳ではないことはレティシアにも分かっていたが、アウグストが何の薬を差しているのかも分からなかった。
 レティシアに問い返され、アウグストは答えようと開きかけた唇を閉ざす。
 それから口元に手を当て、逡巡する素振りを見せると顔を上げて答えた。

「ごめん。今はまだ箝口令が敷かれているから詳細については答えられないんだ。けれど、一般の流通では間違いなく手に入らない。専門の売人がいるから、怪しい奴に気をつけてくれればいいから。何かあったらすぐに俺に連絡して」

「それはまた随分と穏やかではありませんね。暫く忙しくなるというのは、その件で?」

「うん。その元締めの捜索と殲滅の命を陛下から賜ったよ」

(捕縛ではなく殲滅令・・・・・・ということは、余程危険な薬物なんですね。陛下からの勅命で特務が動く程とは・・・・・・この国の裏側で何が起こっているのでしょう)

 レティシアは暗がりから見えざる黒い手が伸びてくるのを感じ、ぞっと背中に冷たいものが広がる心地がした。
 人の数だけ影が生まれる。その影で出来た闇の社会と薬の関係は根深い。そういったところで危険な薬物が売買され、時として無辜の民が悪人の餌食になっていることは知っていたが、こうやって知り合いの口から聞かされるとそれが遠い世界の話ではないことを強く実感した。
 薬効についても気にはなったが、アウグストが箝口令が敷かれていると言った以上、無関係な自分が知る術はないだろうと知ることは諦めた。

(けれど、特務が動くのであれば、すぐに解決するでしょうね)

 レティシアは不安を払い除けるように信頼の灯った視線をアウグストへ向ける。
 アウグストは王宮の中にあっても特別な特務と呼ばれる陛下直轄の部署に所属している。その特務は騎士団や警邏隊では手に余る国の危機を解決する命を陛下から受け、事態の解決に死力を尽くす優れた魔力持ちたちがいるところだ。
 かつてテスタライズ王国を襲った『キメラ軍隊』や『凋落の黄昏同盟』、『深淵事変』に『落天法陣事件』──そして国家存亡の危機に王手を掛けた『真紅の三日間』。それらを解決に導いた英雄的存在。
 そして、レティシアは彼らの実力を誰よりも知っていた。今回も彼らが必ず何とかしてくれるだろうという確固たる信頼がある。
 だから、日常は続く。そう信じているレティシアは笑ってアウグストへ向き合った。

「分かりました。薬の件、重々気をつけます。アウグスト様もご武運を」

「うん」

 この信頼を裏切ってはいけないとアウグストは思った。

(もう、戦えるのは俺しかいないんだから。レティシアちゃんを安心させるためにも、あいつらのためにも速攻片して朗報を土産にまたここに来よう)

 アウグストの脳裏に浮かぶのは在りし日の赤い夕日に浮かぶ三つの影。
 二度と実現しない景色を胸に、アウグストは戦場へ赴く。
 けれど、レティシアにその臭いを知って欲しくないアウグストはレティシアの前では笑って気楽に振る舞う。まるで日常の延長線上のように。

「じゃあ、俺はそろそろ行くよ。時間にうるさい同僚が出来てさ」

 その覚悟も惨劇も、無垢な少女に知られないように。

「はい。次のお越しをお待ちしております」

「うん。お土産持ってくるね」

 手を振って去ろうとするアウグストの背を見送ろうとした時、レティシアはふと昼のことを思い出し、アウグストの足を止めた。
 伝えるかどうか迷ったが、一応アウグストも全く無関係ではないから、言っておいた方がいいと思ったのだ。

「アウグスト様」

「何?」

 アウグストが振り返る。

「そう言えば、今日のお昼に学園でヘンゼル様にお会いしました」

「・・・・・・そう。どんな様子だった?」

「お変わりありませんでしたよ」

 エルツィア様の大樹に口づけておりました。とはアウグストには言わなかった。部外者のアレックスと違い、アウグストはエルツィアともヘンゼルともそれなりの交流があった。エルツィア亡き後も亡霊に心を捧げているヘンゼルのことを公爵家の人間としてアウグストがどう思っているのか分からないが、アウグストが初めて兄に会いに来た時の理由を考えれば現状を良しとしていることはないと思ったからだ。
 とは言え、変わりないと言うだけで大体伝わるだろうが。

 アウグストがその名を聞いて思い出すのは自分を「お兄様」と呼んでいた分家の少女の顔と、先日のとある一件。

(あいつにもいい加減一歩踏み込んで貰わないとランジュバル伯爵家の立場も危うくなるぞ)

 ヘンゼルは今は言わば、王命に逆らい続けている状態。それは王家からしてみれば喜ばしいことでは決してない。そして、王家から目をつけられれば他の貴族たちからの目も変わる。
 下手に婚約を進めれば自禍中毒の危険性があるのは分かっているが、いつまでもこのままにして置けないのも確かだ。
 先日、事を急いたランジュバル伯爵家の人間のやらかしとそれに対するヘンゼルの反応を思い出したアウグストは、ランジュバル伯爵家の未来を案じた。ヘンゼルの現状はかつての恋人の親族としても、貴族たちを牽引していく公爵家の人間としても放って置けない。

(とは言え、俺は悲しき公僕。任務が最優先だからなー。まぁ、帰ったらヘンゼルを飲みにでも誘ってやるか。俺もそこそこ嫌われてるけど、エルツィアの思い出話で釣ればくるだろ)

「教えてくれてありがとう。またね」

「はい」

 ヘンゼルをどうやって誘き出すかの奸計を張り巡らせながら、アウグストは爽やかな笑みでレティシアに挨拶をしてソルシェ侯爵邸を後にした。
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