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3.前提崩壊
つい先程まで寝ていたのか、ゆったりとした足取りで階段を降りてきて気の抜けるような挨拶をしたニベルによって、場は凍りついた。
「シルファにフェイクロズ夫妻、それからライアンお兄様、ご機嫌よう」
だが、ニベルは両親やフェイクロズ一家の様子など意に介さず、フェイクロズ一家に会釈をすると、ケインズ夫妻の隣に用意された自分の席に座った。
「──貴様に兄と呼ばれる筋合いはない」
「どうして?」
ことり、とニベルが首を傾げる。
その顔に浮かんだ表情は十七歳にしては幼げで、ふと、シルファは自分も幼い頃はこんな風に兄にわからないことを訊ねていたなと思い出した。
が、その態度がますますライアンを苛立たせたのだろう。
ガタリと大きな音を立てて椅子から立ち上がったライアンが向かいのニベルに掴み掛かろうとして、シルファは慌ててライアンの腰にしがみついて止めに入った。
「ライアンお兄様! ライアンお兄様っ! 落ち着いて下さい! 確かに殴ったらスカッとするかもしれませんが、問題の解決には繋がりません! ここは怒りを収めて下さい!」
「ライアン、落ち着け! 頭に血が上りやすいのがお前の悪いところだ。もう少し冷静になれ」
「シルファ! 父上! ですが──っ」
自身の腰と肩を押さえ、椅子に座らせようとするシルファとフェイクロズ伯爵に納得がいかないのか、ライアンは反論しようと声を荒げたが、尻切れトンボに黙り込み、ぐっと奥歯を噛み締めた。
「ライアン、座りなさい」
ずっと沈黙を貫き、様子を眺めているだけだったフェイクロズ夫人が厳しい声色で言った。
テーブルに阻まれ、ケインズ一家からは見えないが、フェイクロズ夫人の手はライアンの太腿の柔らかい部分をつねっていた。
その手に気づいたシルファは、兄が黙り込んだ理由が分かり、父と共に苦笑を浮かべた。
ライアンはまだ何か言いたげだったが、母にきろりと睨まれ、更にぐっと強くつねられたため、諦めたように席についた。
「失礼致しました」
「申し訳ない。お騒がせした」
「いや、元はと言えば、うちのニベルが撒いた種。ライアンの憤りは最もだ」
「まぁ、文字通り撒いたた──うぐっ!」
「ライアンお兄様!?」
半眼で何かを言おうとしたライアンの横っ腹にフェイクロズ夫人の容赦ない肘鉄が入った。
「いえ、何でもありません」
脇腹を押さえ、ぷるぷるしているにも関わらず、ライアンは心配無用とシルファに掌を向けた。
父とケインズ侯爵はそっと明後日の方向を向き、両夫人は目を伏せ、聞かぬ振りをしている光景にシルファだけが首を傾げた。
「ねぇねぇ、お父様、なんでわざわざフェイクロズ家の方々を呼んで話し合ってるの?」
「馬鹿者! お前が不始末をしでかしたからだろう!」
騒ぎの中心人物であるにも関わらず、ニベルは頬杖をついて他人事のようにケインズ侯爵に訊ねた。
そんな息子にケインズ侯爵は怒鳴りつける。
「不始末? 何のこと?」
この台詞に一番に言い返したのはシルファだ。
「ミレイン嬢のことに決まっているでしょう? どういうことですか? 妊娠って、妊娠って──別にニベル様がどこのご令嬢とどんな関係になろうとも、今更口を出す気は毛頭ありませんが、子供はダメでしょう!?」
最初は努めて冷静に喋ろうと思っていたシルファだったが、事実を口に出して反芻することで堪えられなくなり、最後には語気を荒げてしまった。
「ん? 何でダメなの? 個人の自由じゃない」
絶句。
空気が凍るどころか完全に死んだ。
言うに事欠いて、この男。何がダメなのと来た。
今度こそ、ライアンはキレた。せっかく取り換えてもらったティーカップは取っ手どころか全体的に粉々になった。
「ケインズ侯爵、すみません。お宅のご子息殴っていいですか?」
「正直、殴ってもいいと思うが、すまん、やめてくれ」
カラッカラに掠れた声で懇願され、ライアンはニベルを殴ることはしなかった。しなかった──が。
「ニーベールー! 貴様という奴はぁああああっ!!」
殴る代わりにニベルの胸倉を掴み、前後に激しく揺さぶった。
頼んだ通りに殴ってはいないので、ケインズ侯爵も何も言わなかった。
「どうしたの? ライアンお兄様ー」
「どうしたもこうしたもあるかぁあああ!! あと、お兄様って呼ぶんじゃねぇ──!!!!」
今の話の流れでニベルを庇おうと思うものはいなかった。
というか、ニベル自身残像が見えるレベルで揺さぶられているにも関わらず、相変わらずにこにこしている。どんな三半規管だ。
「貴様なぁ! 人の可愛い可愛い妹と婚約しておきながら、よその女を孕ませるとはどういう了見だ!? へらへら笑いやがって! 言い訳の一つでもしてみろ! 言い訳したら窓から放り投げるがな!」
「え?」
「は?」
目尻を吊り上げて、言い募るライアンの言葉に、ニベルが言ってる意味が分からないという顔を浮かべた。
思わぬ反応にライアンの手が止まる。
「何の話?」
「だから、ミレイン嬢との話に決まってるだろ!」
「何でミレインの話?」
「何でもくそもあるか!」
「ライアンお兄様、ごめん、言ってる意味が分からない」
? ? ? ? ? ? ?
全員の頭に疑問符が浮かんだ。
明らかにニベルとここにいる全員の中で何かの認識がズレている。
「えっと、ニベル様。今日私たちがこちらへ伺ったのは、先日ミレイン嬢がニベル様のお子を宿した件についての話し合いだってわかってますよね?」
まさか、と思いつつもシルファは恐る恐るニベルに訊ねた。
「そうなの?」
帰ってきた答えにシルファは脱力し、額をテーブルにくっつけた。
「当たり前でしょう? ニベル貴方何言ってるの? ミレイン嬢はどこの家のご令嬢なの? 家名は? そちらとも早くお話しなくては──」
「お母様。だから、その必要はないと思うよ? 放っといても関係ないし」
「関係ない?」
「うん」
シルファは顔中の筋肉をひきつらせ、聞き返すと、ニベルは事も無げに頷いた。
「待って待って。んんん? え、どういうことです?」
足りないピースがあることに気づいたものの、それが何か分からない。
シルファは思わず、頭を抱えた。
「ん? あー、そっか!」
混乱している両家の様子を観察したニベルが、晴れやかな顔で指を鳴らした。
「ニベル様?」
「そっかそっか。そういうことね。これ言ってなかったね。ミレイン嬢、別に妊娠してないと思うよ? もししてたとしても絶対に僕の子じゃないし」
「「「「「はぁっ!?」」」」」
話の齟齬に気づいたニベルが欠けていたピースの内容を提示し、両夫妻とシルファは固まった。
ようやく辻褄があったニベルはよかったよかったと笑っていたが、次の瞬間──
「それを一番先に言え──────!!!!!」
ライアンに今日一の雷を落とされた。
「シルファにフェイクロズ夫妻、それからライアンお兄様、ご機嫌よう」
だが、ニベルは両親やフェイクロズ一家の様子など意に介さず、フェイクロズ一家に会釈をすると、ケインズ夫妻の隣に用意された自分の席に座った。
「──貴様に兄と呼ばれる筋合いはない」
「どうして?」
ことり、とニベルが首を傾げる。
その顔に浮かんだ表情は十七歳にしては幼げで、ふと、シルファは自分も幼い頃はこんな風に兄にわからないことを訊ねていたなと思い出した。
が、その態度がますますライアンを苛立たせたのだろう。
ガタリと大きな音を立てて椅子から立ち上がったライアンが向かいのニベルに掴み掛かろうとして、シルファは慌ててライアンの腰にしがみついて止めに入った。
「ライアンお兄様! ライアンお兄様っ! 落ち着いて下さい! 確かに殴ったらスカッとするかもしれませんが、問題の解決には繋がりません! ここは怒りを収めて下さい!」
「ライアン、落ち着け! 頭に血が上りやすいのがお前の悪いところだ。もう少し冷静になれ」
「シルファ! 父上! ですが──っ」
自身の腰と肩を押さえ、椅子に座らせようとするシルファとフェイクロズ伯爵に納得がいかないのか、ライアンは反論しようと声を荒げたが、尻切れトンボに黙り込み、ぐっと奥歯を噛み締めた。
「ライアン、座りなさい」
ずっと沈黙を貫き、様子を眺めているだけだったフェイクロズ夫人が厳しい声色で言った。
テーブルに阻まれ、ケインズ一家からは見えないが、フェイクロズ夫人の手はライアンの太腿の柔らかい部分をつねっていた。
その手に気づいたシルファは、兄が黙り込んだ理由が分かり、父と共に苦笑を浮かべた。
ライアンはまだ何か言いたげだったが、母にきろりと睨まれ、更にぐっと強くつねられたため、諦めたように席についた。
「失礼致しました」
「申し訳ない。お騒がせした」
「いや、元はと言えば、うちのニベルが撒いた種。ライアンの憤りは最もだ」
「まぁ、文字通り撒いたた──うぐっ!」
「ライアンお兄様!?」
半眼で何かを言おうとしたライアンの横っ腹にフェイクロズ夫人の容赦ない肘鉄が入った。
「いえ、何でもありません」
脇腹を押さえ、ぷるぷるしているにも関わらず、ライアンは心配無用とシルファに掌を向けた。
父とケインズ侯爵はそっと明後日の方向を向き、両夫人は目を伏せ、聞かぬ振りをしている光景にシルファだけが首を傾げた。
「ねぇねぇ、お父様、なんでわざわざフェイクロズ家の方々を呼んで話し合ってるの?」
「馬鹿者! お前が不始末をしでかしたからだろう!」
騒ぎの中心人物であるにも関わらず、ニベルは頬杖をついて他人事のようにケインズ侯爵に訊ねた。
そんな息子にケインズ侯爵は怒鳴りつける。
「不始末? 何のこと?」
この台詞に一番に言い返したのはシルファだ。
「ミレイン嬢のことに決まっているでしょう? どういうことですか? 妊娠って、妊娠って──別にニベル様がどこのご令嬢とどんな関係になろうとも、今更口を出す気は毛頭ありませんが、子供はダメでしょう!?」
最初は努めて冷静に喋ろうと思っていたシルファだったが、事実を口に出して反芻することで堪えられなくなり、最後には語気を荒げてしまった。
「ん? 何でダメなの? 個人の自由じゃない」
絶句。
空気が凍るどころか完全に死んだ。
言うに事欠いて、この男。何がダメなのと来た。
今度こそ、ライアンはキレた。せっかく取り換えてもらったティーカップは取っ手どころか全体的に粉々になった。
「ケインズ侯爵、すみません。お宅のご子息殴っていいですか?」
「正直、殴ってもいいと思うが、すまん、やめてくれ」
カラッカラに掠れた声で懇願され、ライアンはニベルを殴ることはしなかった。しなかった──が。
「ニーベールー! 貴様という奴はぁああああっ!!」
殴る代わりにニベルの胸倉を掴み、前後に激しく揺さぶった。
頼んだ通りに殴ってはいないので、ケインズ侯爵も何も言わなかった。
「どうしたの? ライアンお兄様ー」
「どうしたもこうしたもあるかぁあああ!! あと、お兄様って呼ぶんじゃねぇ──!!!!」
今の話の流れでニベルを庇おうと思うものはいなかった。
というか、ニベル自身残像が見えるレベルで揺さぶられているにも関わらず、相変わらずにこにこしている。どんな三半規管だ。
「貴様なぁ! 人の可愛い可愛い妹と婚約しておきながら、よその女を孕ませるとはどういう了見だ!? へらへら笑いやがって! 言い訳の一つでもしてみろ! 言い訳したら窓から放り投げるがな!」
「え?」
「は?」
目尻を吊り上げて、言い募るライアンの言葉に、ニベルが言ってる意味が分からないという顔を浮かべた。
思わぬ反応にライアンの手が止まる。
「何の話?」
「だから、ミレイン嬢との話に決まってるだろ!」
「何でミレインの話?」
「何でもくそもあるか!」
「ライアンお兄様、ごめん、言ってる意味が分からない」
? ? ? ? ? ? ?
全員の頭に疑問符が浮かんだ。
明らかにニベルとここにいる全員の中で何かの認識がズレている。
「えっと、ニベル様。今日私たちがこちらへ伺ったのは、先日ミレイン嬢がニベル様のお子を宿した件についての話し合いだってわかってますよね?」
まさか、と思いつつもシルファは恐る恐るニベルに訊ねた。
「そうなの?」
帰ってきた答えにシルファは脱力し、額をテーブルにくっつけた。
「当たり前でしょう? ニベル貴方何言ってるの? ミレイン嬢はどこの家のご令嬢なの? 家名は? そちらとも早くお話しなくては──」
「お母様。だから、その必要はないと思うよ? 放っといても関係ないし」
「関係ない?」
「うん」
シルファは顔中の筋肉をひきつらせ、聞き返すと、ニベルは事も無げに頷いた。
「待って待って。んんん? え、どういうことです?」
足りないピースがあることに気づいたものの、それが何か分からない。
シルファは思わず、頭を抱えた。
「ん? あー、そっか!」
混乱している両家の様子を観察したニベルが、晴れやかな顔で指を鳴らした。
「ニベル様?」
「そっかそっか。そういうことね。これ言ってなかったね。ミレイン嬢、別に妊娠してないと思うよ? もししてたとしても絶対に僕の子じゃないし」
「「「「「はぁっ!?」」」」」
話の齟齬に気づいたニベルが欠けていたピースの内容を提示し、両夫妻とシルファは固まった。
ようやく辻褄があったニベルはよかったよかったと笑っていたが、次の瞬間──
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ライアンに今日一の雷を落とされた。
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