闘破蒼穹(とうはそうきゅう)

きりしま つかさ

文字の大きさ
994 / 1,458
1000

第1028話 火菩丹

しおりを挟む
広大な谷間は緑の蔭で覆われ、時折燃えるような赤い楓の木がアクセントを添えていた。

谷間の中心には赤色火山岩で造られた広場があり、その中央に十丈(約30メートル)にもなる石台が聳え立っていた。

周囲には多くの人影が集まり、ほとんどが赤い衣装を着ていたため、焚炎谷の弟子であることがすぐに判別できた。

広場の反対側には高さが少し高いプラットフォームがあり、そこから全体を見渡せる絶好の視点があった。

その上に背中を組んで立っている人影は、先ほど大殿で見たとされる薬煉師たちだった。

突然風切り音と共に四つの影が現れ、石台に軽々と降り立った。

唐震、赤い衣装の火の名を持つ女性、そして蕭炎と幻天(パンテン)という名の丹塔客卿長老である。

唐震の姿を見た瞬間、周囲の窃窃の声は自然と静まり返った。

「二人とも準備できましたか?」

唐震が視線を蕭炎と幻天に向けた。

「はい」両者が頷いた。

「私が今回作る薬は『火菩丹』という七品上級のもので、こちらに一部の薬方がある。

それぞれ一人ずつ受け取り、煉製時には分業してほしい」

唐震が手を振ると、二つの巻物が蕭炎と幻天へ飛んでいった。

二人はすぐに霊力で内容を読み取った。

約10分後、蕭炎の目を開いた瞬間、その薬方には一部しか記載されていなかった。

唐震が完全な薬方を共有しない意図も読み取れたが、七品丹薬の価値を考えれば当然のことだった。

「ただ一部でもこれだけ複雑なのに、完成形はどれほどだろうか……この薬煉は確かに上級だ」

「二人とも確認したか?」

唐震が微笑んだ。

「はい」両者が頷いた。

「この丹薬の煉製には時間がかかるため、準備不足で失敗するよう心掛けてほしい。

特に私が期待しているので……」

唐震の表情に重みがあった。

失敗すれば彼にとって重大な打撃になるからだ。

蕭炎と幻天は経験豊富な薬煉師としてその重要性を理解し、異論はなかった。



「老夫は煉薬師ではない。

魂魄の力を操る点では貴方たちほど正確ではないので、薬材の採取は私が担当するが、薬材同士の融合はお二人に頼むしかない」

唐震がそう言い終わると、石台の左右に指を向けた。

そこには二つの石座があった。

「問題ないなら、どうぞご入座あれ」

蕭炎と幻大師は目配せし合い、笑みを交わした。

瞬間、二人の姿が石座に現れ、蓮華座で静かに坐す。

唐震も足先で地面を軽く蹴り、反対側の石座に移動した。

紅衣の少女──火と呼ばれる存在を見やると、厳然とした声を出した。

「炎を練る間は誰一人として近づけぬよう」

「承知致しました」

火が頷きながら項垂れた。

彼女は一瞬だけ蕭炎の方に視線を向けたが、すぐに石台から降りて焚炎谷の弟子たちを指揮し始めた。

全ての準備が整い、唐震の表情が険しくなった。

袖を翻すと巨大な物体が現れた。

その重みで石台自体がわずかに揺らぐほどだった。

蕭炎と幻大師はその巨体を見つめ、同時に驚きの色を浮かべた。

それは丈一間にも及ぶ薬炉──山熔鼎(さんもうてい)であった。

赤銅色の炉身には噴火する火山が刻まれており、見る者の胸に迫るような狂暴な気配を放ち続けた。

蕭炎はその光景を見て、自身の万兽鼎と同等の品質であることを直感した。

「これは天鼎榜(てんていぼう)に載っているものだ。

唐谷主がそれを所有しているとは驚きです」

幻大師が羨望の眼差しで見つめる中、唐震は笑みを浮かべた。

「運良く出会っただけのことだ」

再び袖を振ると、無数の薬材が石台の上空に舞い上がった。

その数は少なくとも百種類以上──七品高級丹薬を作るのにふさわしい量だった。

薬材が現れた瞬間、辺り一面に濃厚な薔薇の香りが広がった。

これらは決して凡庸なものではなく、火菩丹(かぼだん)という難関を突破するためには必要不可欠だった。

唐震の表情はさらに険しくなり、掌で銀色の炎を生み出した。

その炎の中には九条の龍が蠢き、驚異的な威圧感を放ち続けた。

「幻大師、この薬を服用していただきたい。

これにより九龍雷罡火(りゅうこうらいかんは)との親和性が向上し、耐久時間を延ばせる」

唐震が銀色の錠剤を幻大師に投げた後、蕭炎の方を見やった。

「岩鴻(いこく)君は必要ないでしょう?」

萧炎は頷いた。

自身の魂魄には琉璃蓮心火(りゅうりれんしんか)が守護しているため、この異火もその効果を及ぼせなかったからだ。



見ると、唐震もまた笑みを浮かべ、指先で軽く弾いた。

銀色の炎が瞬時に飛び出し、山熔鼎(さんようてい)へと潜り込んだ。

すると「プ」っと音と共に熾烈な炎が立ち上がり、その中にあった九条の小火龍はたちまち成長し、薬炉の中をうろつきながら、銀色の炎を噴き出す。

「皆準備できたら始めよう」

薬炉内の銀色の炎を見つめる唐震の笑みは次第に消え、彼は重々しく言った。

その言葉が途切れた瞬間、彼の目から鋭い光が迸り、両手を広げると空を舞っていた薬材が連続して薬炉へと落ちた。

それらは途絶えることなく薬炉の中に投入され続けた。

これらの薬材が薬炉に入った直後、九条の火龍は低く唸りながら飛び込んで来て、一瞬で飲み込んだ。

すると彼らの体からはますます濃厚な炎が発せられるようになった。

唐震が薬材を精製し始めた頃、蕭炎と幻大師(げんだい)も慌てて心を整え、眉間から霊力が溢れ出し、それぞれの炎で守られたまま薬炉の中へと侵入した。

彼らの霊力が薬炉に入った瞬間、幻大師はほのかに顔を引きつける。

この九龍雷罡火(きゅうりょうらいごうか)は先ほどテストした時よりも遥かに強烈だったからだ。

幸い唐震が事前に与えた丹薬のお陰で、彼も長く耐えられるようになっていた。

「二位、最初の薬材の精製が終わりました。

融合はお任せします」

二人の霊力が薬炉に入った直後、唐震の声が突然耳に飛び込んできた。

その言葉を聞いた瞬間、蕭炎と幻大師は胸を締め付けられるような気持ちになった。

彼らの頭の中では薬方(やくほう)の一部が次々と浮かび上がり、手を動かす準備が始まった。

約20分後、薬炉内の九条火龍が突然体を震わせると、巨口を開いて銀色の炎と共に濃厚な薬香を噴き出した。

それらは薬材の精華であり、粉状や液体・固体など様々な形で薬炉の中に浮かんでいた。

「始めるぞ」

その精純な薬効が現れた直後、唐震の重い声が続いた。

その言葉を聞いた瞬間、蕭炎と幻大師は深く息を吸った。

それぞれの炎を駆使して薬方にあるべき薬液を探し出し、霊力で包み込むと、徐々にそれらを融合させ始めた。

彼らは老練な煉丹術者であり、経験豊富だったため、初めての協業にもかかわらず問題なく作業を進めていた。

唐震はその二人が無事だと見て安心し、すぐに新たな薬材を薬炉へと吸い込み、再び精製を始めた。

石台近くのプラットフォームでは、一団の煉丹術者が既に始まった煉丹作業に視線を向けた。

特に陌大師(ぼくたいし)は顔色が変わっていた。

彼は先ほどまで「蕭炎は異火のおかげだ」と言い続けていたが、現在の光景はまるでその言葉を否定するように迫っている。

彼自身がこの炎に耐えられるかどうかさえ疑わしかったからだ。

唐震の表情が再び緩み、彼は薬炉を見つめながら小さく笑んだ。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします。

樋口紗夕
恋愛
公爵令嬢ヘレーネは王立魔法学園の卒業パーティーで第三王子ジークベルトから婚約破棄を宣言される。 ジークベルトの真実の愛の相手、男爵令嬢ルーシアへの嫌がらせが原因だ。 国外追放を言い渡したジークベルトに、ヘレーネは眉一つ動かさずに答えた。 「国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします」

タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。

渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。 しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。 「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」 ※※※ 虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。 ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

追放されたS級清掃員、配信切り忘れで伝説になる 「ただのゴミ掃除」と言って神話級ドラゴンを消し飛ばしていたら世界中がパニックになってますが?

あとりえむ
ファンタジー
【5話ごとのサクッと読める構成です!】 世界を救ったのは、聖剣ではなく「洗剤」でした。 「君のやり方は古いんだよ」 不当な理由でS級クランを追放された、ベテラン清掃員・灰坂ソウジ(38歳)。 職を失った彼だったが、実は彼にはとんでもない秘密があった。 呪いのゴーグルのせいで、あらゆる怪物が「汚れ」にしか見えないのだ。 ・神話級ドラゴン  ⇒ 換気扇の頑固な油汚れ(洗剤で瞬殺) ・深淵の邪神  ⇒ トイレの配管詰まり(スッポンで解決) ・次元の裂け目  ⇒ 天井の雨漏りシミ(洗濯機で丸洗い) 「あー、ここ汚れてるな。チャチャッと落としておくか」 本人はただ業務として掃除をしているだけなのに、その姿は世界中で配信され、人類最強の英雄として崇められていく! 可愛い元ダンジョン・コアや、潔癖症の聖女も入社し、会社は今日も大忙し。 一方、彼を追放した元クランは、汚れ(モンスター)に埋もれて破滅寸前で……? 「地球が汚れてる? じゃあ、一回丸洗いしますか」 最強の清掃員が、モップ片手に世界をピカピカにする、痛快・勘違い無双ファンタジー! 【免責事項】 この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。 ※こちらの作品は、カクヨムと小説家になろうでも公開しています。

【完結】特別な力で国を守っていた〈防国姫〉の私、愚王と愚妹に王宮追放されたのでスパダリ従者と旅に出ます。一方で愚王と愚妹は破滅する模様

ともボン
ファンタジー
◎第17回ファンタジー小説大賞に応募しています。投票していただけると嬉しいです 【あらすじ】  カスケード王国には魔力水晶石と呼ばれる特殊な鉱物が国中に存在しており、その魔力水晶石に特別な魔力を流すことで〈魔素〉による疫病などを防いでいた特別な聖女がいた。  聖女の名前はアメリア・フィンドラル。  国民から〈防国姫〉と呼ばれて尊敬されていた、フィンドラル男爵家の長女としてこの世に生を受けた凛々しい女性だった。 「アメリア・フィンドラル、ちょうどいい機会だからここでお前との婚約を破棄する! いいか、これは現国王である僕ことアントン・カスケードがずっと前から決めていたことだ! だから異議は認めない!」  そんなアメリアは婚約者だった若き国王――アントン・カスケードに公衆の面前で一方的に婚約破棄されてしまう。  婚約破棄された理由は、アメリアの妹であったミーシャの策略だった。  ミーシャはアメリアと同じ〈防国姫〉になれる特別な魔力を発現させたことで、アントンを口説き落としてアメリアとの婚約を破棄させてしまう。  そしてミーシャに骨抜きにされたアントンは、アメリアに王宮からの追放処分を言い渡した。  これにはアメリアもすっかり呆れ、無駄な言い訳をせずに大人しく王宮から出て行った。  やがてアメリアは天才騎士と呼ばれていたリヒト・ジークウォルトを連れて〈放浪医師〉となることを決意する。 〈防国姫〉の任を解かれても、国民たちを守るために自分が持つ医術の知識を活かそうと考えたのだ。  一方、本物の知識と実力を持っていたアメリアを王宮から追放したことで、主核の魔力水晶石が致命的な誤作動を起こしてカスケード王国は未曽有の大災害に陥ってしまう。  普通の女性ならば「私と婚約破棄して王宮から追放した報いよ。ざまあ」と喜ぶだろう。  だが、誰よりも優しい心と気高い信念を持っていたアメリアは違った。  カスケード王国全土を襲った未曽有の大災害を鎮めるべく、すべての原因だったミーシャとアントンのいる王宮に、アメリアはリヒトを始めとして旅先で出会った弟子の少女や伝説の魔獣フェンリルと向かう。  些細な恨みよりも、〈防国姫〉と呼ばれた聖女の力で国を救うために――。

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

【完結】悪役令嬢ですが、断罪した側が先に壊れました

あめとおと
恋愛
三日後、私は断罪される。 そう理解したうえで、悪役令嬢アリアンナは今日も王国のために働いていた。 平民出身のヒロインの「善意」、 王太子の「優しさ」、 そしてそれらが生み出す無数の歪み。 感情論で壊されていく現実を、誰にも知られず修正してきたのは――“悪役”と呼ばれる彼女だった。 やがて訪れる断罪。婚約破棄。国外追放。 それでも彼女は泣かず、縋らず、弁明もしない。 なぜなら、間違っていたつもりは一度もないから。 これは、 「断罪される側」が最後まで正しかった物語。 そして、悪役令嬢が舞台を降りた“その後”に始まる、静かで確かな人生の物語。

処理中です...