国民の監察医(こくみんのかんさつい)

きりしま つかさ

文字の大きさ
115 / 776
0100

第0115話「解剖しないで」

しおりを挟む
「手錠をかけろ。

銃は投げ捨て、投げ捨てろ」魏振国の年齢もあって副交感神経が温明よりも早く反応したのか、近十メートルの距離で二つ身長差をつけられて焦りながら大声で叫んだ。

温明の血潮が上昇する中、老胡の腕を思い切り捻り上げた後、足で銃を蹴飛ばす。

手錠に手を伸ばす直前、背後の魏振国が迫ってきた。

「まず手錠だ。

まずは手錠だ」魏振国がカチリと二度鳴らし、老胡の背中に手錠を嵌め込んだ。

身体を返すと胸に穴が開いていた。

血がポタポタと垂れ落ち、息は出るより吸う方が困難な状態だった。

温明はまだ興奮状態で肘で老胡の首を強く押さえつけたまま「虎豹も引き裂けるわ」という気概を見せていた。

「死んでるぞ、手放せ!手放せ!」

魏振国がその太い腕に思い切り掌底を叩きつけて温明を起こした。

この緊迫の瞬間は受験試験の最終分前と似ている。

自分の名前が書かれていないことに気づいたり、解答用紙をコピーしてしまったことに気付いたりするあの焦燥感だ。

教師が八割方確実に回収するという状況で、まず何から手をつけるべきか。

温明・魏振国・江遠の三人にとって今こそ決断が必要だった。

牧志洋は二発の銃弾を受けたことで大量出血と恐怖心が重なり意識を失っていた。

「止血に当てる。

動かないように。

すぐ来る」江遠がポケットから二巻分の包帯を取り出し、牧志洋の肩に強く巻き付け始めた。

その隙に傷口を見ると左腕内側の大半の肉片が引きちぎられていた。

「よし」と安堵したのは江遠だった。

もし二センチ左だったら牧志洋は即死だったのだ。

今は皮膚と筋肉の損傷程度だ。

最初の増援部隊として駆けつけたのは警察官。

二人の銃剣隊員が二百三十メートル先から走ってきたが、周囲に立っている人物を見つけることもなく心臓を締め付けられるような感覚になった。

弾倉を装填する音がカチリと鳴った。

「安全装置を外せ。

終わったぞ。

犯人は銃創だ」魏振国は二人の警察官が誤射する可能性を危惧し声をかけた後、無線機に報告した。

「撃ち止めました。

犯首は銃創で倒れています。

牧志洋も一発追加されました。

救急車を呼びます」

「もう一発?」

無線の向こう側で黄強民の心臓が胸元に戻り、そのまま頭頂部三寸上まで跳ね上がった。

「どうしてまた一発やられた……状況は?救急車も近づいています!」

「銃撃戦だったんだよ」魏振国は何と言えよう。

命を賭けてまで相手の命を奪うつもりなどなかったが、ここまで来たら…

「こっち来て手伝ってくれ」江遠が二人の警察官に声をかけた。

二人の若い警察官は駐車場から走ってきた。

彼らは六人班で五人組が潜伏していることを予測し、犯首が逃亡する可能性を考慮して駐車場警備を担当していた。

犯首が脱出すると駐車場小隊長も五人中二人しか派遣できなかった。

「犯首が出てきたと聞いたからな」

この波では、武警側は常に五人を想定敵としていたが、他の四人の逮捕が容易すぎたため、犯首の逃走速度と選択したルートが予測外だった。

「傷口抑えろ、動かないように」と江遠は針も薬もない手で一時的に止血させ、手を拭いて魏振国に駆け寄った。

胡老(**)の肺は貫通されていたため息苦しく、目つきは暗かったが表情は無関心だった。

江遠は胸元に包帯を巻き付け温明に押さえつけさせ、他の傷口を確認した。

胡老には四五発、あるいは七八発の銃弾が命中しているようだ。

牧志洋(**)は即座に撃たれ、善良05(**)の発砲回数も不明だったが、残り三人は21発を全消費した。

犯首の血で汚れた江遠は傷口の位置や種類を正確に判断できなかった。

生存者への対応は包帯処置のみ。

特に出血が多い部位を再処置していると、増援の四名の刑事が到着した。

彼らは若い武警より体格は小太りだが経験豊富で状況を把握し、二人が手伝い、一人が無線機で連絡、もう一人が警戒テープを張った。

江遠はようやく落ち着き牧志洋のそばに戻った。

胡老の生死は案件に関わるが、牧志洋の方が重要だった。

周囲の騒音に気づいた牧志洋はまぶたを震わせながら目を開けた。

最初に視界に入ったのは江遠だった。

牧志洋の表情が緩んだ瞬間、激痛で意識を取り戻し、次の一言は「解剖しないで…まだ生きているんだ」と絞り出した。

「何?」

と江遠が聞き返すと、牧志洋は悲しげに告げた。

「解剖しないでよ」

「まだ解剖する時間じゃないさ」江遠は笑いかけたがすぐに笑えなくなった。

あの狙撃手(**)がいたからこそ、牧志洋の死体を解剖しようとしていただろう。

運が悪ければ。

「救急車来たぞ、病院へ行くんだ」

魏振国が血まみれで駆け寄り言った。

牧志洋は魏振国を見ると落ち着きを取り戻し、「どこ傷ついた?」

と尋ねた。

「左腕の肉を引きちぎられたから触れない」魏振国は手を開かせ「頬にブロック塀の破片で擦ったが止血したよ、大丈夫だ。

安心して病院へ」

牧志洋は江遠を見つめて懇願した。

「無事なら江遠には包帯をさせないで…本気で心臓が止まったわ」

「分かったよ」魏振国は子供のように牧志洋を担架に乗せ、救急車に乗り込んだ。

二台の救急車は既に待機しており、今回は全車動員だった。

江遠も牧志洋の車に同乗し、向こう側の魏振国に尋ねた。

「医師はあとどれくらい?」

(**)部分は原文の意図を考慮して適切な表現を選択しています。



「清河市一院の医師が向こうに来てる、二時間くらいだろ。

牧志洋は大丈夫だろうけど、この野郎が死なないかは運次第だ」

江遠が目を合わせた牧志洋を見やると、「町役場で処理しておけば、二時間生きていればその野郎も死なない」

「あー、死んでも仕方ないんだよな。

もし時間を指定してこっちに来てくれたら、我々は準備できたかもしれない。

彼が日を選びに来たんだから、誰かが医師を待機させられるわけがない」

救急車の中は突然静かになり、警告音だけが響く。

今日は明らかに落ち着かない一日だ。

捕まった男の取り調べと手掛かりの確認が必要だし、柳景輝も駆けつけてくるだろうが、彼でさえこの大規模な事件に対応するのは難しいかもしれない

江遠は眼前の昏睡状態にある牧志洋を見つめながら、ようやく後悔を感じた。

先ほどまでただ緊張していただけだったのだ。

静かになった瞬間に気づいたのは、背中から汗が滲み出ていて、手足も震えていたことだ。

小牧と並んで寝ていたらと思うと、心臓の鼓動がバタバタと激しくなった

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】『80年を超越した恋~令和の世で再会した元特攻隊員の自衛官と元女子挺身隊の祖母を持つ女の子のシンクロニシティラブストーリー』

M‐赤井翼
現代文学
赤井です。今回は「恋愛小説」です(笑)。 舞台は令和7年と昭和20年の陸軍航空隊の特攻部隊の宿舎「赤糸旅館」です。 80年の時を経て2つの恋愛を描いていきます。 「特攻隊」という「難しい題材」を扱いますので、かなり真面目に資料集めをして制作しました。 「第20振武隊」という実在する部隊が出てきますが、基本的に事実に基づいた背景を活かした「フィクション」作品と思ってお読みください。 日本を護ってくれた「先人」に尊敬の念をもって書きましたので、ほとんどおふざけは有りません。 過去、一番真面目に書いた作品となりました。 ラストは結構ややこしいので前半からの「フラグ」を拾いながら読んでいただくと楽しんでもらえると思います。 全39チャプターですので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。 それでは「よろひこー」! (⋈◍>◡<◍)。✧💖 追伸 まあ、堅苦しく読んで下さいとは言いませんがいつもと違って、ちょっと気持ちを引き締めて読んでもらいたいです。合掌。 (。-人-。)

処理中です...