国民の監察医(こくみんのかんさつい)

きりしま つかさ

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第0190話「香り」

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香の匂いが漂う会議室は霊界のような雰囲気を醸し出していた。

隅に置かれた二つの不名の花は葉が黄色く枯れかけていた。

捜査会議は速やかに終了した。

分析すべき材料がないからだ。

こういう案件では人数が多いほど効果的ではない。

解剖結果報告書には何とも言えない内容しかなく、その結論を裏付けるためには莫大な資源が必要だった。

回収された情報量も不十分で、更なる捜査の方向性を見出せない。

支隊長は各方面に引き続き努力を促すのみだった。

最後にプラスチック袋の出所を調べる新たな手がかりが見つかった時点で会議は終了した。

人々が退出する中、柳景輝は江遠に小声で告げた。

「二人だけで話そう」

王藍はそれを聞きつけ、斜めから柳景輝を見やった。

柳景輝は笑いながら言った。

「お乗りになりたいならどうぞ」

「いいや」王藍は手を振って去りゆく。

柳景輝が先に出て廊下で江遠を待たせ、再び口を開いた。

「警備外の店で食事をしながら少し話そう。

ついでに死体についても触れてみようか? 何か食べたいものはあるかな?」

江遠の頭の中は常に死体のイメージが渦巻いていたため、「カエル」の一言だった。

柳景輝は一瞬反応できず、地図上で「跳び蛙」という店を発見しタクシーで向かった。

注文した麻辣香蛙がすぐに運ばれてきた。

切り身のカエルは赤い唐辛子と調和して鮮やかに盛り付けられていた。

江遠は箸で一塊ずつ口に入れた。

骨は大皿に吐き出す。

数口食べれば皿にカエルの形を模した料理が完成していた。

その精巧さには驚くほどの出来栄えだった。

柳景輝はそもそも食欲がないため、そのまま箸を置いた。

「この専門捜査班のやり方はあまり評価できない」

「なぜ?」

江遠は意外そうに尋ねた。

柳景輝は最近溜め込んでいた不満をぶちまけた。

「清河市公安局は類似事件の経験がなく、投入する力も足りない。

失敗するのは目に見えている」

「分からない」江遠は首を横に振った。

「私の経験だよ。

こういう殺人事件の場合、8年前の発端だったとしても、一旦発見されれば、そして動き出せば、雷鳴のような勢いで捜査しなければならない。

現行犯以上の激しさで調査する必要があるんだ。

そうでないと失敗する」

「なぜ?」

「この事件は積年の未解決事件ではないからだ。

つまり犯人が隠し続けてきたのと同じように、犯人も隠れている。

そして10年8年も隠し続けている。

今やそれが露見したということは状況が変わったし、犯人にもミスがあったと見るべきだ。

だからその変化とミスを掴まなければ、次の機会はまた10年8年後かもしれない。

私がかつて手掛けた案件……」

「変化と言えば干ばつでしょう」江遠が言った。

柳景輝は首を横に振った。

「一触即発だ。

我々が水位低下によるダムの干涸らしを知っているなら、犯人も同じことを知っているはずだ。

彼は既に逃亡計画を立てているかもしれない。

もし事件公表前に脱出していたら、我々はそれをどうやって掴む? そのせいで犯人を逃がす可能性もある」

江遠はようやく理解したように頷いた。

「つまり柳さんは清河市公安局の捜査方針と手法に不満を持っているんだな」

江遠から見れば、早いか遅いかは問題になかった。

古来より緩やかさに甘みがあり、速やかさに爽快さがある。

柳景輝のためらいには道理があったが、江遠は関知しない。

ただひたすらカエルを食べ、骨を並べるだけだ。

柳景輝が三匹のカエルを整然と並べた可憐な様子を見て、ようやく口を開いた。

「今最も有力な証拠は遺体そのものさ。

微量物質鑑定など行うか?省庁の実験室に協力させてもいい」

法医として担当しているのは王藍だが、柳景輝にとってはこのレベルの事件では資格順位なんて関係ない。

カエルを食べながら江遠は言った。

「屍袋は浸漬済みで有機物はほとんど腐敗した。

無機物なら……死水の採取サンプルはあるが、マススペクトロメトリーデータが出ても役に立たないだろう」

柳景輝はため息をついた。

「まだ始まったばかりだ。

遺体の特定も段階的に行わなければならない。

六具あるから全てとは限らないが、二三体くらいは見つけられる可能性が高い」

江遠が慰めた瞬間、柳景輝は驚きの表情を見せた。

「5号と6号は無頭死体だと思って諦めていたんだ」

「影響ないさ。

1号のように広範囲に捜査するだけだ」

「規模が大きければこそ、見つかる確率が高いから賛成だ」柳景輝は即座に返した。

江遠が頷く。

「帰ったら更なる詳細調査を……」

「でも……」

江遠が彼を見やると黙った。

カエルを食べ続けるだけだった。

柳景輝は話好きで、推理こそ飯の種だ。

何かを胸に秘めていると自然と口走ってしまう性質なのだ。

するとすぐに「私は人間関係から手掛けるのは好まないと思っている」と言い出した。

「殺害対象が多すぎるから異常さがある。

知り合い同士でここまでとは……」

その最後の一言は事実を示していた。

死体が多いほど情報の混在率が高まり、交友関係による集合体の正確性は低下する。

柳景輝はさらに不安を語り始めた。

刑事捜査中の人々は感情も不安定だ。

表現力に乏しい者はタバコを連続吸い、カップ麺を一箱ずつ食べる者もいれば、柳景輝のように知らない人には話さないが知っている相手と会うと徐々に口を開くタイプもある。

江遠はカエルの鍋を食べ終え、「この店主はカエルを少なめに与えたようだ」と柳景輝に言った。

「どうして……」彼は途中で言葉を切った。

確かに大きな皿に並べられたカエルの骨は上半身が多く下半身が少ないのだ。

「おやじ!」

柳景輝が大声で叫び、店主と喧嘩する準備をした。

店主が近づくと、自分のカエルの死骸が古惑仔の戦死者のように並んでいるのに気づき、「うちのカエルは切り身だから、あなたたちに80%引きにするよ」と言った。

柳景輝は節約した金で中華タバコを買い、気分良く江遠を葬儀場へ送り出した。

解剖室では数人の法医が遺体を組み立てており、その動作は江遠のカエル並べと見分けがつかなかった。



当然、江遠は背が高く体格も良く若く、戦う時の様子がカッコイイからね。

だから「クール・ユー・アゲー」と呼ぶんだ。

「食ったか?」

江遠が部屋に入り、みんなにクールな挨拶をした。

「食欲がないよ」一泊休養した葉法医は、煮る骨の鍋を見ながら疲れ切っていた。

「外に出た時にカップ麺があったから、ちょっと温めようか?」

満腹だった江遠が優先順位を変えてお年寄りを優先するように提案した。

葉法医は不機嫌に尋ねた。

「どの火で煮る?」

二つの激熱のコンロには圧力鍋が置かれ、蒸気を噴き出す音が絶えなかった。

法医であっても、その近づくとすぐに湯気が結露して水滴になる。

蒸気は蒸留水でも、普通の法医なら耐えられない。

「それじゃあカップ麺にしようか?」

江遠はまだ手を動かさないが、外でインスタント麺を作るくらいなら可能だ。

葉法医は少し迷った。

隣の同僚たちが声を上げた。

「俺にも作ってくれ」

「面倒だけど卵とソーセージを加えてくれ」

「ソーセージと卵を追加して」

江遠が人数を数え、一声で外に出かけて麺を作り始めた。

柳景輝は急いでいても、一室の法医たちを餓死させるわけにはいかない。

本当に死んだら非自然な死だが、生き残った法医たちは負担になるだけだ。

外では小売店から届けられたカップ麺が二箱並んでいた。

桶入りで手間はかからない。

江遠が一箱を開けると、表面に「大骨スープ麺」と大きく書かれていた。

彼はそれを戻し、二つ目の箱を開けた。

「大骨濃厚スープ」の下には回転鍋の絵があり、注釈に「1粒ずつが骨スープを再現した瞬間」とあった。

暫く沈黙した後、江遠は最初の箱を取り戻し、麺桶を開けて水を入れた。

そして「警告」のテープで表面の文字を全て隠す。

麺が完成する頃、四人の法医も洗顔して次々と出てきた。

江遠は整髪して解剖室に入った。

清河市警の法医助手は二十代後半の眼鏡の男。

江遠を見ると礼儀正しく笑った。

「お前も食べさせたぞ、お前の分もある」

「彼らに食べてもらえばいいさ」男が笑いながら小声で言った。

「麺は俺が買ったんだ。

この二種類だけ残っている」

(本章終)

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