国民の監察医(こくみんのかんさつい)

きりしま つかさ

文字の大きさ
502 / 776
0500

第0551話 千里を遠しとせず

しおりを挟む
飛行機が洛晋空港に着陸したのは深夜だった。

江遠は前日の朝に出発し、一時間半のフライトを終え、そのまま業務に従事し、再び二時間かけて帰路についた。

その二日間で彼はフルスロットルで働いていた。

洛晋市に戻ると、宿泊先として空港近くのホテルを確保した江遠は、そのまま朝まで眠り続けた。

午前中、洛晋市公安局の臨時会議室には既に一列の幹部が並んでいた。

掌拍きの連鎖が響くと、局長が笑顔で江遠の手を握りながら言った。

「ようこそ帰還、江遠さんお疲れ様です。

大馬方面からの評価は非常に高く、省庁からも書簡が届いております……我々洛晋市公安局も光栄に存じます……」

その男は言葉巧みで、三言二語で洛晋市と江遠を結びつけていた。

もし黄強民という存在がなければ、一般の技術員なら既に感動で崩れ落ちていたはずだ。

江遠は来局前に黄強民から指示されていた通り、最低限の敬意を示すことに徹した。

会議終了後、ポンチイドウ(注:原文「庞继东」の音訳)に近づき、「ポンさん、最近どうでしたか?」

ポンチイドウの大腿内側が震える。

文雅な表現では「両股戦慄」と表現されるべきところだが、彼は低く言った。

「まあまあです……あの……包文明の検査はそろそろ済ませておきましょう」

国内四件・国外三件の強姦殺人事件が合体した大規模凶悪犯罪。

包文明には無期懲役乃至死刑を確定させる要素が複数存在する。

仮に運良く死罪にならなかったとしても、刑期終了後はマレーシアでの服役が待っている。

江遠は既に包文明の案件から手を離れていた。

「包文明の件は終わったでしょう。

次は次の事件に取り掛かりましょう」

ポンチイドウは当然ながら同意し、「どの事件ですか?」

「選んでくれ」と江遠はポンチイドウに言った。

これは彼が洛晋市の案件に精通していることを活かすためだった。

ポンチイドウはその点で積極的だ。

「簡単な事件にするか、難しいものにするか?」

黄強民と洛晋市公安局の合意では三件の殺人事件を担当するが、既に二件終了済み。

単純に任務完了を目指すなら最も適切なのは簡単な殺人事件だ。

ただし「簡単」という定義自体が再考を要する。

しかし最近の交流を通じてポンチイドウは江遠の思考が極めて独創的であることを認識していた。

通常とは全く異なる方向性で考える傾向があった。

その時、局長が江遠とポンチイドウのささやき話を聞きつけて笑い、「お二人は何か楽しそうにお話されてますね」

ポンチイドウは慌てて「我々は第三件殺人事件の選定について議論しております」と答えた。

「第三件殺人事件ですか? あら、そろそろその時期ですね」

江遠が言った。

「しばらく休養を取る必要があるかもしれません。

同時に案件を選定しておきましょう」

局長も当然ながら頷いた。

「労逸均等が一番ですわね。

どのような事件に取り組むか?」



「具体的状況次第です」江遠が笑った。

犯人を料理屋の男だと告げるのは、探偵としての立場を超えた中二な発言だ。

畢竟、事件解決者である彼は、犯行者ではないのだ。

楼前での歓迎式典が終了し、警視庁本部は再び静寂を取り戻した。

すると江遠は事務室で久しぶりに王鍾と顔を合わせた。

寧台県lv0.9の指紋鑑定スペシャリストである王鍵は、人員不足時にのみ姿を見せる存在だったが、江遠の強力な捜査班が編成された後はほとんど現れなくなっていた。

再会した江遠は驚きを隠せなかった。

王鍵の顔には自信に満ちた笑みが浮かんでいた。

「江隊長、吴局長はマレーシア出張中に貴方とお目にかかったと聞いています。

それでわざわざ私を派遣して、何か持参品をお届けするようにとの指示でした」

王鍵が肩から下げたバッグから取り出したのは、ステンレス製の蓋付きコンテナだった。

蓋を開けると赤い卵が転がり出す。

「予想通りだわ」江遠は不思議に感じなかった。

吴軍が送ってきたのが赤卵(紅玉)であることは当然のことだった。

王鍵が続ける。

「江隊長、温かいまま召し上がれ。

この卵は吴局長の鶏舎で産まれたもので、とても美味しいんですよ」

「師匠も養鶏を始められたんですか?」

江遠が赤卵を一つ取り出し殻を剥きながら尋ねる。

「5羽ほど飼っておりまして、ほぼ毎日5個の卵が採れています。

吴局長は『貴方の凶暴さに勝るとも劣らない』とおっしゃっていました」

江遠が笑みを浮かべた。

「それに他にも持参品があります。

こちらで設置していただけますか?」

王鍵がバッグを叩き、真剣な表情になった。

寧台での訓練はしていたものの、単独行動するのはこれが初めてだった。

相手は国外から帰国したばかりの江遠だ。

江遠は王鍵の緊張に気づいた。

その気迫はlv0.9では到底敵わないものだった。

「よし、行こうか。

俺と来てくれ」

江遠が部屋を出てポンチ東(※注:原文の「庞继东」を仮名表記)のオフィスに入った。

まずドアをロックしカーテンを閉めた。

ポンチ東は困惑しつつも表情を引き締めた。

「江隊長、何か事件ですか?」

王鍵も同じように真剣な目でポンチ東を見た。

もう一人いれば材料が足りなくなる可能性があるため、彼は十分の準備をしてきた。

「ええ、師匠から頂いた特産品を借りていただきます」

ポンチ東はさらに厳粛に頷いた。

現代では師弟関係も緩やかだが、江遠の師匠はほぼ彼が義理の師範(※注:原文の「师公」を意訳)となる存在だった。

その結果、吴軍が送ってきた「特産品」に対してポンチ東はより一層重んじる必要があった。

王鍵はバッグから外しロックを開け、ジッパーを下ろすと布包みを取り出した。

紐を解くと中には銅製の火鉢(※注:原文「铜炉」を意訳)が現れた。

ポンチ東が眉を顰めた。

「これは……証拠品ですか?」

江遠が先に答えた。

「踏み越えるためのものです」

王鍵はさらに木炭を取り出し噴射機で燃焼させ始めた。

すぐに赤熱した火鉢が揺らめき始める。

「これでどうぞ」

王鍵がポンチ東に火鉢を差し出すと、彼は驚いたように目を見開いた。

「これが……」

江遠が笑いながら説明する。

「師匠の手作りです。

現代では滅びた技術ですが、昔から続く伝統工芸品でございます」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】『80年を超越した恋~令和の世で再会した元特攻隊員の自衛官と元女子挺身隊の祖母を持つ女の子のシンクロニシティラブストーリー』

M‐赤井翼
現代文学
赤井です。今回は「恋愛小説」です(笑)。 舞台は令和7年と昭和20年の陸軍航空隊の特攻部隊の宿舎「赤糸旅館」です。 80年の時を経て2つの恋愛を描いていきます。 「特攻隊」という「難しい題材」を扱いますので、かなり真面目に資料集めをして制作しました。 「第20振武隊」という実在する部隊が出てきますが、基本的に事実に基づいた背景を活かした「フィクション」作品と思ってお読みください。 日本を護ってくれた「先人」に尊敬の念をもって書きましたので、ほとんどおふざけは有りません。 過去、一番真面目に書いた作品となりました。 ラストは結構ややこしいので前半からの「フラグ」を拾いながら読んでいただくと楽しんでもらえると思います。 全39チャプターですので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。 それでは「よろひこー」! (⋈◍>◡<◍)。✧💖 追伸 まあ、堅苦しく読んで下さいとは言いませんがいつもと違って、ちょっと気持ちを引き締めて読んでもらいたいです。合掌。 (。-人-。)

処理中です...