国民の監察医(こくみんのかんさつい)

きりしま つかさ

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第0780話 信じる

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江遠が手にしたのは、侵入強盗事件で紛失したのではない聖闘士フィギュアだった。

具体的聖闘士像は超年齢問題だが、侵入強盗被害リストにはその名前がなかった。

つまりこれは別の事件の関連品だ。

さらに詳細に言うと、このフィギュアには他の犯人の指紋が付着する可能性がある。

現代の小悪党は窃取時は手袋を着用するが、売却時には外すのが普通だ。

特に回収済みの物なら所有者意識が芽生え、指紋採取に興味を持たない。

逆にこのフィギュアが再び回収屋の家に戻った場合、出所を証明するのは困難だ。

プロの売春業者でもフリマで売る際は多少なりとも品相を整えるし、包装するケースもある。

その場合、犯人特定には微信連絡先の方が効率的だ。

また異形物の指紋採取も難易度が高い。

まず曲線が大きく撮影に苦労し、粉付けも不均一で加えて加害者の押痕自体が完全ではないため質が低い。

これはレベル1未満の刑事たちにとっては課題だが、江遠にはむしろ楽しみだ。

目の前の刑事たちは真剣に見入っている。

彼らは江遠の技術向上を知り、彼が最もシンプルな方法で指紋採取する光景を貴重視しているのだ。

黄強民は鼻を高々と上げて「うちの江遠さんから溢れ出る余裕だわ」と心の中で呟く。

技捜の唐大隊長は痕跡鑑識に興味がなく、少し待ってから立ち上がり「黄政委、我々はもう終了です。

もしかしたら警視庁で同じ事件を扱っている刑事さんがいるかもしれません。

その場合は直接逮捕すれば時間と手間が省けますよ」と提案した。

江遠が群衆の中から出てきてスマホを見ながら言った。

「加えて微信アカウントを作成して、名前・身分証番号・電話番号を送ります。

捜査対象の人物を探しましょう」

フィギュアの指紋から得た情報は警务通で引き出したものだ。

複数の指紋が存在し採取難易度はレベル2.5まで上昇する可能性がある。

最終的に前科者1名が絞り込まれ、まずは彼と話を始める。

一方劉文凱は回収屋を別室に連れていき詳細を尋ね始めた。

技捜の唐大隊長は不満げに「江課長、こんな小規模事件に技偵車を使うのは無駄でしょう」と指摘した。

江遠が笑顔で答えた。

「相手は取引直後です。

この案件がまだ新鮮なうちに犯人を捕まえるなら、警視庁の刑事さんが捜査中かもしれませんよ」

唐大隊長が頭をかいた。

「分かりました…」

「お疲れ様です、タバコ一本吸ってください。

その収賊屋を連れて来ればいいんです」江遠が技術捜査班の数名に中華煙一箱ずつ渡した。

正直な話、技術捜査車で人を追うのは時間節約になる。

逆に収賊側から情報を得る方が効率的だ。

技術捜査車が寧台県に売却されるという事実自体が余剰品であることを示している。

道理を正しく説くなら警察官は色々と主張できるが、必要ない。

道理だけで済むなら警察官の存在意義はない。

黄強民はスマホを取り出し中華煙一箱をメモした。

公務用支出だから江遠に個人負担させないためだ。

唐隊長が技術捜査車に戻らせた二人組みが戻ると、皆タバコを吸い始めた。

「近いですよ。

600メートル先の商業街です。

単独行動でいいでしょう」唐隊長が位置情報を確認し単独行動に出る準備をした。

少なくとも江遠の一言は正しかった。

来たなら複数人捕まえる方が良いのだ。

伍軍豪らが勢いよく出てきた。

彼らが北京に来て最初の事件はスパイ容疑だった。

その怒りを小さい悪徳者にぶつけるのが目的だ。

「弱い相手を選んで争うなど不粋な話だが、軍事用語では『優位な兵力で個別殲滅』と表現する。

警察活動は喧嘩ではない。

編成された組織が安全かつ効率的に任務を遂行するのが原則だ」

伍軍豪もまたオフィスに居てコーヒー片手に事件解決したいと考えている。

だがそれが叶わなければ体を鍛え上げるしかない。

伍軍豪の第一中隊は単独で一人を逮捕し、多数を相手なら長槍隊と組む。

公平な対決など求めない。

非対称戦闘が基本だ。

唐隊長がその様子を見て伍軍豪に単独行動の要領を教えた上で3号棟16階へ向かった。

ほぼ同じ手順だが、部屋には黒いストッキングはなかった。

さらに異なっていたのは一室一厨のアパート内に高低ベッド二台があり四つのベッドが乱雑に並んでいたこと。

枕元の充電器などから明らかに四人で住んでいることが分かる。

「お前の同居人はどうなった?」

劉文凱が嫌疑者を角に引き連れ言った。

「冗談はやめろ。

刑期終了後半年未満だ。

正直者が一緒に暮らすはずがないだろう?この三人を指名すれば検察官に頼んで減刑してもらう。

うっかりするとこちらで追及するぞ。

他の連中が部屋を捜査中に見つかった物は全てお前の責任になる」

収監歴のある者は道理を重んじる傾向がある。

嫌疑者が劉文凱の言葉を理解し快諾した。

黄強民が唐隊長とリビングテーブルに座らせた中華煙を開封し一人一箱ずつ配りながらタバコを吸い続けた。



「唐隊長も諦めたのか、二人を技偵車に待機させたまま、自分でタバコをくわえて言った。

『黄政委さん、あなたは局の政委になられたんだから、江探偵も全国的に有名だ。

うちには中隊どころか、それ以上の部隊がいるし、刑捜支隊の連絡員も付いている。

技偵車一台だけで数千万円するのに、こんな小泥棒を捕まえるだけなら、本当に必要なのか?一日のコストだって相当なものだろう』

黄強民は笑った。

『確かにそうだな。

でも、計算の仕方を変えれば…』

『えっ?』

『雨天に子供を叩くのも、暇つぶしにしかならないんだよ』と黄強民が付け足した。

唐隊長は噴き出した。

『その…』

『そうさ』と黄強民は頷いて、タバコの火で周囲を見回しながら言った。

『実はね、あなたが先ほど人手や技偵車について話していたけど、最近何か大規模な任務があったのか?』

唐隊長は笑った。

その内容は機密事項なので口外できないからだ。

黄強民は続けた。

『もし重大事件がないなら、小案件くらいやってもいいんじゃないか。

大事件も小事件も事件なんだよ』

『確かにそうだけど…』

『小案件をこなしていれば、いつか大きな事件が来るかもしれないさ』と黄強民は話題を変えた。

『最近の京局の殺人事件は自首したか、血まみれで逃げ出したものばかりだ。

自分で掘り起こす以外に方法はないんじゃないか?』

唐隊長は驚いて固まった。

その論理が理解できなかったからだ。

しばらく経って、唐隊長はタバコを吸いながら黄強民の論理の穴を見つけた。

『小案件をこなしていれば大きな事件になるとは限らないさ』と指摘した。

『それもまた然り』と唐隊長が付け加えた。

『私は江探偵を信じていないわけじゃない。

ただ、犯人がいないのにどうやって解決するんだ?』

黄強民は首を横に振った。

『そういうものではない』と言葉尻を濁した。

『では…何か別の見方があるのか?』と唐隊長が訊いた。

『事件は山ほどあるさ。

以前の再審で余罪を追及するとか、積年の未解決事件を解明するとか、書類を見るのも捜査なんだよ。

人を捕まえるのも捜査だ』と黄強民は江遠の意図に沿って説得した。

寧台県局が新装開店のように様変わりしているんだから信じられないわけがない。

唐隊長は細長い中華タバコをくわえながら、ついに信頼に至った。



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