綺麗になる為の呪文

木嶋うめ香

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「リナリアの母、ステファニー様と君の父ビンス・バーレー伯爵はどういう経緯で結婚したか聞いているかい?」

 お義父様はゆっくりと鶏の香草パイ包み焼きにナイフを入れながら話を始めた。
 私は両手をライアン様に握られたままだから、何も食べることは出来ない。
 手を繋がれていなくても、何も食べる気持ちにはなれなかった。

「政略ではないのですか」

 お母様は侯爵家の娘、お父様は伯爵家の息子だからお父様の方が家の格は下だ。
 家庭教師には貴族の結婚は家の利益を考えて行うものと教えられていたから、両親もそうなのだと考えていた。
 侍女のジゼルがこっそりと貸してくれた恋愛小説の主人公とその恋人の様に、両親が恋愛し結婚したとは思えなかったからだ。
 もしもそうだったとしたら、お父様が愛人の家に居続ける理由が分からない。
 恋愛小説の様に、愛し合った末の結婚でも気持ちが冷めたら次に行くものだと言われたらそれまでだけれど、両親にはそもそもの愛も恋も無い気がする。
 少なくともお父様にはお母様への気持ちは全く無い様に感じてしまう。

「政略、そうだね無理矢理そうしたというのが正しいのかな」
「無理矢理にそうした」
「君の父バーレー伯爵と私は学校の同級生だった。君の父の愛人と言われている女性、トレーシーともね」

 お父様の愛人の名前を私は初めて聞いた。
 想像以上の衝撃に、私はライアン様に握られている手を堅く握りしめた。

「リナリア辛いなら、無理をしなくてもいいんだよ」
「い、いいえ。私がお願いしているのです。最後まで教えて欲しいです」
「そう?」
「はい。お義父様、トレーシーさんは貴族だったのですか」
「……ああ、貴族だよ。男爵家の娘だった。バーレー伯爵、その頃はまだ爵位は継いでいなかったけれど、君のお父さんとトレーシーはとても仲が良かった。学校中で知らない者はいない程にね」

 お父様とお母様は同じ年ではない。
 お母様の方が、二つ年下だった筈だ。

「お父様はその頃婚約は」
「トレーシーと婚約をしようとして、準備しようとしているところだった。リナリアが知っているかどうか分からないけれど、上位貴族の婚約は王家の承認が必要だ。バーレー伯爵家は、王家に婚約の申請を出そうとしている時だった」
「それは、トレーシー、様とですか」

 背中を冷たい汗が流れていくのを感じながら、私はお義父様に尋ねた。
 婚約しようとしていた相手が、今愛人のトレーシーだとしたらどうして今お母様がお父様の妻でいるのか。

「そうだよ。婚約を申請しようとしていたのは、私と君の父とトレーシーが三年生になったばかり、君の母が入学した年だ」
「お母様が入学した年」
「王家の承認が必要と言いながら、それは慣例的な物でしなくてね。今まで余程のことがない限り婚約を申請して承認が下りないことなど無かったんだ。だが、君の父とトレーシーの婚約は承認されなかった。理由は明らかにされないまま、君の母の実家からバーレー家に婚約の打診がされたんだ」
「え。お父様はトレーシー様と婚約しようとしていたのですよね」
「そうだよ。でも、君のお母さんは入学してすぐに君の父であるビンスに一目惚れしてね。どうしても結婚したいと言い始めたんだ」
「でも、そんな婚約しようとしている相手がいるのに、そんな事していい筈がありません」

 悲鳴を上げたいのを必死で堪えて、私はお義父様にそう言い切るとお義父様はゆっくりとこんがりと焼けたパイを口にして上品に咀嚼し飲み込んだ後葡萄酒を一口口に含んでから、口を開いた。

「そうだよ。婚約しようとしている者の仲を裂く行為は恥ずべきもの、それは今も昔も変わらない。だけどね、君の母であるステファニー様はそう思わなかった。二人の仲を裂き、無理矢理婚約してしまったんだ」

 そんな事出来るのだろうか。
 無理矢理に、そんな事。

「君のお母さんの実家には、王家から王女殿下が輿入れしているのは知っているね」
「はい、お母様の祖母が、王女殿下だとは聞いています。私が幼い頃に亡くなったそうですが」
「王女殿下は前国王の妹殿下でね。当時はそれなりに力があったんだ。ステファニー様は祖母である王女殿下に瓜二つの顔をしていて溺愛されて育ったんだ。どんな望みも祖母が叶えてくれて、一目惚れの男性と結婚したいなんて望みは当然の様に叶えられてしまったんだ」
「まさか、お母様はお父様と恋人の仲を裂いて、自分の思いを通してしまったというのですか」

 そんな事出来るのだろうか。
 王女殿下と言えど、すでに王家から籍を抜き臣下に嫁いでいるというのに。

「出来るんだよ。いいや、出来たというべきか。ビンスのもとに届いたのは、トレーシーとの婚約承認の証書では無く。君の母、ステファニーとの婚約の証書だったのだから」

 お義父様の言葉に、私は気を失いそうになりなるのを必死に堪える事で精一杯だった。 
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