ならまち、食べ尽くそうや!

おろしちみ

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Period 1 ならまちを知りましょう。

第20話 まごころと愛情の包み焼き 後編

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 春夏はるかからメッセージアプリに送られてきたレシピを元に、卵焼きの調理が始まった。それは、春夏の手書きでルーズリーフに書かれたレシピだった。
「どの料理でもこうやって自分で書いてるの?」
「うん、基本はね。お母さんに言われたんだ。自分で書いた方が覚えるでしょって。お母さんもそうしてたから、今の定食のレシピがあるの。私もこうやって手書きレシピを残しておいて、未来の旦那さんに見せて女子力をアピールするんだ」
「なに、それっ」
 私はおかしくて笑った。けれど、本当に春夏に旦那さんが出来たら、それはそれは春夏の女子力、男子力に驚くことだろう。こんなにオールマイティーな人間がいるのか、とビックリするだろうな。
「まずは卵を割る。一回今まで通りにやってみて」
 春夏が私に卵を渡してくれた。しかし、料理下手というものは決まって生卵を割ることができない。ここが最初の山なのだ。加減が分からず、結局最後は潰してしまうのだ。さっき春夏のを見ていたが、その所作が速すぎて全くもって理解できなかった。
「やるよ」
 軽くコンコン、と卵をキッチンの角に打ちつけてみる。もちろん割れない。もう少し強くコンコン、と叩く。割れない。もう、と思って一気に叩くと、急に右手がベタベタになってしまった。
「あぁ、それも使えるからカップに入れといて。ゆっくりやるから見ててね。こうやって、同じ場所にヒビを入れる感覚ね。ピッケルで化石を掘ってる時みたいな」
 変な例えだ。もちろん私は化石を掘ったことはないけど、なんとなくそのシーンは浮かんだ。不思議なもんだなぁと思う。
「こうやってひびが入ったら、ひびを一旦上に向ける。で、そこに親指を入れる。この状態まで一回やってみよ」
 私は冷蔵庫から卵を取り出した。何個卵焼きを作るのか分からないが、まあいい。とりあえずひびを入れるだけ。割ろうとしなくてもいい。キッチンの角に、同じ場所を何回か打ちつけた。ひびが入ったなと思って、春夏の方を見ると、頷いてくれた。
「上を向けて、親指を入れる。ぐっと入れて」
 春夏と同じようにする。私はぐっとそのひびに指を入れた。
「で、下向けて開く」
 また春夏と同じようにすると、カップの中には丸くて綺麗な生卵が落ちた。
「で、出来た! 出来たよ春夏!」
「おめでとう。これでももう充分だよ。あとはフライパンに流し込むだけ。簡単だよ。卵を割ることに比べれば全然簡単」
 春夏は私の背中を叩いて言った。大きな関門をくぐりぬけたということか。私はほっと胸を撫で下ろして、次はどうすればいいのか聞いた。
「次は卵を溶かなきゃ。菜箸で、とにかくちゃっちゃっ、って」
 薄々気づいてはいたが、春夏は口で説明するのが下手だ。擬音語ばかりで肝心のことが伝わって来ない。だから、黙ってレシピを見ることにした。レシピには達筆で「切るように溶く」と書かれていた。字までカッコいいだなんて。
「こんな感じ?」
 菜箸を使って、縦に切るように卵を溶いていく。「そうそう」と諭してくれた。
「出来たら、フライパンに注ごう。もうさっき作った時のままでいいや。一回見ててね」
 春夏が自分の分の溶かした卵をフライパンに注いでいく。
「ここで半分ぐらい入れて止める。で、ちょっと待ったら焦げないように縁をなぞるようにするの。そのあとは、お箸をちょっとだけ開けて、二つの円を描くように、フライパンを揺すりながら、こう」
 初めて知ったが、春夏はどうやら左利きのようだ。フライパンを持った右手は前後に揺らし、お箸を持った左手は確かに二つの円を描くようにくるくると卵をかき混ぜている。徐々に黄色の卵が固まっていくのが分かる。
「大体固まったなーと思ったら火を止めて、余熱でまた混ぜる。最後にフライ返しで折り畳めば、はい完成」
 なるほど、手順を踏めば私にも充分理解はできた。私もやってみようかな。
「これ、やってみるけど時間教えてくれる? 私、目分量とか体内時計とか狂ってるから」
 自分で言って恥ずかしくなった。でも本当に、私には「勘」というものが冴えていない。失敗しないためにも手伝ってもらおう。
「うん、もちろん。あぁそうだ、先に言っとくべきだったんだけどさ」
「何?」
「料理を作る時は、絶対に食べてくれる人のことを思って作らなきゃダメだよ。私は紗穂さほのお弁当を作る時、『今日も喜んでくれるかな』とか『気に入ってくれたら嬉しいな』とか思いながら作ってるよ」
 さすがは食を生業としている家の娘。料理を作る時はその人の気持ちを考える……ってまたこいつは無意識にドキドキするような台詞をっ……!
「でもこの卵焼き、誰に向けて作ろう……?」
「お兄さんはどう? さっきすれ違ったんだけど『お昼には帰って来る』って言ってたし。優しそうなお兄さんだね」
 春夏にまで手を出そうもんなら私が動こう。それにしても健太郎けんたろうか……。今まで私が失敗した、絶対に不味いであろう料理も嫌な顔一つせず「美味しい」と言って食べてくれたし……いつも頼りにはしているのは本当だ。せっかく春夏といるんだし、美味しい卵焼きを食べて欲しい。
「うん、健太郎に作ってみる」
「兄妹っていいよね。一人っ子だとどうしても寂しいや」
 仲は良くはないよ。……でもよく考えてみれば実はワガママを言っているのは私だけで、健太郎はいつも我慢してくれていた。日ごろの感謝を伝えないとな。兄にそんなことを言うのは恥ずかしいけれど、言わないと伝わらない。
「よし、じゃあまずは油を引いて。計量スプーン一杯分だよ」
 私は計量スプーンを使って、サラダ油を一杯量った。強火をかけたフライパンに油を垂らす。もちろん、何のアクションも起こらない。
「じゃあ卵を注いで」
 琥珀色の液体をフライパンに注ぐと、ジューっという音が発生した。私はその音に体を微かに後退させながらも、春夏がやっていたみたいに菜箸で二つの円を描き始める。すると、菜箸に卵が固まって絡みついてきた。
「これは気にしないでいいよ。優しく、あんまり千切れないようにそーっとするんだよ」
 春夏の言う通りにした。春夏がいてくれれば、絶対に失敗しないという安心感があった。
「よし、じゃあ火を止めて。縁をなぞって、フライ返しで畳む。出来る?」
 とりあえず火を止めて、菜箸で卵をフライパンから剥がすように縁をなぞった。フライ返しを春夏から受け取って、なんとか苦戦しながらも三つに畳めた。

 ……私にも出来た。

「春夏、私にも出来たよ!」
 私はつい嬉しくなって、春夏にそう言ってしまった。私一人では出来たことがなかったのに、春夏がいるだけで完成させることが出来た。料理下手が半端ではない私でも、こんなに綺麗に料理が出来るなんて。
「さ、紗穂? 泣いてるの?」
「え……? あ、嬉しくてさ……」
 私は涙を流してしまった。料理の本当の楽しみと、料理が出来たことへの嬉しさ、安堵で今まで緊張していた気持ちが急に解けてしまったのだろう。料理って、こんなにも楽しいことだとは思っていなかった。
「お弁当のおかず、これで一つ完成したね。お兄さんが良いなら、それ味見してみたら?」
 完成して皿に盛られただし巻き卵を指差して春夏は言う。健太郎に作ったものだし、食べかけでも良いだろう。私は一切れだけその卵焼きを頂いた。春夏の作ったものよりは味が濃かったけれど、それでも全然食べれる程度の美味しさだ。感動感動。
「普通に美味しい。全然食べれるよ」
 春夏は苦笑して、
「食べれるって、そんなの当たり前じゃん。じゃあ先生とお兄さんが帰って来るまで、他の料理も教えるよ!」
「ありがとう!」
 私は、期待に満ちた声で、春夏に応えた。

「こ、これ上手いっ! 本当に紗穂が一人で作ったのか!?」
「いや、だから一人じゃないって。春夏が見守ってくれてたから、出来たの」
 いちいち健太郎はリアクションが大きいなぁ。今度は春夏に死ぬほどお礼を言っている。お母さんと時雨しぐれ先生はそれを見て楽しそうに笑っているし、なんだか馬鹿みたいだ。ホント、馬鹿みたいに楽しい。嬉しい。私のたった一つの卵焼きのために、みんなが笑顔になってくれている。
 あぁ、悔しいな。春夏やお母さん、時雨先生はこの楽しさや嬉しさをもっと早くから知っていたんだ。そして、これを毎日毎日感じているんだ。私も、もっと早く気付けたら良かったな。
「んふふっ」
「何がおかしいんだよ、紗穂。でもこれ本当に美味しいよ。ありがとう」
 思わず漏れた声に、健太郎が改めて感謝を言う。また、私は涙を流してしまう。だってさ、聞いた? 私のちゃんとした料理に「美味しい」「ありがとう」だってさ。こんなこと言われたら、いやでも嬉しくなっちゃうよ。こんな素敵な笑顔、時雨先生は毎日見てるんだな。ちょっとだけ狡いや。
「だだだだだだ、大丈夫かっ!? どこか痛いのか? 辛いことがあったのか? お兄ちゃんに言ってみな?」
 健太郎は泣いている子どもを毎日お世話しているはずなのに、まるで初めて接したかのようにたどたどしく、私の背中を撫でた。その手が大きくて、優しいのはいつもと変わらない。
「健太郎のばか。嬉しかったのっ」
 伝えたいことは、言葉にしないと伝わらない。初めて素直に言えた。ような気がした。
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