天狗の囁き

井上 滋瑛

文字の大きさ
6 / 26

第六話 一揆衆

しおりを挟む
 才寿丸と俊実が本営に戻ると元春、隆景は総大将輝元の両脇で互いに戦況からの意見を交わしていた。
 片膝をつく二人に元春は労いの言葉をかける。
「若は自ら力強く弓を引かれ、お味方の援護の役を立派に果たされておりました」
 元春に請われて才寿丸の様子を伝えるが、俊実はそこで言葉を止めた。
 才寿丸の幻聴を報告すべきか否か。
 多久和城では初陣の緊張による勘違いと済まされたが、まさか主君の子息が戦場の様子を目の当たりにした恐怖で幻聴を聴いたとはなかなか報告できない。
 貴方の息子は臆病が過ぎて精神に異常をきたしました、と言うに等しければ当然の話だ。
 元春は厳しい表情で見つめる。
「他に何か変わりは無いか」
 元春の視線の先にいるのは才寿丸だ。
 俊実は畏まった様子でしばし何かを思い出そうとする振りをして答えた。
「はっ、特に変わりはございません」
 すると元春は少しの間を置いて答える。
「そうか。
 敵は今日一日でどうにかなる相手でもない。
 才寿丸も疲れたであろう。
 其方達は下がって休むがよい」
 そう言って険しい表情で要害山を眺め、一人ごちた。
「しかし尼子勢もなかなか一筋縄にはいかぬ。
 あの鉄のような守勢を正面から抜くのは難儀しそうだ。
 誘いにもなかなか乗ってはこない」
 それに対して隣の隆景も相槌を打つ。
「山陰の麒麟児(山中鹿介の渾名)、錆びてはおらぬ様子ですな」
 毛利勢は尼子勢と一進一退を繰り広げていたが、無為に押し合いしていた訳ではない。
 麓には宍戸隊を伏せ、勢いに押されて後退した様に見せかけて、深追いしてきた尼子勢を挟撃する手筈であった。
 しかし 尼子勢はあと一歩の所まで押し込んで来るものの、そこから先までは攻めてこない。
 かといって尼子勢の構えた陣は堅固で、強硬な攻めは味方に甚大な被害をもたらしかねない。
『正面が険しければ間道を伝って背後をとればよかろう』
 元春に促されるまま立ち上がった才寿丸の頭にまたあの声が響く。
 才寿丸は立ち上がりながら眉間に力を込めた。
 この姿も見せぬ声ならぬ声は何かにつけて毛利家のなす事にけちをつけ、父や叔父を虚仮にするような事を言う。
「才寿丸、まだ戦いたいのかも知れぬが、戦はまだ始まったばかり。
 今は初陣の緊張で気が張り、疲れを感じておらぬかもしれぬが、いつまでも気を張り続けられるものでもない。
 休める時に休む事も肝要ぞ」
 才寿丸の表情を、止まぬ闘争心と見た元春は諭す様に言うが、才寿丸は首を振る。
「いえ父上、そうではありませぬ。
 正面からの突破が厳しいのであれば、裏手へ回る間道を探っては如何かと存じます。
 この戦が始まってより、先日お話しした姿なき声ならぬ声が私に申します。
 毛利の為す手に“けち”をつけ、今は『間道から背後をつけばよかろう』と、嘲るかの様に申します」
 それを聞いた元春と隆景は互いに驚き顔を見合わせる。
 やがて小さく笑った隆景が才寿丸に歩み寄る。
 手を才寿丸の肩に置き、ゆっくりと膝をついて目線を合わせる。
「去年からお主のお父上はこの地の一揆衆を通じて、情報を集めておられる。
 その話の限りではこの山に二つの登り口以外に間道は知らぬ、との事だったが念の為に播磨守殿の抱える外聞衆にも間道を探らせておる。
 その声に心配する事なく、惑わされる事なく、今日は休みなさい」
 それを聞き、才寿丸は笑みを浮かべた。
 それ見たことか。
 毛利家中随一の知恵者と言われる叔父や父に抜かりはなかろう。
 何者かは知らぬが、お主の指摘など鈍牛の如き緩慢な発想なのだ。
 ところが隆景はそんな才寿丸の考えを読み取ったかの様に言葉を続けた。
「お主の聞く声は時に益にもなり、害にもなる。
 向後も文武に励み、その声を蔑ろにする事なくその意図を精査し、信念を持って道を選べば、お主は次代の毛利を担う良将になるだろう」
 才寿丸は驚きの余り身を震わせて仰け反った。
 隆景が自分の言う姿なき声ならぬ声を信じてくれたからでも、その声を嘲笑する気持ちを見透かされたからでもない。
 隆景の両の眼に人に似て人ならぬ、得体の知れない何かの顔が映り込んだ気がしたのだ。
 才寿丸は少し慌てて姿勢を正し、一礼する。
「若輩の身にありながら、中務大輔(隆景の官職)様の深慮の前に、差し出がましい事を申しました。
 平にご容赦くださいませ」
 横目に見ると、小さく頷く父と目が合った。
 表情は険しくも、怒ってはいないようだ。
 才寿丸は少し安堵して、俊実と共にその場を後にした。
 しかし叔父の眼に映ったものは何だったのか。
 眉目は彫り深く、鼻高き異形。
 思い起こしながら才寿丸は自分の眉や鼻を撫でた。
 あれはまるで父が模写した太平記に描写される天狗の容貌そのままではないか。
 するとまたも頭にあの声が響く。
『そうか、あの男はそうであったか』
 あの男とは隆景の事であろうか。
 そう、とは何を指しているのかはわからぬが、何かを納得した様な物言いをする声ならぬ声はどこか愉しげであった。
 ただ自分は何がなんだかわからないのに、一方的に得心されるのは不愉快だった。
 しかもこの声のせいで自分は父には叱られ、叔父には浅知恵巡らせた童子のように宥められ、損な役回りを演じているのだ。
 まさに疫病神の如き声だ。
 そんな心中を察したのか、声ならぬ声は一頻り笑ってから宥める様に言う。
『ではお主の為に功をたてさせてやろう』
 才寿丸は声を苛立ち募らせ、無視して馬に跨がった。
 今更何を言うのか。
 散々に毛利を小馬鹿にするような事を言い、そして今度は恩着せがましくも『功をたてさせてやる』とは。
 誰が言う事を聞くものか。
『いいのか、我を無視して。
 叔父からも我の声を蔑ろにするなと言われたばかりではないか。
 我が声に従うならばお主を次代の両川にしてやる事も可能なのだぞ』
 才寿丸は馬の鞍にかけた手を止め、舌打ちをした。
 次代の両川に釣られた訳ではないが、叔父の言を持ち出されては聞く耳を持たない訳にはいかない。
「若、どうかされましたか」
 俊実の問いを無視し、才寿丸は声に出して姿なき声ならぬ声に問う。
「言うてみよ」
 自身の問いに噛み合わない返しに俊実は戸惑った。
『左手の土手を見よ。
 戦見物をしている一揆衆がおろう。
 奴らもお主の父に金銀を渡された一揆衆だ。
 奴らに間道のありかを聞いてみよ』
 戸惑う俊実を無視し、才寿丸は目を細めて戦見物をしている一揆衆を見つけ、呆れた様に答える。
「彼らからの話では『間道など知らぬ』と叔父上も……」
『奴らが全てを正直に話していると思っているのか』
 姿なき声ならぬ声は才寿丸の言葉を遮って言う。
『ではなぜ両川は杉原の外聞衆にこの地を探らせておる。
 両川も奴らの言の全てを信用しておらぬからよ』
「なぜ全てを話さぬ」
『毛利にも尼子にも恩を売る為よ。
 仮に毛利が勝った時の事を考え、尼子の軍勢の動向を知らせた。
 仮に尼子が勝った時の事を考え、毛利に間道のありかを聞かれたが答えなかった。
 そうすれば双方に対して、それぞれに都合が良いように動いたという体裁が保てる』
「我らを謀ったのか」
『否。
 騙したのではなく、必要以上の恩を売らなかっただけだ。
 奴らにとっての領主は昔の尼子でも今の毛利でもなく、この戦の勝者だ。
 大事は誰が領主かではなく、その領主に重い年貢を絞られぬかどうかだけ。
 故に毛利に恩を売れば、尼子にも恩を売る。
 謂わば奴らなりの処世術だ』
 眉をひそめて才寿丸を見る俊実には声は聞こえない。
 一揆衆を睨みながら、自問の様な独白。
「わ、若、どうなされた」
 才寿丸はようやく俊実を顧みて言う。
「俊実、ついて参れ。
 あの一揆衆に話がある」
 呆然とする俊実を置いて、才寿丸は馬に跨がると一揆衆の元へ駆け出した。
 これに驚いたのは俊実。
 元春から金銀を渡されているとは言え、領主と農民の繋がりは、家臣との主従のそれとは全く異なる。
 仮に戦に負ければ旧主といえども落武者狩りをするし、隙あらば正規兵への強盗略奪も辞さない。
 そんな連中の元へ才寿丸は単身駆け出したのだ。
「若、お待ちくだされ」
 上ずった声で叫ぶも、才寿丸は元服前の若者とは思えぬ見事な手綱捌きでみるみる遠ざかっていく。
 手勢を呼びに行く暇もない。
 俊実は慌てて馬に飛び乗り、追いかけた。
 晴れの初陣で預けられた主の子息が、合戦で何かあったならまだしも、一揆衆に襲われたなどあっては、自分一人が腹を切るだけでは済まされない。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

処理中です...