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第七話 外聞衆
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戦見物をしていた一揆衆は怪訝な顔をした。
戦が終わらなければ農作業も出来ないが、その戦も今日一日で終わる様子もない。
弁当も食べ終わった。
そろそろ見物も切り上げようかという時に一騎の騎馬がこちらへ向かって走ってくるのだ。
いや、遅れて更にもう一騎の騎馬も何かを叫びながら走ってくる。
よくよく見れば先に走ってくる騎馬武者はまだ年端もいかぬ少年のようだ。
戦場の恐怖に逃げ出した少年と、それを連れ戻そうとする騎馬武者だろうか。
戦場から逃走するような臆病者をわざわざ連れ戻そうするのであれば、名のある武家の子弟なのかもしれない。
もしそうであれば身につける武具は値打ちがある物に違いない。
一揆衆は互いに顔を見合せて薄笑みを浮かべると、地に置いていた刀を手に取った。
こちらはそれなりに腕の覚えある一揆衆五人。
その中には最近村に流れてきた、武芸者崩れの牢人もいる。
臆病者の少年とその追っ手の二人だけならば、始末するなど造作もないだろう。
しかしそんな一揆衆の思惑とは違い、騎馬を駆ってきた少年は一揆衆の目の前で馬の脚を止め、下馬すると威勢よく声をかけてきた。
「其の方らに問う。
この要害山に構える尼子勢の背後をつく間道を知っておろう。
その間道はいずこにあるのか教えよ」
意表を突かれた一揆衆は再度顔を見合せる。
単騎で駆けてきたこの少年の様子は戦場に怯え逃げ出してきた者のそれではない。
単騎でありながら少年は堂々と胸を張り、その口振りは不遜にすら感じる。
今自分達が悪い気を起こせば、立ち所に身ぐるみ剥がされるというのに。
山頂への間道の存在を聞いてくる以上は毛利の者であろうが、余程の豪胆か、あるいは単に世間知らずのうつけか。
「若、単騎での行動はお慎みくだされ。
急ぎ隊に戻りましょう」
少年に追ってきた武者も息を切らして馬を降りると、膝をついて少年に忠言する。
具足の上からでもわかる肉厚な体躯は並々ならぬものを感じさせる。
しかし背も伸びきらぬ少年はこの武士を一喝して言う。
「黙っておれ。
今この者らに問うておるのだ。
あのまま無為に尼子の残党と正面から当たっていては此方の被害も大きくなるのだぞ」
対して一揆衆の首領格は二人に堂々と、そして太々しく物申す。
「お二人は毛利様方のお人とお見受けすが、儂ら吉川様付きの香川の旦那に伝えぇべき情報は伝えちょります。
知らん間道を教えれ言われても困ってしまぁ。
そぉより早えトコこの戦を終わらしてごしなぃ。
でなえと農作業もできんけん」
それを聞いた才寿丸は一揆衆の首領格を鋭い目付きでしばらく見据え、やがて口を開く。
「早く戦を終わらせる為だからこそ間道のありかを問うておるのだ。
尼子の動向を報せるだけで毛利に恩を売り、間道のありかを伝えぬ事で尼子にも恩を売るつもりか。
この卑怯者どもが」
卑怯者。
才寿丸のその言葉に一揆衆がいきり立つ。
「卑怯だと、この若僧。
大人しゅう下手に出ら頭に乗って。
戦の最中に、たった二人が消えぇだけだ。
毛利の殿様方が勝ったとしても、わからんだらぁ。
囲んで叩き斬ってしまえぇ」
そう言って一揆衆は各々得物を手に取って構える。
俊実は懸念通り面倒な事になったと、顔をしかめて太刀を抜く。
「だから単騎での行動はお控えくださいと言ったのです。
こやつら一揆衆は我ら武士と違って主従の心得を持たぬ輩。
己の利害次第で領主にも刃を向ける連中ですぞ」
才寿丸を背に庇うように前に出る俊実。
三十年以上に渡って戦場を生き抜き、日々欠かさぬ鍛練により培ってきた武はたかだか数人の一揆衆に遅れを取るものではない。
刀身三尺に及ぼうかという太刀を構えれば、内から出る気は他を圧して威を放つ。
そんな俊実の背に庇われるのをよしとせぬか、才寿丸は俊実の横に並んで一揆衆を諭す。
「其方らはまだ我らが誰かを知らぬであろうであろう。
ただちにその手の得物を納め、我らに従うならば罪には問わぬ。
素直に間道のありかを教えるのだ」
しかし、一度頭に血の上った一揆衆に少年の諭旨は火に油でしかなかったようだ。
「甚五、われさんは備後では腕でそれなりに鳴らしちょったって言ぃちょったろ。
この大太刀を頼むじぇ」
首領格の呼び掛けに、一人の男が目深に被った編笠を少し持ち上げて才寿丸と俊実を見る。
対して俊実は編笠の男を威圧して言う。
「備後から流れてきた牢人風情か。
ならば神辺でこの大太刀を見ておらぬか」
去る天文十二年(一五四三年)から六年もの長きに渡り、毛利家は大内家と共に備後国神辺にあった村尾城に拠点とする尼子勢の山名理興を断続的に攻め立て、攻略した。
当時吉川家の家督を継いだばかりの元春も参戦し、まだ若き俊実もまたその元春に付き従い多大な武功を挙げたのだ。
すると編笠の男は小さく笑い、笠の顎紐をほどきながら言った。
「木工助殿、某の手柄を掠め取っていくような真似はよしてくだされ」
その言葉に俊実は怪訝な顔をして、編笠を取った男の顔をまじまじと見る。
「杉原播磨守の者、佐田の甚五郎でござる」
俊実は一瞬呆気にとられたが、事態を把握して破顔した。
「佐田……
おお、確か彦四郎殿の弟君であったか」
先に隆景も言っていた、各地に潜り込ませていた杉原盛重の抱える外聞衆の一人だ。
彦四郎とはこの甚五郎の兄で、盛重抱える外聞衆の中でも屈指の手練れと知られている。
毛利家重臣でも、その佐田彦四郎を始めとする盛重の抱える外聞衆を直接知る者は少ない。
しかし元春の推薦によって盛重が毛利家に仕えるようになった経緯もあり、吉川家と杉原家は親密な関係にもある。
吉川家重臣たる俊実も一度だけ佐田彦四郎に会った事があった。
逆に一揆衆はこの二人のやり取りに慌てるばかり。
集落に流れ着いた牢人が毛利家の内偵だったのだ。
「甚五、儂らを謀ったのか」
「毛利家の者が毛利家の領内の何処に住もうが勝手。
それに某の備後出身に嘘偽りはありませぬ」
甚五郎は首領格の声を涼風の様に受け流す。
「して佐田殿。
若殿が言われる様に、この山に尼子勢の背後をつく間道はあるのですか」
俊実に問われた甚五郎は小さく頷くと、少し腰を折ってまじまじと才寿丸を見た。
才寿丸自身、外聞衆と呼ばれる者を見るのは初めてだ。
なるほど、徴兵のない時は農夫である半民半農の一揆衆とは眼光が違う。
粗暴の色はなく、林に隠れた蛇も見逃さぬような鋭敏な光は隆景にも似ている。
『才寿丸、このまま甚五郎に喋らせればこの地の一揆衆は殺され、手柄は甚五郎のものだぞ』
甚五郎が視線を俊実に戻した瞬間、あの声が耳に聞こえた。
「待て、それはまずい」
思わず発した大きな声に俊実と甚五郎は驚き怪訝な顔で才寿丸を見る。
「わ、若殿、何がまずいのでありましょう。
間道のありかを詮索されていたのは若殿ではありませぬか」
尋ねる俊実に被せる様にあの声は才寿丸に話しかける。
『うむ、このまま甚五郎に手柄を持っていかれては折角……』
「そうではない。
この者らはこの今も、この先も毛利の領民。
無為に斬る事になるのはいかん」
それを聞いた甚五郎はなる程、と頷いて笑った。
一方で俊実は意味がわからず呆けた顔をする。
「我らが聞き出してそれを父に報告すれば、この者らは情報を隠匿した責を問われる。
あくまでこの者らから直接父に報告させるのだ。
『長く使われていなかった間道があった事を失念していた』とでも言い訳すれば、父もこの者らを無下にはすまい」
才寿丸の口から出た『父』という言葉に何かを察したのか、一揆衆の首領格は二人が何者なのかと、恐る恐る甚五郎に尋ねる。
「吉川駿河守元春様の三男、才寿丸様と吉川家随一の武勇と知られる二宮木工助俊実殿だ」
それを聞いた一揆衆は皆慌てて膝を付いて平伏するのだった。
かくして三人は一揆衆を連れて、元春や隆景に間道のありかを報告する事となった。
戦が終わらなければ農作業も出来ないが、その戦も今日一日で終わる様子もない。
弁当も食べ終わった。
そろそろ見物も切り上げようかという時に一騎の騎馬がこちらへ向かって走ってくるのだ。
いや、遅れて更にもう一騎の騎馬も何かを叫びながら走ってくる。
よくよく見れば先に走ってくる騎馬武者はまだ年端もいかぬ少年のようだ。
戦場の恐怖に逃げ出した少年と、それを連れ戻そうとする騎馬武者だろうか。
戦場から逃走するような臆病者をわざわざ連れ戻そうするのであれば、名のある武家の子弟なのかもしれない。
もしそうであれば身につける武具は値打ちがある物に違いない。
一揆衆は互いに顔を見合せて薄笑みを浮かべると、地に置いていた刀を手に取った。
こちらはそれなりに腕の覚えある一揆衆五人。
その中には最近村に流れてきた、武芸者崩れの牢人もいる。
臆病者の少年とその追っ手の二人だけならば、始末するなど造作もないだろう。
しかしそんな一揆衆の思惑とは違い、騎馬を駆ってきた少年は一揆衆の目の前で馬の脚を止め、下馬すると威勢よく声をかけてきた。
「其の方らに問う。
この要害山に構える尼子勢の背後をつく間道を知っておろう。
その間道はいずこにあるのか教えよ」
意表を突かれた一揆衆は再度顔を見合せる。
単騎で駆けてきたこの少年の様子は戦場に怯え逃げ出してきた者のそれではない。
単騎でありながら少年は堂々と胸を張り、その口振りは不遜にすら感じる。
今自分達が悪い気を起こせば、立ち所に身ぐるみ剥がされるというのに。
山頂への間道の存在を聞いてくる以上は毛利の者であろうが、余程の豪胆か、あるいは単に世間知らずのうつけか。
「若、単騎での行動はお慎みくだされ。
急ぎ隊に戻りましょう」
少年に追ってきた武者も息を切らして馬を降りると、膝をついて少年に忠言する。
具足の上からでもわかる肉厚な体躯は並々ならぬものを感じさせる。
しかし背も伸びきらぬ少年はこの武士を一喝して言う。
「黙っておれ。
今この者らに問うておるのだ。
あのまま無為に尼子の残党と正面から当たっていては此方の被害も大きくなるのだぞ」
対して一揆衆の首領格は二人に堂々と、そして太々しく物申す。
「お二人は毛利様方のお人とお見受けすが、儂ら吉川様付きの香川の旦那に伝えぇべき情報は伝えちょります。
知らん間道を教えれ言われても困ってしまぁ。
そぉより早えトコこの戦を終わらしてごしなぃ。
でなえと農作業もできんけん」
それを聞いた才寿丸は一揆衆の首領格を鋭い目付きでしばらく見据え、やがて口を開く。
「早く戦を終わらせる為だからこそ間道のありかを問うておるのだ。
尼子の動向を報せるだけで毛利に恩を売り、間道のありかを伝えぬ事で尼子にも恩を売るつもりか。
この卑怯者どもが」
卑怯者。
才寿丸のその言葉に一揆衆がいきり立つ。
「卑怯だと、この若僧。
大人しゅう下手に出ら頭に乗って。
戦の最中に、たった二人が消えぇだけだ。
毛利の殿様方が勝ったとしても、わからんだらぁ。
囲んで叩き斬ってしまえぇ」
そう言って一揆衆は各々得物を手に取って構える。
俊実は懸念通り面倒な事になったと、顔をしかめて太刀を抜く。
「だから単騎での行動はお控えくださいと言ったのです。
こやつら一揆衆は我ら武士と違って主従の心得を持たぬ輩。
己の利害次第で領主にも刃を向ける連中ですぞ」
才寿丸を背に庇うように前に出る俊実。
三十年以上に渡って戦場を生き抜き、日々欠かさぬ鍛練により培ってきた武はたかだか数人の一揆衆に遅れを取るものではない。
刀身三尺に及ぼうかという太刀を構えれば、内から出る気は他を圧して威を放つ。
そんな俊実の背に庇われるのをよしとせぬか、才寿丸は俊実の横に並んで一揆衆を諭す。
「其方らはまだ我らが誰かを知らぬであろうであろう。
ただちにその手の得物を納め、我らに従うならば罪には問わぬ。
素直に間道のありかを教えるのだ」
しかし、一度頭に血の上った一揆衆に少年の諭旨は火に油でしかなかったようだ。
「甚五、われさんは備後では腕でそれなりに鳴らしちょったって言ぃちょったろ。
この大太刀を頼むじぇ」
首領格の呼び掛けに、一人の男が目深に被った編笠を少し持ち上げて才寿丸と俊実を見る。
対して俊実は編笠の男を威圧して言う。
「備後から流れてきた牢人風情か。
ならば神辺でこの大太刀を見ておらぬか」
去る天文十二年(一五四三年)から六年もの長きに渡り、毛利家は大内家と共に備後国神辺にあった村尾城に拠点とする尼子勢の山名理興を断続的に攻め立て、攻略した。
当時吉川家の家督を継いだばかりの元春も参戦し、まだ若き俊実もまたその元春に付き従い多大な武功を挙げたのだ。
すると編笠の男は小さく笑い、笠の顎紐をほどきながら言った。
「木工助殿、某の手柄を掠め取っていくような真似はよしてくだされ」
その言葉に俊実は怪訝な顔をして、編笠を取った男の顔をまじまじと見る。
「杉原播磨守の者、佐田の甚五郎でござる」
俊実は一瞬呆気にとられたが、事態を把握して破顔した。
「佐田……
おお、確か彦四郎殿の弟君であったか」
先に隆景も言っていた、各地に潜り込ませていた杉原盛重の抱える外聞衆の一人だ。
彦四郎とはこの甚五郎の兄で、盛重抱える外聞衆の中でも屈指の手練れと知られている。
毛利家重臣でも、その佐田彦四郎を始めとする盛重の抱える外聞衆を直接知る者は少ない。
しかし元春の推薦によって盛重が毛利家に仕えるようになった経緯もあり、吉川家と杉原家は親密な関係にもある。
吉川家重臣たる俊実も一度だけ佐田彦四郎に会った事があった。
逆に一揆衆はこの二人のやり取りに慌てるばかり。
集落に流れ着いた牢人が毛利家の内偵だったのだ。
「甚五、儂らを謀ったのか」
「毛利家の者が毛利家の領内の何処に住もうが勝手。
それに某の備後出身に嘘偽りはありませぬ」
甚五郎は首領格の声を涼風の様に受け流す。
「して佐田殿。
若殿が言われる様に、この山に尼子勢の背後をつく間道はあるのですか」
俊実に問われた甚五郎は小さく頷くと、少し腰を折ってまじまじと才寿丸を見た。
才寿丸自身、外聞衆と呼ばれる者を見るのは初めてだ。
なるほど、徴兵のない時は農夫である半民半農の一揆衆とは眼光が違う。
粗暴の色はなく、林に隠れた蛇も見逃さぬような鋭敏な光は隆景にも似ている。
『才寿丸、このまま甚五郎に喋らせればこの地の一揆衆は殺され、手柄は甚五郎のものだぞ』
甚五郎が視線を俊実に戻した瞬間、あの声が耳に聞こえた。
「待て、それはまずい」
思わず発した大きな声に俊実と甚五郎は驚き怪訝な顔で才寿丸を見る。
「わ、若殿、何がまずいのでありましょう。
間道のありかを詮索されていたのは若殿ではありませぬか」
尋ねる俊実に被せる様にあの声は才寿丸に話しかける。
『うむ、このまま甚五郎に手柄を持っていかれては折角……』
「そうではない。
この者らはこの今も、この先も毛利の領民。
無為に斬る事になるのはいかん」
それを聞いた甚五郎はなる程、と頷いて笑った。
一方で俊実は意味がわからず呆けた顔をする。
「我らが聞き出してそれを父に報告すれば、この者らは情報を隠匿した責を問われる。
あくまでこの者らから直接父に報告させるのだ。
『長く使われていなかった間道があった事を失念していた』とでも言い訳すれば、父もこの者らを無下にはすまい」
才寿丸の口から出た『父』という言葉に何かを察したのか、一揆衆の首領格は二人が何者なのかと、恐る恐る甚五郎に尋ねる。
「吉川駿河守元春様の三男、才寿丸様と吉川家随一の武勇と知られる二宮木工助俊実殿だ」
それを聞いた一揆衆は皆慌てて膝を付いて平伏するのだった。
かくして三人は一揆衆を連れて、元春や隆景に間道のありかを報告する事となった。
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