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第八話 一人問答
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地の利に勝る尼子勢が優勢の攻防が繰り返されたその晩。
宿舎として借り上げた寺で毛利勢の主だった将は軍議を開いていた。
「一揆衆の話だけでなく、杉原播磨守が抱える外聞衆の実地調査でも間道の存在は確認された」
総大将毛利輝元の隣、吉川元春は一揆衆からもたらされた情報とその真偽を諸将に説明し、床に広げられた布部山周辺の地図を指す。
地図には各隊を示す駒が置かれ、大まかな間道が書き加えられている。
戦前の予想通り敵陣は堅牢強固。
数に勝るとは言え、毛利方は既に細迫左京亮、田門右衛門尉、粟屋又左衛門が討ち取られ、戦況は芳しくない。
このまま布部山を背に高所の有利を取る尼子残党を正面から打ち破るのは至難に思われた。
「間道は山頂へと続き、中腹の尼子勢の背後へ出る。
高所からの挟撃は大きな勝機をもたらすだろう。
で、誰が突く。
やはり播磨守か」
布部山の先で孤立する月山富田城の兵糧も少ない。
尼子残党勢の背後をついて挟撃できる間道の存在は、今この状況を一気に打破する上で大きな意味を持つ。
元春が提案した杉原盛重は外聞衆だけでなく、かつて山賊や海賊であった者や傾き者を多く抱えており、隠密諜報だけでなく遊撃戦や後方の破壊工作を得意としていた。
全体に投げかけた元春の問いはまさに適材適所と思われ、一同は大きく頷いた。
ただ二人、元春の弟小早川隆景と名指しされた杉原盛重を除いて。
陰で能面とも揶揄される杉原盛重は、無表情のまま元春からの推薦を固持する。
「この挟撃の狙いは我が隊が得手とする陽動や撹乱を狙うものではなく、一気呵成の殲滅と存じます。
この場合敵の後方を突くべきは尼子勢の意表を突くに留まらず、背後に現れただけで震撼させ、恐慌に陥れる程の武名を誇る将。
主軍を離れた少数でありながらも大きな脅威となる隊でありましょう。
そしてそれは残念ながら我が隊では成せぬ事」
それを聞き元春は腕を組み、一つ大きく息を吐いた。
「又四郎」
元春は腕を組むと、同じく賛同の声をあげなかった弟隆景に投げ掛ける。
隆景は黙したまま、間道を書き足して床に広げた布部山の地図を見つめる。
暫し間をおき、顎に手をやり首を少し傾げると、独り言のような口調で言葉を紡ぎだした。
「播磨守殿の申される通り、この挟撃の主旨を鑑みれば適任は……
うむ、兄上の隊であろう……
しかしこの間道をつたい、尼子の背後に回るには幾ばくかの時がかかる……
とは言え……」
それは独り言ではなく、誰の目に見えぬ何者かとの会話のようであった。
すると才寿丸の脳裏にあの声が響く。
『才寿丸よ、黙したまま聞くがよい。
あの男、お主の叔父もまた我とは別の声を聞く。
あの男がどんな声を聞いているのか。
あの男が何を考えているのか。
しかと考えるのだ』
頭に響く声に促され、才寿丸は隆景の言葉を一字一句聞き漏らさぬ様に耳を傾ける。
声の主を信用して従ったつもりはない。
しかし先日叔父からも、この声は時に益にもなり、害にもなると諭されたばかりだ。
そしてこの声の勧めがきっかけで、戦の展開が変わろうとしている事は紛れもない事実だ。
「もし鹿介が三つ引き両紋(吉川家の家紋)の旗印が無いことに気付けばどう動くであろうか……
攻め手を緩めて警戒に当たるか……
そうなれば挟撃の威力は半減する……
あるいは嵩にかかって攻め降りてくるか……
その場合、どの隊が止める……
果たして止められるのか……
ならばそれを伏兵に嵌めるか……」
一つ一つ区切りながら紡がれる一人問答を姿無き声の主は感嘆する。
『あの口振り。
既に手懐け、従えておるか。
大した人物よ』
叔父もまた、別の声、手懐け、従える。
才寿丸は断片的な単語、これまで得た情報から思考を巡らせる。
他の者には聞こえぬ声。
しかし自分以外にも、同じ姿無き声を聞く者はいる。
別の声、という事は自分が聞く声とは異なる自我を持つ声、という事だろうか。
手懐け、従える、とは。
声の主の目的は何なのか。
そんな才寿丸の思考を一人の若武者が遮った。
「僭越ながら」
居並ぶ諸将が声の主を向く。
張りのある凛とした声の主。
それこそは才寿丸の兄、元資であった。
「此度の戦は大殿様より若殿様が初めて総大将として指揮を命じられ、まさに次代の毛利家を担う力を試されている戦と心得ます。
若殿様と共に次代の毛利家を担う意志と共に、願わくば吉川隊を割り、父駿河守率いる本隊は間道より敵背後を、そして残る私の隊は鹿介を止める任に当たりたく存じ上げます」
尼子再興軍の実質的な大将であり、山陰の麒麟児と謳われる豪勇を誇る山中鹿介に当たると名乗り出た元資。
元春は黙ったまま嫡子を見る目を細め、一つ大きく息を吐いた。
一方自身の言葉を遮られた格好の隆景は表情一つ変えずに、地図に置かれずに並べられていた駒の一つを手に取る。
そしてその二人に挟まれた輝元は『次代の毛利家を担う』という言葉に緊張の面持ちで身を固くしている。
暫しの間、周囲を沈黙が包み込む。
「その意気や、天晴れ也」
沈黙を破ったのは元資の祖父、熊谷信直だった。
「しかしながら鹿介の武勇、山陰の麒麟児の名に恥じず益々旺盛。
その鹿介に吉川家の嫡男を当てるとあらば、他家より、我らに人無しと侮られよう。
明日は我が三入熊谷勢が鹿介を受け止め、少輔次郎(元資の通称)殿には他部隊の牽制、補佐を願いたく存ずる」
すると居並ぶ諸将も負けじと、我も我もと名乗りを上げる。
にわかに活気づいた場を眺める総大将輝元は、満足そうに、かつ安堵したように頬を緩めて頷いた。
『やれやれ、もう少しあの男の独白を聞いていたかったのだが、お主の兄御に水を差されてしまったな』
喧騒の中でありながら、再びあの声が明朗に才寿丸の頭に響いた。
この時才寿丸は、不思議と冷めた目で喧騒の場を眺めていた。
声の影響で軍議に気持ちを入れられていなかったのかもしれない。
それを察したかの様に、姿なき声が問いかける。
『才寿丸よ、言葉に出さずともよい。
今、その冷めた目で何を見て、何を思う』
兄の言葉、思いに偽りはないだろう。
祖父はどうだろうか。
嘘偽りとは思わなかったが、素直に言葉通りとも受け止めにくかった。
本音五分、虚勢五分といったところか。
ではその後に続いた諸将の思いは如何なるものであろう。
我こそはと口々に名乗っているのは誰に対しての意思表示か。
父や叔父。
否。
ではその間に座す大将の従兄輝元。
否。
輝元の背後から睨んでいる祖父だ。
一代で山陽、山陰の大半を支配下においた稀代の謀将、毛利元就。
勇を奮っての名乗りではなく、元就を畏れ、虚栄の名乗り。
まだ幼いながら才寿丸にはそう映った。
『まずはよかろう』
才寿丸には何をよいのかわからなかったが、姿なき声はそう語りかける。
『恐らくあの男は答えを出しているだろうが、決めるのはお主の父御だろう。
そして一番の問題は果たして麒麟児を止められるかどうかだな』
これは才寿丸にも理解できた。
山陰、山陽に暮らして山中鹿介を知らぬ者はいない。
若くして大いに武威を振るい、寡兵で大軍に勝つこと数え切れないほど。
その武名は山陰、山陽に響き渡り、樵の子供や猟師の老人までもが日常の会話にするという。
そんな武将に、虚栄虚飾を気にかけた将が当たって止められる筈もない。
今この場で、鹿介に当たるべき将は兄元資しかおらず、そして毛利の武の中枢を担う吉川家の嫡男にその任を口にすべきは父元春なのだ。
叔父隆景は黙って元春に駒を差しだして委ねる。
隆景の様子を見て諸将の口が閉じた。
一転して静まりかえる場。
元春は黙って隆景から駒を受けとると、それを力強く地図上、布部山の麓に置いた。
「元資、麒麟児はお主と齢数年しか変わらぬ。
見事に越えてみせ、元春の子としてではなく、吉川元資個人として名をあげてみせよ」
元資は力強く床に両の拳を突き立てて頭を下げ、雄々しく答える。
そしてそれに呼応するかのように再度場が沸き立った。
「必ずやこの吉川少輔次郎元資が、次代の毛利の武を示して見せます」
この戦が月山富田城だけでなく、元資が、次代の吉川家が毛利の武の中枢に足るかを占う戦となる。
宿舎として借り上げた寺で毛利勢の主だった将は軍議を開いていた。
「一揆衆の話だけでなく、杉原播磨守が抱える外聞衆の実地調査でも間道の存在は確認された」
総大将毛利輝元の隣、吉川元春は一揆衆からもたらされた情報とその真偽を諸将に説明し、床に広げられた布部山周辺の地図を指す。
地図には各隊を示す駒が置かれ、大まかな間道が書き加えられている。
戦前の予想通り敵陣は堅牢強固。
数に勝るとは言え、毛利方は既に細迫左京亮、田門右衛門尉、粟屋又左衛門が討ち取られ、戦況は芳しくない。
このまま布部山を背に高所の有利を取る尼子残党を正面から打ち破るのは至難に思われた。
「間道は山頂へと続き、中腹の尼子勢の背後へ出る。
高所からの挟撃は大きな勝機をもたらすだろう。
で、誰が突く。
やはり播磨守か」
布部山の先で孤立する月山富田城の兵糧も少ない。
尼子残党勢の背後をついて挟撃できる間道の存在は、今この状況を一気に打破する上で大きな意味を持つ。
元春が提案した杉原盛重は外聞衆だけでなく、かつて山賊や海賊であった者や傾き者を多く抱えており、隠密諜報だけでなく遊撃戦や後方の破壊工作を得意としていた。
全体に投げかけた元春の問いはまさに適材適所と思われ、一同は大きく頷いた。
ただ二人、元春の弟小早川隆景と名指しされた杉原盛重を除いて。
陰で能面とも揶揄される杉原盛重は、無表情のまま元春からの推薦を固持する。
「この挟撃の狙いは我が隊が得手とする陽動や撹乱を狙うものではなく、一気呵成の殲滅と存じます。
この場合敵の後方を突くべきは尼子勢の意表を突くに留まらず、背後に現れただけで震撼させ、恐慌に陥れる程の武名を誇る将。
主軍を離れた少数でありながらも大きな脅威となる隊でありましょう。
そしてそれは残念ながら我が隊では成せぬ事」
それを聞き元春は腕を組み、一つ大きく息を吐いた。
「又四郎」
元春は腕を組むと、同じく賛同の声をあげなかった弟隆景に投げ掛ける。
隆景は黙したまま、間道を書き足して床に広げた布部山の地図を見つめる。
暫し間をおき、顎に手をやり首を少し傾げると、独り言のような口調で言葉を紡ぎだした。
「播磨守殿の申される通り、この挟撃の主旨を鑑みれば適任は……
うむ、兄上の隊であろう……
しかしこの間道をつたい、尼子の背後に回るには幾ばくかの時がかかる……
とは言え……」
それは独り言ではなく、誰の目に見えぬ何者かとの会話のようであった。
すると才寿丸の脳裏にあの声が響く。
『才寿丸よ、黙したまま聞くがよい。
あの男、お主の叔父もまた我とは別の声を聞く。
あの男がどんな声を聞いているのか。
あの男が何を考えているのか。
しかと考えるのだ』
頭に響く声に促され、才寿丸は隆景の言葉を一字一句聞き漏らさぬ様に耳を傾ける。
声の主を信用して従ったつもりはない。
しかし先日叔父からも、この声は時に益にもなり、害にもなると諭されたばかりだ。
そしてこの声の勧めがきっかけで、戦の展開が変わろうとしている事は紛れもない事実だ。
「もし鹿介が三つ引き両紋(吉川家の家紋)の旗印が無いことに気付けばどう動くであろうか……
攻め手を緩めて警戒に当たるか……
そうなれば挟撃の威力は半減する……
あるいは嵩にかかって攻め降りてくるか……
その場合、どの隊が止める……
果たして止められるのか……
ならばそれを伏兵に嵌めるか……」
一つ一つ区切りながら紡がれる一人問答を姿無き声の主は感嘆する。
『あの口振り。
既に手懐け、従えておるか。
大した人物よ』
叔父もまた、別の声、手懐け、従える。
才寿丸は断片的な単語、これまで得た情報から思考を巡らせる。
他の者には聞こえぬ声。
しかし自分以外にも、同じ姿無き声を聞く者はいる。
別の声、という事は自分が聞く声とは異なる自我を持つ声、という事だろうか。
手懐け、従える、とは。
声の主の目的は何なのか。
そんな才寿丸の思考を一人の若武者が遮った。
「僭越ながら」
居並ぶ諸将が声の主を向く。
張りのある凛とした声の主。
それこそは才寿丸の兄、元資であった。
「此度の戦は大殿様より若殿様が初めて総大将として指揮を命じられ、まさに次代の毛利家を担う力を試されている戦と心得ます。
若殿様と共に次代の毛利家を担う意志と共に、願わくば吉川隊を割り、父駿河守率いる本隊は間道より敵背後を、そして残る私の隊は鹿介を止める任に当たりたく存じ上げます」
尼子再興軍の実質的な大将であり、山陰の麒麟児と謳われる豪勇を誇る山中鹿介に当たると名乗り出た元資。
元春は黙ったまま嫡子を見る目を細め、一つ大きく息を吐いた。
一方自身の言葉を遮られた格好の隆景は表情一つ変えずに、地図に置かれずに並べられていた駒の一つを手に取る。
そしてその二人に挟まれた輝元は『次代の毛利家を担う』という言葉に緊張の面持ちで身を固くしている。
暫しの間、周囲を沈黙が包み込む。
「その意気や、天晴れ也」
沈黙を破ったのは元資の祖父、熊谷信直だった。
「しかしながら鹿介の武勇、山陰の麒麟児の名に恥じず益々旺盛。
その鹿介に吉川家の嫡男を当てるとあらば、他家より、我らに人無しと侮られよう。
明日は我が三入熊谷勢が鹿介を受け止め、少輔次郎(元資の通称)殿には他部隊の牽制、補佐を願いたく存ずる」
すると居並ぶ諸将も負けじと、我も我もと名乗りを上げる。
にわかに活気づいた場を眺める総大将輝元は、満足そうに、かつ安堵したように頬を緩めて頷いた。
『やれやれ、もう少しあの男の独白を聞いていたかったのだが、お主の兄御に水を差されてしまったな』
喧騒の中でありながら、再びあの声が明朗に才寿丸の頭に響いた。
この時才寿丸は、不思議と冷めた目で喧騒の場を眺めていた。
声の影響で軍議に気持ちを入れられていなかったのかもしれない。
それを察したかの様に、姿なき声が問いかける。
『才寿丸よ、言葉に出さずともよい。
今、その冷めた目で何を見て、何を思う』
兄の言葉、思いに偽りはないだろう。
祖父はどうだろうか。
嘘偽りとは思わなかったが、素直に言葉通りとも受け止めにくかった。
本音五分、虚勢五分といったところか。
ではその後に続いた諸将の思いは如何なるものであろう。
我こそはと口々に名乗っているのは誰に対しての意思表示か。
父や叔父。
否。
ではその間に座す大将の従兄輝元。
否。
輝元の背後から睨んでいる祖父だ。
一代で山陽、山陰の大半を支配下においた稀代の謀将、毛利元就。
勇を奮っての名乗りではなく、元就を畏れ、虚栄の名乗り。
まだ幼いながら才寿丸にはそう映った。
『まずはよかろう』
才寿丸には何をよいのかわからなかったが、姿なき声はそう語りかける。
『恐らくあの男は答えを出しているだろうが、決めるのはお主の父御だろう。
そして一番の問題は果たして麒麟児を止められるかどうかだな』
これは才寿丸にも理解できた。
山陰、山陽に暮らして山中鹿介を知らぬ者はいない。
若くして大いに武威を振るい、寡兵で大軍に勝つこと数え切れないほど。
その武名は山陰、山陽に響き渡り、樵の子供や猟師の老人までもが日常の会話にするという。
そんな武将に、虚栄虚飾を気にかけた将が当たって止められる筈もない。
今この場で、鹿介に当たるべき将は兄元資しかおらず、そして毛利の武の中枢を担う吉川家の嫡男にその任を口にすべきは父元春なのだ。
叔父隆景は黙って元春に駒を差しだして委ねる。
隆景の様子を見て諸将の口が閉じた。
一転して静まりかえる場。
元春は黙って隆景から駒を受けとると、それを力強く地図上、布部山の麓に置いた。
「元資、麒麟児はお主と齢数年しか変わらぬ。
見事に越えてみせ、元春の子としてではなく、吉川元資個人として名をあげてみせよ」
元資は力強く床に両の拳を突き立てて頭を下げ、雄々しく答える。
そしてそれに呼応するかのように再度場が沸き立った。
「必ずやこの吉川少輔次郎元資が、次代の毛利の武を示して見せます」
この戦が月山富田城だけでなく、元資が、次代の吉川家が毛利の武の中枢に足るかを占う戦となる。
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