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第十話 入城
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才寿丸は息を切らし、掠れる声で呼びかける。
「と、俊実」
対して俊実は凛として応じる。
「はっ、俊実はこれに」
流石歴戦の勇将。
微塵も疲れを感じさせず、三尺もの大太刀を小枝のように軽々と振るう。
才寿丸は目線は前方を見たまま足を止めず、喉の痛みを堪えながら呼びかける。
「こ、このまま、敵陣に、切り込む。
尼子、本陣が、既に落ちて、いる事を、ふれ回り、兄の元まで、突き進む。
味方を、励ますんだ」
息も絶え絶え、足取りもおぼつかない。
だが語気は強い。
疲労困憊の様子だが懸命な才寿丸に、俊実どこか嬉しそうに答える。
まだ元服もしていない。
初めての合戦。
体力が限界なのは察している。
それでも己を顧みない指示は勝利のため、味方を助けるため。
俊実は才寿丸に代わって声を張り上げる。
「者共、このまま尼子本隊の背後へ切り込む。
あらん限りの声で布部山頂は吉川隊が制圧した事を叫び、尼子本隊の先にいる味方を励ますのだ」
俊実の指示のもと、斜面を駆け降りる吉川隊は口々に『布部山頂は吉川が制圧した』と叫びながら吉川隊は甘子本隊に背後から切り込んだ。
虚を突かれた尼子勢は慌てふためき、みるみる隊列を崩していく。
「このまま味方本隊まで突き抜けよ」
再度俊実が指示を飛ばす。
才寿丸の五体は『苦しい』や『重い』という感覚を通り越し、痛みへと変わっていた。
全身に杭を打たれ、刀を振るう腕は今にも千切れそうだ。
だが才寿丸の握力が緩む事はない。
そして今この状況に対して、疲労以上に驚きを感じていた。
昨日あれだけ堅牢さを誇っていた尼子勢が、隊列を崩して混乱している。
早々にこの戦場から逃げ出そうとしている兵も認められる。
父や兄から兵法、戦術を学んではきたが、これ程に威力を発揮するものとは思ってもいなかった。
無論ここに至るまでに麓で耐える味方がおり、裏手に回って休みなく進軍、急襲した自分達がおり、言葉にするだけでは伝わらない苦しみ、辛さがあってこそのものだった。
だがそれがなければあの堅牢な尼子勢を打ち崩す事はできなかっただろう。
そしてそこに個人の武勇が及ぼす影響とは。
これまで武技の鍛練は苦しくとも、楽しさを感じていた。
若い頃から馬上で太刀を振るい、弓を引く父や兄の話を聞いて胸を踊らせてきた。
だが一方で戦場での戦術や兵法、更には算術や礼法など、机上の学問にはなかなか興味を持てなかった。
しかし今この状況に至ったのは決して何者かの武勇によるものではない。
そんな思いを胸にしていた才寿丸は、ある騎将の姿を見て思わず叫んだ。
「兄上」
まさかとは思っていたが、父の代役を務める兄が最前線に出ている事に驚いた。
また呼ばれた元資も才寿丸を認めてると大いに驚き、大きな声をあげて呼び返す。
「才寿丸」
俊実がすぐ背後に付き添っているとは言え、まさか挟撃部隊の先頭をきって、自身の元まで駆け抜けてくるとは思ってもみなかった。
未明からの進軍、そして息つく間もない攻勢。
まだ幼少の体には相当堪えている筈だ。
元資の元に駆け寄った才寿丸は膝は大きく震わせ、体を『く』の字にする。
全身を大きく揺らして息を整える。
「あ、兄上……良かった、無事で……」
元資は才寿丸の言葉に、目を丸くして俊実と目を合わせ、思わず笑ってしまった。
「それはこちらの台詞だ。
そんな息も絶え絶えにも関わらず、私の身を案じてくれるとは大したものだ」
元資が返すと、才寿丸が来た方角とは別の隊が乱戦に突入してきた。
先刻より元資の指示により潜んでいた宍戸隊だ。
既に本陣が落ちた事を知らされ、さらに挟撃によって混乱した尼子の軍にこの伏兵に対応する余力などなかった。
尼子勢は散り散りに撤退していくのだった。
その後毛利勢はその日のうちに月山富田城に到達した。
才寿丸は月山富田城に到着すると、疲労のあまり意識を失ってしまう。
元春が『だらしない』と憤ったが総大将の輝元や隆景によってとりなされ、俊実に担がれて入城した。
月山富田城には輝元、小早川隆景、福原貞俊、それぞれの隊、及び負傷者が残され、兵糧の搬入や負傷者の手当てを担当。
元春は他の将兵を引き連れて敗走する尼子勢の追撃に出た。
尼子勢の将兵は多くの死傷者をだしたが、鹿介が殿を指揮し、なんとか末次城まで撤退、入城した。
才寿丸が意識を取り戻した頃には日が暮れかかった頃だった。
城下にて吉川家にあてがわれた屋敷。
目覚めた才寿丸は全身の痛みをこらえて身を起こした。
全身は体内の血がどろどろに煮詰まったかの様にだるく、節々は鎹を打ち込まれたかの様に硬い。
「あ、若様、お目覚めですね」
ゆっくりと、苦しそうに起き上がった才寿丸に気付いた小姓がそう呼び掛けると部屋から出ていく。
「若、お目覚めでございますな」
程なく俊実が笑みを浮かべて入ってきた。
戦場での険しく引き締まった表情からは一変した、穏やかで柔和な表情を見て、才寿丸は一瞬別人かと錯覚した。
才寿丸は夕日を浴びて赤く染まった障子に視線を向ける。
「ここは……
ど、どれほど寝ていた……
父上や兄上は」
俊実は才寿丸の側に寄り、座すと拳を床に立てて答える。
「ここは月山富田城下の吉川家用の屋敷でございます。
駿河守様や少輔次郎様は、逃れた尼子の残党を追撃に出ておられます」
才寿丸は握った拳を震わせながら持ち上げ、少しの間をおいてゆっくりと膝に降ろした。
「私は……ついていけなかったのか……
父上に大口を叩き、母上や兄上に後押しをしてもらい、初陣を願いながら……
其方に守られ、この身を負傷した訳でもなく……戦の最中に気を失い……ただ吉川の子だからと……屋根の下……のうのうと寝ておったのか……」
俊実から顔を背け、才寿丸は肩を、声を震わせる。
「なんの若。
そう悲観なさいますな。
若はまだ元服前の御歳十歳にして初陣の身。
毛利の若殿様も若の奮戦振りを聞きいて大いに悦ばれ、お目覚めになられたら是非会いたいとの仰せでございます。
小早川中務大輔様も大変に御感心されておりました」
それを聞いて才寿丸はハッとする。
「お二人はいずこにおわす」
才寿丸の本心としては輝元はどうでもよかった。
しかし、その知謀毛利家随一と呼ばれる伯父隆景にこの戦をどう感じたか一番の勝因となったものは何か。
戦における個の武技とは、戦術とは。
是非聞いてみたい。
『ふむ、それはよい。
その問いとその答えによってはお主の今後に大きな意味を持つだろう。
それにあの男が正を好むか、奇を好むか、興味もある』
才寿丸は微かに身を強張らせた。
布部山では無我夢中で忘れていたあの声だ。
興味とは。
正と奇とは。
何を言っているのかまるで意味がわからない。
とは言え、この声に従った事で布部山での戦の活路が拓かれたのも事実だ。
今は何も言うまい。
『よき心がけだ』
才寿丸の思考を読んだかの様に小さく笑って語りかける声に苛立ちを感じつつも才寿丸はゆっくりと立ち上がった。
「若殿様と中務大輔様にお会いしに参ろう」
「と、俊実」
対して俊実は凛として応じる。
「はっ、俊実はこれに」
流石歴戦の勇将。
微塵も疲れを感じさせず、三尺もの大太刀を小枝のように軽々と振るう。
才寿丸は目線は前方を見たまま足を止めず、喉の痛みを堪えながら呼びかける。
「こ、このまま、敵陣に、切り込む。
尼子、本陣が、既に落ちて、いる事を、ふれ回り、兄の元まで、突き進む。
味方を、励ますんだ」
息も絶え絶え、足取りもおぼつかない。
だが語気は強い。
疲労困憊の様子だが懸命な才寿丸に、俊実どこか嬉しそうに答える。
まだ元服もしていない。
初めての合戦。
体力が限界なのは察している。
それでも己を顧みない指示は勝利のため、味方を助けるため。
俊実は才寿丸に代わって声を張り上げる。
「者共、このまま尼子本隊の背後へ切り込む。
あらん限りの声で布部山頂は吉川隊が制圧した事を叫び、尼子本隊の先にいる味方を励ますのだ」
俊実の指示のもと、斜面を駆け降りる吉川隊は口々に『布部山頂は吉川が制圧した』と叫びながら吉川隊は甘子本隊に背後から切り込んだ。
虚を突かれた尼子勢は慌てふためき、みるみる隊列を崩していく。
「このまま味方本隊まで突き抜けよ」
再度俊実が指示を飛ばす。
才寿丸の五体は『苦しい』や『重い』という感覚を通り越し、痛みへと変わっていた。
全身に杭を打たれ、刀を振るう腕は今にも千切れそうだ。
だが才寿丸の握力が緩む事はない。
そして今この状況に対して、疲労以上に驚きを感じていた。
昨日あれだけ堅牢さを誇っていた尼子勢が、隊列を崩して混乱している。
早々にこの戦場から逃げ出そうとしている兵も認められる。
父や兄から兵法、戦術を学んではきたが、これ程に威力を発揮するものとは思ってもいなかった。
無論ここに至るまでに麓で耐える味方がおり、裏手に回って休みなく進軍、急襲した自分達がおり、言葉にするだけでは伝わらない苦しみ、辛さがあってこそのものだった。
だがそれがなければあの堅牢な尼子勢を打ち崩す事はできなかっただろう。
そしてそこに個人の武勇が及ぼす影響とは。
これまで武技の鍛練は苦しくとも、楽しさを感じていた。
若い頃から馬上で太刀を振るい、弓を引く父や兄の話を聞いて胸を踊らせてきた。
だが一方で戦場での戦術や兵法、更には算術や礼法など、机上の学問にはなかなか興味を持てなかった。
しかし今この状況に至ったのは決して何者かの武勇によるものではない。
そんな思いを胸にしていた才寿丸は、ある騎将の姿を見て思わず叫んだ。
「兄上」
まさかとは思っていたが、父の代役を務める兄が最前線に出ている事に驚いた。
また呼ばれた元資も才寿丸を認めてると大いに驚き、大きな声をあげて呼び返す。
「才寿丸」
俊実がすぐ背後に付き添っているとは言え、まさか挟撃部隊の先頭をきって、自身の元まで駆け抜けてくるとは思ってもみなかった。
未明からの進軍、そして息つく間もない攻勢。
まだ幼少の体には相当堪えている筈だ。
元資の元に駆け寄った才寿丸は膝は大きく震わせ、体を『く』の字にする。
全身を大きく揺らして息を整える。
「あ、兄上……良かった、無事で……」
元資は才寿丸の言葉に、目を丸くして俊実と目を合わせ、思わず笑ってしまった。
「それはこちらの台詞だ。
そんな息も絶え絶えにも関わらず、私の身を案じてくれるとは大したものだ」
元資が返すと、才寿丸が来た方角とは別の隊が乱戦に突入してきた。
先刻より元資の指示により潜んでいた宍戸隊だ。
既に本陣が落ちた事を知らされ、さらに挟撃によって混乱した尼子の軍にこの伏兵に対応する余力などなかった。
尼子勢は散り散りに撤退していくのだった。
その後毛利勢はその日のうちに月山富田城に到達した。
才寿丸は月山富田城に到着すると、疲労のあまり意識を失ってしまう。
元春が『だらしない』と憤ったが総大将の輝元や隆景によってとりなされ、俊実に担がれて入城した。
月山富田城には輝元、小早川隆景、福原貞俊、それぞれの隊、及び負傷者が残され、兵糧の搬入や負傷者の手当てを担当。
元春は他の将兵を引き連れて敗走する尼子勢の追撃に出た。
尼子勢の将兵は多くの死傷者をだしたが、鹿介が殿を指揮し、なんとか末次城まで撤退、入城した。
才寿丸が意識を取り戻した頃には日が暮れかかった頃だった。
城下にて吉川家にあてがわれた屋敷。
目覚めた才寿丸は全身の痛みをこらえて身を起こした。
全身は体内の血がどろどろに煮詰まったかの様にだるく、節々は鎹を打ち込まれたかの様に硬い。
「あ、若様、お目覚めですね」
ゆっくりと、苦しそうに起き上がった才寿丸に気付いた小姓がそう呼び掛けると部屋から出ていく。
「若、お目覚めでございますな」
程なく俊実が笑みを浮かべて入ってきた。
戦場での険しく引き締まった表情からは一変した、穏やかで柔和な表情を見て、才寿丸は一瞬別人かと錯覚した。
才寿丸は夕日を浴びて赤く染まった障子に視線を向ける。
「ここは……
ど、どれほど寝ていた……
父上や兄上は」
俊実は才寿丸の側に寄り、座すと拳を床に立てて答える。
「ここは月山富田城下の吉川家用の屋敷でございます。
駿河守様や少輔次郎様は、逃れた尼子の残党を追撃に出ておられます」
才寿丸は握った拳を震わせながら持ち上げ、少しの間をおいてゆっくりと膝に降ろした。
「私は……ついていけなかったのか……
父上に大口を叩き、母上や兄上に後押しをしてもらい、初陣を願いながら……
其方に守られ、この身を負傷した訳でもなく……戦の最中に気を失い……ただ吉川の子だからと……屋根の下……のうのうと寝ておったのか……」
俊実から顔を背け、才寿丸は肩を、声を震わせる。
「なんの若。
そう悲観なさいますな。
若はまだ元服前の御歳十歳にして初陣の身。
毛利の若殿様も若の奮戦振りを聞きいて大いに悦ばれ、お目覚めになられたら是非会いたいとの仰せでございます。
小早川中務大輔様も大変に御感心されておりました」
それを聞いて才寿丸はハッとする。
「お二人はいずこにおわす」
才寿丸の本心としては輝元はどうでもよかった。
しかし、その知謀毛利家随一と呼ばれる伯父隆景にこの戦をどう感じたか一番の勝因となったものは何か。
戦における個の武技とは、戦術とは。
是非聞いてみたい。
『ふむ、それはよい。
その問いとその答えによってはお主の今後に大きな意味を持つだろう。
それにあの男が正を好むか、奇を好むか、興味もある』
才寿丸は微かに身を強張らせた。
布部山では無我夢中で忘れていたあの声だ。
興味とは。
正と奇とは。
何を言っているのかまるで意味がわからない。
とは言え、この声に従った事で布部山での戦の活路が拓かれたのも事実だ。
今は何も言うまい。
『よき心がけだ』
才寿丸の思考を読んだかの様に小さく笑って語りかける声に苛立ちを感じつつも才寿丸はゆっくりと立ち上がった。
「若殿様と中務大輔様にお会いしに参ろう」
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