天狗の囁き

井上 滋瑛

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第十九話 挙兵

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 時を遡り慶長五年七月。
 広家は大阪の毛利邸にいた。
 内府徳川家康の号令した、会津の上杉景勝征伐に参陣する途上だった。
 道中の播磨国明石で、共に会津征伐に参陣する安国寺恵瓊の使者が現れ、大坂に呼び出されたのだ。
 その大坂は城内も城下も、一つの騒ぎで持ちきりだった。
 近江の佐和山城に蟄居していた石田三成が、家康に対して挙兵したのだ。
 三成の軍勢は二千とも五千とも、あるいは一万とも言われ、諸々の噂話が飛び交う。
 三成の今後の動向、誰々が同調している、更には三成の背後で別の糸を引く者がいる等、憶測が憶測を呼ぶ。
 そして噂話に花を咲かすのは大坂城内、城下の区別はない。
 曰く、
「流石に一万とは荒唐無稽であろう。
 佐和山で蟄居してからの間に一万もの兵を動員できるわけも無かろう」
「いやいや、石田治部は会津の直江山城守と昵懇。
 内府の会津攻めも、共謀して誘い出しであったとすれば、それ相応の準備も支援もあろう」
「そもそも内府は今何処におる」
「この一大事に会津征伐ではなかろう。
 いつ戻ってくるのか」
 等々……
 この憶測だけで何も生まれぬ話に、広家はうんざりしていた。
 ただ一つ言える事は、豊臣に臣従する諸大名は妻子を大坂の私邸に留め置いている。
 三成が会津に向かっている諸大名の人質として、その妻子を確保に動くであろう事は明白であった。
 広家は毛利屋敷の一室にて、腹心の二宮俊実と冷や水を交わし、残暑を凌いでいた。
 広家は三成を評価していない。
 亡き太閤秀吉に心酔しているが、戦術は秀吉の猿真似。
 厳格勤勉で行政手腕は秀でる一方、融通が一切効かない。
 学びえた知識、知り得た情報を、その状況に合わせて変化応用させる事ができないのだ。
 更には武人を軽んじ、横柄な物言いもあって、反感を生む。
 過去には広家も苦々しい思いをさせられた事がある。
 能吏ではあるのだが、好き嫌いの分かれる人物だ。
「会津の後詰が近江佐和山攻めとなりますかのう。
 会津までの道程を思えば、この老体には助かりますが」
 齢八十を目前にした、かつての猛将は喉を鳴らして冷や水を飲む。
 まるで縁側で日向ぼっこをしている様な、呑気な物言いに広家は釣られる様に笑った。
「いやいや、爺。
 そもそも最初から来なくてもよいと、言うたではないか。
『最期の死に場所をお与えください』などと、母上にまで縋りおって。
 もう自慢の大太刀も満足に振るえぬと言うのに」
 この生粋の戦人は畳の上での老衰を良しとせず、戦場で散りたいとせがん従軍したのだ。
 しかし寄る年波には勝てず、かつての筋骨隆々とした五体は痩せ縮み、大太刀は何年も持っていない。
 しかし俊実は涼しい顔で笑う。
「あの時の随浪院様も、同じお気持ちだったのではありませぬかのう。
 それに心配なされなくとも、いざ戰場に立てば力は山を抜き、気は世を蓋いまする。
 それが戦人、武士というものでございます」
 あの時とは広家が初陣を願い出た時の事だ。
 戯言だが、広家は満更でもなさそうに笑う。
「よいよい。
 爺ならば、どんな戯れも許す。
 儂の隣で笑うておればよい。
 いざとなれば儂が護ってやる。
 なにせ石田治部の元には、軍略家で知られる嶋左近がおる。
 治部が彼に指揮を委ねる事ができれば、難儀な事になるやもしれぬからな」
 嶋清興、通称左近は『治部少(三成)に過ぎたるもの』と謳われる程の知勇兼備で名の知れた名将だ。
『治部が指揮を委ねる事ができれば、か』
 脳裏の天狗が失笑した。
 いかに嶋が優れた軍略を練ろうが、三成がそれに頷かなければただの絵空事でしかない。
 広家は三成からその胆力、度量を感じていない。
 過去に三成が上げてきた功績、亡き太閤秀吉の後ろ盾あってこそのものだった。
 太閤亡き後には、以前から不穏だった武断派との対立が表面化し、果ては大坂の屋敷を襲撃されるにまでいたった。
 この時にやはり敵対していた家康からの仲裁を受け、蟄居を条件に絶体絶命の危機を免れたのだ。
 厳格勤勉な能吏であっても、人を統べ率いる将に足り得ない。
 それが広家の三成評だった。

 初陣より三十年もの月日が経ち、今や広家は天下に屈指の歴戦の将となっていた。
 吉川の家督を継承してからは主に毛利別働隊の指揮を任されてきた。
 毛利本隊や、時には他家の隊と連携し、敵の陽動や急襲作戦など、高い戦術眼と判断力を要求される采配を振るってきた。
 それが大いに示されたのが慶長年に行われた朝鮮出兵、慶長の役における蔚山城の戦いだった。
 日本軍が築城途中だった蔚山城は完成直前に、明と朝鮮の連合軍の急襲を受けて包囲された。
 包囲する明と朝鮮の連合軍は兵五万を越える大軍。
 一方の籠城する日本軍は加藤清正率いる一万。
 完成前という事もあり、水や兵糧の備蓄は少なく、十二月の厳寒と飢餓に倒れる者が続出し、落城は時間の問題だった。
 救援軍に参加していた広家は、死地を恐れず自ら陣頭に立って突撃を繰り返したのだ。
 これに立花宗茂、黒田長政らが続き、寡兵をものともしない猛攻に恐慌した明軍は敗走を開始。
 広家は更に他家の隊とも連携しつつ、明軍の退路を遮断することで逃げ場のない池に追い込んで大戦果を上げたのだ。
 この活躍は清正から激賞され、清正が使用していた物と色違い、赤く染められた婆々羅の馬印を贈られた。
 またこの報を受けた秀吉からも、日本槍柱七本の一人と讃えられた。

 広家は三成が動員出来る兵数は良くて五千と読んでいる。
 自身は三千余の軍勢を、そしてこれから恵瓊の二千弱の軍勢と合流する。
 三成相手に兵は同数であれば、分ける事はあったとしても負ける事はない。
 決して自惚れなどではなく、戦人として積み上げてきた自信があった。
 俊実の呑気も、初陣よりその成長をすぐ側で見てきた信頼からだった。
「出雲侍従(広家)様、福原式部様がお見えになっております」
 室外からの小姓の声に、広家は苦笑しながら『通せ』と答えた。
「奉行衆(前田玄以、増田長盛、長束正家)の愚痴でも言いにきたのか」
 そして招き入れられた福原広俊もまた、広家の戯言に苦笑する。
「出雲侍従様もたまに城に上って、某の代わりに奉行衆の相手をしてくだされ。
 石田治部、石田治部、と耳鳴りがしまする」
 家中で代々重きを成してきた福原家の若き当主は、爽籟の如き声色で広家を笑わせる。
 声色だけでなく顔立ちも端正で、輝元の信認も厚い。
 輝元が大坂で政務を執っていた際は補佐役を担い、大大名毛利輝元の右腕とも言える立場でもある。
 奉行衆や大坂城内の者とも近しく、何かと声をかけられる事も多い。
「だから上らぬのだ。
 そんな耳鳴りがしては、夜も不快で寝られなくなってしまうではないか」
 広家は笑いながら広俊に白湯を差し出す。
 座して白湯を受け取った広俊は一転して真面目な表情となり、広家に問うた。
「出雲侍従様は此度の石田治部の挙兵、その先をどうご覧になられますか」
 爽籟そうらいの声色が変わり、虎落笛もがりぶえの鋭さを帯びる。
 広家は宙を眺め、顎を擦った。
「さて、のぅ……」
 はぐらかす様な返事に、広俊は一足分の間を詰める。
「某は天下の大事になると考えております」
「ほう……」
 広家の眉が微かに跳ねた。
「今の治部に、内府と大きな戦が出来る様な兵を動員出来ると見るか。
 儂は治部が動員できるのはせいぜい五千がいい所と思っておるが」
 その言葉はまるで広俊を試す様でもあり、探りをいれる様でもあった。
 ここまでの広俊の言葉は、城内で無為に喚いている連中と変わりない。
 だが広家も、この福原家の若き当主がその程度の人物とは思っていない。
「治部だけの力で見れば、左様でございましょう。
 とは言え、治部は決して阿呆ではありませぬ。
 そう容易くは、かの秀岳院と同じ轍を踏みますまい」
 広家は視線をゆっくりと広俊に移し、静かに笑みを浮かべた。
「面白い事を言う。
 確かに今の内府と治部、当時の豊国大明神と秀岳院と似ているやもしれぬな」
 広家の言う『当時の豊国大明神と秀岳院』とは、天正十年(西暦一五八二年)の羽柴秀吉と明智光秀の事だ。
 本能寺で主君織田信長を討った明智光秀は、中国戦線からの大返しを打った羽柴秀吉との天王山の戦いに破れた。
 秀吉の天下人への道はそこから始まったとも言える。
「内府が関東より大返しを打ち、天下分け目の大戦か」
「然り。
 無論、治部はここ大坂の中納言(豊臣秀頼)様を討つのではなく、奉戴して内府を迎え討とうと動きましょう」
 この男は何かしらの情報、読みを持っている。
 広家は察した。
「其方は何を握っておる。
 此度の治部と秀岳院と、違う何を知っておる」
 広家の問いに、広俊は眼光鋭く答える。
「会津は無論の事ですが、加えまして宇喜多(秀家)中納言、大谷(吉継)刑部が治部と繋がっております」
「宇喜多中納言……」
 広家は小さく呟いた。
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