絵師乙桐の難儀なあやかし事情

瀬川秘奈

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箱入り娘

〈箱入り娘〉其の弐

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 浅草寺を十町程北に行き、大門を抜けた先。赤格子が立ち並ぶ、夜だけ此の世の楽園を謳う町。
 吉原遊廓。
 一応夜見世だけじゃあなく、昼見世もやってはいるのだが。大概昼に訪れる連中は、出稼ぎの為に江戸の町に来ただけの奴か、やたらとおんなに入れ上げて、ほんの少しでも永く傍に居たいと酔いしれる、酔狂な奴らばかりである。
 お茶っ挽き女郎ならば昼も夜も機会を伺っては股を開くが、太夫ともなれば時々、端金には用が無いとでも言う様に、夜見世のみに出てくる妓も居た。
 皆、借金のカタに売られて来たのだから、基本的には年季が明けるか、何処かの金持ちに身請けされる迄娑婆に出る事は叶わない。
 河岸見世の鉄砲女郎も大見世の花魁も、女郎として働く以上、その縛りだけは共通であった。
 逆に言ってしまえば、価値が高ければ高い程、それはもう大切に大切にされるが故に、ある程度の自由とそれから、余裕が生まれると言う事だ。

 その吉原遊廓で、やたらと名が広まっている女郎が居た。
 謳い文句を【月下の芙蓉】と言い、何年か前に同じ通り名の女郎が居たのだが、その女郎と全く同じ見世と言う事も有り、専ら噂話の種になっている。

 曰く、閨は勿論の事、芸事にも長けていて、何より思わずぞくりとしてしまう程に美しい。誰が言い出したのかは知らないが、月の下の花とは全く上手く言ったもんだ、と。
 そう賞賛されるだけの全てを兼ね備えているにも関わらず、何故か一向に太夫にならない女郎。

 その少しばかり奇妙なところが、余計に月下の芙蓉の価値を高めていたのだが··········。

「ちょいと邪魔をするよ!乙桐おとぎり

 そう言って無造作に扉を開け放った女を、出迎えの為に近付いていた赤眼あかめがぼぉっと眺めた。
 女にしては珍しく長身の彼女は、当然の様に赤眼を見下ろしてにっこりと笑う。

「おやまぁ赤眼じゃあないかい!嬉しいねぇ。赤いべべ着た可愛い赤眼。出迎えがアンタとは、アタシも幸先が良いもんだ」
「かやっ子さ姉さまじゃねぇか。なしたさ?」
「アタシに用は無いさねぇ」

 突然やって来て断りも無く扉を開けた主に対しては、些か慣れた対応と言うかなんと言うか。
 女と同じ様ににっこりと笑いこそはしなかったものの、それでも赤眼はこのやたらと傍若無人な客人を嫌悪する事は無い。
 女も女で己が今やらかした事が、なかなかに失礼に値する行為であるとは思ってもいない様だ。

「用さがねぇならなして来た?」
「アタシ"に"用は無いだけで、アタシの連れはアンタの先生に用が有るみたいなんだよ」
「連れ?··········なぁんだ、かやっ子さじゃねぇのか」

 暗に「連れが居る」と女に言われた赤眼は、すぐに女の背後を覗いて、それから少しばかり残念そうな表情を浮かべる。
 それを見た女は何やら申し訳なさそうな顔をして、まるでこの出迎えてくれた童女に言い聞かせるかの如くしゃがみ込んだ。

「あの子は滅多に大門の外に出られやしないからねぇ。堪忍しておくれ」
「ん~にゃ、そん内せんせさにおねげぇして、わしさがかやっ子さに会いに行げばいいんだべ」
「そうしてくれると助かるさね。あの子もきっと喜ぶだろうよ」

 このにこやかに語り合う二人には、相当の縁が有る。そも赤眼に関しては女と言うよりかは、女の近くに居る者との深い縁が繋がっていた。
 その為、赤眼は女を名では呼ばずに、"かやっ子さ姉さま"="かやのお姉さん"と称している。
 一方女の方はと言えば、この住処の主である絵描きの男との方が強い結び付きがあった。
 お互いに強い縁が在るなんざ、それを第三者として本人達が聞いた暁には、頑なに否定をしそうなものでは有るのだが。
 とにもかくにも女は、そう言った繋がりが有ったが故に、さも家主の様に無遠慮に断りも無く扉を開けたのだ。

 唯一の哀れは、女の後ろに居た娘だろう。
 如何にも良い所の娘さんだと分かる程に質のいい着物を纏った彼女は、今しがた目の前で行われた非常識な女の行動に、ただひたすらに狼狽えている。
 関係性も何も知ったこっちゃあない。明らかに此処へ初めて来たのだろう事が分かる慌てっぷりは、見る人が見れば少しばかりの同情心が湧きそうになる程だった。

「んだで、連れさ誰じゃ?かやっ子さ姉さま」
「ん?嗚呼、この子は"とよ子"」
「とよっ子?」

 ふと、女の後ろで縮こまって居た娘を視界に入れた赤眼は、笑いもせずだからと言って嫌がりもしていない。所謂、無表情で女に問い掛けた。

「ちぃっとばかし前に知り合ったばかりなんだけれども、話を聞く限り、アタシよりもアンタの先生の方が余っ程向いてそうな野暮を抱えていてねぇ」
「ふぅん·····」

 何かをじぃっと見定め様としている風の、そんな視線が娘に纏わりついて娘はほんの少しばかり戸惑っていたのだが、女が赤眼に再び話し掛けた事で、その目から解放される。

「目には目を歯には歯を、野暮用には野暮な男を。どうだい?」

 どこか悪戯っぽく笑った女に、赤眼はコクリと頷いた。

「呼んでくっけぇ、そこさ座って待っててけろ」
「あい、頼んだよ」

 そう言った赤眼は奥の部屋へと歩いて行き、残された女と娘はと言えば、今しがた童女に指されたばかりの場所に座る。
 絵具だろうか?独特の匂いがする空間と、無造作に散らばる紙の束。人一人分が座れそうな畳の空きに、それをぐるっと囲む様にやはり紙の束と絵具が並んでいる。
 今は描いている物が無いのか、乾かし途中の絵が無い事と、それから何故だか絵筆が一本足りとも無い事以外では、誰がどう見ても絵師の住処でしかない。
 相も変わらず居心地の悪そうな面持ちの娘は、キョロキョロと辺りを見渡しながら左隣の女に話しかけた。

「あの子は?」
「ん?嗚呼、あれは赤眼。その名の通り目が赤かったろう?鬼灯の実のようで、ついアタシも時々、色々とゾッとしちまうのさ」
「絵師先生の子、なんでしょうか?」
「さぁねぇ?その辺の事情は知りやしないが、ただまぁ縁者じゃあ無い事は確かだねぇ。だってほんの少しばかりも似ていないんだもの、あの二人は」

 女の言う通り、絵師と赤眼はちっとも似ていなかった。
 仮に多少なりとも似ている箇所があったのならば、常日頃から訳有りさんとして遠巻きに見られてはいないのだろう。
 髪の色、目の色、声、話し方、立ち方、仕草。その他、どれを取っても全く似ていない。赤の他人、無関係の様に見えてしまうからこそ、訳が有ると思われてしまうのだ。
 娘こと、とよ子は左腕を擦りながら畳のへりを眺める。

「それならば奉公人、とかでしょうか?」

 ぽつりと続けて吐いた質問に、けれど問い掛けられた女は少しばかり、目を細めながらとよ子を見た。

「なんだい、アンタ。先と比べて随分と話す様になったじゃあないかい」
「え·····そうでしょうか?」
「まぁ分からなくも無いけれども。何かしらの事情が有りそうな奴等は、傍から見たら面白いからねぇ」
「えっと·····」
「だからこそアタシもアンタに話しかけたんだし。でもねぇ、とよ子」
「はい」

 ふと、この女は目を細めると存外狐の様に見える顔をしているのだな。と、とよ子はそう思った。
 狛犬の代わりに鎮座する、お稲荷さんの遣いの様だ、と。
 そんな目は一瞬ですぐに元の丸い目元に戻ったから、心の内で密かにほっとした。
 あとほんの少しでも長く見られていれば、居心地の悪さは更に増していたのだろうとも思ったから。

「興味を持つ事が決して悪いとは言えやしないし、アタシも人様様の事を言えた義理じゃあ無いけれどねぇ?お嬢さん」
「はい」
「他所様の領域に、そう易々と首を突っ込むのはあまり関心しないよ?問いて良いものと駄目なもの。その線引きをしっかり引けないのならば、不用意に首なんざ突っ込むもんじゃあない」
「そうですよね。不躾でした·····すみません」
「次は間違えなければ良いだけの話さね」

 ほんの少しばかり説教臭く言われた言葉に対して、縮こまってしまったとよ子を、女は困った様に見た。まるで、こうさせるつもりでは無かったとでも言いたげな様相だった。
 とよ子がもう少し、お転婆寄りの性格をしていれば。或いは、もう少しだけ世の常を知っていたのならば。
 「お前だって町中で立っていただけの私に、易々と首を突っ込んで来たじゃあないか」とでも言えそうなものなのだが、彼女はどうもその辺りの抵抗等、端から思い付かない様であった。
 きっと親に大事に育てられて来たのだろう。それ故の世間知らず、それ故の従順さ。
 この娘にこそ、ぴったりな言葉があった。
 【箱入り娘】だ。

 さて、半刻程前にその明らかに良い所のお嬢さんは、町中で一人ぽつねんと立っていた。
 ただ立っているだけだったのならば、差して妙な光景でも無かったので女は話し掛けはしなかった。
 自分に対して、或いは自分の周りに対して、何か関係しているであろう事柄を、この娘が抱えているのだろうとは思わなかった。

 けれども娘は、とよ子は、絵草紙屋の前に立っていたのだ。
 流行りの歌舞伎役者の浮世絵なんかを手に取って、うっとりと眺めていた訳じゃあない。
 江戸の町で暮らしている以上、滅多に拝めない様な、海や富士の山の絵を見ていた訳でもない。

 とよ子は一枚のとある絵を、食い入る様に見つめていたのだ。

 "鬼が人を喰い殺す絵"を。

 そのあまりの異様さと、単にそれを描いた絵師が知り合いで、女はよくよぉく野暮に巻き込まれる事があった。
 だからこそ女は其奴の描く絵に寄せられる者が、虫愛づる姫君の様にただ人と少しばかり違った趣向を持っているだけの者なんかじゃあ決して無くて、何か得体の知れない問題を抱えているのだろうと、なんとなく察したのだ。

「今にも飛び付いて来そうだろう?けれども安心おし。そんなに食い入るように見つめても、その中のモノは逃げやしないし、ましてやお嬢さんに喰らい付いたりもしやしない」

 これは少しばかり前に賑わう大通りにて、女がとよ子に向けて発した言葉。
 癖なのか何なのか左腕を握り締めたとよ子は、初めこそ女を警戒していたが、ややあってこうして絵師の住処にやって来たのだ。
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