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月明かりに輝く銀色の髪
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屋敷の外へ出たミーシャは薬を届けるために老夫婦の家、学校、診療所をまわった。最後に、戦争で親を亡くした子どもが暮らす孤児院を訪ねた。
施設は最近、建て直したばかりだ。壁は明るいレモン色。楽しそうな声が聞こえてきて敷地の中をのぞくと、緑あふれる庭で遊ぶ子どもたちの姿が見えた。
「ミーシャさん、こんにちは。いらっしゃい」
「院長先生、こんにちは」
話しかけてきたのはここの院長だ。彼女はエレノアより年上で少し身体の線が細い。子どもたちの親代わりで常にエプロン姿だ。白が混じった髪は後ろに一纏めにしている。
「少しですが、薬を持ってきました」
「まあ! ミーシャさん、本当に、いつもありがとうございます」
孤児院は国と色んな人の支援で成り立っている。院長は、薬を手にすると丁寧に頭をさげた。
彼女はミーシャが公爵令嬢だということも、クレアの生まれ変わりだということも知らないが、いつも快く出迎えてくれた。
「あ、おねえちゃんだ! こんにちは」
「見て、おねえちゃん。落ち葉、たくさんひろったよ!」
「みんな、こんにちは。元気だね」
子どもたちはミーシャに気づき、駆け寄ってきた。見つけたどんぐりや落ち葉を嬉しそうに見せてくれる。あっという間に囲まれ動けなくなった。
院長に許可をもらい、子どもたちと遊んでいくことにした。
「外で本を読んでいたの?」
庭の真ん中にあるガーデンテーブルに積まれている本が気になった。
「うん。さっき、ボランチアの人がくれたの。おねえちゃん、絵本読んで」
差しだされた本を見てミーシャは固まった。表紙には『氷の皇帝と炎の魔女』とタイトルが書かれている。
黒い服に、赤い髪をなびかせ、目つきの悪い女性がぎろりと睨んでいる。
「新作なんだって」
目を輝かせながら女の子が本のページをめくろうとしたが、横から男の子が話しかけてきた。
「エマ! これから鬼ごっこするって、行こう」
「鬼ごっこ? する!」
エマは本を置くと、呼びに来た友だちと一緒に走って行ってしまった。一人だけになったミーシャは、本を手に取り、ぱらぱらとページをめくった。
絵本には、悪い魔女クレア・ガーネットが炎で大地を焼き、魔鉱石を使って人々を操り、世界を支配しようとしたが、グレシャー帝国の英雄リアム皇子が魔女をやっつけて、平和になったと描かれていた。
――氷の皇帝は、侵入者を凍り漬けにする『流氷の結界』で国を守っている。川を流れる氷は青白く輝き、炎の魔女は近づくことができない。か……。
本の内容に複雑な気持ちになった。下を向いていると「おねえちゃーん」と呼ぶ、エマの声がして顔をあげた。
「おねえちゃんも一緒に、鬼ごっこしよう?」
子どもたちの輪の中にいるエマが、手を振って呼んでいる。ミーシャは「今行く!」と声を張ると、本を閉じた。
*
「……――いけない、もうこんな時間。私、そろそろ行くね」
鬼ごっこをして、そのあと子どもたちと一緒に花冠を作っていた。
夕方の四時を知らせる鐘が聞こえて、ミーシャは立ちあがった。
「おねえちゃん、もう帰るの?」
「うん。まだ行くところがあるの。ごめんね」
「帰らないで。もっと一緒に遊ぼうよ!」
小さな子たちに悲しそうな目を向けられると、離れがたくて胸が詰まる。ミーシャは完成した花冠をエマの頭に飾ってあげた。
「また来るね」
「次は泥だんごを作ろうね!」
「わかったわ。約束ね」
孤児院をあとにするとき、院長と子どもたちは、いつまでもミーシャを見送ってくれた。
秋になり、日が暮れるのが早くなった。遅くなると書き置きはしてきたが、今ごろ侍女のライリーが心配しているかもしれない。ミーシャは西日に染まる道を駆けだした。
十六年前、クレア・ガーネットは炎の鳥と一体になってこの世から姿を消した。
彼女の身体は見つからなかったが、ミーシャとして生まれ変わったと気づいたエレノアは、ガーネット公爵邸から歩いて十分ほどの、街から離れた北の森にクレアを偲ぶための石碑を作った。今はそこへ向かっていた。
「手が、かじかむ……」
耳と鼻先が冷たすぎて痛い。ミーシャは大きく息を吸うと、空に向かって話しかけた。
「炎の鳥よ。私を温めて」
しばらくすると、小さな炎の鳥が飛んできた。手の甲を高く差しだすと、ふわりと留まった。
「来てくれてありがとう」
ミーシャはクレアだったころのように火を自在に操ることはできないが、炎の鳥を呼び、力を借りることはできる。
羽を閉じた炎の鳥が小首をかしげる。手の甲がじんわりと温まっていく。だけどまだ寒い。フードを深く被り直して先を急ぐ。この辺りは自然公園だが、悪魔女を偲ぶ者は少なく人気はなかった。
突然、炎の鳥が手から飛び立った。頭上を旋回すると、北の方向へ飛んで行く。
「こっちに来いってこと?」
呼ばれているみたいだった。鳥の姿が見えなくなった方角はクレアの石碑がある自然公園だ。
「おかしい。寒すぎる」
冷たい風が吹いていた。満月のお陰でうっすらと足元が見えるが、近づくほどに温度が下がっていく。
「まさか……」
クレアの命日は明日だ。あの子がここに、いるはずがない。と、一瞬浮かんだ考えを、頭を振って否定する。見て確かめようと、ミーシャは足を進めた。
石碑へ行くには森を横切ったほうが近道だった。炎の鳥を呼び戻し、そのまま腰ほどまで伸びた茂みの中へ入る。とくとくと逸る胸の鼓動を感じながら草をかきわけ、道なき道を行く。
目の前の枝葉を手で押しのけたミーシャは、そのまま固まった。
自然公園の隅にひっそりと建てられているクレアの石碑は二メートルほどで、左右にはかがり火と中央に供花台がある。その前に一人の男性がいた。
――リアム・クロフォード皇帝陛下。
月明かりに輝く銀色の髪を見た瞬間、かつての弟子だとわかった。
リアムは丈の長い黒色の外套を羽織っている。煌びやかな装飾品は身につけていない。質素な装いだ。侍従や護衛の姿は見当たらない。たった一人。知らない人が見れば、隣国の王だとは気づかないだろう。
「誰だ」
すぐに振り向かれ、隠れる暇がなかった。
空を閉じ込めたような青い瞳と目が合い、息を呑んだ。
施設は最近、建て直したばかりだ。壁は明るいレモン色。楽しそうな声が聞こえてきて敷地の中をのぞくと、緑あふれる庭で遊ぶ子どもたちの姿が見えた。
「ミーシャさん、こんにちは。いらっしゃい」
「院長先生、こんにちは」
話しかけてきたのはここの院長だ。彼女はエレノアより年上で少し身体の線が細い。子どもたちの親代わりで常にエプロン姿だ。白が混じった髪は後ろに一纏めにしている。
「少しですが、薬を持ってきました」
「まあ! ミーシャさん、本当に、いつもありがとうございます」
孤児院は国と色んな人の支援で成り立っている。院長は、薬を手にすると丁寧に頭をさげた。
彼女はミーシャが公爵令嬢だということも、クレアの生まれ変わりだということも知らないが、いつも快く出迎えてくれた。
「あ、おねえちゃんだ! こんにちは」
「見て、おねえちゃん。落ち葉、たくさんひろったよ!」
「みんな、こんにちは。元気だね」
子どもたちはミーシャに気づき、駆け寄ってきた。見つけたどんぐりや落ち葉を嬉しそうに見せてくれる。あっという間に囲まれ動けなくなった。
院長に許可をもらい、子どもたちと遊んでいくことにした。
「外で本を読んでいたの?」
庭の真ん中にあるガーデンテーブルに積まれている本が気になった。
「うん。さっき、ボランチアの人がくれたの。おねえちゃん、絵本読んで」
差しだされた本を見てミーシャは固まった。表紙には『氷の皇帝と炎の魔女』とタイトルが書かれている。
黒い服に、赤い髪をなびかせ、目つきの悪い女性がぎろりと睨んでいる。
「新作なんだって」
目を輝かせながら女の子が本のページをめくろうとしたが、横から男の子が話しかけてきた。
「エマ! これから鬼ごっこするって、行こう」
「鬼ごっこ? する!」
エマは本を置くと、呼びに来た友だちと一緒に走って行ってしまった。一人だけになったミーシャは、本を手に取り、ぱらぱらとページをめくった。
絵本には、悪い魔女クレア・ガーネットが炎で大地を焼き、魔鉱石を使って人々を操り、世界を支配しようとしたが、グレシャー帝国の英雄リアム皇子が魔女をやっつけて、平和になったと描かれていた。
――氷の皇帝は、侵入者を凍り漬けにする『流氷の結界』で国を守っている。川を流れる氷は青白く輝き、炎の魔女は近づくことができない。か……。
本の内容に複雑な気持ちになった。下を向いていると「おねえちゃーん」と呼ぶ、エマの声がして顔をあげた。
「おねえちゃんも一緒に、鬼ごっこしよう?」
子どもたちの輪の中にいるエマが、手を振って呼んでいる。ミーシャは「今行く!」と声を張ると、本を閉じた。
*
「……――いけない、もうこんな時間。私、そろそろ行くね」
鬼ごっこをして、そのあと子どもたちと一緒に花冠を作っていた。
夕方の四時を知らせる鐘が聞こえて、ミーシャは立ちあがった。
「おねえちゃん、もう帰るの?」
「うん。まだ行くところがあるの。ごめんね」
「帰らないで。もっと一緒に遊ぼうよ!」
小さな子たちに悲しそうな目を向けられると、離れがたくて胸が詰まる。ミーシャは完成した花冠をエマの頭に飾ってあげた。
「また来るね」
「次は泥だんごを作ろうね!」
「わかったわ。約束ね」
孤児院をあとにするとき、院長と子どもたちは、いつまでもミーシャを見送ってくれた。
秋になり、日が暮れるのが早くなった。遅くなると書き置きはしてきたが、今ごろ侍女のライリーが心配しているかもしれない。ミーシャは西日に染まる道を駆けだした。
十六年前、クレア・ガーネットは炎の鳥と一体になってこの世から姿を消した。
彼女の身体は見つからなかったが、ミーシャとして生まれ変わったと気づいたエレノアは、ガーネット公爵邸から歩いて十分ほどの、街から離れた北の森にクレアを偲ぶための石碑を作った。今はそこへ向かっていた。
「手が、かじかむ……」
耳と鼻先が冷たすぎて痛い。ミーシャは大きく息を吸うと、空に向かって話しかけた。
「炎の鳥よ。私を温めて」
しばらくすると、小さな炎の鳥が飛んできた。手の甲を高く差しだすと、ふわりと留まった。
「来てくれてありがとう」
ミーシャはクレアだったころのように火を自在に操ることはできないが、炎の鳥を呼び、力を借りることはできる。
羽を閉じた炎の鳥が小首をかしげる。手の甲がじんわりと温まっていく。だけどまだ寒い。フードを深く被り直して先を急ぐ。この辺りは自然公園だが、悪魔女を偲ぶ者は少なく人気はなかった。
突然、炎の鳥が手から飛び立った。頭上を旋回すると、北の方向へ飛んで行く。
「こっちに来いってこと?」
呼ばれているみたいだった。鳥の姿が見えなくなった方角はクレアの石碑がある自然公園だ。
「おかしい。寒すぎる」
冷たい風が吹いていた。満月のお陰でうっすらと足元が見えるが、近づくほどに温度が下がっていく。
「まさか……」
クレアの命日は明日だ。あの子がここに、いるはずがない。と、一瞬浮かんだ考えを、頭を振って否定する。見て確かめようと、ミーシャは足を進めた。
石碑へ行くには森を横切ったほうが近道だった。炎の鳥を呼び戻し、そのまま腰ほどまで伸びた茂みの中へ入る。とくとくと逸る胸の鼓動を感じながら草をかきわけ、道なき道を行く。
目の前の枝葉を手で押しのけたミーシャは、そのまま固まった。
自然公園の隅にひっそりと建てられているクレアの石碑は二メートルほどで、左右にはかがり火と中央に供花台がある。その前に一人の男性がいた。
――リアム・クロフォード皇帝陛下。
月明かりに輝く銀色の髪を見た瞬間、かつての弟子だとわかった。
リアムは丈の長い黒色の外套を羽織っている。煌びやかな装飾品は身につけていない。質素な装いだ。侍従や護衛の姿は見当たらない。たった一人。知らない人が見れば、隣国の王だとは気づかないだろう。
「誰だ」
すぐに振り向かれ、隠れる暇がなかった。
空を閉じ込めたような青い瞳と目が合い、息を呑んだ。
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