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越冬するテントウムシ

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「ミーシャさま、本日も薬草の採取ですか?」
「ええ。雪がやんでいるから」

 遅い朝食と、支度を済ませるころには昼を過ぎていた。時間が惜しいミーシャは、回廊から外へ躍り出た。

「ミーシャさま。そちらへは、立ち入ったらだめです!」
「そっちって、どっち?」
「そこです!」

 ――白くて、よくわからない。

 降り積もった雪の表面が陽に照らされて、きらきらと宝石のように輝いてきれいだった。

「お待ちください。ミーシャさま、うわっ!」

 急に強い風が吹いて、雪があとからくる侍女たちの行く手を阻んでいる。積もったばかりの雪の上は歩きにくい。下ばかりを見て、よたよたと歩きながら声をかけた。

「みんな、ゆっくりおいで。……薬になる花か草、どこかに埋まってないかな」
「雪、邪魔なら消してあげようか?」

 鈴のようなかわいい声で話しかけられ、驚いたミーシャは顔をあげた。

「ノア皇太子殿下。こんにちは」

 いきなり現われた彼は、にこにこしていた。

『ノアのことは気にしなくていい』とリアムに言われたばかりだ。だが、周りを見回してみても、庭には自分の侍従たちしかいない。

 ミーシャが思案しているあいだに、小さな皇子は、近くの雪をふわりと宙に浮かせた。

「殿下、すごいですね!」
「こんなの簡単だよ。……あんまり、人前では使うなって言われているけど」

 雪の塊が次々に浮かんでいく。

「コントロールがじょうずですね。すてきな雪の魔術、見せてくれてありがとう」

 ノアを見ていると、リアムの幼いころを思い出す。利発でかわいらしく、見ているだけで和む。

「殿下はよく、ここで遊んでいるのですか?」
「うん。だってここ、ぼくの庭」

 ノアの言葉にイライジャが付け加える。

「ビアンカ皇妃が住まう後宮です」
「え……。私、存じずに、ごめんなさい」
「ぼくの庭だよ。見て、お花を摘んでいたんだ。母さまにさしあげたくて」

 ミーシャは皇子と目線を合わせるために、しゃがんだ。彼の小さな手にはピンク色の、可憐なお花が握られていた。

「きれいでかわいいお花。きっと、喜んでくれ……、」

 ――あれ? このお花には……。

「ノア、そこでなにをしているの。離れなさい」

 突然とげのある声が耳に届いた。
 近くの建物から現れたのは、ビアンカ皇妃だ。ミーシャはカーテシーをして挨拶をした。

「ごきげん麗しく存じます。ビアンカ皇妃」
「フルラ国からきた令嬢よ。いくら陛下の寵をいただいているからと、好き勝手されては困ります。ここには立ち入らないでいただきたい」

 ビアンカはショールの端で口元を隠すと、「早く立ち去りなさい」と怒気を含ませた声で言った。

「かしこまりました。失礼いたします」

 ノアと遊びたかったが、リアムにビアンカと関わるなと言われている。彼と遊ぶのはまた次の機会にしようと引きさがった。

 戻ろうと思い、振り返ったミーシャの横をノアが走り抜けた。ビアンカに近づくと彼は手を伸ばした。

「母さま、見て。庭にきれいなお花が……」

 ばしっと、乾いた音が響きわたった。
 ビアンカがノアの手を払い退けた音だった。花がはらりと白い雪の上に散る。

「ノア。あなたは次期皇帝になる身。遊んでいないで勉強しなさい」

 冷たい視線を向けたあとビアンカは「私を、がっかりさせないで」と、突き放すような言葉を息子に投げて、背を向けた。
 彼女は振り返ることなく建物の中へ消えた。

 ノアは、その場から動こうとしなかった。下を向き、頭を垂れている。
 ミーシャは、散らばってしまった花に手を伸ばした。

 ――お花が、凍ってる。

 すべての花を拾うと、彼のもとへ近づいた。

「ノア殿下。ごめんね。私たちが来たせいで皇妃を……、」

 話しかけながら顔を覗くと、ノアの目には涙がたまっていた。一点を見つめ、固まっている。ミーシャは彼の手を掴むと、花を乗せた。

「殿下、この花をよく見て。葉の裏にかわいいテントウムシがいるわ。みんな引っ付き合って眠ってる。きっと、皇妃さまは虫にびっくりされたのね」

 ミーシャは魔力をこめて、花に息を吹きかけた。

 花びらの表面を覆っていた薄氷にひびが入り、ぱらぱらと小さな音をたてて花から剥がれ落ちる。もぞもぞとテントウムシが起きて、端にいた一匹が空に飛んだ。

 飛び立つテントウムシを目で追うノアの目からは、大粒の涙がこぼれ落ちた。小さな皇子は手の甲で、目をごしごしと擦る。

「まだ、春じゃないのに、飛んで行って大丈夫かな?」
「きっとすぐに戻ってきて、また、みんなと眠るはず」

 ノアはお花の束を、屋根のある場所にそっと置いた。

「殿下はやさしいのですね。大丈夫だよ。泣いても、誰も殿下を怒ったりしない」

 頭を撫でると、彼は声に出して泣きはじめた。
 雪が降りはじめ、はらはらと舞い降りてくる。ミーシャはノアを抱きしめ、落ちつくまで頭と背をなで続けた。

 ノアをやさしくなぐさめるミーシャだったが、胸の内は、怒りが激しく燃えていた。


 髪や肩に白い雪が積もりだしたころ、ノアは泣きやみ、顔をあげた。

「座学の時間だからぼく、もう戻るね」
「無理はしなくていいよ」
「平気。ぼく、勉強好きなんだ」

 ノアは、にこっと笑って言った。

「陛下も、子どものころから勤勉でした。殿下と一緒ですね」

 それを聞いたノアは目を輝かせた。

「ミーシャさま、陛下の小さいころを知っているの?」
「え? あ……えっと、そう。前に本人から聞いたことがあるの!」

 ――いけない。うっかり口を滑らせてしまった。

 ミーシャは笑顔でごまかした。

「ぼく、陛下のこと、好きなんだ。大きくなったら、陛下の役に立つ臣下になりたい。お母さまは王位を継げって言うけど……。陛下に認めてもらうためにも勉強、がんばる」

 花が咲くように朗らかに笑う彼がかわいらしくて、愛しい。

「陛下ならきっと、ノア皇子が決められたことに賛成してくれます」
「勉強がないときは、また遊んでくれる?」
「もちろん。いっぱい遊びましょう!」

 笑顔を取り戻した皇子を見送ってから、ミーシャはビアンカの後宮をあとにした。

 *

「……皇子、よく見たら、護衛兵がいっぱいだったね」

 ミーシャは、すぐ後ろをついてくるライリーに、そっと話しかけた。

「そうですよ! ノア皇太子殿下が魔力を使用していたから近づけなかっただけで、本当ならまっ先にミーシャさまが捕まってます」
「そうね。今度から、迷子には気をつける」

 ノアとビアンカにさっそく関わってしまった。あとでリアムに叱られると思うと、少し憂鬱だった。
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