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第1話
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煌びやかなシャンデリアには、涙型の大きな水晶がふんだんにぶら下がっている。
オーケストラが生演奏する広いパーティー会場では、礼服姿の紳士たちと、艶やかなドレスに身を包んだ令嬢たちが談笑している。
私、ジュリア・バートランドは挨拶を済ませると、人の輪から抜け出して壁際でそっと溜め息を零した。
だめ、もう耐えられない。
この国は猫の姿をした神を祀っている。白い壁に描かれた金色の猫を指先でそっと撫でた。
「猫が見たい。触りたい」
最近、この城から猫が消えた。理由はわからないけれど、寄りつかなくなったのだ。
猫のためなら死ねるのに。いや、実際に私は一度死んだ。
私には前世の記憶がある。いわゆる転生者だ。
七歳のとき、金色に輝く大きな猫を見てジュリアとして産まれる前の記憶が蘇った。ここではない別の世界の人間だった私は動物が好きで、ペットショップで働いていた。仕事帰りに猫を助けてトラックにはねられたのだ。猫の逃げ去る後ろ姿が前世で最後に見たものだ。
同時にこの世界が大好きだった乙女ゲームで、自分が聖女に嫌がらせをする『悪役令嬢ジュリア』だと気づいた。
わっと、大きな歓声が上がった。
壁に手を付けたまま振り向くと、集う人の中心に私の婚約者レオン・ノヴォトニーがいた。彼はこの国の王太子で、今日、十八歳の誕生日を迎え成人した。
背は高く、絹糸のようなさらさら金髪に南国の海のような澄んだ色の碧眼で、整った顔立ちをしている。
横にいるのは婚約者の私ではなく、聖女のユリアさまだ。
小柄な彼女は黒曜石のような髪と瞳で肌は象牙色。十五歳だというが、もっと幼く見える。身体の線は細く、触れたら壊れそうだ。
ユリアは一月ほど前に突然現れた、転移者だ。
この世界の人間ではない証拠に『女子高生の制服』を着ている。紺色のスカートの丈は膝上で、生脚が眩しい。この国では珍しい服装のため、みんなの関心の的だった。
自分の髪先を摘まんで眺める。先月二十歳を迎えた私は、栗色の髪に琥珀色の瞳。背は高く骨太で、聖女との共通点は今のところ見つからない。
レオンとユリアの顔には笑顔が咲いていた。肩を寄せ合い、話をするときはお互いの耳に囁いている。
ゲームで見た光景! 仲がいいのは良いこと。
主人公の聖女は攻略する相手との親密度で、出会う猫が変わる。レオン王子ルートで彼に『溺愛』されると、繁栄をもたらすという猫神に会える。
レオン王子ルートは難しく、私はいつも溺愛ではなく親密度『普通』止まりだった。
猫神さま、どんなお姿で猫種はなんだろう?
直接見られるかもしれないと思うと、頬が弛みそうになった。レースがあしらわれた扇子でそっと隠した。
それにしてもまだかしら。パーティーが始まってずいぶん経つのに。
一大イベントが起きない。心待ちにしていると、視界の端で素早く動く影を見た。
小さな体は俊敏で、淑女たちの豪華なドレスの裾の間をすり抜け、あっという間にバルコニーに消えた。
「猫、きっと猫だわ!」
一瞬だったけれど、幻なんかじゃない。
一月ぶりに猫を見られて、感動で扇子を持つ手が震えた。
ネズミや他の小動物ではない。両手に収まるほどの大きさだったからきっと仔猫だ。三角のかわいい耳に、長いしっぽは麦の穂のような金色でふさふさしていた。
なぜここにいたのかはわからないけれど今はとにかく触りたい。いや、もう一度その姿をこの眼に映したいと、引き寄せられるようにバルコニーに進む。
「ジュリア令嬢。どこへ行くつもりだ」
呼び止められ振り向くと、レオンとユリアがすぐ傍にいた。猫に気を取られ近づく二人に気づかなかった。
無視して猫を追いかけようかと思ったけれど、待ちに待ったイベントが発生したんだと気づいて留まった。レオンと向き合い姿勢を正す。
「この国を繁栄に導く聖女が現れた。ジュリア、君との婚約は……白紙に戻す」
ジュリアが反応するより先にユリアが声を上げた。
『王子さま、それはだめって言ってるでしょう? ジュリアさまがかわいそう』
うん、台詞一語一句、記憶どおり。きたわ! やっと始まった。『悪役令嬢、追放エピソード』!
ジュリアは気持ちを落ち着かせるために、こほんと咳払いをした。胸を張り、王子をじっと見つめながら訊いた。
「つまり私は、もう、王妃教育を受けなくても良いのですね?」
「そういうことにな……、」
「ありがとうございます。婚約破棄、喜んで承諾いたします!」
私はこれまでの王妃教育の成果を発表する気持ちで、柔らかな笑みと完璧な膝折礼を披露した。
オーケストラが生演奏する広いパーティー会場では、礼服姿の紳士たちと、艶やかなドレスに身を包んだ令嬢たちが談笑している。
私、ジュリア・バートランドは挨拶を済ませると、人の輪から抜け出して壁際でそっと溜め息を零した。
だめ、もう耐えられない。
この国は猫の姿をした神を祀っている。白い壁に描かれた金色の猫を指先でそっと撫でた。
「猫が見たい。触りたい」
最近、この城から猫が消えた。理由はわからないけれど、寄りつかなくなったのだ。
猫のためなら死ねるのに。いや、実際に私は一度死んだ。
私には前世の記憶がある。いわゆる転生者だ。
七歳のとき、金色に輝く大きな猫を見てジュリアとして産まれる前の記憶が蘇った。ここではない別の世界の人間だった私は動物が好きで、ペットショップで働いていた。仕事帰りに猫を助けてトラックにはねられたのだ。猫の逃げ去る後ろ姿が前世で最後に見たものだ。
同時にこの世界が大好きだった乙女ゲームで、自分が聖女に嫌がらせをする『悪役令嬢ジュリア』だと気づいた。
わっと、大きな歓声が上がった。
壁に手を付けたまま振り向くと、集う人の中心に私の婚約者レオン・ノヴォトニーがいた。彼はこの国の王太子で、今日、十八歳の誕生日を迎え成人した。
背は高く、絹糸のようなさらさら金髪に南国の海のような澄んだ色の碧眼で、整った顔立ちをしている。
横にいるのは婚約者の私ではなく、聖女のユリアさまだ。
小柄な彼女は黒曜石のような髪と瞳で肌は象牙色。十五歳だというが、もっと幼く見える。身体の線は細く、触れたら壊れそうだ。
ユリアは一月ほど前に突然現れた、転移者だ。
この世界の人間ではない証拠に『女子高生の制服』を着ている。紺色のスカートの丈は膝上で、生脚が眩しい。この国では珍しい服装のため、みんなの関心の的だった。
自分の髪先を摘まんで眺める。先月二十歳を迎えた私は、栗色の髪に琥珀色の瞳。背は高く骨太で、聖女との共通点は今のところ見つからない。
レオンとユリアの顔には笑顔が咲いていた。肩を寄せ合い、話をするときはお互いの耳に囁いている。
ゲームで見た光景! 仲がいいのは良いこと。
主人公の聖女は攻略する相手との親密度で、出会う猫が変わる。レオン王子ルートで彼に『溺愛』されると、繁栄をもたらすという猫神に会える。
レオン王子ルートは難しく、私はいつも溺愛ではなく親密度『普通』止まりだった。
猫神さま、どんなお姿で猫種はなんだろう?
直接見られるかもしれないと思うと、頬が弛みそうになった。レースがあしらわれた扇子でそっと隠した。
それにしてもまだかしら。パーティーが始まってずいぶん経つのに。
一大イベントが起きない。心待ちにしていると、視界の端で素早く動く影を見た。
小さな体は俊敏で、淑女たちの豪華なドレスの裾の間をすり抜け、あっという間にバルコニーに消えた。
「猫、きっと猫だわ!」
一瞬だったけれど、幻なんかじゃない。
一月ぶりに猫を見られて、感動で扇子を持つ手が震えた。
ネズミや他の小動物ではない。両手に収まるほどの大きさだったからきっと仔猫だ。三角のかわいい耳に、長いしっぽは麦の穂のような金色でふさふさしていた。
なぜここにいたのかはわからないけれど今はとにかく触りたい。いや、もう一度その姿をこの眼に映したいと、引き寄せられるようにバルコニーに進む。
「ジュリア令嬢。どこへ行くつもりだ」
呼び止められ振り向くと、レオンとユリアがすぐ傍にいた。猫に気を取られ近づく二人に気づかなかった。
無視して猫を追いかけようかと思ったけれど、待ちに待ったイベントが発生したんだと気づいて留まった。レオンと向き合い姿勢を正す。
「この国を繁栄に導く聖女が現れた。ジュリア、君との婚約は……白紙に戻す」
ジュリアが反応するより先にユリアが声を上げた。
『王子さま、それはだめって言ってるでしょう? ジュリアさまがかわいそう』
うん、台詞一語一句、記憶どおり。きたわ! やっと始まった。『悪役令嬢、追放エピソード』!
ジュリアは気持ちを落ち着かせるために、こほんと咳払いをした。胸を張り、王子をじっと見つめながら訊いた。
「つまり私は、もう、王妃教育を受けなくても良いのですね?」
「そういうことにな……、」
「ありがとうございます。婚約破棄、喜んで承諾いたします!」
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