ある魔王兄弟の話し

子々々

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予防接種

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「兄上。兄上。ほら、怖くないからおいで?」
「グゥルルルッ……!」

部屋の片隅で体を丸めて威嚇する小さな赤い狼に、吸血鬼の少年は両手を広げて必死に宥めていた。
普段弟に優しい兄であるがこの時ばかりは容赦なく歯を剥き出しにして唸り声をあげていた。

何を隠そう今日は年に一度、獣人や亜人達が必ず受けなければならない予防接種の日なのだ。
少年フィドゥはあの日初めて受けた注射の針の太さと痛みを決して忘れる事が出来なかった。
それ故に、この日が近づくと毎回こうして威嚇し周りを困らせるのだった。
しかしこれはフィドゥに限った話しでは無い。種族や皮膚の硬さで注射針の太さや大きさが定められているので、子供だけでなく、嫌がる大人も後を絶たない。
しかし発情期を抑える薬同様、予防接種もまた義務なので否が応でも受けなくてはならない。

そして魔王の息子であるフィドゥもまた、特別扱いするわけにはいかない。否、魔王の息子だからこそ受けなくてはならないのだ。

「ほらほら。怖くないよ。いつも注射する先生達だって優しいでしょ?」
「ウ゛ゥー! グルルァ゛!!」
「うんうん、でも痛いのは嫌だよね。わかるよ」

尚も唸り声をあげ牙を剥き出しにするフィドゥに、シアが悲しげに眉を下げて困ったように笑った。
その表情を見てフィドゥは若干罪悪感が湧くも、シアの背後で捕獲用の網やら縄やらを準備して待機してるオルディン、レペティア、フローレンを見てやはり行く気にはならなかった。

フィドゥは己の身の安全の為にも絶対に捕まるまいと部屋の隅でさらに小さくなった。

「兄上」

少しずつ距離を詰める。フィドゥもいつでも動けるように身構える。

「…………」
「…………」

両者の睨み合いが続く。そして──。

「兄上!いい加減注射を受けなさい!」

シアが飛びついた…が、それよりも素早く脇を抜けシアから横切って出口に向かう。
しかし彼らも負けじと縄や網を構える。

「フィドゥ様!我が儘はいけません!」

オルディンが網を振り下ろした。しかし爆発的な瞬発力で網を潜り抜け、そのままレペティアを捕らえてしまった。

「きゃあっ!?何処を狙ってるのオルディン!!」
「す、すまないレペティア!」

残ったフローレンがフィドゥを捕らえようする。しかしフィドゥは柔軟さと小さな体格を生かして残りフローレンから抜け出した。

「フィドゥ様!?」

出口まであと少し、フィドゥはそのまま逃げ切ろうとしたが……。

「おや、フィドゥ。部屋の中で暴れると危ないよ」

丁度部屋の中に入ってきたドラネウスにあっさりと捕まってしまった。

「キャン!キャキャン!キャアン!!」

ジタバタ暴れるもドラネウスは微動だにしない。

「予防接種は終えたかな?」
「いえ、これからです父上」
「フム…なら、このまま行こうねフィドゥ」
「キャアン!キャアン!クゥウン、キューン……」

フィドゥは最後の抵抗とばかりに哀れみを誘うように鳴いてみたが、ドラネウスは微笑むだけだった。
こうして抵抗虚しくフィドゥは医務室に連れてかれ、無事注射を受けたのであった。

それから月日は流れ……。

「兄上大丈夫?」
「…………」
「まぁ、昔と比べれば大分大人しく受けてくれるようになって嬉しい限りだけど」
「…………」

毎年恒例の予防接種にフィドゥは相変わらず黙ったまま……否、口をベルトで拘束されてるため言葉を発する事が出来ない。もっといえば体を布で挟み、太く頑丈なベルトで体を徹底的に固定させられていた。側から見たら囚人である。とても現魔王相手にして良い扱いではない。
しかし大きく成長した人狼が暴れないようにするにはこうする他無いのである。

「大丈夫大丈夫。私がいるから。終わったら沢山ご褒美あげるから。ね?」

フィドゥの背後では、幼少期よりも大きくなった注射器が構えられている。
フィドゥは耳をぺたりと伏せ、尻尾を股の間に挟んでいる。それでも抵抗するように唸った。
その様子を見てシアは苦笑いを浮かべた。
まだ抵抗の意志を見せる兄にシアは僅かに眉尻を下げると──注射器の針がフィドゥの太股に刺さったのだった。

フィドゥはこの日、一日中シアに撫でて貰ったのであった。
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