婚約破棄された箱庭好きの元令嬢は自分を助けてくれたおじさんへ恩返しするために箱庭製作をチートスキル化して元婚約者に対面する。

堅他不願@お江戸あやかし賞受賞

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一、だらしない婚約者 二

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 翌日。いつものように起床し、いつものようにサバルの世話を受けた。洗顔から着替えまで一通りだ。いっそ大きな無礼でも働けば、それを口実に処分なり交代なりできようものを。サバルもさるもの、アンへの微妙な台詞の選び方以外になんの失点もなかった。

「ご主人様はまだ眠ってらっしゃいます。このままだと今日のご出仕に遅れてしまいます」

 化粧台でアンの髪を結いながら、サバルは冷ややかに述べた。夕べはせっかくの機会だったのに、アンがふがいないからこうなったといわんばかりだ。

 ただ、出仕というのは……少なくとも今日は……宮廷ではない。イリグムの長兄、カンドに対してだ。

 公爵家は、先代当主が隠居して久しい。新当主はカンドであり、長男といえどもまだ二十代の若さだった。

 公爵領は端から端まで馬で一週間はかかる広さを持っている。カンドの屋敷はこの邸宅から歩いて数分だ。カンドとしては領地の経営を兄弟で助けあって進めるつもりでいた。立派な志なのはアンにもわかるが、個人的にはイリグムに輪をかけてどうでもいい人間として終わらせたかった。

「なら、お詫びの言伝てをださないと」
「それはコンゾさんがすませました」

 ぴしゃりとサバルは断言した。

 アンがなにかいう前に、ドアがノックされた。コンゾと違い、少し荒っぽい叩き方だった。

 夕べと同じようにサバルが応じると、ドアが開いて予想もつかない人間が現れた。

 五十代くらいの見た目か。コンゾよりさらに十年は老けていそうだ。アンは、父以外にそんな年代の男性を間近にした経験はなかった。中肉中背を地でいくコンゾとはまるで異なり、全身これ筋肉といった様相をしている。背丈こそ男性としては並だし丸腰な反面、エリが固くピンと張った制服を身につけていた。公爵家のそれとは関係ない。

「失礼。イリグム殿の件で、婚約者のアン氏にお話したい」
「ああ、オロー隊長! 基本的に当宅と無関係な殿方は……」

 筋肉男の名前がオローといい、肩書きからして軍人かなにかなのはわかった。ついでに、背後でたしなめるように右手を軽くあげたコンゾの姿も見えた。

「公爵閣下のご命令だと説明したはずだが?」

 肩ごしに、オローはコンゾを黙らせた。

「アンは私です。まずはお名前とお立場を伺いたいです」
「カンド公爵直属の傭兵隊長、オローと申す」

 どこの大貴族でも私兵を抱えることは当たり前にあるし、公爵家もそうだというところまでは知っていた。反面、隊長の個人名までは知らされていなかった。戦争でも始まればともかく、平時にはそこまでアンがこだわる必要はない。

「どのようなご用件でしょうか?」

 もはや自分からそう尋ねざるほかない。とはいえ、自分の部屋を無関係な異性の目にさらす不快感に焼き切れそうだ。

「ご婚約者のイリグム殿が体調不良で出仕できぬ。そうしたさい、アン氏を名代として出仕させよとのご命令を閣下から承っている」

 有無をいわせぬとはこのことだ。

「わかりました。でも、私でお役にたてるかどうかは不明瞭です」
「そんなことは閣下がきめる。お供は不要だ。準備ができ次第、私が先導する」

 形式的には、アンはまだ公爵家の一員にはなっていない。かつ、オローはカンド以外の人間に敬意を表する必要はない。形式的には。

 オローはサバルを見おろした。サバルにはなんの意見も求めておらず、サバルも沈黙したままだった。

「サバル……」
「お髪はさきほど結いおわったところです」

 きびきびと、かつ無感情にサバルからアンへ事実が渡された。

「なら、もうたちましょう」

 アンとしては、思わぬ展開となった。どのみち断れる筋ではないが、この邸宅から一時的にせよでられることだけが彼女の足を軽くした。

「話が早くて痛みいる」

 礼とも嫌みともつかない言葉を投げかけ、オローは一人ですたすた歩きだした。アンも腰をあげた。

 公爵家の現当主……カンドの屋敷へと進む道すがら、オローは終始無言だった。歩調こそアンにあわせてはいるが、靴が地面を踏みしめる音まで威圧感があった。

 カンドの屋敷に入り、当主と対面したときのアンは心細さよりも面倒臭さで頭がいっぱいになっていた。調度品こそ豪華な部屋だし、外見だけは立派なイリグムの兄だけあってカンドの顔もなかなかに整ってはいる。身なりも普段着よりは礼服に近い。不幸にも、アンはそれら全てに関心がなかった。カンドにせよほかの二つの席にせよ、紙束の無機質な資料と筆記用具が構えてはあった。それらもまた、アンからすればカンドへの関心とたいして変わらなかった。

「ようこそ、アン殿。呼びたてて申し訳ない。まずは椅子に座ってくれ。オローも」

 室内には、カンドも含めて三人しかいない。何時間つきあわされるのか知らないが、居心地が悪いことこのうえない。それでも、失礼しますと述べて着席せねばならなかった。

「オローが手荒な真似をしなかったか?」

 座るなり、カンドが笑いながら聞いた。冗談のつもりなのだろう。善意の人なのは理解するが、アンとしてはこの程度の社交すら放りだしたい。

「とんでもございません。終始、丁重に接してくださいました」

 オローは身じろぎ一つしない。

「聞いた限りでは、我が一族の系譜に連なるべく熱心に励んでいるそうだな?」

 にこやかにカンドは尋ねた。

「手厚いお心配りのお陰でございます」
「ふむ。結構。では、今回の議題に移ろう」

 そこからは、領内の政治やら統治やらについての話題が終始された。もっぱらカンドが資料に基づいて語り通し、意見は全く求められなかった。資料は正確かつ丁寧に作られていたし、ふだんから学んでいたことも多々あったので話にはついていけた。逆にいえば、ただそれだけのことだ。

 強いて気になるとすれば、オローについてだ。軍人としては有能なのだろうが、こうした席につくのは一介の傭兵隊長の次元ではない。

「話は以上だ。時間をとらせてすまなかった。なにか質問はあるか?」

 カンドはアンに注目した。

「いえ、ございません」
「よし。最後に、どうしてオロー隊長がこの場にいるのか説明しておこう。我が公爵家は、さかのぼれば光栄にも王家に連なる家系を持つ。それだけに、国内外からの妬みそねみを集めやすい」

 カンドは、一度言葉を切った。劇的な演出などではなさそうだ。喉を休めたのだろう。

「だから、我々は自分達の名誉を守るために自衛せねばならない。国王陛下からは、恐れ多くも千人まで自前の軍隊を持ってよいとのご許可を賜ってもいる」

 その人数自体は、アンも一応知っていた。

「オロー隊長は、その千人を束ね、常に鍛えているのだ。傭兵ではあるが、実質的に専属に近い」

 カンドの説明に、アンはいやでもきな臭い予感を禁じえなかった。いかに公爵家が栄えていようと、千人もの傭兵をずっとかまえるのはかなりな出費になる。つまり、一見すれば平穏無事な公爵領……ひいては王国はいつ不安定な問題につきまとわれるかわからなくなっている。

「むろん、イリグムもこの緊張を知らぬはずはない。ふだんから社交を通じて情報収集に余念がないのだろう」

 ちくりと刺した自らの皮肉に、カンドは薄く笑ってみせた。

「ときにアン殿。勉強や体操は手堅く積みあげているようだが……イリグムのことは気に入ってもらったか?」
「はい、私などにはもったいないほど素晴らしい殿方でいらっしゃいます」
「箱庭よりも?」

 カンドからの一番新しい質問は、アンを凍りつかせた。

 つまるところ、それが今回の最大の目的なのだろう。イリグムがああまでだらしないのは、アンにも責任があるとしたいのだろう。

「もちろん、箱庭が何個あろうとも関係ございません。私はあくまでイリグム様の婚約者です」
「けっこう。それを耳にできて安心した。では、今日説明したことはアン殿からしかとイリグムにお伝え願いたい」
「はい、かしこまりました」
「では、解散」

 ようやく終わった。ちょうど昼食の時間だが、カンドもオローも席についたままだった。

 アンは一人で帰宅し、一人で食べたくもない昼食を食べるはめになった。
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