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EP 6
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女王の朝と、陥落した親衛隊
サバルテ獣人国の朝は早い。
東の空から太陽が昇ると同時に、城内は慌ただしく動き出す。だが、女王レオナ・サバルテの機嫌は、あまり良くなかった。
「……マルス。例の捕虜、水神飛鳥の件はどうなっているのだ?」
執務室で書類の山と格闘していたレオナは、傍らに控える老紳士に問いかけた。
彼はマルス。羊耳族(ひつじみみぞく)の執事であり、頭の両側にあるクルリと巻いた角と、真っ白でふわふわの髪が特徴的な、温厚な人物だ。
「はっ。それでしたら、昨晩から引き続きミーナ様が担当されております」
「何? ミーナはずっと地下牢にか?」
レオナはペンを置いた。
ミーナは親衛隊の副隊長だ。たかだか一人の、しかも武器も持たない人間の監視に、夜通し張り付く必要があるだろうか?
「……良かろう。私が見に行くか」
「レオナ様自ら、でございますか? 左様でしたら、私がご案内を――」
「いや、いい。マルスは朝食の手配を頼む。腹が減っては戦ができん」
レオナはマントを翻し、執務室を出ていった。
胸の中に、小さなざわめきを感じていた。あの男、ただ者ではない。ミーナに何か良からぬ術(洗脳など)をかけているのではないか?
地下へと続く階段を降りるにつれ、レオナの眉間の皺は深くなるはずだった。
しかし、現実は違った。
(……なんだ、この匂いは?)
カビ臭い湿気と、錆びた鉄の臭いが充満しているはずの地下牢。
そこから漂ってくるのは、清々しいイグサの香りと、香ばしい……ほうじ茶の香り?
「ふぅ……生き返るなぁ……」
そして聞こえてきたのは、緊張感のかけらもない、とろけきった部下の声。
レオナは足音を荒げ、最後の角を曲がった。
「ミーナ! 何をしている!?」
鉄格子の前まで踏み込み、レオナは絶句した。
「こ、これは……?」
そこは、もはや牢屋ではなかった。
殺風景な石壁は、飛鳥の陶芸スキルで作られた趣のある土壁に変わり、床には昨日よりも増えた青畳が敷き詰められている。壁には一輪挿しまで飾られ、完全に「隠れ家的な高級茶室」と化していた。
そして、その中央。
正座した飛鳥の向かいで、副隊長ミーナが、だらしなく緩みきった顔でお茶を啜っていたのである。
「レ、レオナ様!?」
王の声を聞き、ミーナが弾かれたように飛び上がった。
手にした茶碗を取り落としそうになりながら、慌てて居住まいを正す。
「こ、これは違います! その、監視の一環として、毒見を兼ねて……!」
「毒見だと!? そのような幸せそうな顔で毒見をする奴があるか! 貴様、一晩中ここで何を――」
レオナが声を荒げ、鉄格子をガンッと叩こうとした、その時だった。
「――お静かに」
凛とした、しかし静かな声が水を打ったように響いた。
飛鳥だ。
彼は釜の蓋を静かに閉じると、咎めるような、それでいて子供を諭すような目でレオナを見た。
「ミーナさん。お茶を飲む時は、心静かに。……飛鳥、と呼び捨てにするのは構いませんが、今は茶の時間です」
「は、はい……すみません……」
なんと、あの「サバルテの黒い風」と恐れられるミーナが、しゅんとして縮こまっているではないか。
「そして貴方もです、レオナ様」
飛鳥の視線が、鉄格子の外の女王に向けられた。
「ここは茶を嗜む所です。怒声や騒音は、湯の沸く音(松風)を消してしまいます。……場を乱すのであれば、お引き取りを」
「なっ……」
レオナは言葉を失った。
自分はこの国の王だ。ここは城の地下牢だ。相手は捕虜だ。
全ての立場において自分が上であるはずなのに、この空間においては「茶席の主(亭主)」である飛鳥こそが絶対的なルールブックとなっていた。
そして何より恐ろしいのは、横にいるミーナだ。
彼女は女王であるレオナではなく、飛鳥の言葉に従って「静かに」している。
(何ということか……)
レオナは戦慄した。
(たった一日だぞ? たった一日で、私の右腕であるミーナを完全に取り込んだと言うのか……?)
武力による屈服ではない。魔法による洗脳でもない。
ただ「茶」と「菓子」と「居心地の良さ」だけで、忠実な騎士を骨抜きにしたのだ。
「……恐ろしい男だ」
レオナはゴクリと喉を鳴らした。
同時に、鼻腔をくすぐる「ほうじ茶」の香ばしい香りに、自分のお腹が「グゥ~」と鳴りそうなのを必死で堪えるのであった。
サバルテ獣人国の朝は早い。
東の空から太陽が昇ると同時に、城内は慌ただしく動き出す。だが、女王レオナ・サバルテの機嫌は、あまり良くなかった。
「……マルス。例の捕虜、水神飛鳥の件はどうなっているのだ?」
執務室で書類の山と格闘していたレオナは、傍らに控える老紳士に問いかけた。
彼はマルス。羊耳族(ひつじみみぞく)の執事であり、頭の両側にあるクルリと巻いた角と、真っ白でふわふわの髪が特徴的な、温厚な人物だ。
「はっ。それでしたら、昨晩から引き続きミーナ様が担当されております」
「何? ミーナはずっと地下牢にか?」
レオナはペンを置いた。
ミーナは親衛隊の副隊長だ。たかだか一人の、しかも武器も持たない人間の監視に、夜通し張り付く必要があるだろうか?
「……良かろう。私が見に行くか」
「レオナ様自ら、でございますか? 左様でしたら、私がご案内を――」
「いや、いい。マルスは朝食の手配を頼む。腹が減っては戦ができん」
レオナはマントを翻し、執務室を出ていった。
胸の中に、小さなざわめきを感じていた。あの男、ただ者ではない。ミーナに何か良からぬ術(洗脳など)をかけているのではないか?
地下へと続く階段を降りるにつれ、レオナの眉間の皺は深くなるはずだった。
しかし、現実は違った。
(……なんだ、この匂いは?)
カビ臭い湿気と、錆びた鉄の臭いが充満しているはずの地下牢。
そこから漂ってくるのは、清々しいイグサの香りと、香ばしい……ほうじ茶の香り?
「ふぅ……生き返るなぁ……」
そして聞こえてきたのは、緊張感のかけらもない、とろけきった部下の声。
レオナは足音を荒げ、最後の角を曲がった。
「ミーナ! 何をしている!?」
鉄格子の前まで踏み込み、レオナは絶句した。
「こ、これは……?」
そこは、もはや牢屋ではなかった。
殺風景な石壁は、飛鳥の陶芸スキルで作られた趣のある土壁に変わり、床には昨日よりも増えた青畳が敷き詰められている。壁には一輪挿しまで飾られ、完全に「隠れ家的な高級茶室」と化していた。
そして、その中央。
正座した飛鳥の向かいで、副隊長ミーナが、だらしなく緩みきった顔でお茶を啜っていたのである。
「レ、レオナ様!?」
王の声を聞き、ミーナが弾かれたように飛び上がった。
手にした茶碗を取り落としそうになりながら、慌てて居住まいを正す。
「こ、これは違います! その、監視の一環として、毒見を兼ねて……!」
「毒見だと!? そのような幸せそうな顔で毒見をする奴があるか! 貴様、一晩中ここで何を――」
レオナが声を荒げ、鉄格子をガンッと叩こうとした、その時だった。
「――お静かに」
凛とした、しかし静かな声が水を打ったように響いた。
飛鳥だ。
彼は釜の蓋を静かに閉じると、咎めるような、それでいて子供を諭すような目でレオナを見た。
「ミーナさん。お茶を飲む時は、心静かに。……飛鳥、と呼び捨てにするのは構いませんが、今は茶の時間です」
「は、はい……すみません……」
なんと、あの「サバルテの黒い風」と恐れられるミーナが、しゅんとして縮こまっているではないか。
「そして貴方もです、レオナ様」
飛鳥の視線が、鉄格子の外の女王に向けられた。
「ここは茶を嗜む所です。怒声や騒音は、湯の沸く音(松風)を消してしまいます。……場を乱すのであれば、お引き取りを」
「なっ……」
レオナは言葉を失った。
自分はこの国の王だ。ここは城の地下牢だ。相手は捕虜だ。
全ての立場において自分が上であるはずなのに、この空間においては「茶席の主(亭主)」である飛鳥こそが絶対的なルールブックとなっていた。
そして何より恐ろしいのは、横にいるミーナだ。
彼女は女王であるレオナではなく、飛鳥の言葉に従って「静かに」している。
(何ということか……)
レオナは戦慄した。
(たった一日だぞ? たった一日で、私の右腕であるミーナを完全に取り込んだと言うのか……?)
武力による屈服ではない。魔法による洗脳でもない。
ただ「茶」と「菓子」と「居心地の良さ」だけで、忠実な騎士を骨抜きにしたのだ。
「……恐ろしい男だ」
レオナはゴクリと喉を鳴らした。
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