『江戸転生トライアングル ~法知識チートで裁く! 奉行と公事師と火盗改~』

月神世一

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第五章 佐藤の子育て

EP 3

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三人の親
南町奉行所の表門。
夜の静寂を破り、男の怒鳴り声と、女の金切り声が交錯していた。
「ええい、通せ! 奉行所が子供を拐(かどわ)かすとは何事だ!」
「ちょっと! 退きなさいよ! 息子に会わせな!」
門番たちがたじろぐ中、佐藤健義がゆっくりと姿を現した。
後ろには、怯える小太郎を背に隠した早乙女蘭と、刀の柄に手をかけた平上雪之丞が控えている。
「……騒々しい。夜分に何用だ」
佐藤の冷徹な声に、騒ぎがピタリと止まる。
提灯の明かりに照らされたのは、奇妙な取り合わせの三人の男女だった。
一人は、豪奢な羽織を着た、脂ぎった中年の男。
日本橋の大店(おおだな)、呉服問屋「恵比寿屋(えびすや)」の主人だ。
その後ろに、おどおどと縮こまっている、質の良さそうな着物を着た女性。
恵比寿屋の後妻、お静(しず)。
そしてもう一人。
質素だが派手な柄の着物を着崩し、恵比寿屋を睨みつけている勝ち気そうな女性。
かつて恵比寿屋から離縁された先妻であり、小太郎の実母、お蓮(れん)。
「お奉行様か! 話が早い!」
恵比寿屋が、傲慢な態度で進み出た。
「そこにいる小僧は、うちの小太郎だ! さっさと返してもらいましょうか!」
「……小太郎くんは、独りでここに逃げてきたのだ。誘拐ではない」
佐藤は静かに告げた。
「フン! 親に黙って家を出るなど、躾(しつけ)がなっておらん証拠!」
恵比寿屋は、佐藤の後ろに隠れている小太郎を睨みつけた。
「おい小太郎! いつまで隠れている! さっさと出てこい!
貴様は恵比寿屋の跡取りだぞ! 商売の稽古をサボって、こんな所で油を売るとは……帰ったら蔵で反省させるからな!」
「ッ……!」
その怒声を聞いた瞬間、小太郎が「ひっ」と悲鳴を上げ、蘭の着物をギュッと握りしめて震え出した。
明らかなPTSD(心的外傷後ストレス障害)の反応だ。
「……あなた、言い過ぎです……」
後ろで、後妻のお静が蚊の鳴くような声で諌めようとする。
「小太郎ちゃんが、可哀想で……」
「うるさい! お前が甘やかすからこうなるんだ!」
恵比寿屋がお静を怒鳴りつけると、彼女はビクッと肩をすくめ、俯いてしまった。
「はん! だらしないねぇ、後添(のちぞ)えさんは!」
そこに割って入ったのは、実母のお蓮だ。
彼女は恵比寿屋に向かって啖呵を切った。
「あたいが追い出された後、ちゃんと育ててるって言うから預けたのに……家出させるなんてどういう了見だい!
こんなことなら、小太郎はあたいが引き取るよ!」
「黙れあばずれが! 貴様に養育費など払わんぞ!」
「金の話じゃない! 子供の話をしてるんだよ!」
父は世間体と跡継ぎの話をし、後妻は夫に怯え、先妻は夫を罵倒する。
……誰も、小太郎の顔を見ていなかった。
(……地獄だな)
佐藤は、冷ややかな目でこの「家族」を見つめた。
小太郎が帰りたくないと言うのも無理はない。ここは家庭ではない。欲望と恐怖の戦場だ。
「……連れて帰る」
恵比寿屋が、強引に門を通ろうとした。
「奉行所と言えど、人の家のことに口出しは無用だ! これは『家』の問題だ!」
江戸の法において、家長権は絶対だ。
父親が「連れて帰る」と言えば、他人が止める権利はない。
だが。
「――ならん」
佐藤が、恵比寿屋の前に立ちはだかった。
「な、なんだと? 奉行が法を破る気か!」
「法ならここにある」
佐藤は、自分の胸を指差した。
「この子は、私に『助けて』と言った。
そして、貴様の顔を見て震えている。
……児童虐待の疑いが極めて濃厚だ」
「ぎゃく……たい? なんだそれは!」
「親が子供を傷つけ、恐怖で支配することだ」
佐藤の目が、鋭く光る。
「子供は、親の所有物ではない。一人の『人間』だ。
その安全が脅かされている以上、奉行所として身柄を保護する!」
「ふ、ふざけるな! 俺の子供だぞ! 煮るなり焼くなり俺の勝手だ!」
恵比寿屋が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「勝手ではない!」
佐藤が一喝した。
「小太郎くんの身柄は、当面の間、私が預かる!
不服があるなら、正式な手順を踏んで申し立てろ!
……ただし!」
佐藤は、三人の親たちを見回し、宣告した。
「次に会うのは『お白洲』だ。
そこで、誰が本当の親に相応しいか……法と理屈で、徹底的に白黒つけてやる!」
「お、覚えてろよ! お上(老中)に訴えてやるからな!」
恵比寿屋は捨て台詞を吐き、お静の手を引いて去っていった。
お蓮も「……あたいも諦めないよ!」と叫び、闇に消えた。
嵐が去った後。
佐藤は、震えが止まらない小太郎の前に膝をついた。
「……怖かったな。もう大丈夫だ」
「おじちゃん……父上、こわい……」
「ああ。絶対に、あの家には帰さない」
佐藤は、小太郎を抱きしめた。
その温もりを守るために、佐藤は覚悟を決めた。
「雪之丞」
「へい」
雪之丞も、怒りで顔を強張らせていた。
「デューラと、リベラを呼べ」
佐藤は立ち上がった。
「これは、ただの子育てではない。
『親権停止』および『監護権』を巡る、法廷闘争だ。
……あいつらの力を借りて、あの父親から、小太郎くんを法的に『奪還』する」
夜の奉行所。
迷子の保護から始まった事件は、江戸の家族観そのものを問う、前代未聞の裁判へと発展しようとしていた。
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