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第五章 佐藤の子育て
EP 5
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恵比寿屋の闇
南町奉行所がお白洲の準備に追われる一方、江戸の闇の中では、もう一つの戦いが進行していた。
「……さて。公事師(キツネ)のお嬢様が母親たちを束ねたんだ。
俺たち火盗改(オニ)も、きっちり仕事をしないとな」
深川の掃き溜めのような路地裏。
堂羅デューラは、いつもの陣羽織ではなく、浪人風の粗末な着物を纏い、笠を深く被っていた。
隣には、同じく町娘に変装した早乙女蘭。
「この奥の賭場だね。……恵比寿屋の『本当のシノギ』は」
蘭が小声で囁く。
恵比寿屋は、表向きは堅実な呉服問屋だが、その急激な羽振りの良さには黒い噂が絶えなかった。
子供への虐待、妻へのDV。家庭内での暴虐は、外での行いの写し鏡であることが多い。
「行くぞ」
二人は、賭場の暖簾をくぐった。
賭場は、異様な熱気に包まれていた。
丁半博打に興じる男たちの怒号と悲鳴。
その奥座敷で、恵比寿屋の手代(てだい)が、借金で首が回らなくなった男を締め上げていた。
「金がねえなら、娘を出しな。
吉原に売れば、元金くらいにはなるだろうよ」
「そ、そんな……! 娘はまだ十歳で……!」
「知ったことか。恵比寿屋の旦那は、損をするのが一番嫌いなんだよ」
その非道なやり取りを聞き、デューラの目が剣呑に光る。
(……やはりな。自分の子供を蔵に閉じ込めるような男だ。他人の子供など、商品としか見ていない)
デューラは、懐から一枚の書き付けを取り出した。
小太郎の実母・お蓮から提供された情報に基づき、喜助が盗み出した「恵比寿屋の裏帳簿」の写しだ。
そこには、違法賭博の収益と、高利貸しによる莫大な利益が記されていた。
「……証拠は十分だ」
デューラは笠を脱ぎ捨て、懐の十手を抜いた。
「御用だッ!! 火付盗賊改である!!」
「な、何ィ!?」
手代たちが慌てて立ち上がるが、遅い。
蘭が吹き矢で照明を割り、闇の中でデューラの剣(峰打ち)が唸りを上げる。
「ぐわぁッ!?」
「ば、化け物だ……!」
あっという間に賭場を制圧したデューラは、震える手代の胸ぐらを掴み上げた。
「……恵比寿屋への上納金の記録、すべて出してもらうぞ。
あの男の財産……根こそぎ『公儀没収』にするためにな」
これで、外堀は埋まった。
恵比寿屋は、単なる「ダメ親父」ではない。
裁かれるべき「犯罪者」として、お白洲に引きずり出されることになる。
その夜。
南町奉行所、佐藤健義の私室。
佐藤は、眠りについた小太郎の寝顔を見つめながら、明日の「裁き」の構想を練っていた。
「……普通に裁けば、父親(家長権)が勝つ。
デューラの証拠で恵比寿屋を罪人にすることはできても、それと『親権』は別問題とされる可能性がある」
江戸の法は、家の存続を最優先する。
たとえ父親が罪人となっても、親戚などが後見人となり、「家」として小太郎を取り戻そうとするだろう。
小太郎を、あの冷たい「家」という呪縛から完全に解き放つには、もっと根本的な――誰の目にも明らかな形で、「父親の資格なし」と証明しなければならない。
「……大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)」
佐藤は、ふと、江戸時代の名奉行として名高い大岡忠相の、有名な故事を思い出した。
『子争い』。
二人の女が一人の子供を巡って争った際、大岡越前は「子供を両側から引っ張り合わせ、勝った方を親とする」と命じた。
結果、子供が痛がるのを見て手を離した女こそが、真の母と認められたという話だ。
「……非科学的な精神論だ」
かつての佐藤なら、そう切り捨てただろう。
だが、今の佐藤には、その「本質」が見えていた。
「いや、これは『心理テスト』であり……『親権者適格性検査』だ」
佐藤は、六法全書(記憶)と、江戸の現実を脳内でリンクさせる。
「子供の最善の利益(The Best Interests of the Child)。
真に子供を愛する者は、子供の『痛み』を我がことのように感じる。
逆に、子供を『所有物』と見る者は、子供が傷つこうとも所有権を主張する」
佐藤は、膝を打った。
「……使える。
この『大岡裁き』を、現代的な法的ロジックで再構築し……あの大馬鹿者(恵比寿屋)に突きつけてやる」
「準備はできたか」
深夜、奉行所にデューラとリベラが集まった。
デューラは、大量の押収資料(裏帳簿)を机に置いた。
「恵比寿屋の身代(しんだい)、完全に潰せるだけのネタは揃った。
……だが、奴は金を使って優秀な『公事師』を雇うかもしれんぞ」
「あら、私より優秀な公事師なんて、この江戸にいて?」
リベラが、不敵に微笑む。
「母親連合の結束は固いわ。
お静(後妻)さんも、お蓮(先妻)さんに背中を叩かれて、離婚届に判を押す覚悟を決めたわよ」
「上出来だ」
佐藤は、二人の同期を見渡した。
「明日の裁判は、ただの親権争いではない。
『家』という古いシステムと、『個人の尊厳』という新しい価値観の戦いだ。
……そして、伝説の『大岡裁き』を超える、令和の『佐藤裁き』を見せてやる」
三人の「三田会」メンバーは、力強く頷き合った。
夜が明ければ、決戦のお白洲が開く。
迷子の小太郎の未来を賭けた、大一番が始まろうとしていた。
南町奉行所がお白洲の準備に追われる一方、江戸の闇の中では、もう一つの戦いが進行していた。
「……さて。公事師(キツネ)のお嬢様が母親たちを束ねたんだ。
俺たち火盗改(オニ)も、きっちり仕事をしないとな」
深川の掃き溜めのような路地裏。
堂羅デューラは、いつもの陣羽織ではなく、浪人風の粗末な着物を纏い、笠を深く被っていた。
隣には、同じく町娘に変装した早乙女蘭。
「この奥の賭場だね。……恵比寿屋の『本当のシノギ』は」
蘭が小声で囁く。
恵比寿屋は、表向きは堅実な呉服問屋だが、その急激な羽振りの良さには黒い噂が絶えなかった。
子供への虐待、妻へのDV。家庭内での暴虐は、外での行いの写し鏡であることが多い。
「行くぞ」
二人は、賭場の暖簾をくぐった。
賭場は、異様な熱気に包まれていた。
丁半博打に興じる男たちの怒号と悲鳴。
その奥座敷で、恵比寿屋の手代(てだい)が、借金で首が回らなくなった男を締め上げていた。
「金がねえなら、娘を出しな。
吉原に売れば、元金くらいにはなるだろうよ」
「そ、そんな……! 娘はまだ十歳で……!」
「知ったことか。恵比寿屋の旦那は、損をするのが一番嫌いなんだよ」
その非道なやり取りを聞き、デューラの目が剣呑に光る。
(……やはりな。自分の子供を蔵に閉じ込めるような男だ。他人の子供など、商品としか見ていない)
デューラは、懐から一枚の書き付けを取り出した。
小太郎の実母・お蓮から提供された情報に基づき、喜助が盗み出した「恵比寿屋の裏帳簿」の写しだ。
そこには、違法賭博の収益と、高利貸しによる莫大な利益が記されていた。
「……証拠は十分だ」
デューラは笠を脱ぎ捨て、懐の十手を抜いた。
「御用だッ!! 火付盗賊改である!!」
「な、何ィ!?」
手代たちが慌てて立ち上がるが、遅い。
蘭が吹き矢で照明を割り、闇の中でデューラの剣(峰打ち)が唸りを上げる。
「ぐわぁッ!?」
「ば、化け物だ……!」
あっという間に賭場を制圧したデューラは、震える手代の胸ぐらを掴み上げた。
「……恵比寿屋への上納金の記録、すべて出してもらうぞ。
あの男の財産……根こそぎ『公儀没収』にするためにな」
これで、外堀は埋まった。
恵比寿屋は、単なる「ダメ親父」ではない。
裁かれるべき「犯罪者」として、お白洲に引きずり出されることになる。
その夜。
南町奉行所、佐藤健義の私室。
佐藤は、眠りについた小太郎の寝顔を見つめながら、明日の「裁き」の構想を練っていた。
「……普通に裁けば、父親(家長権)が勝つ。
デューラの証拠で恵比寿屋を罪人にすることはできても、それと『親権』は別問題とされる可能性がある」
江戸の法は、家の存続を最優先する。
たとえ父親が罪人となっても、親戚などが後見人となり、「家」として小太郎を取り戻そうとするだろう。
小太郎を、あの冷たい「家」という呪縛から完全に解き放つには、もっと根本的な――誰の目にも明らかな形で、「父親の資格なし」と証明しなければならない。
「……大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)」
佐藤は、ふと、江戸時代の名奉行として名高い大岡忠相の、有名な故事を思い出した。
『子争い』。
二人の女が一人の子供を巡って争った際、大岡越前は「子供を両側から引っ張り合わせ、勝った方を親とする」と命じた。
結果、子供が痛がるのを見て手を離した女こそが、真の母と認められたという話だ。
「……非科学的な精神論だ」
かつての佐藤なら、そう切り捨てただろう。
だが、今の佐藤には、その「本質」が見えていた。
「いや、これは『心理テスト』であり……『親権者適格性検査』だ」
佐藤は、六法全書(記憶)と、江戸の現実を脳内でリンクさせる。
「子供の最善の利益(The Best Interests of the Child)。
真に子供を愛する者は、子供の『痛み』を我がことのように感じる。
逆に、子供を『所有物』と見る者は、子供が傷つこうとも所有権を主張する」
佐藤は、膝を打った。
「……使える。
この『大岡裁き』を、現代的な法的ロジックで再構築し……あの大馬鹿者(恵比寿屋)に突きつけてやる」
「準備はできたか」
深夜、奉行所にデューラとリベラが集まった。
デューラは、大量の押収資料(裏帳簿)を机に置いた。
「恵比寿屋の身代(しんだい)、完全に潰せるだけのネタは揃った。
……だが、奴は金を使って優秀な『公事師』を雇うかもしれんぞ」
「あら、私より優秀な公事師なんて、この江戸にいて?」
リベラが、不敵に微笑む。
「母親連合の結束は固いわ。
お静(後妻)さんも、お蓮(先妻)さんに背中を叩かれて、離婚届に判を押す覚悟を決めたわよ」
「上出来だ」
佐藤は、二人の同期を見渡した。
「明日の裁判は、ただの親権争いではない。
『家』という古いシステムと、『個人の尊厳』という新しい価値観の戦いだ。
……そして、伝説の『大岡裁き』を超える、令和の『佐藤裁き』を見せてやる」
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