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EP 4
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【ブラックアウト】垂直の監獄
江東区、豊洲。
東京湾を望む超高級タワーマンションの40階。
専業主婦の沙耶香(さやか)は、足元まで広がるパノラマウィンドウに額を押し当て、眼下の異常な光景を震えながら見下ろしていた。
「……あなた、早く帰ってきて……」
時刻は午後7時を回ろうとしていた。
普段なら、湾岸線の美しいヘッドライトの帯と、宝石箱のような夜景が広がる時間だ。しかし今、眼下の道路は完全に麻痺し、無数の車がひしめき合ってクラクションの咆哮を上げているのが微かに聞こえてくる。
空に浮かぶ不気味な赤い数字のせいで、パニックが起きているのはテレビの臨時ニュースで知っていた。夫からは「電車が止まった。タクシーも捕まらないから歩いて帰る」というメッセージを最後に、数時間前から既読すらつかなくなっていた。
沙耶香は不安を紛らわすように、システムキッチンの蛇口を捻り、電気ケトルに水を注ごうとした。
その時だった。
——フッ。
部屋の中の照明が、テレビの液晶が、床暖房のランプが、一斉に消えた。
いや、彼女の部屋だけではない。
窓の外、見渡す限りの東京中の明かりが、まるで誰かが巨大なブレーカーを落としたかのように、波打つように消滅していったのだ。
「え……?」
東京の電力の大部分は、周辺県にある発電所から送電線を通って供給されている。
都境を覆うあの「見えない壁」が、ついに物理的なインフラの動脈までをも完全に切断した瞬間だった。
部屋は完全な静寂と、冷たい暗闇に包まれた。
沙耶香は慌ててスマートフォンのライトを点灯させ、玄関へと走った。重い防音ドアを押し開け、内廊下に出る。非常灯だけが薄暗く点滅する廊下には、同じようにパニックに陥った隣人たちが顔を出していた。
「エレベーターが……動いてないわ!」
誰かの悲鳴に近い声が響く。
沙耶香はエレベーターホールのボタンを何度も叩いたが、液晶ディスプレイは真っ黒なままだ。
「嘘でしょ……ここ、40階よ……?」
タワーマンションにおいて、電力の喪失は「死」に直行する。
階段で40階まで昇り降りすることなど、体力のある成人男性でも至難の業だ。ましてや、食料や水を抱えてなど物理的に不可能に近い。数億円を出して買った天空の城は、一瞬にして逃げ場のない「垂直の監獄」と化したのだ。
絶望はそれだけではなかった。
部屋に戻った沙耶香が、嫌な予感に急き立てられるようにキッチンの蛇口を捻る。
「……っ」
ゴボッ、と空気が抜けるような音がしただけで、水は一滴も出なかった。
タワーマンションの水道は、電気ポンプを使って上層階へ水を汲み上げている。電気が止まれば、即座に水も止まる。
飲料水だけではない。トイレも流せない。数日後には、この密閉された豪華な箱の中に、行き場を失った排泄物の臭いが充満することになる。
沙耶香はへなへなとシステムキッチンの前に座り込んだ。
備蓄など、ダイエット用のミネラルウォーターが数本と、数日分のパスタしかない。下界へ降りる手段も、情報を得る手段も、命を繋ぐ水も、すべてが絶たれた。
暗闇の窓の外。
光を失った死の街・東京の空に、無機質な赤い光だけが煌々と輝き、無慈悲に時を削っていた。
【2145:12:33】
大停電(ブラックアウト)により、最初の夜は、想像を絶する闇と寒さの中で幕を開けた。
江東区、豊洲。
東京湾を望む超高級タワーマンションの40階。
専業主婦の沙耶香(さやか)は、足元まで広がるパノラマウィンドウに額を押し当て、眼下の異常な光景を震えながら見下ろしていた。
「……あなた、早く帰ってきて……」
時刻は午後7時を回ろうとしていた。
普段なら、湾岸線の美しいヘッドライトの帯と、宝石箱のような夜景が広がる時間だ。しかし今、眼下の道路は完全に麻痺し、無数の車がひしめき合ってクラクションの咆哮を上げているのが微かに聞こえてくる。
空に浮かぶ不気味な赤い数字のせいで、パニックが起きているのはテレビの臨時ニュースで知っていた。夫からは「電車が止まった。タクシーも捕まらないから歩いて帰る」というメッセージを最後に、数時間前から既読すらつかなくなっていた。
沙耶香は不安を紛らわすように、システムキッチンの蛇口を捻り、電気ケトルに水を注ごうとした。
その時だった。
——フッ。
部屋の中の照明が、テレビの液晶が、床暖房のランプが、一斉に消えた。
いや、彼女の部屋だけではない。
窓の外、見渡す限りの東京中の明かりが、まるで誰かが巨大なブレーカーを落としたかのように、波打つように消滅していったのだ。
「え……?」
東京の電力の大部分は、周辺県にある発電所から送電線を通って供給されている。
都境を覆うあの「見えない壁」が、ついに物理的なインフラの動脈までをも完全に切断した瞬間だった。
部屋は完全な静寂と、冷たい暗闇に包まれた。
沙耶香は慌ててスマートフォンのライトを点灯させ、玄関へと走った。重い防音ドアを押し開け、内廊下に出る。非常灯だけが薄暗く点滅する廊下には、同じようにパニックに陥った隣人たちが顔を出していた。
「エレベーターが……動いてないわ!」
誰かの悲鳴に近い声が響く。
沙耶香はエレベーターホールのボタンを何度も叩いたが、液晶ディスプレイは真っ黒なままだ。
「嘘でしょ……ここ、40階よ……?」
タワーマンションにおいて、電力の喪失は「死」に直行する。
階段で40階まで昇り降りすることなど、体力のある成人男性でも至難の業だ。ましてや、食料や水を抱えてなど物理的に不可能に近い。数億円を出して買った天空の城は、一瞬にして逃げ場のない「垂直の監獄」と化したのだ。
絶望はそれだけではなかった。
部屋に戻った沙耶香が、嫌な予感に急き立てられるようにキッチンの蛇口を捻る。
「……っ」
ゴボッ、と空気が抜けるような音がしただけで、水は一滴も出なかった。
タワーマンションの水道は、電気ポンプを使って上層階へ水を汲み上げている。電気が止まれば、即座に水も止まる。
飲料水だけではない。トイレも流せない。数日後には、この密閉された豪華な箱の中に、行き場を失った排泄物の臭いが充満することになる。
沙耶香はへなへなとシステムキッチンの前に座り込んだ。
備蓄など、ダイエット用のミネラルウォーターが数本と、数日分のパスタしかない。下界へ降りる手段も、情報を得る手段も、命を繋ぐ水も、すべてが絶たれた。
暗闇の窓の外。
光を失った死の街・東京の空に、無機質な赤い光だけが煌々と輝き、無慈悲に時を削っていた。
【2145:12:33】
大停電(ブラックアウト)により、最初の夜は、想像を絶する闇と寒さの中で幕を開けた。
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