7 / 11
EP 7
しおりを挟む
【地下の狂気】シェルターの特権階級
渋谷区、松濤(しょうとう)。
都内屈指の高級住宅街の地下深く、分厚いコンクリートと鉛に覆われた空間には、場違いなほど優雅なクラシック音楽が流れていた。
「パパ、このお肉ちょっとパサパサしてる」
「我慢しなさい。A5ランクの和牛とはいえ、缶詰なんだから。あとで桃のコンポートを開けてあげよう」
IT企業社長の俊哉(としや)は、娘の頭を撫でながら、ボルドーの赤ワインをグラスに注いだ。
LEDの疑似太陽光ランプが照らすダイニングテーブルには、高級な保存食が並べられている。完全な防音、独立した空気浄化システム(NBCフィルター)、そして巨大な水槽。彼らは数千万円を投資して、この完璧な「箱舟」を手に入れていた。
俊哉はワインを口に含みながら、壁に埋め込まれた大型モニターに目を向けた。
そこには、地上に設置した隠しカメラの映像が分割して映し出されている。
白黒の暗視映像の中、かつて美しかった庭の芝生は踏み荒らされ、泥棒のように這いつくばった数人の男女が、庭木の皮を剥がして貪り食っていた。一人が倒れ伏すと、他の者がその着衣を剥ぎ取り、何かを奪い合って殴り合いを始める。
「……愚かだな。普段から危機管理能力のない底辺どもが」
安全な特等席から見下ろす地獄の光景は、俊哉の歪んだ優越感を満たした。
第三話で暗躍した不動産屋の黒崎から、このシェルターの情報を「名簿から消去」させるために多額の裏金を払った甲斐があった。暴徒も、そして政府軍の徴発部隊も、この地下の楽園の存在には気づいていない。
自分たちは選ばれた人間だ。このまま三ヶ月間、ワインを飲みながら下界の虫どもが自滅するのを眺めていればいい。
そう確信していた俊哉の耳に、微かな、しかし致命的な電子音が届いた。
『ピーッ。警告。非常用発電システムの燃料残量が規定値を下回りました』
「……は?」
俊哉は血相を変えて、壁面のコントロールパネルに駆け寄った。
タッチパネルのインジケーターには、無慈悲な赤い警告マークが点滅している。
「嘘だろ……。計算上は、軽油タンク満タンで三ヶ月(90日)持つはずだぞ!?」
「あなた、どうしたの?」
「黙ってろ!!」
妻を怒鳴りつけ、俊哉は震える指でシステムログを遡った。
そして、絶望的な設計ミス(あるいは施工業者の手抜き)に気づいた。NBCフィルターの稼働と、この広大な地下室の空調・照明をフル稼働させた場合の消費電力が、想定カタログスペックを大幅に上回っていたのだ。
現在のペースで燃料を消費した場合、発電機が停止するのは——あと『約30日後』。
「……あ、ああ……」
発電機が止まれば、換気システムが死ぬ。密閉されたこの空間は、数時間で二酸化炭素に満たされ、全員が窒息死する。
生き延びるためには、地上に出るしかない。
俊哉は再びモニターを見た。
カメラの向こうでは、先ほどまで殴り合っていた暴徒たちが、こちら(地下への隠しハッチ)の通気口の不自然な金属部品に気づき、血走った目で何かを指差していた。
「……あいつら、気づいたのか? いや、待て、開けるな……! そこを開けたら……!」
安全だったはずの分厚い防爆ドアが、突如として「自分たちを閉じ込める棺桶の蓋」に変わった瞬間だった。
外に出れば、飢えた獣の群れに八つ裂きにされる。
中にとどまれば、暗闇の中でゆっくりと息絶える。
ワイングラスが俊哉の手から滑り落ち、赤い飛沫を上げて粉々に砕け散った。
完璧な箱舟は、1400万人の地獄の中で最も残酷な『処刑室』へと姿を変えたのだ。
地下の静寂の中、空の数字は見えなくとも、確実な死へのカウントダウンが響いていた。
【1835:44:12】
特権階級の驕りは、緩やかな窒息という狂気へと変わっていった。
渋谷区、松濤(しょうとう)。
都内屈指の高級住宅街の地下深く、分厚いコンクリートと鉛に覆われた空間には、場違いなほど優雅なクラシック音楽が流れていた。
「パパ、このお肉ちょっとパサパサしてる」
「我慢しなさい。A5ランクの和牛とはいえ、缶詰なんだから。あとで桃のコンポートを開けてあげよう」
IT企業社長の俊哉(としや)は、娘の頭を撫でながら、ボルドーの赤ワインをグラスに注いだ。
LEDの疑似太陽光ランプが照らすダイニングテーブルには、高級な保存食が並べられている。完全な防音、独立した空気浄化システム(NBCフィルター)、そして巨大な水槽。彼らは数千万円を投資して、この完璧な「箱舟」を手に入れていた。
俊哉はワインを口に含みながら、壁に埋め込まれた大型モニターに目を向けた。
そこには、地上に設置した隠しカメラの映像が分割して映し出されている。
白黒の暗視映像の中、かつて美しかった庭の芝生は踏み荒らされ、泥棒のように這いつくばった数人の男女が、庭木の皮を剥がして貪り食っていた。一人が倒れ伏すと、他の者がその着衣を剥ぎ取り、何かを奪い合って殴り合いを始める。
「……愚かだな。普段から危機管理能力のない底辺どもが」
安全な特等席から見下ろす地獄の光景は、俊哉の歪んだ優越感を満たした。
第三話で暗躍した不動産屋の黒崎から、このシェルターの情報を「名簿から消去」させるために多額の裏金を払った甲斐があった。暴徒も、そして政府軍の徴発部隊も、この地下の楽園の存在には気づいていない。
自分たちは選ばれた人間だ。このまま三ヶ月間、ワインを飲みながら下界の虫どもが自滅するのを眺めていればいい。
そう確信していた俊哉の耳に、微かな、しかし致命的な電子音が届いた。
『ピーッ。警告。非常用発電システムの燃料残量が規定値を下回りました』
「……は?」
俊哉は血相を変えて、壁面のコントロールパネルに駆け寄った。
タッチパネルのインジケーターには、無慈悲な赤い警告マークが点滅している。
「嘘だろ……。計算上は、軽油タンク満タンで三ヶ月(90日)持つはずだぞ!?」
「あなた、どうしたの?」
「黙ってろ!!」
妻を怒鳴りつけ、俊哉は震える指でシステムログを遡った。
そして、絶望的な設計ミス(あるいは施工業者の手抜き)に気づいた。NBCフィルターの稼働と、この広大な地下室の空調・照明をフル稼働させた場合の消費電力が、想定カタログスペックを大幅に上回っていたのだ。
現在のペースで燃料を消費した場合、発電機が停止するのは——あと『約30日後』。
「……あ、ああ……」
発電機が止まれば、換気システムが死ぬ。密閉されたこの空間は、数時間で二酸化炭素に満たされ、全員が窒息死する。
生き延びるためには、地上に出るしかない。
俊哉は再びモニターを見た。
カメラの向こうでは、先ほどまで殴り合っていた暴徒たちが、こちら(地下への隠しハッチ)の通気口の不自然な金属部品に気づき、血走った目で何かを指差していた。
「……あいつら、気づいたのか? いや、待て、開けるな……! そこを開けたら……!」
安全だったはずの分厚い防爆ドアが、突如として「自分たちを閉じ込める棺桶の蓋」に変わった瞬間だった。
外に出れば、飢えた獣の群れに八つ裂きにされる。
中にとどまれば、暗闇の中でゆっくりと息絶える。
ワイングラスが俊哉の手から滑り落ち、赤い飛沫を上げて粉々に砕け散った。
完璧な箱舟は、1400万人の地獄の中で最も残酷な『処刑室』へと姿を変えたのだ。
地下の静寂の中、空の数字は見えなくとも、確実な死へのカウントダウンが響いていた。
【1835:44:12】
特権階級の驕りは、緩やかな窒息という狂気へと変わっていった。
0
あなたにおすすめの小説
『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』
月神世一
SF
【あらすじ】
「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。
かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。
背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
サイレント・サブマリン ―虚構の海―
来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。
科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。
電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。
小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。
「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」
しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。
謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か——
そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。
記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える——
これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。
【全17話完結】
触手エイリアンの交配実験〜研究者、被験体になる〜
桜井ベアトリクス
恋愛
異星で触手エイリアンを研究する科学者アヴァ。 唯一観察できていなかったのは、彼らの交配儀式。
上司の制止を振り切り、禁断の儀式を覗き見たアヴァは―― 交わる触手に、抑えきれない欲望を覚える。
「私も……私も交配したい」
太く長い触手が、体の奥深くまで侵入してくる。 研究者が、快楽の実験体になる夜。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる