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EP 2
ギルドマスターの落涙と、欲望の執事セバス
「はぁっ、はぁっ……! ヴォルフさん、開けてください!!」
夜の帝都を疾走し、僕たちは冒険者ギルドの中央本部へ転がり込んだ。
後方からは「カレーをよこせぇぇ!」という暴徒(腹を空かせた冒険者たち)の雄叫びが聞こえていたが、ギルドの屈強な門番たちがなんとか防波堤となってくれた。
「なんだお前ら!? 魔狼を討伐して凱旋したと思ったら、夜中に鍋抱えて夜逃げか!?」
マスター執務室の奥にある私室でくつろいでいたヴォルフさんが、目を丸くして立ち上がった。
「事情は後です! とりあえず、匂いが漏れないように窓を閉めてください!」
僕が叫ぶと、ライザが厳重に鍵をかけ、大事そうに抱えていた鍋をテーブルの上にドンッと置いた。
「……おい。なんだ、この匂いは」
ヴォルフさんの隻眼が、鍋の蓋の隙間から漏れ出す茶色い湯気に釘付けになった。
歴戦の戦士の本能が、その未知なる香り(スパイス)に危険信号と……それ以上の『圧倒的な食欲』を刺激されたらしい。
「僕の故郷の料理、『ジャワカレー』です。ヴォルフさんも、一口どうですか?」
僕が予備の皿にご飯を盛り、カレーをかけて差し出すと、ヴォルフさんは疑心暗鬼な顔でスプーンを手に取った。
大男が、小さなスプーンでカレーを口に運ぶ。
「……ん?」
咀嚼すること数回。
突然、ヴォルフさんの目から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
「お、お父様!?」
ライザが慌てるが、ヴォルフさんは涙を拭おうともせず、一心不乱にカレーを掻き込み始めた。
「う、美味ぇ……! なんだこれは!? 辛い! だが、身体の芯から熱くなるようなこの複雑な旨味はなんだ!? 俺が若い頃、極寒の雪山で遭難しかけた時に食った干し肉のスープより……いや、人生で食ったどの飯よりも美味ぇぞぉぉっ!!」
顔の傷をくしゃくしゃにして号泣しながら、2メートル近い大男がカレーを貪る。
恐るべし、ジャワカレー(中辛)。異世界の味覚基準を完全に破壊してしまった。
その時だった。
「……失礼いたします。ヴォルフ殿、明日の謁見の件で――」
ガチャリ、と私室の扉が開き、隙のない燕尾服を着こなした初老の紳士が入ってきた。
銀色の髪をオールバックに撫でつけ、片眼鏡(モノクル)をかけた、いかにも『完璧な執事』といった風貌の男だ。
「ん? セバスか。わりぃが今、人生最高の食事中で……」
「…………ッ!!」
執事のセバスと呼ばれた男は、ヴォルフさんの言葉を遮るようにピタッと硬直した。
彼の片眼鏡がカチャリと揺れ、鼻をヒクヒクと猛烈に動かしている。
「こ、この香りは……!! 神々の宴からこぼれ落ちたような、芳醇かつ暴力的なまでの香辛料の調べ……! ヴォルフ殿! あなたが食べているその神の食べ物は、一体誰が!?」
「あ? ああ、そこのタロウって小僧が作った『カレー』だ」
セバスの鋭い視線が、僕と、僕の手にあるお玉に突き刺さった。
彼は瞬時に僕の前に移動すると、直角に腰を折り、完璧な礼をした。
「初めまして、タロウ様。私はルナミス帝国・王宮筆頭執事のセバスと申します。……突然で大変恐縮ですが、その『カレー』なる奇跡の料理を、ぜひ皇帝陛下に献上していただけないでしょうか!」
「えっ」
僕は目を丸くした。
「い、いやいやいや! 無理無理無理!!」
僕は全力で首を横に振った。
「僕、ただの冒険者ですよ!? 皇帝陛下に料理を出すなんて、もし口に合わなかったら不敬罪で首が飛ぶじゃないですか! 絶対に嫌です!!」
平民が王族に飯を食わせるなんて、ハイリスク・ノーリターンの極みだ。
僕が断固拒否の姿勢を見せると、セバスはふらりとよろめき、その場に膝から崩れ落ちた。
「そ、そんな……。皇帝陛下は最近、宮廷の食事に飽きられ、酷い食欲不振に陥っておられるのです。筆頭執事である私が、明日までに陛下を唸らせる『未知の美食』を用意できなければ、私は……私は……」
完璧な執事の顔が、見る見るうちに崩れていく。
そして彼は、僕の足首にガシッとすがりつき、顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫び始めた。
「ううっ……お願い致しますタロウ様! 私がクビになれば、実家の村で病気に苦しむ年老いた母に仕送りができなくなってしまうのです! 薬代が高いんですぅぅ!」
「えっ、あ、ちょ、セバスさん!?」
「それに! 筆頭執事の激務でもう何年も休みがない! 私だって本当は温泉旅行に行って肩までゆっくりお湯に浸かりたい! 羽目を外して、帝都の第1階層に新しくできたエルフと獣人のいる『キャバクラ』に行って、若いネーチャンにチヤホヤされながら高い酒をガブ飲みしたいんですよぉぉぉっ!! 私は! 私はあああああっ!!」
「…………」
部屋の中が、水を打ったように静まり返った。
病気の母親の話までは可哀想だと思ったが、後半のドス黒い俗物全開の欲望に、ライザとサリーはドン引きしてゴミを見るような目をしている。
だが。
健全かつ彼女いない歴=年齢の男子大学生である僕の耳は、ある一つの単語を逃さなかった。
「……セバスさん。その『キャバクラ』って、エルフとか猫耳のお姉さんが隣に座ってくれるんですか?」
「!? はい! それはもう、とびきり可愛い子たちが!」
「へぇ……。ちなみに、紹介とか割引券とか、もらえたり……?」
僕が身を乗り出して尋ねた、次の瞬間。
ゴスッ!!
「あだっ!?」
後頭部に、鞘のままの剣が容赦なく叩き込まれた。
「タロウ」
振り返ると、ポニーテールを揺らすライザが、般若のような笑顔で僕を見下ろしていた。
その後ろでは、サリーが杖を両手で握り締め、光属性の魔力をバチバチとスパークさせている。
「……タロウさん。キャバクラって、なんですか? 私やライザちゃんより、可愛い人がいるんですか?」
「タロウ。もし変な真似をしたら、あなたのその『100均アイテム』ごと、真っ二つにするわよ」
「じょ、冗談だってば!!」
僕は滝のような冷や汗を流し、慌てて二人から距離を取った。これ以上刺激したら、魔狼より先に僕が消し炭にされる!
「わ、分かりましたよセバスさん! 行きます! 行けばいいんでしょ! 皇帝陛下にカレーを作りますから、すがりつくのをやめてください!」
「おおっ! まことですか!! ありがとうございます、タロウ様!!」
セバスは涙と鼻水をハンカチで優雅に拭き取り、一瞬で『完璧な執事』の顔に戻った。
(……こいつ、絶対キャバクラに行きたいだけだろ)
こうして僕は、100円のジャワカレーを武器に、ルナミス帝国で最も権力を持つ男――皇帝陛下の胃袋に直接挑むことになってしまったのだった。
「はぁっ、はぁっ……! ヴォルフさん、開けてください!!」
夜の帝都を疾走し、僕たちは冒険者ギルドの中央本部へ転がり込んだ。
後方からは「カレーをよこせぇぇ!」という暴徒(腹を空かせた冒険者たち)の雄叫びが聞こえていたが、ギルドの屈強な門番たちがなんとか防波堤となってくれた。
「なんだお前ら!? 魔狼を討伐して凱旋したと思ったら、夜中に鍋抱えて夜逃げか!?」
マスター執務室の奥にある私室でくつろいでいたヴォルフさんが、目を丸くして立ち上がった。
「事情は後です! とりあえず、匂いが漏れないように窓を閉めてください!」
僕が叫ぶと、ライザが厳重に鍵をかけ、大事そうに抱えていた鍋をテーブルの上にドンッと置いた。
「……おい。なんだ、この匂いは」
ヴォルフさんの隻眼が、鍋の蓋の隙間から漏れ出す茶色い湯気に釘付けになった。
歴戦の戦士の本能が、その未知なる香り(スパイス)に危険信号と……それ以上の『圧倒的な食欲』を刺激されたらしい。
「僕の故郷の料理、『ジャワカレー』です。ヴォルフさんも、一口どうですか?」
僕が予備の皿にご飯を盛り、カレーをかけて差し出すと、ヴォルフさんは疑心暗鬼な顔でスプーンを手に取った。
大男が、小さなスプーンでカレーを口に運ぶ。
「……ん?」
咀嚼すること数回。
突然、ヴォルフさんの目から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
「お、お父様!?」
ライザが慌てるが、ヴォルフさんは涙を拭おうともせず、一心不乱にカレーを掻き込み始めた。
「う、美味ぇ……! なんだこれは!? 辛い! だが、身体の芯から熱くなるようなこの複雑な旨味はなんだ!? 俺が若い頃、極寒の雪山で遭難しかけた時に食った干し肉のスープより……いや、人生で食ったどの飯よりも美味ぇぞぉぉっ!!」
顔の傷をくしゃくしゃにして号泣しながら、2メートル近い大男がカレーを貪る。
恐るべし、ジャワカレー(中辛)。異世界の味覚基準を完全に破壊してしまった。
その時だった。
「……失礼いたします。ヴォルフ殿、明日の謁見の件で――」
ガチャリ、と私室の扉が開き、隙のない燕尾服を着こなした初老の紳士が入ってきた。
銀色の髪をオールバックに撫でつけ、片眼鏡(モノクル)をかけた、いかにも『完璧な執事』といった風貌の男だ。
「ん? セバスか。わりぃが今、人生最高の食事中で……」
「…………ッ!!」
執事のセバスと呼ばれた男は、ヴォルフさんの言葉を遮るようにピタッと硬直した。
彼の片眼鏡がカチャリと揺れ、鼻をヒクヒクと猛烈に動かしている。
「こ、この香りは……!! 神々の宴からこぼれ落ちたような、芳醇かつ暴力的なまでの香辛料の調べ……! ヴォルフ殿! あなたが食べているその神の食べ物は、一体誰が!?」
「あ? ああ、そこのタロウって小僧が作った『カレー』だ」
セバスの鋭い視線が、僕と、僕の手にあるお玉に突き刺さった。
彼は瞬時に僕の前に移動すると、直角に腰を折り、完璧な礼をした。
「初めまして、タロウ様。私はルナミス帝国・王宮筆頭執事のセバスと申します。……突然で大変恐縮ですが、その『カレー』なる奇跡の料理を、ぜひ皇帝陛下に献上していただけないでしょうか!」
「えっ」
僕は目を丸くした。
「い、いやいやいや! 無理無理無理!!」
僕は全力で首を横に振った。
「僕、ただの冒険者ですよ!? 皇帝陛下に料理を出すなんて、もし口に合わなかったら不敬罪で首が飛ぶじゃないですか! 絶対に嫌です!!」
平民が王族に飯を食わせるなんて、ハイリスク・ノーリターンの極みだ。
僕が断固拒否の姿勢を見せると、セバスはふらりとよろめき、その場に膝から崩れ落ちた。
「そ、そんな……。皇帝陛下は最近、宮廷の食事に飽きられ、酷い食欲不振に陥っておられるのです。筆頭執事である私が、明日までに陛下を唸らせる『未知の美食』を用意できなければ、私は……私は……」
完璧な執事の顔が、見る見るうちに崩れていく。
そして彼は、僕の足首にガシッとすがりつき、顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫び始めた。
「ううっ……お願い致しますタロウ様! 私がクビになれば、実家の村で病気に苦しむ年老いた母に仕送りができなくなってしまうのです! 薬代が高いんですぅぅ!」
「えっ、あ、ちょ、セバスさん!?」
「それに! 筆頭執事の激務でもう何年も休みがない! 私だって本当は温泉旅行に行って肩までゆっくりお湯に浸かりたい! 羽目を外して、帝都の第1階層に新しくできたエルフと獣人のいる『キャバクラ』に行って、若いネーチャンにチヤホヤされながら高い酒をガブ飲みしたいんですよぉぉぉっ!! 私は! 私はあああああっ!!」
「…………」
部屋の中が、水を打ったように静まり返った。
病気の母親の話までは可哀想だと思ったが、後半のドス黒い俗物全開の欲望に、ライザとサリーはドン引きしてゴミを見るような目をしている。
だが。
健全かつ彼女いない歴=年齢の男子大学生である僕の耳は、ある一つの単語を逃さなかった。
「……セバスさん。その『キャバクラ』って、エルフとか猫耳のお姉さんが隣に座ってくれるんですか?」
「!? はい! それはもう、とびきり可愛い子たちが!」
「へぇ……。ちなみに、紹介とか割引券とか、もらえたり……?」
僕が身を乗り出して尋ねた、次の瞬間。
ゴスッ!!
「あだっ!?」
後頭部に、鞘のままの剣が容赦なく叩き込まれた。
「タロウ」
振り返ると、ポニーテールを揺らすライザが、般若のような笑顔で僕を見下ろしていた。
その後ろでは、サリーが杖を両手で握り締め、光属性の魔力をバチバチとスパークさせている。
「……タロウさん。キャバクラって、なんですか? 私やライザちゃんより、可愛い人がいるんですか?」
「タロウ。もし変な真似をしたら、あなたのその『100均アイテム』ごと、真っ二つにするわよ」
「じょ、冗談だってば!!」
僕は滝のような冷や汗を流し、慌てて二人から距離を取った。これ以上刺激したら、魔狼より先に僕が消し炭にされる!
「わ、分かりましたよセバスさん! 行きます! 行けばいいんでしょ! 皇帝陛下にカレーを作りますから、すがりつくのをやめてください!」
「おおっ! まことですか!! ありがとうございます、タロウ様!!」
セバスは涙と鼻水をハンカチで優雅に拭き取り、一瞬で『完璧な執事』の顔に戻った。
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