君にことほぎ 猫にゆめ

安芸月

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第二章

半分あやかし 半分人間⑥

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「信じます」

 少女がそう言うと、那沙は満足そうにうなずく。

「私は那沙という夢売りだ。おまえは?」
時任優李ときとう ゆうりといいます。高校という学校で勉強をしています」
「学生か、年はのほどは十七……」
「年が明けたら十八になります」
「なるほどな」

 そういってから獏はふんふんと少しだけ鼻を動かして匂いを嗅いだ。

「優李、あやかしの存在を知らないとなると、おまえには自分が半妖である自覚はないのだな?」
「ハンヨウとは何ですか?」
「父親か母親、どちらかがあやかしということだ」
「両親どちらも人間ですけれど……」

 などと抗議する優李に、那沙は告げる。

「おまえからは猫の匂いがする。今改めて匂うと実に懐かしい匂いだ。間違いない、思った通りおまえは金華キンカの子だ、母親があやかしなのだ」
「え……」

 那沙の言葉に優李はあからさまに怪訝そうな顔をした。当然母が猫だなんて思ったことは一度もない。

「母は人間でした。変なことをいわないでください」

 少し怒ったような優李の言葉に、那沙は目を細める。

「その昔、変わった金華猫がいたのだ。金華のくせに黒い毛並みの好奇心旺盛な猫がな」

 そういって、那沙はどこか遠い目をする。どうやら優李の母親だというあやかしと知り合いのようだ。その口ぶりから、何年も会っていないようである。

「金華の名は希沙羅きさら、面白い女だった。おまえの母の名だろう?」

 那沙の言葉に、優李は目を見開いた。確かに、優李の母親は希沙羅というのである。

「あなたは本当に、母のことを知っているんですね」
「だからそういっているだろう? もう百年ちかくになるか……しばらく見ないと思っていたが、人の世に紛れ込んでいたとはな。あれも人間贔屓だったからな……希沙羅は息災か?」

 那沙の問いかけに、優李は長い睫毛を伏せた。

「いえ――母は……」

 亡くなりました――と言いかけて、優李は口をつぐむ。母の死は、優李に大きな傷を残していた。今も口にするのが少し苦しい。だが、どうにか乗り越えたではないかと、優李は呼吸を整えてから、奥歯を噛み締め、はっきりと告げる。

「母は亡くなりました。もう七年ほど前の話です」

 優李の言葉に、今度は那沙が目を見開いた。死んでいるとは、露にも思っていなかったのだろう。思わぬ友人の死に、那沙もその長い睫毛を伏せた。

「そうか……悪いことを聞いた」
「いえ、気にしないでください。ですが、まさか母があやかしだなんて……俄かには信じられません」
「嘘ではない、その証拠におまえからは人間の香りの他に、確かに金華猫の香りがする。半妖とはな……昔はよく見かけたらしいが、今の世では珍しい。人間と婚姻を結ぶあやかしも、今となってはほとんどいないのだろうな」

 那沙は懐かしそうにわずかに微笑んでから、感情のこもらない声で囁いた。悲しい声音だと、優李は思った。

 那沙は優李のなかに、旧友の金華猫の面影を見つけたようである。雰囲気が良く似ている。だが、目元は父譲りなのだろう。穏やかに垂れた丸い瞳は、良く知る金華猫のものではない。

 自分に猫のあやかしの血が流れていると聞いた優李は、そういえばと思い当たることがあった。

「あの、私の住む町には猫がたくさん住み着いているのですが、昔から野良猫が寄ってくるんです。でも犬には吠えられて。これは、猫と人間の半妖だからということが関係あるのでしょうか?」
「無関係ではないんだろう。犬と猫は仲が悪い」
「そんな話は聞いたことがないですよ、犬と仲が悪いのは猿です」

 優李はおかしくなって笑う。

「こちらでは良く聞く話だ。犬は狐とも折り合いが悪い」

 優李は那沙の話をきちんと理解しようと必死に情報を整理した。死んだ母は猫のあやかしであり、父は人間。生まれた自分は半妖である。ここはあやかしの国、黄泉平坂。目の前にいる男は獏のあやかし。

「私は黒猫を追ってきました。あの猫を、知っている気がしたんです。なぜだろうと考えたのですが、母の死に関係がある気がしたんです。だから……」
「黒い猫の正体を知りたいというのか?」
「はい、その猫がここにいるというのなら、私はこの世界を探したい」

 優李の言葉に、那沙は険しい顔をして首を横に振る。そして、子供を叱るような声を出した。

「駄目だ。人の世で暮らしてきた半妖は人間の匂いが強すぎる。その香りは良からぬ輩を呼び寄せるかもしれない。危険だ」
「でも、私は、あの猫を探さなければいけない気がするのです。なぜか、心の中がざわつくんです」
「身を危険に晒してでも希沙羅の死因に迫りたいのか?」

 力強く頷く優李に那沙はため息を吐くと、面倒なことになった、そう小さくつぶやいた。

「そもそもおまえも学業があるのだろう?」

 問われて優李は「大丈夫です」とうなずいた。

「明日から夏休みなので、といいたいところですが、今すぐにとはいいません。猫がこちらにいることさえわかれば、いつか……」
「おまえの父親は心配するだろう」
「それはそうなのですが……一度戻ることが出来たら、父に話をしてきます。今は豆の仕入れで家を空けているのですが、明日には戻りますし」
「やすやす信じるとは思えない。が、希沙羅を娶った男だから一概にそうとは言えないか」
「父はちょっとやそっとのことでは驚かない人なのです。きっと私の話を信じてくれます」

 優李の言葉に、那沙は外を一瞥してから答える。

「もう夜も更けている、今から森に行くことはできない。夜の森には悪いあやかしが出るのだ。これも何かの縁だろう、客人は好まないが、おまえは海希の子。ならば悪いようにはしない。明日、朝日が上がるのを待ってから送っていってやろう」
「父は家を空けているので、明日の昼頃までにもどっていたら大丈夫です」
「ならば、早朝に出れば問題ない。私がいれば道に迷うこともない、すぐに戻ることができる。今夜は泊めてやるから安心しろ、食事も提供する。ただし、宿代として明日の朝、少しだけ店の用意を手伝え。私は下の階で寝ているから何かあったら呼びに来い、おまえのことは朝になったら起こしてやる。今日はもう休め」

 いうなり那沙は優李に背を向けて、かたんと襖を開く。優李は那沙にいわれたとおり、眠りに就くことにした。そういえばどっと疲れが出たような気がする。学校帰りにあの黒い猫を見つけて無我夢中で走ってきてしまった。猫に、呼ばれているような気がしたから。森に入ってからの記憶が曖昧なのは、霧のせいだろうか――

「それにしても、竜王山があやかしの国に繋がっていたなんて……そもそも、こんな世界があるなんて……」

 そして、母があやかしだったなんてと、那沙から聞いた俄かには信じられない話について考え始める。母は優李が十歳のときに交通事故で亡くなった。
 その時、警察からはこう言われたのだ。

 ドライブレコーダーに、なにか黒いものを助けようとして飛び出したように映っていました。なにか、黒猫のような

 黒い影は黒猫のように見えた。いや、間違いなく黒猫だった。額に傷のある黒猫。
 優李は色々なことに考えを巡らせているうちに、いつの間にか眠りに就いてしまった。心地よい暗闇に包まれて、深い深い眠りに落ちていく。

 枕元に、誰かがいるような気がした。それは、恐ろしいものではなく、どこか優しいものに感じられた。
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