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一章 ユリア公爵令嬢

二十一 制服合わせ

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『さてヒロインのことを考えていかなくてはね。このノートを見れる?』

「ええ。別に、ヒロインに嫉妬して情報を見たくないなんてことないんだから。……本当なのよ?」

『そのようやね。平民街では自分を抑えられそうになかった。しかし少し自信がついたのかな、今のユリアになら見せてもええやろうと賭けた』

「人を時限爆弾のように表さないでよね」


【空上モモ 情報:下町の娘

 王立学園特待生。平民でありながら頭脳と運動能力のポテンシャルが高く、その動きを見かけた貴族の後押しにより入学。成長抜群の加護によりどのような能力も伸びやすい。その血筋は没落貴族によるものだが、両親に嫉妬されてしまい孤児院の前に捨てられて、孤独にすごした。

 下街の子どもたちを救うことができるならと、王立学園への入学を決意する。平民の自分がハッピーエンドを見せることで平民たちの希望になると信じている】


「すごい……。自分が象徴になるという覚悟がもうできているのね。それってとんでもなく大変なことなのに、自分の力と、他の人の可能性まで信じているんだ。心にも才能のある人なんだわ。それに加えて生まれつきすばらしい身体能力も持っていたから、神様もこの人に目をかけるのでしょうね。はあ、羨ましくなっちゃうな」

『そうなんや?』

「どうして胡乱な顔をしているの。羨ましいわ。私は自分の力不足を痛感することばかりだったから……。けれど……それは力が必要とされる立場を与えてもらっているということでもある。生まれながらの私に与えられていた、他の人からすれば羨むようなものなのよね。その自覚はしておかなくては。傲慢にならないように。……えっと、そんな話に繋げるつもりはなかったのよ。つい、想像が先走ってしまって。私ってどうしていつもこうなんだろう!」

『ニャハハ。これまでは自分について考える機会が少なすぎたから、これまでしてこなかった分が全て押し寄せてる説』

「宿題のようだわ。ああ、また変なこと言っちゃった。そういえば、こんなふうになるから考えないように癖をつけたのよね」

『公爵家の仕事って進み具合が早くて、たっぷり考えたり、立ち止まったり、戻ったりする暇もないくらいなんよな。だからマナーに頼りきりになるか、恫喝して周りを言いなりにさせてしまうか、天才に生まれるしか方法がないんよな。ユリア──』

 そうなってはいけないよ、と猫は肩に乗り耳元にささやく。洗脳のようでありながら、先にユリアの意見を引き出してからのことだったので、まったく自然に声はユリアの中に入り込んできた。
 声がユリアの中に染み込んでいくような感じがある。自分を引き出してもらって、甘く肯定してくれる、それはたくみなやり方だった。しかし、ユリアは猫を払い除けた。

「ロクタ様にされたような誘導の気配がある」

『あいつめ』

 床に転がった猫がべろりと舌を出しながら言った。

 ガチャリ、ノックもなく扉が開いた。

 花吹雪を吹き込ませながらノールとセーラが駆け込んでくる。つまりは驚かせたかったからこのようにしたのだろうし、ユリアはそのための表情を作ってみせた。それを兄たちは見抜いてしまう。
 文句を言われたのでユリアはしょうがなく本音のところを彼らに吐露した。ほんのわずかにだけなら、もう言えそうだ。

「もう夜でしょう。眠るつもりでいましたので気持ちが追いつかなかったんです」

 すみませんとまで言ってしまえば、それは失礼になるだろう。

「僕らは気持ちが盛り上がることがあったんだよ! 王立学園からの制服が届いたんだ」

「え? お兄様たちがまた学園に行くということはないですよね……一六歳から十八歳までなのですし」

「怪訝な顔するなよな。ユリアの制服が本館に届いたんだよ。あちらで採寸して注文してたんじゃないのか」

 あ、とユリアは口に出した。ずいぶんと口元もゆるくなってしまったものだ。

 兄たちが持ってきてくれたワタづくりの袋には真白の制服がしわ一つなく収められており、王都一の仕立て屋のすばらしい仕事だった。
 真白のスカートは膝下くらいまであり、同生地のブラウスに黒のベストを合わせるという組み合わせ。これを考案したのもまぎれもない綺羅星公爵家の仕事である。

 そのときの担当者はどのような人だったのかしらとユリアの想像が走った。そのようなことは乙女ゲームの思い出の中にもない。ただ、ここで生きるユリアが気になったから思いを馳せただけのこと。
 その人は公爵家の長女だっただろうか。公爵家の長女は短命で、そのあとを夫や血族がしばらく継ぐというから、後の人たちが施したデザインなのだろうか。

「うっとりしていると寝る時間がさらに遅くなるぞ」

「着てみないの? 髪のアレンジくらいしてやろうと思ってお兄様たちが来てあげたのに」

 ユリアは制服を着てみせた。兄妹だから感性が似ているのだろうか、恥じらったりすることなくその場で着替えた。
 ユリアからすれば人前で着替えを強要されることにあまりに慣れていた。兄たちはその目に物作りのフィルターをかけていたので一人の少女として見なかった。猫だけがげんなりと髭を下げていた。

 制服を着たユリアは一回転してみせた。これに合わせるならと兄たちは靴下とスカーフを選んだ。

 髪をアレンジして完成だ。「鏡はどこ?」
「こちらに」とユリアは私室を出て、廊下にゆく。

 使用人たちが身だしなみを整えるために廊下の端には大きな鏡があるのだ。また、小ぢんまりとした別荘の中を広く見せるという効果もあるし、綺羅星の血筋の人たちは鏡に映るのが好きなものだ。ユリアはそうではないのだが、私室に鏡を置かなくてもすみ、自然にただ姿が映るだけの廊下の鏡のことは気に入っていた。

「やはり似合うな。編み込んだ髪を頭の後ろでひとまとめにする髪型は清楚で今のユリアにちょうどいい」

 制服を着てみせたらもしかして私は悪役令嬢のようなのではないかしら、とユリアはわずかに恐れていたが、そのような心配はひとつも必要なかったらしい。

 可憐にまとまった印象のよい令嬢だし、メガネをかけていてもやぼったくなく馴染んでいる。別荘で暮らすようになってから質素な雰囲気に慣れていたとはいえ、口をついて「これが私?」と出たくらいに完璧な仕上がりだ。
 自信に溢れる兄たちは、もちろんそのユリアの呟きを悪いふうには誤解しなかった。当然、感動しているのだろうとわかった。

「このまま行くだろう。王立学園にも、僕らが誘った前夜祭にも」

「ドレスコードは制服なのですよね。ええ、私の勇気だけが必要なのでしたら、今夜それをもらいました」

「だね! 綺羅星公爵家の格が落ちるかもしれないなんて心配しなくてもいい。会場作りで文句を言わせないくらい凝ってやる。僕らはまだ舞踏会を開くことができないんだ。元老院なんてのにごねられているからね。その代わり、前夜祭くらいしてやろうってわけ。上の機嫌のために停滞を余儀なくされるなんて我慢ならないから」
 よほどの本心なのだろう。こんなに長い言葉を二人は息ぴったりで言い切る。

(それに比べたら、私と猫ちゃんは、ばらばらよね)他人だから当たり前なのだけど、他人という気もしないようなおかしな間柄なので、ユリアは面白おかしくそう思った。

「その格好のまま下に降りて行きなよ。玄関先まで。”あいつ”が待っているぜ。格式があまりない前夜祭とはいえ、エスコートは必要になるだろう」


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