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一章 ユリア公爵令嬢

二十五 控え室

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「君とこうして時間が取れるのも久しぶりだな。いつ本館に戻るつもりでいる?」

 第一声が、これだ。という気持ちになり、ユリアは色のない微笑みをつくる。

 彼も自分も美しい人形に固められてしまったように感じられた。

 ものごとを尋ねる、そのことに答えられるならば口にする。事実を持っていなければ無言で返事とする。最上級の人を前にしたマナーである。

 あるいは王子殿下が人らしい話しかけ方をしてくれていれば、ユリアもすんなりと会話というものができたかもしれない。けれど、髪のふさが揺れることでようやく(そういえば人なのだ)と思い出すくらい、現実味のない完璧さである。

(昨夜夜更けに会ったとき、今朝門のところで会ったとき、優しい言葉をかけてもらえたんじゃないかって勘違いしていたわ。彼自身の言葉なんじゃないかって。……けれど、その場にふさわしいものの言い方を彼は述べただけだったのかもしれない。こちらを見る時にあまりにも、揺らぎが、感じられないもの。
 凪いだ目……私もこうだったのかな。
 鏡でみた私の顔が苦手だった。
 人と人が心を開いて話す時、表情やその目がゆらゆらと揺らいでしだいに混ざっていくようになり、心地よさを感じるものなんだわ。凪いでいるのはただただ美しいだけなの)

 ユリアは黙って話の続きを聞いた。
 ソファに隣合わせに座り、お互いの衣服が触れてしまわない距離。揃えられた膝に手を揃えておく。

「しばらくは臨時後継者である兄君たちを立ててあげるのがいいだろうね。様子を見てみよう。
 王族の都合としてはユリアが後継の座を退いてこちらに尽力してくれることは喜ばしいよ。貴族の意見としては君を保守派の旗にしておきたいはずだから、婚約破棄を企んでいるだろうけどね。
 それを無理やり実現されないためにも先日、黒曜宮を使いに出した。わかってもらえたようでよかった。……」

 二人がここで過ごせる時間は限られている。要件をスバルが述べて、それをユリアは静かに聞き届けた。

(別荘にいたときには感じられなかったけど、綺羅星公爵令嬢をめぐる思惑があちこちで火種になっていたのね。私の代わりになるような人はいないもの。
 これからの未来、王子殿下と結婚して国母になるほうだとすれば、綺羅星公爵家はお兄様方が継いだままで女子の誕生を待つことになる。私が公爵家の後継になるほうだとすれば、王子殿下はあらたな加護豊かな女子を受け入れることになる。それがヒロインになるかどうか……その子がどのような恋をするかなのでしょう……。
 私の立ち位置って、またしても、ずいぶんと宙ぶらりんになってしまっているのね。足元が落ち着かないわ)

 ユリアはふと足先を動かしてソファの下につまさきを隠した。
 ユリアの表情は相変わらずお人形然としており、とくに変化は無く何も悟らせない。

(機嫌を取らなくていいから便利だと思っていた。今までは……)スバルは、先ほどまでの、その髪型によく似合った生きた表情をするユリアを忘れられなかった。
 また都合が良くなってくれたものだ、とそれだけでは収められそうもなかった。

 だから声をかけようとするものの、彼とユリアの間にはもう長いこと会話らしい会話はなかった。
 そのことでつまづき、ここが貸し会場の中だから危険も多いのだしと、コミュニケーションは諦めていつも通りに示した。

「君がそのように変化していることについて、あまりに大きな変化だから、神々の天啓でもあったかと考えているのだが。……。まだ言えないならば、言わなくてもいい。それこそが神々のご意志ということもあるからね。しかしいずれ私に報告してほしい。国王陛下ではなくて」

 ユリアは(どうしてなのかしら? ああ、王立学園を卒業したら彼らしい歩み方をしたいのかもしれないわ。それならば、未来の国王様のほうに伝えましょう。……どのように伝えたらいいのか頭を悩ませるところだけど!)
 異論がないので、頷いた。

「よろしい。……外を見てみようか。そろそろ入学者が揃っているはずだ。綺羅星公爵家のお二人はまったく、珍しい催しを考えてくださったものだ」

 スバルが手を取り、ユリアを立ち上がらせると二人で窓の方にゆく。指先がひりひりしているように感じられた。ほんのわずかに二人を取り囲んでいる空気が揺らいでいることに、なまじ真面目である分、外に集中する二人は気づくことができなかった。

 ここは会場の二階に当たり、主催者の次に身分が高いものに案内される控え室だ。
そのため窓からはもっとも門付近が見えやすく、また、窓際にいくつも置かれた大きな水晶玉には会場内のどこかが映されている。

(給湯室は死角だったのかもしれない)

 とユリアは思いながら、ゆく人々を眺めた。
 すると、なんとも人々の流れが見えやすい。これから問題が起こるだろうから人の間柄を知っておくのだという、ただ人を盲信しようというのではない、ユリアが働く源泉が見つかったことで、どのように周りを見たらいいのかがわかったのだ。

 スバルはふと婚約者の横顔を見て、彼女を邪魔しないようにただ眺めた。
 昔、やる気に満ち溢れて彼の手を引いた幼い頃のわがままユリアのように目がキラキラしていて見惚れた。

 前のめりになって窓から転げ落ちていってしまわないようにととっさに考えて、腰に手を回した。

「え、あの、どうされました?」

「いや、その、窓際に行きすぎると白い制服が汚れてしまうかもしれないと思ったんだ」

 召集の鐘が鳴る。
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