【完結】さがしびと〜英雄の弟とまつろわぬ姫〜

よもぎ大福

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第10話 あがく者達

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 神官長室の窓を開け放つ。

 継承の儀式が行われている眼下の会場から、ざわめきが一気に押し寄せてきた。

 海を臨む岬、その先端に位置する青の祭壇。儀式に参列することを許された幸運な人々は、神聖な祭壇から距離を置き、息を呑んで儀式を見守っていた。

 姫と伴侶だけが上ることを許された祭壇に今、少年がひとり仁王立ちしている。

 そう、クレスだ。

 駆け寄る者はいない。聖域への侵入者は、聖域故に守られている。

 海の姫アミルは止めるでもなく、離れるでもなく、その場を動かない。本来であれば、侵入者を排除すべき伴侶ガラドールも、ただ見守っている。

 全て承知の上なのだろう。

 ガラドールにどのような心変わりがあったのか、それとも最初からこうするつもりだったのか、それはわからない。

 今は考えている場合ではない。

 私は開け放った窓から脱出用のロープを使って飛び降りる。地面に足がつくやいなや、全速力で祭壇に向かう。

 母親とクレスの入れ替わりを、神官長が気づかないわけがない。脈々と受け継いできた使命を投げうって、この場に臨んだ。

 誰もが、諦めていなかった。

 これは、アミル達が最後の最後に全てを賭けた、足掻きなのだ。

 クレスの声が聞こえる。

「我が名はクレス。ただひとつのものから生まれし、凍てつく海アラヤミよ。」

 本当にアラヤミは答えてくれるのだろうか。

 この場にいる人々に届くのだろうか。

 この残酷な儀式を、壊せるのだろうか。

 心によぎる不安を噛み潰す。

 信じるのだ。

 ただ、クレスを信じるのだ。

 彼はきっと、私達にまた見ぬ景色を見せてくれる。

 それはきっと鮮やかで、優しい形をしている。

「燃え盛る山アラヤザの言葉を持ち、御前におります。どうぞ姿をお見せください。」

 どうか、奇跡を。

 祈りながら、クレスを見つめる。

 どれだけ待っただろう。

 もしかしたら、一瞬だったのかもしれない。

 海が、そびえ立った。

 人々の悲鳴が響く。

 海の壁は岬を囲むように高く高く伸びていく。

 そしてその壁の中心、クレスの眼前に生まれた渦から、人に似た何かが現れた。

 長い髪は揺らめき、様々に色を変えながら海に溶け込む。

 右の瞳は水平線に浮かぶ太陽と同じ、鮮やかな朱。

 左の瞳は水面に浮かぶ月と同じ、輝く金色。

 身に纏った装束は、海の姫とよく似た白い衣。

 あれが、アラヤミ。

 二つに分たれた世界の半分。

 精霊達の生みの親。

「あれは何だ!?」

「化物だ!」

 人々の叫び声から、あの姿が誰の目にも映っているのだと気づく。

 皆怯え、その場に崩れ落ちる。

 圧倒的な存在を前に、人間は畏怖することしかできない。

 私は人混みをかき分け、祭壇前へと躍り出る。

 誰も咎める者はいない。

 アミルとガラドールはお互いに身を寄せて座り込んでいる。

 神官長は2人を背に庇い、恐怖に顔を引き攣らせながら、立ちすくんでいる。

 だが、クレスは変わらなかった。

 笑顔のまま、アラヤミへと両手を差し出す。

「アラヤザの言葉です。」

 その手のひらには、小さな瓶。

 中には小さな岩石が入っていた。

 白と黒の混ざり合う角ばった石は、光を受けてきらめいていた。

 アラヤミは右手をクレスにかざす。

 すると、クレスの持っていた小瓶が浮かび上がり、アラヤミの右手の中に収まった。

 中の石が砕け散って、光の粒に変わる。

 その光はアラヤミを包み込み、やがて消えた。

 アラヤミは満足気に微笑んだ。

 慈しみに満ちた、穏やかな笑み。

 《ありがとう。アラヤザの言葉、しかと受け取った。》

 その言葉は耳の奥に響いてきた。

 低く優しい響き。

 《我が友へ、伝えよ。》

 さきほどの小瓶に海の水が注がれていく。

 そしてゆっくりとクレスの手中に戻ってきた。

「必ずアラヤザへお伝えします。その代わり、ひとつお願いが。」

 クレスは後ろに座り込むアミルとガラドールに手を差し向け、申し立てる。

「彼女達はあなたに捧げられる生贄です。人々はあなたとアラヤザが贄を求めていると思っている。そうでなければ、人を襲うと。それは違うことを、どうかあなたの言葉でお伝えください。」

 臆することのないクレス。

 この圧倒的な存在を前にして、彼だけが自分自身を保っていた。

 アラヤミは笑う。

 《我が望みは友との語らい。人の贄ではない。荒ぶり鎮まるは我が決める。人の命に左右などされない。》

 そうだ。

 アラヤミやアラヤザにとっては、人の生き死になど、些細なことなのだ。
 
 姫と彼女を思う人々の苦悩も、知ったことではないのだ。

 《それは違うぞ、娘よ。》

 全身の肌が泡立つ。

 アラヤミと目が合った気がする。

 まさか、そんな。

 今の言葉は、私に向けたもの?

 アラヤミは間違いなく、私を見ている。

 何もかもお見通しなのだ。

 《足掻くがいい。それがそなたの美しさ、我らの楽しみなのだ。》
 
 言葉を返せない。

 アラヤミの視線を外れた。

 汗が吹き出す。

 アラヤミは告げた。

 《我が名はアラヤミ。我が望みは、アラヤザとの語らいだ。》

 そうして、アラヤミの人に似た姿は海に溶け、静かに引いていく。

 やがて元の静かな海の姿を取り戻した。

 誰もが呆然と海を眺めていた。

 それは私も同じ。

 まだ夢の中にいるようだ。

 海が、アラヤミが人の姿をとって現れ、私達に語りかけた。

「イアルさん」

 呼ばれて初めて、クレスが横に立っていることに気づく。

「大丈夫?」

 奇跡を起こしてみせた少年は、心配そうにこちらを見ている。

「大丈夫じゃない。訳がわからないよ、色々なことが一度にあり過ぎて。あなたに聞きたいこともたくさんあるの。」

 どうやってガラドール達を説得したのか、あの小瓶の石は何なのか、代わりに受け取った海の水をどうするのか、他にも話を聞きたい。

 そこで、ふと気づく。クレスの顔から血の気が引いている。

「クレスくんこそ大丈夫?顔色が悪いよ。」

「うん、駄目そう。後のことはよろしく。」

 そう言い残して、クレスは気を失った。

「クレス!」

 倒れ込んでくる彼の体を抱き止める。

 アラヤミの言葉を聞き出す。それを彼がどういう術で成し遂げたのかはわからない。

 ただそれが、彼の心身に過度の負担を掛けたことは明らかだ。

 それでも、彼は成し遂げた。

「ありがとう。」

 アミルとガラドールが駆け寄ってくる。

 後方からも兵士達が押し寄せてくるのが見える。

 ここからは、私が頑張るから。

 腕の中で静かに寝息を立てるクレスを、私はそっと抱きしめた。

 まだ夜は明けたばかり。朝の光は、眩く辺りを照らし始めていた。
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