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BL
嘘か誠か分からぬ花屋。
しおりを挟む【花屋】その気持ちは果たして、
はてさて、どこからお話ししたものでしょうか。
これは――戦後の焼け跡から復興が進み、町にようやく笑い声と暮らしが戻った頃のお話です。
戦争の影が薄れ、洋服もラジオも映画も喫茶店も、どこか誇らしげに息づき始めておりました。
子どもたちは外で遊び、花屋やパン屋などの小さな店が並び、そして――学生たちはまだ、政治の嵐に巻き込まれる前。
昭和の、まだ空が穏やかだったころのことです。
◇◇◇
季節は春。
木枠の引き戸を外して開け放った花屋の店先には、色とりどりのチューリップやスイートピーが並び、通りを渡る風が花びらをくすぐっていた。
淡い香りがふっと流れ、陽の光はまだ少しやわらかい。
ある町に、一人の正直者の青年がおりました。
その者は朝から晩まで花を売り、花を束ね、花を並べて働いておりました。
花屋という仕事は水仕事も多いもの、ですので彼の手はいつも皹て、よく薬を塗っていました。
けれど、正直者だからといって、なんでもかんでも正直に話すわけではありません。
彼は、人を傷つけるような正直は嫌いなのです。
そんな彼には、気になる相手が一人おりました。
どう気になるのかと言いますと――たまにですが、店の前を通るたびに文句を言っていく学生がいるのです。
どんな学生かと申しますと、まるで素直じゃない青年でして。
あぁ、ほら今日もまた。家路に向かう途中、覗きに来たようです。
金の髪に青い瞳の彼が――。
「――相変わらず、汚い手だな」
開口一番にそう言われ、花屋の青年は瞳をわずかに見開くと、その声の主を見やり、やがて「あぁ」と目尻を優しげに下げた。
「君か。今日も相変わらず綺麗な瞳だね」
なんの恥ずかしげもなくお決まりの言葉を言ってのけるものだから、学生は頬を赤らめてそっぽを向く。
店先の花が、その頬の赤を映したように鮮やかに見えた。
「そんなことを言うのはアンタくらいだ。大概の人間は、この髪と瞳を嫌がるさ」
返ってきたお決まりの言葉に、青年は苦笑しながら店仕舞いの準備を始めた。
花を店の中へ運んでいると、当たり前のように彼も手伝う。
開け放たれた店の奥から、花と水の匂いが外へと流れ出す。
「この町では珍しいからね。君のその――」
「異国の人間にそっくりだからだろ。仕方ないじゃないか。母親がそうなんだ。まったく腹が立つ」
怒りが収まらないのか、花の入った容器をやや乱暴に運ぶ姿に、青年はひやひやとした。
それでも花は散らず、香りだけがそっと空へと昇る。
「アンタだって、本当はそうなんだろ?」
「まさか。君の髪も瞳も、とても美しいと思うよ」
「そんな嘘は聞き飽きた」
「本当だよ。僕は君が好きなんだ」
何気なく言った言葉は、青年の正直な気持ちだった。
だが学生は、何を思ったのか妙な顔のまま微動だにしない。
五分たってもそのままなので、心配になった青年が頬をつついてみると、待っていたかのようにガシリと手首を掴まれた。
驚いて声を上げると、真剣な瞳で見つめる彼と視線が重なる。
「……本当だな?」
「え?」
「本気にするぞ」
なんのことか分かりかねながらも、嘘ではないと頷くと、今度は何かを思い詰めたように黙り込む。
「俺、必ずいいところに勤めて、絶対アンタを幸せにするよ」
「はい?」
「そんな手が皹るような生活はさせない」
「え、花は好きだから、それはちょっと……」
「じゃあ、ハンドクリーム死ぬほど買ってやる」
「ハンドクリーム?」
「あるだろ、手荒れ用の〝ももの花〟」
なんだかおかしな方向へ話がすすんでいるが、彼が至って真面目なのは痛いほど分かる。
けれど、どうしてこんなことになっているのかと、青年の頭は追いつかない。
「だから――」
ぐいっと引き寄せられ、唇に何かが触れて、離れていく。
春風が二人の間を通り抜けた。
「絶対、待ってろよ」
そう言い残して彼は店を後にした。
残された青年は、ふらりとそばにあった踏み台に腰をおろした。
何がどうなったのか――いや、もしかしなくとも、自分はとんでもないことを言ってしまったのか。
どうしてか、今起きたことが嫌ではない。
そう思いながら、胸の奥でざわめく鼓動。
果たしてこのざわめきは、〝嘘か誠〟か。
――ある町に、正直者の青年がおりました。
その者は朝から晩まで花を売り、花を束ね、花を並べて働いておりました。
花屋という仕事は水仕事も多いもの、ですので彼の手はいつも皹て、よく薬を塗っていましたが……今ではそれも〝過去のお話〟。
彼の隣には、いつも彼がいるのです。
金の髪に、青い瞳の彼が――――。
店先では、春風が花びらを踊らせていた。
その気持ちは果たして、完。
◇◇◇
【学生】その気持ちはまだ、芽吹いたばかり。
昨年の今頃、彼が大学に入学して間もない春のこと。
新しい町、新しい暮らし――まだ不慣れな通学路の途中に、木枠の引き戸を外して開け放ったレトロな花屋があった。
店先にはブリキのバケツや木箱が並び、色とりどりの花々が春の風に揺れている。
通りに漂う花の香りと水の匂いが混じり合い、その前を通るたび、爽やかで甘い香りが鼻をくすぐった。
ちょうどその頃のことだった。
最初はただ通りすがりに見るだけだったのに、いつの間にか、その姿を探してしまうようになっていたのは――。
「朝彦さん」
通りすがりの花屋で働く青年。彼は朝彦という名だ。
それを異国の血が混じる彼が知ったのは、本当に最近のことだった。
最初はただ、よく通る道にある小さな花屋の男。
それくらいの印象しかなかったが、通るたびその姿を目にしては、だんだんと気になって、気になって仕方がなくなっていた。
もう一度「朝彦さん」と小さく口にしてみる。
すると、心がふわっと浮くような、暖かくなるような、照れるような――妙な感覚がした。
「呼んだかい?」
思いもよらぬ声に弾かれるように振り返ると、そこには箒を片手にした朝彦の姿があった。
袖をまくった腕に光があたり、細い影が地面に落ちる。
黒縁の眼鏡の奥の瞳は、やわらかくほころんでこちらを見ていた。
「僕の名前、知ってたんだね」
「誰かに聞いたのかな?」と、朝彦は人好きのする笑みを浮かべる。
「君、いつも此方を見ているけれど――花が好きなのかい?」
予想外の問いに返事ができず、ただ立ち尽くしていると、朝彦が少し首を傾げた。
柔らかな風が通り抜け、白い花びらが二人の間を横切る。
(……っ!)
何故か急に顔が熱くなり、思わずそっぽを向く。
それをすぐに後悔して、声にならない言葉を心の中で上げていると――ふふっと笑う声。
「そんなに恥ずかしがらなくても、僕も花が好きだよ」
花が好きだと恥ずかしがっていると思ったのか、朝彦はそう言って小さな鉢植えを持ち上げ、花を愛おしそうに眺める。
「これなんかどうだろう?」
差し出されたのは、可愛らしい青い花。
風に揺れて、かすかに香る。
「君の瞳のように綺麗だ」
そんなことを言われたのは初めてで、思わず面食らう。
「あまり好きじゃなかったかな?」
「……いや、うん」
本当は興味などまったくなかった。
「好きだ」
この国では珍しくもない、真っ黒な瞳。
けれど、誰よりも美しいその瞳をしっかりと見つめながら――
〝嘘とも言えない嘘〟をつく。
その瞳は嬉しそうに細められ、春の日溜まりのように暖かく、彼の世界を彩った。
「良かったら、名前を教えてくれる?」
自分を見詰める瞳。
どきどきと胸が高鳴る。
高揚する頬、乱れる呼吸。
(あぁ、そうか。そうなのか。この気持ちは――)
「俺は――」
その気持ちは、まだ芽吹いたばかり。 完
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