『生きた骨董品』と婚約破棄されたので、世界最高の魔導ドレスでざまぁします。私を捨てた元婚約者が後悔しても、隣には天才公爵様がいますので!

aozora

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 エーテルポート地区に設立されたアトリエ「アウラ」の名は、ささやかな、しかし確かな熱を帯びた囁きとなって、王都アストラリスの社交界を駆け巡り始めていた。

 その囁きの源は、先日、奇跡の「リメイク」を体験したロザリンド男爵夫人その人だった。

 彼女は、友人たちとの茶会で、あるいは行きつけの仕立て屋で、熱っぽく語ったのだ。亡き母の魂が宿る古びたドレスが、目の前で光の糸に解かれ、思い出はそのままに、息を呑むほどモダンで美しい一着に生まれ変わった様を。

「魔法? いいえ、そんな陳腐な言葉では言い表せないわ。だって、亡き母の思い出が、温かいままそこにあるんですもの。セラフィナ様は、古びた布ではなく、私の心を糸で紡いでくださったの。古いドレスが、新しい私自身に生まれ変わった……ええ、まさに、魂の再生でしたわ」

 その言葉は、特に、潤沢な資金を持たない若い下級貴族の令嬢たちの心に、深く、静かに染み渡っていった。

 彼女たちは、高価な新作ドレスを次々と買い替える裕福な令嬢たちを、羨望と諦観の混じった眼差しで見つめるしかなかった。流行から取り残されたドレスを身に纏うことは、舞踏会において、自らの家格の低さを無言で喧伝するようなもの。それは、若い心にとって静かな拷問に等しい。

 そんな彼女たちにとって、「アウラ」の噂は、暗闇に差し込んだ一筋の光だった。

「ねえ、本当に本当なの? エーテルポートの『アウラ』の話!」

「ええ、聞いたわ! 母様から譲られた大切なドレスでも、まるで新作みたいに……ううん、それ以上に素敵にしてくださるって!」

「しかも、お値段が……! 私たちでも、もしかしたら手が届くかもしれないのよ……!」

 噂が噂を呼び、やがて「アウラ」の磨き上げられたガラスの扉を、恐る恐る叩く令嬢たちが現れ始めた。

「ようこそ、『アウラ』へ。わたくし、支配人のクロエと申します。どうぞ、おくつろぎくださいませ」

 彼女たちを迎えるのは、いつも侍女のクロエだった。彼女の穏やかで心からの笑顔は、訪れる者の緊張を優しく解きほぐした。

 持ち込まれるのは、母から譲られた少し古風な夜会服や、数年前のデビュタントで一度着たきりのドレス。どれも、持ち主のささやかな、しかし大切な思い出が詰まったものばかりだ。

 セラフィナは、一人ひとりの話に丁寧に耳を傾けた。ドレスに込められた思い、それを着て臨みたい場所、そして、どんな自分になりたいか。彼女はただデザインを変えるのではない。持ち主の願いを、魔法の糸で織り込んでいくのだ。

 そして、再生の儀式が始まる。セラフィナの指先から放たれるエーテル織の光が、古いドレスを優しく包み込む。縫い目はひとりでに解け、布は光の粒子となって宙を舞い、そして再び、新しい形へと収束していく。

 目の前で繰り広げられる奇跡に、令嬢たちは息を呑み、ある者は涙ぐみ、ある者は歓喜の声を上げた。

 生まれ変わったドレスに袖を通した彼女たちの顔には、以前の翳りは微塵もなかった。そこにあるのは、鏡に映る新しい自分への驚きと、これから始まる未来への輝かしい希望。

 「アウラ」は、もはや単なるアトリエではなかった。それは、旧弊な価値観に押しつぶされそうになっていた令嬢たちの自信と尊厳を取り戻す、小さな革命の拠点であり、彼女たちの聖地となりつつあった。

 事業は、驚くべき速さで軌道に乗った。予約は数週間先まで埋まり、アトリエには活気が満ち溢れていた。

「セラフィナ様、本当にすごい……。みんな、あんなに嬉しそうな顔をして」

 帳簿を整理しながら、クロエが感極まったように言った。

「嬉しいのは、わたくしの方よ、クロエ。彼女たちの笑顔が、わたくしたちの力になるわ」

 セラフィナは微笑んだ。その瞳は、次の、そしてより大きな目標を見据えていた。

 王都デザインコンペ。

 「アウラ」の名を、社交界の片隅の囁きから、王国全土に轟く雷鳴へと変えるための、最高の舞台だ。

 そのための切り札――コンペに出品するドレスの制作が、今、始まろうとしていた。

 ◇

「正気か、お嬢様」

 アトリエの奥、セラフィナ専用の研究開発室で、ギルバート・ナイジェルは設計図が投影された空間を睨みつけ、唸るように言った。彼の工房から運び込まれた無骨な機材と、「アウラ」の洗練された内装が奇妙な調和を見せている。

「着用者の感情で色が変わる生地だと? フン、御伽噺でもそんな都合のいい代物は聞いたことがねえぞ」

「あら、ギル。御伽噺を現実にするのが、私たちの仕事でしょう? そうやって不可能を可能にしてきたのは、あなたご自身ではなかったかしら?」

 セラフィナは悪戯っぽく笑う。彼女の頭には、思考を魔導装置に直結させるための繊細な銀のサークレット――ニューロ・レンズの試作品が装着されている。

「理論は単純よ。生地に織り込んだ極小のセンサーが、着用者の心の揺らぎ――マナの波を捉えるの。それを動力源にして、エーテル織が光の結晶構造を組み替え、色を変える。問題は制御だけ。……そして、そのための『ニューロ・レンズ』よ」

「馬鹿を言え! そんな繊細な制御、どうやって実現するつもりだ。エーテル織のパターンが少しでも乱れれば、ドレスは暴走して七色に点滅するピエロの衣装になるのがオチだ!」

 ギルバートは頭をかきむしる。しかし、その目には怒りよりも、技術者としての好奇心の炎が揺らめいていた。彼は、この天才的な弟子が持ち込む途方もない挑戦を、心の底では楽しんでいるのだ。

「だから、ニューロ・レンズを使うのよ。わたくしの思考とドレスを直結させ、完璧な調律を施すわ」

 その言葉に、ギルバートはぐうの音も出なかった。彼は、セラフィナが持つ異次元の才能を誰よりも理解している。

「……分かった。だが、肝心の生地はどうする。普通の絹では、光子結晶もセンサーも織り込めんだろう」

「それについては、すでに手を打ってあるわ」

 セラフィナがそう言った時、アトリエの扉が静かに開いた。入ってきたのは、セバスチャン・モランその人だった。

「約束の品を届けに来たよ、マドモアゼル・ヴァレンシア」

 彼が合図すると、従者が恭しく白木の箱を差し出した。箱が開けられると、中にあったのは純白の、まるで月の光を固めて紡いだかのような、信じられないほど繊細な糸玉だった。

「これは……!」

 ギルバートが息を呑む。

「『月光蚕』の糸だ。私の領地でしか育たない、特別な蚕が紡ぐ」

「月光蚕だと……!? まさか、あの伝説の……馬鹿な、とっくに途絶えたはずじゃ」

 ギルバートが驚愕の声を上げる。

「我がモラン家の秘術は、伝説を現実にするのでね。並の絹とは比較にならんほど強靭で、マナの伝導率も桁違いだ。これなら君の途方もない設計にも、応えてくれるだろう、セラフィナ嬢」

 セバスチャンは、まるで子供が新しい玩具を見せびらかすかのように、楽しげに言った。

「ありがとうございます、モラン公爵。これ以上ない素材ですわ」

 セラフィナは糸を指先でそっと撫でた。ひんやりと、そして生命力に満ちた感触が伝わってくる。

「礼には及ばない。君の創造に立ち会えることは、私にとって何よりの投資だからね」

 セバスチャンの視線は、純粋な敬意と知的な興奮に満ちていた。それは、セラフィナをただの保護対象の令嬢としてではなく、共に未来を創る対等なパートナーとして見ている証だった。

 セラフィナは、その視線を受け止め、静かに頷いた。

「このドレスには、名前を決めましたの」

「ほう?」

「『フェニックス』。灰の中から蘇り、天へと羽ばたく、不死鳥の名を」

 その言葉に、セバスチャンの口元に深い笑みが浮かんだ。

「素晴らしい。実に君らしい」

 最強の頭脳と、最高の素材、そして揺るぎない意志。伝説となる一着のドレスは、今、その翼を形作り始めた。

 ◇

 数週間後。『フェニックス』は完成した。

 アトリエの最も奥にある、厳重に遮光された特別な一室。その中央に立つマネキンが、その奇跡を纏っていた。

 それは、一見すると驚くほどシンプルなドレスだった。深い、夜の闇を思わせるチャコールグレー。しかし、その生地は、まるで無数の微細な鳥の羽を幾重にも重ねたかのように、信じがたいほど軽やかで、見る角度によって虹色の光沢を放った。

 セラフィナが、ニューロ・レンズを装着したまま、静かにドレスへと歩み寄る。彼女の心は、完成への喜びと誇りで満たされていた。

 その感情に呼応し、『フェニックス』が応えた。

 ドレスの表面に、まるで内側から光が灯ったかのように、柔らかな月光色の輝きが走り、ゆっくりと全体に広がっていく。それは、派手な光ではない。静かで、気高く、見る者の心を奪う、生命の輝きそのものだった。

 セラフィナは指先でそっと生地に触れた。次に、コンペ当日の緊張感を心に思い描く。すると、ドレスは即座に反応し、夜明け前の東の空を思わせる、神秘的な淡い青紫色へとその色合いを変化させた。

「……信じられん」

 部屋の隅で見ていたギルバートが、かすれた声で呟いた。彼の隣で、クロエは両手で口を覆い、ただただ涙を流していた。

 それはもはや、衣服ではなかった。着用者の魂と共鳴し、その内なる輝きを世界に示す、魔法の芸術品。

「さあ、世界に見せてあげましょう」

 セラフィナは、静かに、しかし確信に満ちた声で言った。

「新しい時代の夜明けを」

 その日の午後、王都の景色は一変した。

 コンペの出品作は、事前に魔導画(マギグラフ)で公開されるのが通例だった。しかし、「アウラ」が選んだ方法は、前代未聞だった。

 エーテルポート地区の巨大な広告板、旧市街の広場、グランド・コルニーシュの遊歩道……王都の主要な場所に設置されたエーテル・プロジェクターが一斉に起動し、空中に巨大な立体映像を投影したのだ。

 そこに映し出されたのは、宙にふわりと浮遊し、まるで意思を持っているかのようにゆっくりと回転する、一着のドレス。

 『フェニックス』。

 それは静止画では決して伝わらない、生きた美しさを持っていた。回転するたびに光を捉えてきらめき、時折、穏やかな月光色から神秘的な青紫色へと、滑らかにその色を変える。

 革新的な発表方法は、それ自体が王都中の人々の度肝を抜いた。道行く人々は足を止め、空中に浮かぶ幻のようなドレスに釘付けになった。

「なんて……なんて美しいの……」

「あれが『アウラ』の……あのセラフィナ様の作品……」

「まるで、星空から切り取ってきたみたいだわ」

 特に、セラフィナを希望の星と見なしていた若い令嬢たちは、熱狂した。これは、自分たちのためのドレスだ。古い常識を打ち破り、新しい美しさの基準を打ち立てる、革命の旗印だ。

 だが、その反応は、見る者の立場によって大きく異なった。

 ベルフォート家のサロンでは、ヴィヴィアン・ルクレールが、窓から見えるその光景を苦々しげに睨みつけていた。

「……まあ、下品な。まるで市場の客寄せね。あんな派手なやり方でしか注目を集められないのかしら。品位というものを知らないのね」

 彼女はそう吐き捨てたが、その声は微かに震えていた。嫉妬と、そして生まれて初めて感じる、本能的な脅威。あのドレスが持つ圧倒的なまでの先進性と芸術性は、彼女が後援するデザイナーの作品が、いかに時代遅れのガラクタであるかを無慈悲に突きつけていた。

「フン、奇をてらっただけの張りぼてさ。真の美というものは、我らベルフォート家が庇護するような、揺るぎない伝統の中にこそ宿る。あの女には到底理解できまい」

 隣でワイングラスを傾けるジュリアン・ベルフォートが、相変わらずの浅薄さで呟いた。彼は『フェニックス』の美しさを認めはするものの、その本質的な価値を、まだ何一つ理解できていなかった。

 その頃、革新派の拠点であるモラン公爵邸。

 セバスチャンは執務室の窓辺に立ち、遠くに投影された『フェニックス』の姿を静かに見つめていた。彼の口元には、満足げな笑みが浮かんでいる。

「……見事だ。やはり君は、世界を変えるな、セラフィナ」

 彼の確信は、今や揺るぎないものとなっていた。

 しかし、光が強ければ、影もまた濃くなる。

 伝統派の牙城、ベルフォート公爵邸の最も奥深く。当主であるアレクサンドル・デュマ公爵は、部下からの報告を冷徹な瞳で聞いていた。

「……感情に呼応するスマート生地。動力源は、極小のエーテル織コア、だと?」

「は。我々の諜報網でも、その技術の詳細は掴めておりません。ですが、その根幹にある理論は、かつて『S・ヴァレン』なる謎の人物が発表した論文と酷似しているとの分析が……」

 アレクサンドルの脳裏で、点と点が線で結ばれた。婚約破棄された哀れな令嬢。異端の魔術理論。そして、突如として現れた革新的なアトリエ。

 彼は、初めてセラフィナ・ド・ヴァレンシアという存在が持つ、真の危険性を悟った。

 それは、ただのファッションデザイナーの成功物語ではない。この技術は、発展すれば、自らが支配する瘴気反応炉に依存したエネルギー市場そのものを、根底から覆しかねない破壊的な可能性を秘めている。

 公爵の目に、氷のような光が宿った。

「あの小娘……ただ大人しく泣き寝入りするだけの飾り人形ではなかった、というわけか。あの技術……危険すぎる。我がベルフォート家が築き上げてきた瘴気エネルギーによる富と支配、その全てを無に帰しかねん。我々の秩序を乱す者は、断じて生かしてはおけんな」

 彼は椅子から静かに立ち上がると、窓の外に広がる王都の夜景を見下ろした。その一部を、忌々しい『フェニックス』の光が照らしている。

「徹底的に調べ上げろ。アトリエの隅々まで、金の流れ、人の繋がり、全てだ」

 彼は冷酷に命じた。

「そして、覚えておけ。芽は、小さいうちに摘み取らねばならん」

 嵐の前の静けさは、終わった。王都の空に輝く不死鳥の光は、闇に潜む巨悪を、ついに目覚めさせてしまったのだ。
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