『生きた骨董品』と婚約破棄されたので、世界最高の魔導ドレスでざまぁします。私を捨てた元婚約者が後悔しても、隣には天才公爵様がいますので!

aozora

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 夜の静寂が支配するアトリエ「アウラ」の最上階。窓の外には、無数の光の粒子となってきらめく王都アストラリスの夜景が広がっていた。

 しかし、その美しさも、今はどこか遠い世界の出来事のように感じられた。

 セラフィナは、セバスチャンがもたらした凶報を、ただ静かに受け止めていた。

 彼女の目の前には、祝いのために開けられたばかりの高級な果実酒のボトルが、まるで今の状況を嘲笑うかのように佇んでいる。

「……ベルフォート公爵が、直々に?」

 彼女の声は、硝子を爪で引っ掻くような、か細くも硬質な響きを持っていた。

「ああ。私の情報網が掴んだ確かな情報だ。王都の織物ギルド、宝飾ギルド、その他『アウラ』が必要とするあらゆる素材のギルドマスターたちに、強力な圧力をかけているらしい」

 セバスチャンは、彼女の隣に立ち、同じように窓の外を見つめながら答えた。彼の声には、いつもの冷静さに加え、抑えきれない怒りの色が滲んでいた。

「目的は、『アウラ』への一切の素材供給の停止。我々の事業の生命線を、根元から断ち切るつもりだ」

「脅し…というよりは、通告、と受け取るべきでしょうか。彼らの本気度を試す必要もなさそうですね」

 セラフィナは問うた。それは希望的観測ではなく、敵の思考を分析するための純粋な問いだった。

「いいや」

 セバスチャンは即座に否定した。

「脅しならば、もっと間接的な方法を取るはずだ。これは本気の攻撃だ、セラフィナ。ベルフォート公爵は、君の成功をこれ以上看過できないと判断した。君の才能が、彼の築き上げてきた旧弊な利権構造そのものを脅かす、真の危険だと気づいたんだ」

 その言葉に、セラフィナはゆっくりと目を伏せた。

 ジュリアンやヴィヴィアンのような、目先のプライドや嫉妬による嫌がらせではない。これは、王国の影の支配者による、冷徹で計算され尽くした、殲滅を目的とした攻撃なのだ。

 成功の甘美な余韻は、一夜にして苦い鉄の味へと変わった。

 だが、彼女の心に宿ったのは絶望ではなかった。むしろ、心の奥底で凍てついていた何かが、カチリと音を立てて砕け、熱いものが流れ出す感覚があった。

 それは、静かな、しかしマグマのように熱い怒りだった。

「……そうですか。ええ、よく分かりました。彼がそこまで望むのでしたら、喜んで受けて立ちましょう。この『アウラ』の、そして私の全てを賭けて」

 彼女は顔を上げ、その紫水晶(アメジスト)の瞳でセバスチャンをまっすぐに見つめた。その瞳には、かつての怯えも涙も、もはや一片たりとも残ってはいなかった。

 夜が明け、朝の光がエーテルポートのガラス張りの建物を照らし始める頃、脅威は現実のものとなって「アウラ」を襲った。

 最初に訪れたのは、王都織物ギルドに所属する、馴染みの商人だった。初老の彼は、いつもは快活なその顔を青ざめさせ、深く刻まれた皺には苦悩の色が滲んでいた。

「セラフィナ様……まことに、申し訳ございません」

 彼は、アトリエの応接室で、絞り出すような声でそう言うと、深く頭を下げた。

「我が商会は、本日をもって、『アウラ』様との一切の取引を停止せざるを得なくなりました」

「……顔を上げてください、ムッシュ・ドニ。何があったのか、お聞かせ願えますか」

 セラフィナは、傍らで心配そうに佇むクロエを制し、あくまでも穏やかに促した。

 ドニ氏は、震える手で汗を拭いながら語り始めた。昨夜、ギルドの緊急会合が招集され、その席でベルフォート公爵の代理人が、有無を言わせぬ態度で通告したのだという。

「『アウラ』と取引を続ける者は、ギルドから除名する、と。それだけではございません。ベルフォート家が影響力を持つ全ての金融機関からの融資を停止し、彼らの息のかかった貴族たちからの注文も全て引き上げると……。我々のような中小の商人にとっては、死刑宣告も同然でございます」

 彼の目には、涙が浮かんでいた。

「セラフィナ様の作るドレスが、どれほど素晴らしいものか。古い慣習に縛られたこの業界に、どれほどの新しい風を吹き込んでくださったか……。我々商人の中にも、あなた様を支持する者は多いのです。しかし、逆らえない……。あの御方には、我々では……」

 言葉を詰まらせる彼に、セラフィナは静かに立ち上がり、一杯のハーブティーを差し出した。

「あなたのせいではありませんわ、ムッシュ・ドニ。むしろ、危険を冒してまで信義を尽くしてくださったそのお心、決して忘れません。どうか、ご無事で。また笑ってお会いできる日が必ず来ますから」

「もったいないお言葉……!」

 ドニ氏は、その一杯の茶を、まるで聖水であるかのように受け取った。

 彼が去った後、悪夢は続いた。

 セラフィナが開発した「エージェント・ファミリア」――水晶の小鳥たちが、次々と不吉な報告を運んでくる。

『報告。宝飾ギルド、取引停止を確認』

『報告。魔導部品サプライヤー、契約破棄を通告』

『報告。特殊染料工房、無期限の納品延期を連絡』

 光の粒子で構成された報告の文字が、空中に冷たく点滅する。それは、「アウラ」の事業を支える血管が、一本、また一本と、無慈悲に引きちぎられていく音のようだった。

 クロエは真っ青な顔で、山積みになった注文書と、空になった資材リストを交互に見比べていた。

「どうしましょう、セラフィナ様……。このままでは、今お受けしているご注文の半分も、作り上げることができません。お客様への納期が……!」

 その悲痛な声が、静まり返った工房に響き渡った。

 工房の中心に設えられた円卓を囲み、緊急の対策会議が開かれた。集まったのは、セラフィナ、セバスチャン、クロエ、そして知らせを聞いて駆けつけたギルバートの四人だ。

 工房の空気は、鉛のように重かった。

「キャンセルのお申し出も、すでに入り始めています。ベルフォート公爵の差し金だという噂も、すでに社交界に広まりつつあるようです。『アウラはもう終わりだ』と、囁かれている、と……」

 クロエが、悔しそうに唇を噛み締めながら報告する。彼女の手には、顧客からの連絡が記されたメモが握りしめられていた。

「ふん、奴らのやり口は反吐が出るほど見てきたわい。儂が王宮にいた頃から、何一つ変わっとらん。少しでも新しい芽が出れば、ギルドという名の万力で締め上げ、根ごと引き抜く。そうやって、奴らは革新の光から目を背け、淀んだ水の中で王様気取りを続けてきた。時代に取り残された、哀れな亡霊どもよ」

 腕を組み、椅子に深くもたれていたギルバートが、吐き捨てるように言った。彼の言葉には、長年溜め込んできたであろう、旧弊な権力への侮蔑がこもっていた。

 重苦しい沈黙が落ちる。誰もが、この絶望的な状況を前に、有効な打開策を見出せずにいた。

 その沈黙を破ったのは、セラフィナだった。

 彼女は、テーブルの上に広げられた「アウラ」の資材管理台帳を、冷徹なほど静かな目で見つめていた。その瞳には、パニックの色は微塵もなかった。

「クロエ、現在の在庫で、あと何着のドレスが仕上げられますか?」

「え? あ……はい。特注品を除けば、標準的なデザインのもので、二十着が限界かと……」

「分かりました。ギルバート師、現在開発中の新しい魔導刺繍機に必要な特殊合金は、在庫がありますか?」

「ああ、あれは儂の個人工房から持ち込んだものだ。ギルドとは関係ない。まだ試作機三台分は作れるだろう」

「結構です」

 セラフィナは、次々と的確な質問を重ね、状況を整理していく。その姿は、嵐の中で船の針路を定める、熟練の船長のようだった。

 やがて彼女は顔を上げ、全員を見渡して、きっぱりと言い放った。

「これは戦争ですわ。もはや、ジュリアン様との過去の清算でも、ヴィヴィアン様とのつまらない意地の張り合いでもありません。旧い支配と新しい未来、そのどちらがこの王国に相応しいかを決める経済戦争。ベルフォート公爵がその火蓋を切ったというのなら、私たちがその終止符を打ちましょう」

 その言葉に、全員が息を呑んだ。

「彼らは、私たちがギルドという既存のシステムの上でしか生きていけないと思っています。だから、その根を断てば、私たちは枯れると信じている」

 彼女は、窓の外に広がるエーテルポートの近代的な街並みに目をやった。

「でも、それは間違いです。この危機は、むしろ好機だわ。旧いシステムに依存することの脆弱性を、これ以上なく明確に示してくれた。ならば、私たちがすべきことは一つ」

 セラフィナは、セバスチャンへと視線を移した。彼女の瞳には、挑戦的な光が宿っていた。

「ギルドを迂回するのではありません。そんな生ぬるいことを考えてどうしますか。…ギルドという存在そのものを、歴史の教科書に載るだけの過去の遺物にしてさしあげるのです。新しい流通という血脈を、私たち自身の手で、この国に巡らせるのですから」

 彼女の宣言に、セバスチャンは満足そうに口の端を上げた。まるで、その言葉を待っていたかのように。

「全く同感だ」

 彼は立ち上がると、テーブルの上に手をかざした。彼の掌から淡い光が放たれ、空中に精巧なリリア王国の立体地図が投影された。エーテル・プロジェクションだ。

「実は、この事態をある程度予測して、水面下で準備を進めていた」

 セバスチャンが地図上の一点を指し示すと、その部分が拡大表示された。それは王都から遠く離れた、彼の領地であるモラン公爵領だった。

「私の領地は、かつては高品質な生糸や魔力繊維の産地として知られていた。だが、時代遅れの生産方法と、王都のギルドによる不当に安い買い付けのせいで、この数十年ですっかり衰退してしまった」

 地図の上には、寂れた村々や、使われなくなった工場のアイコンが点在している。

「私は、この状況を変えたいとずっと思っていた。領地に最新のクリーン・エーテル転換炉を設置し、その潤沢なエネルギーを使って、生産設備を近代化する計画を進めてきた。領内の生産者たちも、ギルドの支配から抜け出すことを渇望している」

 彼の指が地図をなぞると、寂れた村々が次々と光を放ち、新しい生産拠点へと姿を変えていくシミュレーション映像が流れた。

「ベルフォート公爵は、王都のギルドを締め上げれば、我々が干上がると考えたのだろう。だが、それはあまりに近視眼的な考えだ。彼が支配しているのは、あくまで王都とその周辺だけ。この国には、彼らの搾取に苦しんできた、多くの人々がいる」

 セバスチャンは、セラフィナに向き直り、力強く宣言した。

「セラフィナ。君の言う通りだ、我々は迂回などしない。…これは我々のためだけではない。ギルドの搾取に苦しむ私の領民、いや、この国中の誠実な作り手を解放するための革命だ。彼らが誇りと正当な対価を取り戻す、新しい時代の『盟約(ギルド)』を創る。…そして、その未来は、君がいなければ始まらない。我々が、その先駆けとなるのだ」

 その壮大なビジョンに、クロエとギルバートは言葉を失っていた。これはもはや、一介のアトリエを守るための戦いではない。国の経済構造そのものを変革しようという、壮大な挑戦だった。

「輸送はどうするのです? モラン領は王都から遠く離れています」

 セラフィナが、最も現実的な問題を指摘した。

「それも問題ない」

 セバスチャンが微笑むと、地図の上に、流線型の美しい船影が投影された。

「最新式の魔導飛空艇だ。私の私財で、すでに数隻確保してある。この飛空艇も、私の領地のクリーン・エーテルを動力源としている。ベルフォート家が瘴気を撒き散らしながら旧式の船を飛ばすのとは違い、環境負荷も魔力効率も比較にならない。これを使えば、モラン領から王都まで、半日もかからずに大量の物資を輸送できる」

 完璧な計画。周到な準備。セバスチャン・モランという男は、ただの理想家ではない。理想を実現するための力と、それを実行する冷徹なまでの計算高さを兼ね備えた、真の革新者だった。

 セラフィナは、彼の計画に深く感銘を受けながらも、すぐに思考を巡らせた。彼の計画を、さらに完璧なものにするために。

「素晴らしい計画ですわ、セバスチャン様。ですが、さらに良くすることができます」

 彼女は立ち上がると、セバスチャンの投影した地図に、自らの魔力を重ねた。彼女の指先から放たれた光の糸が、地図の上に複雑なネットワークを描き出していく。

「ただ物資を運ぶだけでは、非効率です。私の『エージェント・ファミリア』のネットワークを、モラン領の生産者たちにも提供します。王都の『アウラ』で受けた注文、顧客の好み、流行の兆し……そういった需要に関するあらゆるデータをリアルタイムで生産者と共有するのです」

 彼女が描いた光のネットワークは、王都の「アウラ」と、モラン領の無数の生産拠点を直接結びつけていた。

「これにより、需要を正確に予測し、無駄な在庫を抱えることなく、必要なものを必要なだけ生産する『ジャスト・イン・タイム』の生産体制が実現できます。コストは劇的に下がり、品質は逆に向上するでしょう。私たちは、価格でも品質でも、ギルドを圧倒することができます」

 それは、セバスチャンの提示したハードウェアとしてのインフラ計画に、セラフィナのソフトウェアとしての情報戦略を融合させた、完璧な事業モデルだった。

「ふん」

 その時、腕を組んで黙っていたギルバートが口を挟んだ。

「そのやり方は綺麗すぎる。飛空艇が一隻でも襲われたり、悪天候で飛べなくなったりすれば、途端に全てが止まるぞ。在庫を持たないというのは、そういう危険と隣り合わせだ」

 現実を知る男の、的確な指摘だった。だが、セラフィナは怯まなかった。

「さすがですわ、師匠。そのご指摘、お待ちしておりました。もちろん、対策は幾重にも講じてあります」

 彼女は、自信に満ちた瞳でギルバートを見返した。

「『エージェント・ファミリア』は、天候や瘴気の流れをリアルタイムで予測し、常に複数の最適な航路を提示します。重要な素材は必ず複数の飛空艇に分散させ、一度の輸送が失敗しても生産が完全に停止しないよう、リスクを管理します。これは単なる輸送網ではありません。自己修復機能を持つ、生きた神経網なのです」

 二人の天才が、互いの才能を共鳴させ、一つの未来を紡ぎ出していく。その光景を、クロエは目を輝かせて見つめ、ギルバートは「とんでもない奴らだ」と呟きながらも、その口元には満足げな笑みが浮かんでいた。

 絶望的な危機は、今や、胸のすくような未来への挑戦へと完全に姿を変えていた。

 その頃、王都の旧市街にそびえ立つベルフォート公爵邸では、当主アレクサンドルが、執事からの報告に満足げに頷いていた。

「ほう、織物ギルドから宝飾ギルドまで、全てが我々の指示に従ったか」

「はい、公爵様。例外なく。『アウラ』への供給網は、完全に断たれたものとご報告申し上げております。あの小娘の工房も、あと数週間もすれば立ち行かなくなるでしょう」

 アレクサンドルは、窓の外に広がる、自らが支配してきた王都の景色を見下ろしながら、手にしたワイングラスをゆっくりと回した。

「モランの若造も、所詮は辺境帰りの青二才。王都のギルド全てを敵に回して、何ができるというのか。小手先の技術で得た才能など、我らベルフォートが何代にもわたり築き上げてきた『現実』という名の権力構造の前では、砂上の楼閣にすぎん。思い知るがいい」

 彼は、セラフィナを「庇護されるだけのデザイナー」と見なし、セバスチャンを「現実を知らない理想家」と断じていた。彼らの才能の本質、その二人が手を組んだ時に生まれる破壊的なまでの相乗効果を、この冷酷な黒幕は完全に見誤っていた。

 その傲慢さが、自らの首を絞める縄になるとも知らずに。

「あの小娘の、分不相応な輝きもこれまでか。…目障りな星屑は、やはり泥に塗れているのがお似合いだ」

 公爵は、そう呟くと、深紅の液体を喉に流し込んだ。

 数日後。王都の空の玄関口、エーテルポートの最上級発着場。

 流麗な白銀の船体を持つ、最新式の魔導飛空艇が、静かに出発の時を待っていた。

 タラップを上がるセラフィナとセバスチャンの姿があった。彼らの後ろには、クロエとギルバートが見送りに来ている。

「セラフィナ様、お気をつけて。アトリエのことは、私とギルバート様でしっかりお守りしますから」

 クロエが、不安と期待の入り混じった表情で言った。

「頼みましたよ、クロエ。ギルバート師も」

 セラフィナは、信頼する仲間たちに微笑みかけた。

 彼女は飛空艇の船窓から、遠ざかっていく王都アストラリスを見つめた。そこは、彼女から全てを奪った街であり、そして、彼女に全てを与えてくれた街でもあった。

 ベルフォート公爵が仕掛けた経済戦争の火蓋は切られた。しかし、彼らが直面しているのは、もはや無力な没落令嬢ではない。

 隣に立つ、誰よりも頼もしいパートナーの顔を見上げる。セバスチャンもまた、彼女を見て静かに微笑んでいた。

 彼らの前には、未開の荒野が広がっている。だが、その瞳には、一点の曇りもなかった。

 これは、堕ちた星屑が、自らの手で新しい天穹を創り出すための、大いなる戦いの始まりだった。

 飛空艇は、朝日を浴びて輝きながら、未来が待つ空へと、力強く上昇していった。
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